第3話:コーション!
第3-0話:うまくって、どうしろって------
第3恒星系、第3惑星。太陽系第3惑星、地球に比肩する気候を持つ惑星ともあり、晩春の北部は日差しが強く、それでいて空気が乾燥している。
そんな穏やかな環境が伺えるのは、星の北半球。ヨーロッパの風土を感じさせる陸地だ。その牧草地に囲まれた『ゴールドスレッジサーキット』では着々とレースの開催に向けて準備が行われていた。
レースは巨大なイベントだ。
観客たちに振舞われる食事、子ども向けアミューズメント施設などなどサーキットでは様々な催し物が併設される。
それはサーキットを運営する会社が行うのだが、レースに参加するチームもまた様々なファンサービスを考えている。
こうしたイベントの準備に加えて、自分達に割り振られたガレージの設営作業を開催の3日前から行うのだ。
「やっぱり、他は結構気合入りまくりですね」
「そ、そうだね。あはは……」
『ゴールドスレッジサーキット』に現地入りしたケイトレットとチィは、サーキットのガレージ裏手にあるワーキングエリアの様子に困惑していた。
ワーキングエリアはいわば、各チームの後援基地。コースに密接するピットガレージの裏側にあり、スペアパーツ置き場、そして、チームメンバーの宿舎ともなるモーターホームが設営される。
そしてまた、サーキットの裏手にある駅舎に一台の列車が入ってくる。数キロ離れたワープゲートをくぐって遠路はるばる来たその車両は、絢爛豪華な万国旗のように様々な車両を引き連れていた。
これが参加チームの輸送方法であり、モーターホームそのものとなる場合が多い。そして、レース開催時には観客たちを連れてくる遊覧電車であり、マシーンを連れてくる。
そして、クレーンによって降ろされた車両は、各チームの設営チームに連れられて展開、建築がされる。それはもう立派なオフィスといっても過言ではない。
モーターホームとピットガレージを挟んだ通路にはレースの参加者が行き交う。だからと言って、ピリピリとした緊張はまだ少なかった。
というのも、この日は各チームの設営作業が中心のサーキット入り初日だ。人員もまだ最低限で、主役のマシーンが来るのも3日後の車検およびプレス撮影の時。
それだけにチームは違えど、様々な人たちが交流している。敵情視察というよりは業界の社交場のようなものだ。
「……頑張らなきゃ、ね」
チィとケイトレットは寝台列車を二台並べたような古びたモーターホームから出る。
「それにしてもみんな、すごいね」
「感心してる場合じゃないですよ、先輩」
ケイトレットはぶっきらぼうに言って、先を歩くチィを急かした。
「ピットガレージの設営は先輩がやってくれないと」
「でも、リンや整備工場の人が……」
「いるからこそ、メカニックチーフがいなくてどうするんですか!」
ケイトレットはチィの背中を押して、足早にピットガレージへと向かう。
すでにガレージ内では、マシーンを受け入れる準備をしている。ヤーヴェン整備工場のスタッフが設営の準備してくれているのだ。彼らは社長であるヤーヴェンの指示で、カワアイ工業高校チームの手伝いをしている。
が、レース経験はない。マシーン整備のキャリアはあっても、様々な機材の設置経験がなかった。
「すみません。モニタはそっちにつけてください」
彼らの中心で、リンがテキパキと指示を出しているのは側からは不思議な光景に見えるだろう。
「リン、あの、わたしはなにをすればいいかな?」
「チィはそうね。うん。ワークスペースの工具の確認をお願い」
「あ、うん。わかった……」
チィがリンの指示に従おうとするのを、横にいるケイトレットが彼女の脇を肘でつついて制する。
「……わかった。けど、キョーコちゃんから連絡が来てて、そっちの対応をお願いできる?」
「キョーコが?」
リンは眉根を寄せたが、すぐに思い当たる節に溜息とともに湧いてきた。
「アイのこと?」
「そういうんじゃ、ない、と思う」
チィが歯切れ悪く答えて、リンは確信を得た気がした。
ハルルからの報告で、キョーコとアイの間で険悪な空気があると聞いている。リンもこうしてレースの裏方で忙しくなり、二人に直接話す機会がほとんどなかった。
レースまで日がないというのに、チーム内でのいざこざを浮き彫りにしたくない気持ちもあった。できれば、レースが終わるまでは我慢してもらいたいと思っている。
しかし、そうも言ってられない状況になりつつあるようだ。
「キョーコは第2ステージ出場予定です。それをアイがわがままを言い出したとか、どうとかでかなり怒ってます」
「それはミーティングで散々言ったでしょう?」
ケイトレットの詳細にリンは頭痛がして来た。
「それで、アイちゃんはなんて?」と念のためリンは問う。
「ライダー同士の問題だって言い張ってますよ。エリーが事情を聞いて、なんとか穏便にしている状態です。他のメンバーはマシーンの最終調整やらレースの準備で手が離せません」
こうなっては、チームのリーダーであるリンから言うしかない。
ケイトレットはそう言い含めて、ピットレーンへと向かう。
「わたしも色々とサーキットの情報統括をしなければいけませんから」
「わかった。チィはここの指示をお願い」
「う、うん。ごめんね」
チィはそういってしゅんとする。
三年生の先輩であり、メカニックチーフでありながらアイとキョーコを説得できない自分を恥じる。
リンはそんな彼女の肩に手を置いていう。
「大丈夫。無理はしないで」
「リンも、ね」
わかってる、とリンは笑って見せてモーターホームへと向かった。
ケータイは制服のポケットに入っていたが、忙しいピットで話し込むのは他の人の迷惑になる。それに、デリケートな話をするのだから彼女自身、腰を落ち着けたかった。
ガレージを出たところで、リンは聞き覚えのある声に呼び止められた。
「おい。カワアイの元ライダー」
嫌のある言い方にリンも思わず足を止めて、声のした方を向いた。
そこにはつなぎ姿のハーマン・ヒューズがいた。その後ろには、同じくつなぎを着たセカンドライダーの青年もくっついて、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「何か?」
「レース、出んのか?」
ハーマンが不機嫌そうに尋ねる。
「ええ。もちろん。マシーンだって修理して、今はセッティング中よ」
「修理? あの〔スーパーエイト〕を?」
リンの答えが意外だったのか、セカンドライダーが目を丸くする。
「シャシーが古くて、まともに走れないんじゃないのか? 膝もガタついて。俺でも楽勝だな」
彼の煽り口調に、ハーマンも口元を緩める。
リンたちがレースに出場するからには、新しいマシーンを用意しているものだと予想していた。そうなれば、かなりの脅威となっていただろう。
リンは彼らの嘲笑に、湧き上がる憤りをため息ともに吐き出す。
「やってみないとわからないでしょ?」
「元プロの娘がいるからか? あの時、〔スーパーエイト〕に乗ってたやつ」
ハーマンが食い気味にいう。
どこからその情報が漏れてたのか、とリンは思った。しかし、それは些細なことでしかない。彼らが知っている情報はそれだけ。それだけのことだ。
肝心のアイ・シマカワの実力までは知らないから、自分につっかかってきたのだ。
「そうね。あの子はできる子だから」
「あんたよりも?」
リンはその質問に、少しの間を置いた。
「……もちろん」
そういって、リンは彼らを追い払うように手を振ってモーターホームへと向かう。
ハーマンたちは杖をついて、モーターホームに入る彼女を横目に歩き出す。
「やっぱりハッタリだな。カワアイの新人はやっぱり大したことないだろうぜ」
セカンドライダーの青年は真面目なトーンで言った。
「嫌がらせを切り上げて、こっちのセッティングに時間を割いて正解だったな。他のチームも、あまり注意する奴はいなさそうだし」
ハーマンはそうだな、と返しながら自分の矮小さに今更ながら苛立っていた。
「ああ。だが、あの口振りは何かあるんじゃないか……」
「そう思いたくなるのは、単純に女の喋り方だからだろ。ああいうのは、結局何もないのに気をひくための言い回しなんだ」
そういうものか、とハーマンは疑義を抱きながら思案する。
生理的な言い方ではなかったと思う。劣等感を含んだような雰囲気があった。自分の限界を感じている。
ハーマンも似たような体験はある。そして、そのうえを軽々を越えていったのがリン・ブレックスその人だ。
もし、その彼女が自分を越えたライダーに出会っていたら、同じ印象を受けるだろう。かつては、ハイティーン指折りのライダーだった彼女のプライドが邪魔をするのではないか。
ハーマンは、今のリンにそんな印象を受けていた。そして同じくらい、レースへの緊張感が高まっていく。
「たとえハッタリでも、オレたちは全力でいくだけだ」
勝たなければ、自分の夢を掴めない。
彼は不安の中で、そう自分を鼓舞した。
* * *
キョーコが怒り肩で〔スーパーエイト〕の格納庫に戻ってくる。手には脱いだヘルメットがあった。白く長くなった髪を乱暴にライダースーツから引っ張って広げる。
「ああ、もうっ!」
キョーコの怒号が格納庫に響いた。
カウルを着込んだ〔スーパーエイト〕の角度調整をするマルーシャと2セットのモトスパイクを整備するハルル、そして、モーションキャプチャーに勤しむエリーが彼女の存在に気付く。
しかし、見るからに不機嫌な彼女を恐れて、エリーたちは自分たちの仕事をしている。
1年生たちの腫れ物に触れるような視線を一瞬浴びて、キョーコはますます苛立ち、白い髪を乱暴に掻き毟る。
「あーあ、可愛くねーの!」
ベルトコンベアの駆動音にも負けないキョーコの不満の声に、エリーたちはおろか手伝いをしている整備工場のスタッフも気分が悪くなる。
そうした嫌な雰囲気や視線に敏感なキョーコは、周囲を威嚇するように視線を走らせると、端っこにあるソファーに腰掛けた。体が沈み、疲労感がドッと押し寄せる。
「嫌なことでもあった、キョーコ?」
キョートはギョッとして腰をひねって、ソファーの裏を覗く。
そこには、膝を立てて地べたに座るソフィ・ルルがいた。彼女はいつものようにケータイをいじっていた。
「んだよ、ソフィか」
キョーコはホッとして、背もたれに顎をのせる。
「いるなら、連絡しろよ。第2ステージの下見終わったんだろ?」
「まぁね」とソフィは横に置いている通学かばんを開ける。そして、一冊のノートを取り出した。
「仕事が早いな」
キョーコがそのノートに手を伸ばすも、ソフィはさっと彼女の手を払いのける。
「今のキョーコに渡していいのかな?」
ソフィが持っているノートは、オート・アスリート・レースで使用されるものだ。
本番のレースは3部構成で行われている。
第1部、第1ステージはサーキットでのオンロード走行。通常のモータースポーツ同様に決められた周回をいかに早く走るかを競う。
そして、第2部である第2ステージはサーキットに設けられたアーチ状のワープゲートを潜り、別所に設けられたオフロードコースを駆け抜ける。
最後の第3ステージではサーキットに戻り、
ソフィが持っているノートは、第2ステージのコース情報を記したものだ。第2ステージは舗装されていない道を突き進む構成だ。サーキットのようにぐるりと1周するものでなく、曲がりくねった複雑な片道を駆け抜ける。
各チームはレース前日のフリーランでこのコースを走ることができるが、ライダー1人が処理できる情報量ではない。
そのため、ラリーレース同様にナビゲーターとペースノートの作成が認められている。コーナーへの新入スピードや、曲がり切るための舵角など細やかなデータを、ナビゲーターの補助によってライダーとマシーンはベストなラインで走ることができる。
ソフィ・ルルはそのナビゲーターを務めることになっていた。
キョーコもそのことを知っていたし、彼女が簡単に見せない理由もわかっているつもりだ。
ペースノートは第2ステージの攻略情報を詰め込んだもの。ナビゲーターがコースを下見して、分析し、練り上げる。万が一紛失などしたら、第2ステージの走行は困難を極める。その情報を守る責任がナビゲーターにある。
「何が言いたいんだよ?」
「練習車でのタイムはアイちゃんが早いって聞いたから、代わるんじゃないかって噂」
ソフィはノートを膝に置いて、ちらりとキョーコを一瞥する。
すると、キョーコは唇を尖らせて体の向きを変えた。背もたれに体を預けながら、ズルズルと沈んでいく。
「ソフィの想像だろ」
「結構、注意されたっていうのも?」
ソフィの質問に、キョーコは自分の心を見透かされている気がして眉根を寄せる。
「ボロクソに言われたよ、一年にさ。だから何よ! 関係ないでしょ」
「はいはい。そーね」とソフィはケータイをいじりながら返した。
キョーコとアイの関係がよくないことは、チーム全員が知っている。しかし、1年生たちは萎縮し、3年生は忙しくて気が回っていない。
かといって、2年生も手が離せない。
「2人でどうにか仲直りできないの?」
「嫌だね! ここをこうしろ、ここをああしろってうっせぇし。そのくせ、こっちの意見は突っぱねるしで、話にならねぇよ!」
「昔のキョーコもそうだったのに」
ソフィの言葉に、キョーコは気まずそうに周りを見渡す。
1年生たちに聞かれていないだろうか、と不安になる。ハルルとマルーシャは自分の仕事に熱心で、よそ見をしている余裕はなかった。
と、ちょうど休憩していたのか、エリーとキョーコの視線がバッチリあった。
「あぁ? 何見てんだ?」
キョーコの唸り声こそエリーに届かなかったものの、その鋭い眼光に彼女は萎縮して慌てて視線をそらす。
「今もあんまり変わってない、か」
「後輩なんて初めてだから、どう話せばいいかわかんねぇだけだ」
「じゃぁ、どうしようもないわね」
ソフィは茶化すように言って、立ち上がる。
彼女がスカートを払う音を聞いて、キョーコは肩越しに彼女を見上げた。
「帰んの?」
「次の仕事。わたしも暇じゃないの」
そう言いながら、背を向けたままさっと指に挟んだメモをちらつかせる。
キョーコはそれに目をやりながら、今一度彼女の顔を見上げる。しかし、彼女の表情は狭い肩幅の向こうに隠れていた。それでも、ソフィのねちっこい視線を感じるのは、気のせいではないだろう。
「なんなの?」
「これあげる。優しい人からの確かな情報よ」
キョーコはソフィの言葉に嫌な予感を覚えながらも、メモを受け取る。
彼女が『確かな情報』という時は、それなりの信憑性があり、労力をかけて手に入れた情報だということだ。それゆえに、見返りを用意するのが暗黙の了解となっている。
「このメンドーな時に暇なんだな?」
「次の仕事があるって言ったでしょ? 時間のやりくりして、聞いてきたことなんだから」
じゃあね、とソフィは背を向けたまま格納庫の出入口へと歩いていく。
キョーコは口元を歪めながら、その背中を一瞥して手にしたメモに視線を落とす。
四つ折りのメモを開くと、細かい文字でびっしりと埋め尽くされていた。一瞬、キョーコは呆れたが、一文目を読んだ瞬間、目を見開いた。心臓が止まったかのような息苦しさと不安感が吹き出す。
「おい! なんだよ、これ!」
キョーコは立ち上がって、出入口に差し掛かったソフィを呼び止める。
その声に作業をしていたエリーたちもキョーコと、振り返るソフィに注目した。
「アイちゃんと仲良くなる秘密、だよ。うまく使ってね」
「うまくって、どうしろって------」
キョーコが混乱していると、ソファーにある通学かばんの山から着信音が鳴り響く。着信音はキョーコのケータイのものだ。
「先輩に恩を返すんでしょ? それじゃ、頑張ってね」
ソフィはそれだけ言って、格納庫を出て行ってしまった。
キョーコは視線を泳がせていたが、迷いながらも自分の通学かばんからケータイを取り出す。着信先を見れば、リンからだった。
「タイミング良すぎんだよ」
キョーコはソフィが仕組んだことじゃないか、と疑いながら着信ボタンを押した。
リンからの電話は無論、アイとの関係についての指摘だった。
しかし、キョーコは彼女の電話に空返事をするばかりで手にしたメモの文面が頭から離れなかった。
その奇妙な様子に、エリーたちは不安を覚える。それでも、今は〔スーパーエイト〕の完成に向けて、ラストスパートをかけなければならない。
様々な私情を一旦棚上げして、仕事に打ち込む。一年生組はアイを除けば、そうした機械的な働きができた。そこに自分の意義などを見出すわけでもなく、「やらなければいけないこと」と処理する。
だから、チームに漂う不穏な空気から逃げるいい口実になっていた。
マシーンは完成しつつあったが、彼女たちはチームとしてまだまだスタートラインにも立てていない。それがどんな結果を生むのかを、まだ知らない。
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