第3話 天候を操る系能力者

 売り言葉に買い言葉。

 売られた喧嘩は漏らさず買い取り。

 にらみ合う二人と、その間で仮面をカチカチ鳴らしながら狼狽える麻央。

 一触即発の状況の中で、全く空気を読まずにニコニコとその状況を眺めていた明日香が、これまた空気を読まない明るい口調で口を開いた。

 その声と口調は重苦しい空気を瞬時に断ち切り、にらみ合っていた二人の視線も明日香に移る。


「あ、魔王の話してたんだっけー。結衣ちゃん!」

「よくこの状況で思い出しましたわね、明日香さん……」

「フー……」


 毒気を抜かれた典華が威嚇の姿勢をやめて、自分の席に戻る。

 何事もなかったかのように二人が元に戻り、麻央は小さな安堵の溜息を漏らす。

 実はわりとよくある光景なので、この対立もすぐに収まるのだけど、麻央はいつまでたっても慣れないらしい。


「そうそう! 魔王は何故世界征服すんのっつう話! 誰だエロゲーの話始めたの!」

「ブフー」

「そうね、実質結衣さんが話を逸らしたと言っても過言ではないかと」

「エロゲーの話は明日香からじゃん!」

「明日香さんは存在を理解しておりませんでしたから」

「わぁい」

「畜生、あたしだって美少女に生まれりゃ……」

「淫魔にはなれないかと思いますけど?」

「そっちじゃねえよ!」

「ブフフーフー」


 騒動が納まれば、典華は当然カンバスに向かう。

 抽象画なので僕から見た所で進行具合は全くわからない。時折、麻央が反応する事があるのだけど、他の人にはその意味も理解出来ていない。

 今もまた、カンバスを見て麻央が何か言っていたが、その直後典華の表情が曇った。


「あら……これは、失敗……?」

「いっつも思うけどあんたの芸術は全然わからん。なんか高そうな絵の具使ってるみたいだけど、発色とか違うの?」


 典華の使っている絵の具は、僕らが使っているものとは全く違う。画材についてそれほど詳しくはないけど、彼女の使っているメーカー名は聞いた事がないし、店頭でも見た事がない。


「いいのです。凡人にわかってもらおうとか思っておりませんし。あと発色は、そうですね、分かる人には分かるかもしれませんね」

「なにその上から目線」

「あら、失礼。私くらいの天上人になると、つい」

「コンクールとか出した事もないくせに……」

「典華ちゃん凄いねー、いつのまに天に召されたのー?」


 多分そういう事じゃない。


「あの馬小屋で生まれようとしている子供に賢者を引き合わせた事が懐かしいですわね……」

「紀元前から生きてんのかよ!」


 珍しく上機嫌な典華が、絵筆を指揮棒のように踊らせて当時を懐かしむように述懐していた。もちろんそれが述懐と言えるのかどうかはわからないが、さすがの内容に結衣どころか麻央まで抗議の姿勢を露わにした。


「冗談ですわ。私がしたのはせいぜいその母親に受胎告知してあげた程度ですわ」

「大天使じゃねえか!」

「すごーい。謙遜のふりしてランク上げてるー」


 そんな話をしていると、不意に窓を細かく叩く音が聞こえてきた。窓を見ると、細かい水滴が張りつき、見ているうちにそれは点から線に変わって行き、すぐに面を覆うようになっていった。


「やっべー、雨降ってきたよ」

「えー、今日ずっと晴れだって天気予報でも言ってたのになー」

「やべ、傘持ってきてないのに。典華持ってきてる?」

「ああ、まずいですね……」

「典華も傘なしか……。うわ、もう窓の外見えないよ。帰りやばいかもね」


 さっきから結衣がやばいしか言ってない。


「うわー風の音も凄い聞こえて来るー。きもちわるいー」

「これは……いけませんね……」


 典華が慌てて席に戻る。

 真剣な、というよりは必死という方が的確な、そんな眼差しで筆を走らせ、何やらつぶやいている。

 もちろん何を描いているのかは全く分からないが、文様が一部変わったような気がする。

 あまりに真剣に描き続けるのでしばらく見続けているうちに、いつの間にか雨がやんでいた。


「あれー、雨止んだねー」

「ゲリラ豪雨って奴か。思ったより短かったな! 助かった!」

「それにしても突然だったねー?」

「帰りにまた降らないならそれでいいや。ねえ典華?」

「え……ええ。そうですわね。もう降らないと思いますわ」


 窓の外ではすでに雨の事など何もなかったかのように晴れ渡り、窓に残る水滴以外にその痕跡は残っていない。


「なに、典華って天候の力を司る系?」

「いや……何をおっしゃっているの結衣さん」

「空見てため息とかついてるし。典華の中では自分で雨を止めたつもりになってるのかと」

「……フッ、当然ですわ。私が本気になれば雨の一つや二つ、自在に操ってみせましてよ」

「開き直りやがった!」


 右手を顔にかざして厨二っぽいポーズ決めてくれる辺り、典華も意外とノリノリである。


「まあいいや魔王よ魔王」


 対する結衣は割とどうでもよかったらしい。

 あまりに雑なリアクションに、さすがの典華も若干残念そうだ。

 こういう冗談に乗ってくる事は珍しいので、僕としてはもうちょっと見ていたかったのだけど。


「そ、そうですの……。どうしてもその話したいのですね……」

「魔王の部下ってだいたい暴力的でひどい奴ばっかりじゃない。そういう奴だけの世界を作りたいとか言うじゃない」

「フゴー」

「まあ、大抵の魔王は平和と秩序に対抗する存在である事が多いですわね」

「魔王じゃないけど世紀末の覇者系もだいたい同じ事言うよな」

「系も何も該当作品一つか二つしかございませんが」

「しかもエロゲーなんかだとアッチ方面でも酷いことするわけだ!」

「お前自分でその話題蒸し返すか!」


 さすがに口を突っ込まずにはいられなかった。また答えにくい質問されるのは嫌だぞ。


「アッチ方面ってー?」


 ほらみろ。

 蒸し返すどころか、まず「アッチ方面」という単語の説明から必要な流れじゃないか。


「お前は本当にあれだな、石橋をひびが入るまで叩きたがる奴だな」

「食べ放題で倒れる寸前まで食べた事もありましたわね……」

「ハッハッハ! 水の入ったグラスにコインを入れる勝負するなら脱脂綿を用意しておくね!」

「一応言っておくが、誰も褒めてないからな」

「え、マジで!」


 本気で褒められていたと思っていたらしい。何故そこまで自分に自信が持てるのかもわからないが、この局面でそこまでショックを受けられるのもわからない。


「明日香さん。結衣さんのことはもうこの世界にいないものとして扱ってよろしいですから」

「ついに世界から追放された!」

「お前が薄氷を踏み抜くような真似ばかりするからだろ」

「結衣さんこそがまさに魔王の部下にふさわしい存在ですわ!」

「さらに魔王の下僕に!」


 結衣が失意のあまり地面に突っ伏してしまった。世界から追放された上に堕天どころか魔王の下僕扱いされてしまえばさしもの結衣もショックを受けるというものか。


「ゴフー」

「うう……どこまで墜ちて行くというのあたしは……」

「……淫魔で喜ぶのにそれは嫌なのですね」

「今の散々ディスられた流れで喜べるか!」


 結衣なら喜ぶかと思っていたが、どうも違ったらしい。

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