5.You got me in the red


 ーー金曜日、春季大会前日。



「よーっし、明日は春季大会だ。今からプリント配るから、よく目を通しちょってくれ」

 別府雲雀べっぷひばり高校女子バスケ部のキャプテン、後藤ごとう枇杷びわが練習後のミーティングで言う。

 隣に立っていた副キャプテンの前野まえの林檎りんごが部員にプリントを渡していく。


 小陽こはるの手にもプリントが回ってくる。小陽は紙に書いてあるトーナメント表を見た。


(別府雲雀・・・あった。1回戦の相手は日ノ出総合ひのでそうごうか。どうなんだろ?強さが分かんないや・・・)


「中堅、っち感じかな。日ノ出総合は」

 小陽の考えたことを察したのか、小陽の隣にいた冬月るなが言った。

「そん通りやな。去年の夏はベスト16、新人戦では2回戦敗退で、際立って強いイメージはないな。でもウチよりは確実に格上と言っていい。やけど、今年は勝てる可能性は十分にある。ーー高波たかなみがおるけんな」

 枇杷は冬月の方を見る。

「そんな期待せんで下さい。・・・まあ負けるつもりも無いですけど」

「頼もしいなぁ。取りあえず、弾みをつけるためにも初戦、それと2回戦は勝っておきたい。その先はちょっと勝ち上がるのが難しそうやから」

「なんで難しいんですか?」

 小陽と同じ1年生の中畑なかはた蜜柑みかんが尋ねた。

「1回戦は日ノ出総合、2回戦は洋二舘ようにかん兎耳うさみみ高校の勝者。ここまでは勝てる可能性が十分にある。が、問題は3回戦、シードの強豪、紅鶴こうかく商業と当たるけんな。連戦で体力的にも厳しい状況やし、しかもこっちが1試合多くやった状態でシードと当たらなきゃならない。まず厳しいやろうな」

「そういうわけですか・・・。しかもこっちは選手層も薄いですしね」

「まあ先のことは先になってから考えよう。取りあえずは1回戦の日ノ出総合戦に全力を注ぐ。スタメンは当日決めるから、全員ちゃんと心構えはしておくように。ーーそれと1年生に渡しておくものがあった。林檎、持ってきて」

「はいはーい♪」

 林檎が体育館の隅に置いてあった段ボール箱を抱え持ってくる。

「ユニフォームよ。2、3年はもう背番号を決めてあるから4番から9番までは埋まってるけど、それ以降の番号は1年生が埋めていくからね。じゃあ取りに来て、10番ーー高波」

「はいっ!」

 冬月が枇杷からユニフォームを手渡される。白をベースとした生地に水色のゴシック体で『HIBARI』と正面に描かれ、その下には『10』と記されていた。

 背中にも『10』という文字が刻まれている。

 同時に水色をベースにし、黒の文字が描かれたユニフォームも渡される。


「11番中畑、12番あまね、13番丹羽たんば。以上だ」

 小陽の手にもユニフォームが手渡される。

 薄くて軽い、動きやすそうな生地だ。


(若干前の陸上のユニフォームに似てるな。懐かしいや)

 小陽が中学生の時にしていた陸上のユニフォームも水色をベースにしていたため、なんとなく親近感が湧いた。



「それじゃあ明日は7時には駅に集合して、そこから皆で会場に行くけんね。遅れることの無いように。以上、解散!」

 枇杷の声と共に部員は部室に戻って行く。


 小陽はその場に立ち尽くし、試合への心の内を確かめていた。

(明日は・・・試合。出番があるかどうかはわからないけど、一生懸命にやろう)


 バスケットボールを始めてまだ数週間。

 だが小陽は日々バスケットボールの楽しさを肌で感じ取っていた。


 ドキドキとワクワクが入り交じった、高揚した感情が小陽の心を取り巻いていた。




 ーーその夜。


永野ながの大希だいき


【明日試合なんだってな。小陽ちゃんはまだバスケを始めてそんなに時間が経ってないから、試合に出れなくとも色々な人のプレーを見て学ぶことがいっぱいあると思う。だから明日は絶対良い経験ができるから、頑張ってね。】



 大希から来た試合の応援メールを見ながら小陽は微笑んでいた。【頑張ってみます!】と返信したあと、また画面が光って着信音が鳴った。冬月からのMINEマインだった。


[高波冬月]


【明日は頑張ろうな。】

【いや、頑張るだけやったらダメやな】


【勝とうな。絶対に。】



 画面越しでも伝わる冬月の気迫に、小陽の胸が高鳴った。



 頑張ろう。

 いや、頑張るだけじゃなくてーー、




 勝とう。絶対に。




【うん。勝とうね。絶対】

 と、小陽は返信した。






 時計の針が夜の11時を回った頃、小陽はシーツの間に体を入れる。

 灯りは橙色の電気スタンドのみで、あとは寝るだけである。



 しかし。


「・・・」


(眠れない・・・)


 しばらくの間目を瞑っていたが、一向に眠気はやって来ない。

 体は疲れているのだが頭だけが冴えている。


(緊張してるなぁ・・・。やっぱり団体競技は初めてだし)

 自身の心臓の鼓動の速さを確かめながら思う。


 仕方なく眠気が来るまでの間携帯を見る。


 気づかないうちにバスケ部のグループMINEにたくさんのメッセージが送られていた。


[雲雀高校女子バスケ部]


枇杷:【みんな明日に備えて早く寝るんだぞ!】


林檎:【そういう枇杷こそいっつも試合前は寝れないくせに】


茘枝らいち:【え、そうなんですか!?意外ですね!】


林檎:【強がってキャプテンやってるけど本当は繊細なんだよ】


もも:【試合直前は手に人って何回も書いてますよね】


あんず:【今までで何千人くらい飲み込んだんですかねぇ】


枇杷:【うるさい!早く寝ろ!】


林檎:【もうすぐ寝るよ~】


ゆず:【おやすみなさい】


茘枝:【もう多分蜜柑とかは寝てますよ。神経図太いから】


桃:【それ言ったらすももも寝てるよ】



 小陽は画面を見て、返信する。



小陽:【わたし緊張して寝れないんですけど・・・】


林檎:【大丈夫か~】


枇杷:【そんなに気負う必要ないぞ】


杏:【気楽に気楽に】




 気楽に、ということは分かっているのだがなかなかそうはいかない。


 小陽はベッドから立ち上がり、部屋の窓から外を見る。


 夜空はうっすらともやをかけており、星の光がぼやけながらもちらちらと見える。

 窓を開けると四月のやや冷たい風が吹き付け、澄んだ空気が小陽を包む。


 小陽は思いきり息を吸い込み、吐き出す。


 マイナスイオンとでも言うのだろうか、この町の夜の空気は自分を安心させてくれる。


(・・・大丈夫。この町で出会った皆がいる。怖いものなんて、何もない)

 小陽は窓を閉め、それから別の側面にある小窓から冬月の家のほうを見る。


 既に灯りはどこにも付いておらず、静まり返っていた。


 不意にバスケットボールを抱えて寝ている冬月の様子が想像され、小陽は苦笑した。


「わたし、頑張るよ、冬月ちゃん」


 小陽は小さく呟き、またベッドに寝転んだ。



 目を瞑ると、眠気はすぐにやって来た。

 小陽はその眠気に意識を預け、やがて眠りについた。





 ーー翌朝。


「おはよう。・・・やっぱり林檎が一番最初か」

 雲雀高校女子バスケ部の集合場所である駅に枇杷が到着する。林檎が一番乗りで来ており、近くの自動販売機で買ったと思われる、紙コップに入った抹茶ラテを飲んでいた。

「っはよ~。まあ私が一番近いけんね」

 駅のすぐそばに家がある林檎はいつも集合が早く、30分前には抹茶ラテを飲みながら待っていた。今日もいつもと同じである。


 それから時間にきっちりしている柚と桃がほぼ同時にやって来る。


 そこまではいつも通りだった。が、そこへ初めての試合に臨む1年生がやって来る。


「・・・おはようございます!」

 小陽と冬月が駅に到着した。お辞儀をしながら小陽は枇杷たちがいる位置に近づく。

 しかし枇杷や林檎たちの表情は険しい。いや、戸惑っているという方が正しいだろうか。

「お、おう。おはよう。・・・丹羽、高波、お前ら、どげえしたんどうしたのその格好?」

 冬月はユニフォームにジャージを羽織っており、小陽はユニフォームのままの格好である。

「どげえした、って、別に普通の格好ですけど」

「いや・・・ユニフォームは早いだろ。特に丹羽はジャージくらい羽織れ」

「あ、そうですよね。すみません。つい気合が入っちゃって・・・」

 今日の朝、小陽は両親である小明あかり陽智ひさとにユニフォームをバッグに入れるところを見られ、「ちょっと着てみて」などと言われ、そのまま冬月と合流したためユニフォーム姿で集合していた。

 冬月も気合が入ったのか朝からユニフォームを着用し、小陽の家を訪ねていた。



 小陽はジャージを羽織り、他の部員の到着を待つ。

 10分ほど経ってから茘枝が到着する。


 それから集合時間ギリギリに李と杏、集合時間ピッタリに慌てて走ってきた蜜柑が合流した。



「ーーよし、全員揃ったな。忘れ物は無いか?」

 部員たちが自分のカバンの中を見て、その後頷く。


「大丈夫?それじゃあ・・・行こうか」


 雲雀高校女子バスケ部は電車に乗り、会場である隣町の学校の体育館に向かう。



 早朝の電車はあまり混んでおらず、1年生以外の部員は全員席に着くことができた。


「冬月ちゃん、今日って1試合だけだったよね?」

「うん、そうちゃ。今日勝てたら明日は2試合あるけどな」


 春季大会、というのは正確に言うと南九州の大分、熊本、宮崎、鹿児島の4県対抗の大会の大分県予選のことであり、主に高校総体インターハイの前哨戦として多くの高校が調整の場として参加する。


 今日は10時30分から会場の賀田橋かたばし高校で日ノ出総合と対戦し、その試合に勝てば次の日の2回線に挑むことになる。


 電車に乗り、10分ほど経過する。

 部員たちも口数が少なく、明らかに緊張した面持ちである。


(・・・やっぱりみんな緊張してるな。何か場を和ませることを・・・でもどうすれば)


 枇杷が主将として部員を和ませようと思案の表情を見せる。

 すると林檎が枇杷の顔を見て考えていることを察知したのかそういえばさ、と話を振った。


「枇杷に好きな人が出来たみたいだよ~ん♪」

「なっ!?なに言ってんだ!」

「えーとねー相手はねー同じ学年のサッカー部のイケメンでー、教科書貸してくれたってだけで惚れたみたいだよ~。まったくちょろいよね~」

 林檎の話を聞いて李と杏がふふっ、と吹き出す。

 確かにちょろそう、と柚がぼそりと呟いた。

「ち、違う!私は恋愛とかよく分かんないし・・・」

 枇杷はしどろもどろになりながらも弁解を続ける。

「愛情表現下手そうですよね」と、杏。

「でも尽くすタイプって感じ」と、李。

「告白してフラれた回数多そう」と、柚がやや辛辣なことを言う。

「キャプテン優しいから絶対いつか良い人捕まえられますよ」と、桃がフォローを入れた。

「そうだと良いんだけどな・・・。桃はやっぱり言うことが違うな。流石は恋愛マスター」

 枇杷が遠い目をして言ったあと桃を見て言う。


 女子バスケ部の中で唯一彼氏がいる桃は部内でもその件でからかわれたり、あるいは羨望の眼差しを受けたりしていた。

「別に恋愛マスターなんかじゃ無いですよ。普通に好きな人が出来て、普通に想いを伝えて、普通に一緒にいる。それだけですよ」

 桃が優しげな顔で枇杷を見ながら返す。

 そのどこか余裕がある様子に枇杷やその他の部員は若干の敗北感を感じていた。


 そうこうしているうちに電車が目的地の駅に到着する。

 ガールズトークに花を咲かせ、緊張が緩まった様子のまま小陽たちは会場まで徒歩で移動した。


 賀田橋高校の体育館に到着し、荷物を置く場所を探す。

 先に来ていたチームに都合の良い場所を取られていたりでなかなか場所が無い。


「うーん、なかなか良い場所無いなぁ。あっちの方行ってみよっか」

 枇杷と林檎を先頭に雲雀高校の面々は移動していく。

 小陽はそれについていくために部員の背中を追いかける。


 その時、雲雀高校の部員たちが別のチームとすれ違う。

 長身の選手が右肩に掛けていたスポーツバッグが小陽の眼前に迫った。


「わっ・・・!」

 小陽の顔面にスポーツバッグが振り子のように直撃する。

 その衝撃で小陽は後ろに倒れ込む。

「痛ぅっ・・・」

 小陽の声に反応して冬月が振り向く。小陽の様子を見て冬月は駆け寄った。

「小陽、しょわねえか大丈夫か!?」

「う、うん・・・」

 冬月がその場から離れていった別のチームの長身の選手をキッと睨み付け、声を張り上げる。

「おいお前!人にぶつかっちょってごめんも言わんのか!」


 長身の選手はゆっくりと振り返り、冬月を見た。

 身長は高く、冬月よりやや高いくらいの女性だ。眠そうな目をしている。


「あぁ、ごめーん。小さすぎて見えんかったわ」

なんやとなんだとこんこの・・・ちゃんと謝れっちゃ!」

 小陽を侮蔑する言葉に冬月が突っかかる。

「謝ったじゃん。ったくよだきいなめんどくさいな

「そん態度、気に食わんな・・・!」

 冬月の表情は先程よりも険しい。

 そこに騒ぎを感じ取った枇杷がやって来る。

「どうした、高波。何があった」

「・・・高波?もしかして、『岩飛蹄クリップスプリンガー』の高波冬月か?」

 枇杷の言葉に反応した長身の選手が若干驚いたように言う。

「そうやけど、なん?」

「ん~、いや、別に?有名な選手ってだけで、それ以上でもそれ以下でもないでしょ。勝負には関係無い。だから・・・いい勝負、しましょうね」

「いい勝負、って・・・」

 枇杷が長身の選手を見て言う。見ると、彼女が羽織っていた上着には『日ノ出総合』と刺繍で書かれていた。

「私は日ノ出総合高校1年、久白くじら京子きょうこ。弱小相手でつまんないかと思ってたけど、岩飛蹄の高波冬月が居るんなら少しは楽しめそうかな」

「・・・そっか。あんたんところと戦うんやな。絶対、負けん」

 冬月が久白を睨み付けて言う。久白は冬月の真剣な眼差しを嘲笑うかのような表情をしていた。

「・・・また中学の時みたいな、『一人ぼっちバスケ』を見せてもらおうかな」

「っ・・・!」

 久白の言葉に冬月が反応する。

 数秒前とは違い、少し冬月のオーラが弱々しくなった。



(・・・冬月ちゃん?)


 その様子に小陽は違和感を感じながらも、その場を離れた。



 そして、雲雀高校の試合の時間が近づいてきた。


 賀田橋高校の体育館は試合の熱気に包まれ、まるで蒸籠せいろの中に居るような感覚を思わせる。


「じゃあスターティングメンバーを言うからね。ポイントガード桃。シューティングガードは柚、スモールフォワードは私で、パワーフォワードは杏、センターには林檎が入るからね。取りあえず2、3年生を出して様子を見るけん、メンバーチェンジは2Qクォーターからするからね」

 体育館の隅で白のユニフォームを着た枇杷が言う。

 他の部員も白のユニフォームを着ている。


「大事な春の初戦、落とせないからね。特に、久白とか言うあのなめた奴を付け上がらせたまんまで良いわけがあるだろうか、いや、ない!」

「反語やなぁ」

 勢い余って修辞技法を用いてしまった枇杷の言葉に林檎が軽く突っ込む。他のメンバーはやや緊張した面持ちのまま苦笑した。



 今やっている試合が終わり、雲雀高校と日ノ出総合高校の対戦の番になった。


「よし、みんな行くぞ!」


「「はいっ!!」」



 荷物を持ち、ベンチに入る。

 小陽は緊張した面持ちでベンチに座った。


「・・・緊張しちょんか?」

 隣に座った冬月が言った。

「うん、まあそうだね。ちょっと緊張してるかも」

「そんなに緊張せんでいい。小陽の持ち味を出せば、きっと活躍できるけん。初心者やけんっち言って遠慮することもない」

「うん。ありがと」

「でも、コートの中では、皆平等やけんな」

 冬月のその言葉には、小陽を気遣うとともに試合では初心者だとかいう甘えは許されないと厳しいニュアンスが含まれていた。



 笛が鳴り、スタメンの5人が礼をする。

 雲雀高校は白のユニフォーム、日ノ出総合は緑のユニフォームだ。


「「お願いします!」」



 礼をしたあと、5人がそれぞれのポジションに付く。



 中央に林檎と日ノ出総合のセンターの選手が立った。



 ピイッ、と笛が鳴ったあと、審判の手からボールが上に上げられる。




 二人が同時に飛び上がった。






 ーー試合、開始ティップオフ

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