超次元美術部の日常
後藤紳
魔王と勇者と天使とエロゲー
第1話 魔王の存在意義とは
放課後の校舎は、少し特殊な空間だ。
授業という枷もなくなり、残りたい生徒が残っているだけの、拘束力の弱い空間。
一般教室に至ってはほとんど生徒は残っていない。
夕焼けの真っ赤な光で染まった空間にポツンと立っていると、まるで時間が止まったかのような錯覚さえ覚える。
それでいて窓からグラウンドを見下ろせば、たくさんの運動部が走り回ったりして練習をしているし、体育館でも室内スポーツの練習が繰り広げられている。
音楽室からは吹奏楽部の練習の音が聞こえてきて、校舎裏に集中している文化部の部室も、部屋の灯りの数で色々な活動が行われているのがわかる。
下校時間までの数時間は、主に生徒達の空間になるのかもしれない。
そして今日も終業の鐘が鳴る。
玄関は生徒達でごった返し、下駄箱の蓋を開け閉めする音や、靴を無造作に地面に投げる音、そして外から聞こえてくる蝉の鳴き声と相まって雑多な音で溢れ、騒然としていく時間帯だ。
用のない者はそのまま家路を急ぎ、運動部員は部室棟へ急ぐ。
僕自身はどちらにも該当しないので、ゆっくりと教科書類を鞄に入れて、あっという間に半数以上がいなくなった教室を後にした。
玄関に向かう生徒の流れに逆らって歩き、僕は裏校舎へ向かった。
裏校舎の二階の真ん中にある教室。扉の上には美術部の看板がかけられている。
ここが僕の目的地だ。
扉を開けると、広くはない部屋に木製のイーゼルが並び、大きな石膏像が整列し、カンバスの木枠が棚にぎっしりとつまっている。
僕が校内で最も心安らぐ空間……だった所。
ここは、美術部の部室だ。
視線を下ろすと見える広い机の上には、描きかけの絵や使いかけの画材、資料などと共にスナック菓子の袋や紙パックの飲料が雑然と置かれている。
少しは片付けろ。
画材を整頓するための棚には部員の私物が乱雑に置かれ、肝心の画材は床に適当に並んでいる。
頼むから片付けろ。
そして部室を我が物顔で支配し、椅子に座って好きなことをしている女子生徒が、四人。
「おっす先輩! 遅かったね!」
「こーんにちはー!」
「あら、お疲れ様です」
「フゴー」
我が校の美術部員は、これで全員。
四人の中でまともに絵を描いているのは、イーゼルを立ててカンバスに向かっている一人だけ。
あとはノートやスケッチブックに何か落書きをしているだけだったり、一人はそれすら出さずにスナック菓子を食いながらスマホを弄り続けている。
「結衣、せめて美術部っぽい活動をするふりくらいはして欲しいな」
ポニーテールの少女は僕の言葉など意にも介さず、スナック菓子を一つ口に放り込んで、わざわざ咀嚼して飲み込むまでの時間を消費してから反論してきた。
「典華がちゃんと描いてるからいいじゃない! 元々人数合わせで入部しただけだし!」
「確かに僕は入部さえしてくれれば何をしてもいいとは言ったが」
「ほら。あたしは言いつけ通りにしてるだけ! なんら問題なし! とりあえず今ボス戦だから話しかけないで!」
「しかもゲームかよ」
「んー、結衣ちゃんがいるとー、楽しいからそれでいいかなー」
「ほら! ほら! 明日香もこう言ってるじゃん!」
「ゴフー」
「麻央ちゃんもーそれでいいってー」
ゆったりした口調の明日香は、この中では二人目に入部してきた女子部員だ。長く黒い髪が背中まで伸びて、真っ白な肌と、すらりと伸びた手足。人形のような美少女というのは彼女の事をいうのだろう。その特徴的な口調や優雅な仕草で誰からも好かれている。
美術部員としてはあまり熱心に絵を描く方ではなく、今日はスケッチブックに落書きをし続けていた。特にテーマがあるわけでもなく、白いページにとりとめもなく様々なキャラクターが散りばめられている。
「まあいいけどさ。典華の邪魔ばかりしてないようにな」
「邪魔なんかしてないよな、典華!」
「あなたが口を開くだけで校内の二割は迷惑に感じている気がしますわ」
「なんだよ! それじゃ呼吸も出来ないじゃん! 死んじゃうじゃん!」
「あら、たまには皮肉が通じる事もあるんですのね」
「なにをー!」
女性らしい口調ときつい毒舌を放つのは、長い髪を後ろで丸くまとめた、シニヨンと呼ばれる髪型をした少女で、唯一まともに絵を描いている生徒だ。
木製のパレットを構え、絵の具で汚れたエプロンを身に纏った姿は、どこから見ても美術部員という風情がある。彼女らの中で、一番始めに入部の意思を見せたのが彼女だった。
ついでに言うと結衣を紹介してきたのも彼女だ。昔からの友人らしい。
描いている絵は、複雑に折り重なった色がなんだかよくわからない形状をして、さらに文様のようななんだかよくわからないものを上から書き込み、文字とも絵とも言えないなんだかよくわからない不思議な風合いを醸し出していた。
早い話が抽象画というやつである。
「ふー、何とか倒せた」
「おつかれさまー!」
「明日香、遊んでた奴にねぎらいの言葉とかいらないからな」
「しかし、魔王ってさ、なんで世界征服とか狙うんだろうな」
「ゴフー」
「魔王の存在理由の否定とはまた……」
「いやいや、否定じゃなくて疑問だってば!」
「結衣さんの思考回路に疑問を感じますけれど」
愛用のイーゼルを取り出し、石膏像のセットやカンバスのセットをしていると、いつものように結衣が突拍子もない話題提起を始めていた。
絵を描かない結衣は、一人でずっと喋り続けて周りの作業を妨害する。
時折本気で邪魔になる事もあるが、三人が許容しているので僕からどうこういう事も出来ない。積極的に話す人が他にいないので、彼女抜きでは静かすぎて僕がいたたまれなくなるから、これでいいのかもしれない。
「典華ちゃんも面白いよねー」
「明日香さん、面白い事など何一つ申しておりませんし、『も』という発言が一番私の中で多大なダメージが……」
「いやいや、典華のツッコミは大したもんだよ? 眼鏡かけてないのが不思議なくらいにな!」
「貴女の中のツッコミキャラは全員眼鏡キャラなんですの……?」
「ブホー」
「ええ、そうですね。麻央さんも眼鏡ではございませんね」
「麻央はツッコミキャラというのとはちょっと違うかな」
麻央は顔全体を覆う鉄仮面を被っているので僕にはわからないが、眼鏡はかけていないそうだ。
時折仮面の隙間から吐息のような特徴的な音が聞こえるが、僕以外の女子とはそれでコミュニケーションが取れているらしい。
顔も見えず、声もわからないのだけど、一応女子の制服を着て、その制服の胸の部分がとても扇情的に膨らんでいる辺り、女子で間違いないと思う。もちろんこんな事を言ったら四人からどんな事を言われるかわからないので黙っているけど。
彼女もノートを開いているのだけど、描いているのはなにやら文字のような、文様のようなもので、抽象画というかデザイン的な何か、なんだろう。典華の絵もそうだが、僕にはこの辺の善し悪しがわからないので好きにしてもらっている。
「んで魔王なんだけどさ」
「なんですの、今日のブームは魔王ですの?」
「ゲームやってて思っただけなんだけど、魔王ってこう、もうちょっと手近な所から初めてもいいんじゃないかな!」
「んー、手近ってー?」
「山一つを征服とか!」
「ただの地主ですわね」
「コフー」
「いやいや、まずは山奥にダンジョンを構えて、山一つ分の魔物を制圧するわけよ。地域制圧型シミュレーションなわけよ」
「あー、お兄ちゃんがそういうゲームやってたー。箱の裏にそんな言葉が書いてあったのー。ユニットが女の子ばっかりで可愛かったよー」
典華の筆があらぬ場所に不要な色を配し、僕と麻央の鉛筆の芯は豪快に折れ、結衣はつまんでいたスナック菓子を床に落とした。
全員が明日香の方へゆっくりと顔を向け、神妙な顔つきで明日香を見つめる。勿論麻央だけは実際に仮面の下が神妙な表情だったのかはわからなかったのだけど。
「え? えー?」
突然視線を集めてしまった理由が明日香には全くわからないようで、困惑した表情のまま固まってしまった。
理解されてしまってもちょっと困ったりもするのだけど。
もう一度明日香以外の全員が目を合わせ、「誰か聞けよ」と目だけで促し合う。
こういう時に率先して動いてくるのは、彼女しかいない。
頼んだぞ、典華。
全員が示し合わせたように目線を合わせ、同時に頷く。
やれやれだぜ、とでも言いたげな表情をしてから顔を上げ、典華が意を決して口を開いた。
「明日香さん、それ……やってるのをご覧になりまして?」
僕らに出来ない事をやってのける典華。そこにしびれたり憧れたりしそうな尊敬のまなざしが、僕を含む周囲から彼女に注がれた。
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