2.join the club


 チュ、チュン、と、朝からメジロやスズメが鳴く。

 そんな鳥たちの声で小陽こはるは目を覚ました。



 ベッドの枕元に置いてあったスマートフォンを起動し、時刻を確認する。


 6時44分。


 アラームが鳴る一分前だ。


「・・・ラッキー」


 けたたましいアラームで乱暴に起こされるより、自然の鳥の声で目覚めたことで、小陽の心は軽くなる。


 神奈川に比べるとだいぶ田舎の町だが、心が安らぐ土地だと思った。


 アラームを解除し、荷物の準備をする。

 とはいっても午前はホームルームや集会がほとんどで、本格的な授業は午後からになる。


 荷物を用意し、一階に降りる。


「あら、早いわね。おはよう」

 小陽の母の小明あかりが言う。

「なんか目が覚めちゃった」

「もう今日から授業?」

「うん。午後からだけだけど」

「頑張ってね。ここでも友達ができると良いわね」

「・・・うん」




 神奈川には友達などいなかった。




 いや、正確に言うといなくなった、のほうが正しいかもしれない。






「ほんと、ごめんなぁ。小陽」

 小陽の父の陽智ひさとが頭を掻きながら言う。起きたばかりなのだろう、大きなあくびを繰り返している。


「俺の甲斐性がないせいで日奈乃ひなのちゃんたちと離ればなれになっちまって」

「いや・・・別にお父さんは悪くないよ。それに、大分も良いところだし」

「友達はもう出来たのかしら?」

 小明が朝食のトーストと野菜スープを運んできながら言う。

「いや・・・まだ・・・」

 そう言いながらも小陽の頭の中には無邪気な顔で笑う冬月るなのことが浮かんでいた。


「いただきます」

 小陽は手を合わせて言った後、トーストにバターを塗り、かじった。

 陽智も同じように「いただきます」と言った後、トーストにスクランブルエッグを乗せ、二つ折りにして豪快に頬張っている。


 3分ほど経ち、小陽のトーストは半分ほどになる。野菜スープにはまだ手をつけていない。

 陽智は4分の1ほどの大きさになったトーストを一気に口の中に放り込み、野菜スープで流し込んでいる。


「もう・・・少しはゆっくり食べれば良いのに」

「いや~、朝はなるべくせっかちに動かんとな。お父さんも早くから働かなきゃいかんからな。張り切ってんだ」

「別にそんなに張り切らなくても・・・」

「いいや!俺はお前と母さんを路頭に迷わすところだったんだ。今ここで働いていられることに感謝せねばならん」

 陽智は神奈川の会社に勤めていたとき、業務上の大失敗を犯してしまい、ここ大分に異動することになった。

 陽智は単身赴任で良い、せっかくできた小陽の友達たちとの友情を壊すわけにはいかないと言っていたが、現実問題、地方で働きながら都市部の神奈川に仕送りする生活は物価の差が大きく、苦しい生活を強いられていたに違いない。

「・・・本当は、小陽に感謝してるんだ。お前がもし神奈川に残りたいと言っていたら、厳しい生活になっていたからな。お前から大分に行くと言ってくれるとは思わなかったが、実を言うとかなり、助かった」

 陽智が顎の無精髭を触りながら言う。

 少し照れ臭そうな、恥じらいを含んだ笑いを浮かべ、コップに注いであった牛乳を飲み干す。

「さ、行ってくるか。今日もお父さんは頑張るぞ!」

 陽智はそう言い、スーツに着替え、鞄を持つ。

(別に私は、神奈川で暮らすことが嫌になったからここに来たってだけで、『あのこと』が無ければ神奈川に残るって聞かなかっただろうな・・・)

 小陽も朝食を食べ終わり、食器を台所に片付ける。


「じゃ、行ってきます」

 陽智が笑いながら玄関のドアノブを回し、外に出る。


「ーーぅおお!?」


 玄関先から聞こえてきたのは、陽智の驚く声。


「どうしたの?」

 小陽が尋ねると、陽智は笑いながら振り返って言った。


「小陽。お友達が迎えに来てるぞ」

「えっ?」

 玄関先から顔を覗かせたのは、冬月の姿だった。



「冬月・・・ちゃん?」

あんびょーねーき心配だから、迎え来た!」








 冬月はあどけない笑顔を見せた。






(迎えに来てくれたのは嬉しい。嬉しいんだけど・・・出来れば先に言っておいて欲しかった!)

 小陽は急いで制服に着替え、用意しておいた荷物を持つ。


「なんだ。小陽、ちゃんと友達いるじゃない」

「良かった良かった。入学初日から友達を作れるなんてな」

 玄関先で陽智と小明が笑顔で話す。

「あ、小陽。体操着持っちょき」

「へ?なんで。今日は入学してから1日目で体育なんて・・・」

「そうやなくてバスケ部。体験に行かんのか?」

「「バスケ部?」」

 陽智と小明が同時に言う。

「あ、はい。バスケ部ですよ。昨日一緒に公園でバスケをして、仲良くなったんです。小陽ちゃんは上手いし、センスもあります。昨日たった一球で3ポイントを決めましたからね」

「ほぉ、バスケ部・・・。君も入るのかい?」

 陽智は自分より身長の高い少女をまじまじと見上げながら言う。

「はい。そうですよ~」

「そうなの~。じゃあ小陽をよろしくお願いね」

 小明が冬月を見ながらにこやかに言った。


「行ってきまーす!」

 小陽は急いでスニーカーを履き、玄関を出た。



「ふーん・・・あの子が、バスケねぇ・・・」

 小明が呟いた。

「もう陸上は良いのかしら?」

 少し寂しげに、またポツリと呟いた。




 学校への道を歩きながら二人は話していた。

「いきなり押し掛けてくるなんて・・・」

「あぁ、待てんかったんよ。しちくじかったしつこかった?」

「あ、いや・・・。それより、ふと思ったんだけど。今さっきお父さん達と話してたときは標準語・・・だったよね?」

「え・・・うん。でもあれは敬語やん。あと一言喋っちょったら方言出ちょったよ」

「そうなんだ。大変だね」

「別に、大変やない。方言はもう癖やし・・・。小さい頃は県南のお祖父ちゃんお祖母ちゃんとこによーおっちょったけんよくいたからこうなっただけやし」

「方言ねぇ・・・」

 そんなものを特に意識したこともなかった小陽にはよく分からなかった。

 ーーが、

「小陽、そこ虫がおる」

「え?ぅわっ!?」

 二人が歩いていた側の植え込みに大きな毛虫らしき虫が付いていた。

「びっくりした~・・・。この虫うざってーな」

「え、どうしたん小陽?」

「ん、何が?」

「急に不良になったんか?」

「なんで?」

「うざってー、って・・・なんか乱暴やん。虫相手にむげねえなかわいそうだな

「乱暴・・・?あぁ、そっか。方言だ」

「方言?」

「神奈川では『気持ち悪い』のことを『うざってー』って言うんだよ」

「へえ。そうなんや」

 意外と身近に知らないと思っていた方言と言うものがあることを知り、小陽は苦笑した。



 小陽は教室内に入ると数人の女子から色々・・・いや、主に神奈川のことを尋ねられた。

 中華街は存在するのか、年配者でも語尾に「~じゃん」がつくのかなど、はっきり言えばどうでもいいことを聞かれ、小陽の精神は昼休みの頃には疲弊しきっていた。

(そんなに神奈川珍しいかな・・・)

 言っては失礼かもしれないが、確かに大分は神奈川に比べると建物の数も高さも劣るが、魅力にはさほど差がないように思えた。

 地方の人たちの都会への憧れの思いを少し疑問に思ったところで小陽は思考を切り替え、昼休みということで昼食を取り出す。


「冬月ちゃん!」

 小陽は前の席の冬月に話しかける。

「・・・何」

(あれ・・・なんだか不機嫌?)

 冬月の表情を察し、小陽は困惑する。

「お昼、一緒に食べない?」

 小陽がそう言ったと同時に冬月の表情がぱぁっと明るくなる。

「うん、食べよ!」

 その表情に小陽も安心し、二人は机をくっつけ、向かい合いながらお弁当箱を開いた。


「それにしちも、小陽は人気者やな。都会出身やけんか?」

「そうかもね。色んなこと聞かれてちょっとびっくりしたけど、まあ悪い気はしないよね」

「・・・そっか」

「・・・冬月ちゃん、どうかした?」

「・・・小陽が人気者やったら、私が独占するわけにはいかんやろ」

「別に、構わないよ。それに、今のところ友達って呼べるのは冬月ちゃんだけだよ」

「・・・そりゃ嬉しいことやなぁ」

 そう言って冬月は笑った。

「でも心配なんちゃ。小陽はえらしいけん」

「・・・えらしいって?」

「可愛いっちこと」

「可愛いって・・・そんなことないよ」

 それに、小陽からしてみれば背が高く、スラッとしている冬月のほうに憧れを抱くものであり、そんな彼女から可愛いと言われることには微弱な抵抗があった。

「冬月ちゃんのほうが可愛いって」

「そげんこつないよ。小陽は、髪が綺麗で、目も輝いちょん」

 冬月は言いながら顔を寄せ、小陽のサイドテールの髪に触れる。

「こん髪型えらしいなぁ。真似したいわ」

 目を細めて小陽に顔を近づける冬月はとても綺麗で、色気がある。

 そんな彼女から褒められ、小陽は嬉しい気持ちになった。

「ありがと。でも冬月ちゃんは髪の長さが足りないんじゃない?」

「あ、そうか。しもうたな」

「そのままで良いと思うよ」

 小陽は笑いながらそう言った。

 冬月は照れくさそうに「そやね」と頷いた。


「そう言えば、今日ん放課後はしょわねえか?」

「・・・えーと」

「ああ。ん・・・と、放課後は特に予定無いか?」

 小陽の表情を察して冬月が標準語で意味を伝える。ちなみに「しょわねえか?」というのは「大丈夫か?」という意味である。

「うん。とりあえず見学に行ってみようかな」

「とりあえず?」

「う、うん・・・。まだバスケ部のこともよく分かんないし」

「それやったらしゃあないなぁ。案内しちゃん」

 冬月は優しく微笑んだ。



 ーー放課後。

「あれ、冬月ちゃん?どこ行くの?」

「どこって、バスケ部やろ?」

「え、でも体育館はこっち・・・」

 小陽は入学式に訪れた体育館に入ろうとするが、冬月は体育館を通過し、さらに裏のほうに進んでいく。

「昨日行ったんは新体育館。女子バスケ部は旧体育館で練習しよんのや」

「え、でも、なんで・・・?」

「雲雀高校の強化部が優遇されちょんけんやろ。新体育館はバレー部と男子バスケ部が使っちょん。で、こことは真反対にある多目的体育館ではバドミントン部と新体操部が練習しよんの」

「うん、それで?」

「やけん、女子バスケ部は場所がのうてなくて旧体育館で練習するしかないっちこと」

「そうなんだ・・・」

「雲雀高校の女子バスケ部はあんまり強うないけんね。しらしんけん一生懸命に頑張ればレギュラーになるるちゃなれるよ

「私が・・・レギュラーに?」

「うん。そんで、一緒にコートに立とうな!」

「・・・気が早すぎない?」

 小陽が苦笑しながら言った。



「・・・すみませーん」

 冬月が旧体育館の入り口から練習の準備をしていた先輩に話しかける。

「はい!あ・・・、もしかして、新入部員?」

 ショートカットの、健康的な肌の色をした女性が振り向き、冬月と小陽を見て言った。

「新入部員っていうか・・・まずは見学を・・・」

 小陽が遠慮しがちに言う。しかし、冬月の勢いは強かった。

「はい!新入部員です!」

(言い切ったーー!?)

 小陽が冬月を見て驚きの表情を見せる。

「あぁ、良かった!新入部員入ってきてくれて!どうぞ上がってね!」


 冬月は靴を脱ぎ、体育館に入る。


 小陽も同じように靴を脱ぎ、体育館の中に入った。


(うわぁ・・・)

 思った以上に、古い。


 木造で、新体育館の5分の2程のスペースしかなく、狭い。

 バスケットボールのコートがやっと1つ作れるほどのスペースである。


 バックボードの表面はボロボロに剥げ、木の板がむき出しになっている。

 リングとボードを繋いでいるボルトは錆び付いており、不安を感じさせた。


 小陽が体育館を見回しているうちに更衣室からキリッとした目鼻立ちの女性が出てくる。

「・・・新入部員?もう入部届は出した?」

 その女性は小陽に話しかけてくる。

「いえ、まだ私は・・・」

「そっか。まあまだ時間はあるから。ゆっくり決めてね」

「は、はい・・・」

 その女性は凛々しい顔立ちをしていたが、優しく話しかけてきてくれ、小陽は少し安心した。

「ところで、貴方は初心者?」

「あ、はい・・・。そうですけど」

「バスケ部に入るつもりなら、覚悟しておいたほうが良いわよ」

「えっ・・・?」





「ど、どういうことですか?」

「数ある競技の中でも、バスケットボールは過酷なスポーツってことよ」

 さっきまでの優しげな笑顔は消え、真剣な表情で女性は続けた。

「バスケットボールほど地道な努力を必要とし、その努力が結ばれないスポーツはないわ」

「・・・はあ」

 小陽は肯定とも否定ともとれない曖昧な返事を返す。どっちかと言えば心の中では否定のほうが強い。

「私たちは弱小やけど・・・それでも練習は辛いし、それでも強豪には勝てない。私はキャプテンとしてこのチームを引っ張ってきたけど、それでも公式戦で白星をあげたことはないの」

 自身のことをキャプテンと称したその女性は体育館のひび割れた壁の一点を見ながらそう述べた。

「そういうわけで、バスケットボールは辛く、過酷なスポーツよ。まして、初心者なら尚更苦しいーー」

「そげなこたあねえ・・・です」

 横から冬月がキャプテンの言葉を遮った。

「バスケは、楽しいちゃ。そらぁ練習がきちぃ辛いこともあるやろうけど、シュートが決まったら嬉しい気持ちになるんよ」

「・・・!その顔、南部中の高波たかなみ冬月か?」

 冬月が言い終わった後、キャプテンは目を見開き、驚きの表情を見せる。


「? えっと、そうやけど・・・やない、そうですけど?」

 その瞬間、キャプテンの顔がパッと明るくなる。

「あの『岩飛蹄クリップスプリンガー』、高波冬月がウチに来るなんて!すげぇこつやな!」

 すっかり方言が浮き彫りになってしまうほどの興奮具合である。

(やっぱり冬月ちゃん、そんなに凄い人だったんだ)

 でも、『くりっぷすぷりんがー』って・・・?


「高波冬月!長身のPFパワーフォワード!長い手足から放たれるシュートはブロックされにくく、尚且つ高いジャンプ力でどこからでもシュートを狙うハンター!『クリップスプリンガー』はジャンプの最高到達点の高さとそこに達するまでのスピードを比喩した異名!」

 すっかり出来上がってしまったおじさんのようにキャプテンがつらつらと言う。

「いやぁ、照るるなぁ」

「お前さえいれば百人力だ!是非バスケ部に入ってくれ!」

「もちろんそんつもりです。やけど・・・」

 冬月は小陽の方を向く。


「私は、小陽と一緒にバスケをしたいんです」

「えっ・・・」

 私・・・と?


「やけん、小陽にも入部許可をくれん・・・くれませんか?」

「あ、ああ。勿論入ってくる者を拒むつもりはないが・・・。ただ、大丈夫なのか、あいつは?あの体格じゃ恐らく試合ではほとんど・・・」

 言葉の最後のほうのボリュームは小さく、小陽には何も聞こえなかった。

「キャプテンさん、小陽は必ず雲雀高校の力になるはず。その力も才能も持っちょります」

 冬月はキャプテンを鋭い目で見据えながら言う。

「そ、そこまで言うなら良いが・・・」

「ありがとうございます。小陽、これでやっと一緒にバスケが出来でくるなぁ」

「う、うん・・・」

 小陽は微妙な反応を示す。


 冬月と一緒の部活に入れたことは嬉しい。

 嬉しい、が、バスケの過酷さをしょっぱなから突きつけられ、小陽の脳内には不安が募っていた。


「・・・おい、本当にお前入るんだな」

 キャプテンは威圧的な態度を小陽に見せる。

「は、はい・・・」

「・・・それは、自分の意志なんだな」

「っ・・・」

 小陽は言葉に詰まる。


(たかだか公園で一本シュートを決めたくらいで、友達が入るからってことだけで、これからの学校生活を決めて良いのかな・・・?)

 不安、そして混乱。


 そう言った感情が入り交じる。


「初心者は辛い目に遭うぞ。そこら辺を覚悟しておけ」

「ーーえらっそーに、何言いよんの、枇杷びわ

 キャプテンの後ろから、かなりの長身の女性がため息をつきながら近づく。

 髪は長いストレートで、目は細い。

 平安時代のきらびやかな女性を思い起こさせた。

「枇杷だって最初は初心者やったやん。誰だって最初は慣れなくて辛いよ」

「あのね、林檎りんご。私を無理矢理誘ってバスケ部に入れたのは林檎の方やろ!私は吹奏楽部に入りたかったのに!」

「まあまあ。でもあの二人、境遇が見た感じ私たちに似てるみたいじゃん?だから、上手くいくんやない?」

 林檎は小陽たちを見ながらそう言った。

「・・・とにかく。今は私がキャプテンなんだから。あの初心者のことはじっくり見ていくからな」

「はいはい。お任せします~♪」

 枇杷の肩を叩きながら、林檎は軽い雰囲気で笑った。そのまま小陽の方に近づいてくる。

「初心者なんは、関係ないよ。そして、別に友達に誘われたって言うのが動機でも良いんだよ。きっかけなんてものは、いつだって唐突なんだから」

「は・・・、はい!」

 小陽は背の高い林檎に若干の恐怖を抱きつつも、彼女の優しい言葉に共感を示した。


「えーと、名前は何て言うんだ?」

「高波冬月で・・・」

「高波はもう知っちょん。そっちの小さい方だ」

 冬月の言葉を遮り、枇杷は小陽に尋ねる。

丹羽たんば小陽です。初心者ですが、よろしくお願いします!」

「よし、丹羽、か。私は後藤ごとう枇杷。3年生で、この部の主将キャプテンだ。よろしく」

 凛々しい顔のまま枇杷は小陽たちに自己紹介をする。すると隣に立っていた長身の林檎が軽い雰囲気で枇杷に続く。

「ちなみに私は副主将の前野まえの林檎。3年は私と枇杷だけね」

「ーーで、1年生の教育係になるのが・・・あそこの奴だ」

 枇杷はボールかごを転がしている女性を指差す。


「ーーもも!」

 『もも』と呼ばれたショートカットの女性が振り向く。小陽が体育館に入ってすぐに声をかけられた相手だ。

「新入部員の二人に挨拶してくれ」

「はい!分かりました!」

 ボールかごをその場に止め、小走りで小陽たちの方へ駆けてくる。

「えっと、私が2年生で1年生の教育係の上原うえはら桃です。よろしくね」

 桃はそう言って笑いながら礼をする。

 小陽もつられて礼を返した。


「あ、桃。皆に伝えてくれるか」

「はい、何をです?」

「今日の練習メニューは『シャトラン』ってことを、だ」

「えっ・・・」

 枇杷の言葉に、林檎が怪訝そうな表情で苦笑した。





「『シャトラン』って、シャトルランのことですか?あの音に合わせてひたすら往復ダッシュする・・・」

「う、うん・・・」

 小陽の問いに林檎が細い目をさらに細めながら答える。

「バスケはコートを往復ダッシュしながらパスやシュートをするスポーツだからな。まあ、シャトラン20mを80回くらい余裕で出来なきゃな」

 枇杷が屈伸をしながら言う。

 余談だが女子高生のシャトルランの平均回数は45回ほどである。


 そうこうしているうちに女子バスケ部の部員が集まってくる。

ゆず!デジタルタイマー持ってきて!」

「はいっ!」

「・・・あごで使っちょんな」

 冬月がぼそっと呟いた。


 先輩の一人が倉庫から大きめのタイマーを持ってくる。

「シャトランの設定にして」

「はい!分かりました!」

 2分ほどして設定が終わる。

「よし、じゃ、今からシャトランやるからね!80回まで行かずに終わった奴はあとでダッシュ20本だからね」

「あれ、枇杷?恒例のやつは?」

「ああ、そうだった。一番最初に脱落した奴は一番最後まで残ってた奴に練習終わりにマッサージしてあげること。いいな!」

「「はい!」」

 体育館に声が響き渡る。


「それじゃ始めるぞ!」

 枇杷がタイマーのボタンを押し、位置につく。

 数秒後にピ、ピ、ピー。と、電子音が鳴り、一定のペースでドレミファソラシドの音階が刻まれていく。

 部員たちはそのペースに合わせてラインを行き来する。


(これくらいの辛さは日常茶飯事だからな。新入部員の丹羽が少しはバスケの辛さを知ってくれたら・・・)

 枇杷はそんなことを思いながら走る。

 しかし数分後、彼女はひどく自分の考えを改めることになった。




 ーー数分後。



 音階を刻む感覚はだんだんと短くなり、呼吸が苦しくなり、足は重くなる。

 誰も一言も喋らず、ひたすらに二本のラインを往復する。


(今は60回くらいだから・・・、あと20回・・・そうだ、丹羽は・・・)

 枇杷は疲れで歪んだ表情のまま横を見る。


「えっ・・・?」

 枇杷は思わず声を出す。

 小陽は疲れを見せるどころか、息さえもまだ乱れていなかったからだ。

 小陽の様子に冬月が反応を示す。

 冬月も少し息を切らしながら小陽に話しかけた。

「小陽・・・なかなか体力あるなぁ。 [[rb:何ん部活に入っちょったか>何の部活に入っていたの]]?」

「え・・・陸上・・・だけど」

「陸上・・・なるほど」

 冬月はまた前を見て走り出す。

「負けられんな」

 小陽には聞こえないような声で呟いた。

「え、冬月ちゃん何か言った?」

「いや、別に」


 そしてシャトルランの回数は80回を越える。


 残ったのは枇杷、林檎、桃、小陽、冬月の5人だけであった。


「はっ・・・はっ・・・」

 枇杷は息を乱しながら、それでも主将としての意地を見せる。

「ーーっ、は、80回まで行か、なかった奴は、ダッシュ20本、忘れるなよ!」

 枇杷は息も切れ切れに叫ぶ。

 小陽も息を切らし始め、額には汗が滲む。


(まだまだいける・・・もうちょいいける・・・!)


 この感覚だ。


 あの走っているときの、あと一踏ん張りを起こさせる、この感覚。


 別に走るのが嫌で高校で陸上をしなかったわけではない。






 走るのが、怖くなったからだ。




 でもそれは、自分の思い込みだったようで、




 走るのは、楽しい、と今感じてる。





「ぐっ・・・!」

 枇杷が足をもつれさせながら倒れ込む。

 89回を走りきった彼女は顔を真っ赤にし、息を弾ませている。


「はっ・・・は、っ」

 足を進めるスピードが遅くなった林檎が95回で脱落する。

「くっ・・・!」

 桃も98回で脱落し、残ったのは小陽と冬月だけになった。


 シャトルランのテンポはますます激しさを増し、二人はひたすらにがむしゃらに足を進めるしかなかった。


 だが、突然。


 ズルッ!

「!」


 ダダンッ、と音を立てて小陽が転倒する。

 汗で濡れた床で靴底が滑り、バランスを崩したのだった。


「あ~、もう無理かな・・・」

 シャトルランを終えた先輩たちが口々にそんなことを言う。


 しかし。


「ーーっあ!」

 小陽は右手の掌と右足で床を蹴り、右手を軸に回転するようにして体を起こすと同時に左足を前に出し、冬月に追いつこうとする。


 ギキュッ、と音を立て、地面をつかむようにしてスピードを上げる。


(まさか・・・そこから追いつくのか!?)

 枇杷が目を見開いて小陽を見る。他の先輩たちも諦めの表情から一転、固唾を飲んで見守る。



 小陽は遅れを取りながらもぐんぐん加速する。

 そして、冬月の隣に並ぶ。


 キュアッ!っと音を立て、小陽は折り返した。




 その後も電子音のペースに合わせて二人は走り続ける。



 そしてーー。



「はぁっ・・・はぁ、っ・・・も・・・限界・・・や」


 冬月の足が止まった。回数は119回だ。



 小陽は体を汗でグシャグシャにしながら127回を走りきった。



「よし、二人ともお疲れ。しかし・・・」


 枇杷は小陽の方を見る。

(これだけのスタミナを持つ選手なんてなかなかいないし・・・何より転倒した際のあの速さは武器になる。しかも疲れた状態で、なおかつトップスピードに乗るまでの加速力。これから逸材になるかもしれない)

「丹羽。お前は・・・確かに良いもの持ってるな」

「?はい、ありがとうございます」

 小陽はタオルで顔を拭きながら不思議そうな顔で返した。



 冬月はその様子を見て、薄く笑った。



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