第3-3話:まだ、大丈夫

------あたしは、プロのレーサーになる。だから、頑張るって決めた。


 まだ雪が残る初冬の肌寒さを覚えながら、古民家に大手を振った。そこに残るアイの祖母はぶっきらぼうな顔でじっと見送ってくれるだけだった。その表情は祖母が何かを我慢するときの顔であることを、アイは覚えている。


 あの時も、そうだった。


------あたしは、無理なんてしてない。この体が悪いんじゃない。


 薄色の秋に、枯れたススキと痩せ細った木々が並ぶ山道で血反吐を吐いた。9歳の頃だっただろうか。体を支える人工臓器とそれを保持する精製油が、脳や残っている臓器に影響を及ぼしているらしい。早発月経だったのも、ホルモンバランスの著しい乱れを引き起こしたためと、医者に診断された。


 自分の体が不安定で過酷なレースに向いていないと通告もされた。


 しかし、諦める理由になどできない。


 そうなるとわかっていたから、体力作りをしてきた。わかっていて、続けてきたことだ。


------あたしはお父さんやお母さんみたいなすごいレーサーになってみせるもん。


 暑い夏の学校で、クラスメイトの前でそう宣言した。


 将来の夢を発表する授業だった。誰が笑おうとも、バカにされようとも胸を張ってこの夢を実現してみせると。


 しかし、誰かが言った。コネとお金でレースに参加できる、と。その瞬間、クラスの冷ややかな視線が集まって、卑怯な夢だと言う。所詮は親の七光りで、オートアスリートをする卑怯な人間だと思われるようになった。


 その悔しさを忘れてなどいない。


 そして、何よりも両親のことを悪く言われた気がして胸が苦しかった。


------あたし、絶対レーサーになるから!


 桜が散った春のころに、アイの両親はオートアスリートのチームから引退した。


 アイが退院してからまもなくして、父親はレーサーを辞めて事務仕事に異動。母親も監督を降りて、人事部でアドバイザーをすることになった。


 毎日、家に両親が帰ってくる。現役だった頃とは違い、1日として家を空けるようなことはなくなった。


 喜びはあった。だが、それ以上に悔しさが込み上げてくる。レーサーとして、チームの監督として、ずっと活躍してきた2人がオートアスリートを諦めてしまったことを認められなかった。


 オートアスリートの第一線で活躍し続けると言う夢を語ってきた2人が、引退してからは語ることも、オートアスリートの言葉すら口にしなくなった。それどころか、アイの夢を否定した。


 その現実から目を背けて、アイはひとり祖父母が暮らす第5恒星系に家出した。


 それが本気でプロになると覚悟したきっかけだろう。


------でも、それだけじゃない、はず。


 遡行する記憶の中で、アイは否定した。


 確かに『プロ』になると決めたのは、辞めてしまった両親がきっかけだ。


 でも、両親にどうして欲しかったのだろうか。認めて欲しかったのか。見返してやりたかったのか。


 リハビリをしていている時も、ベッドの上で検査を受けている時も、そんなことにこだわっていただろうか。


------もっと、もっと。


 幼いころ、サーキットに連れて来てもらった時の光景。


 湧き上がる歓声とエンジン音。熱気が渦巻く会場で颯爽と走り、旋風を巻き起こすオートアスリート。


 その巨大な車体が自分に向かって突っ込んできた光景------。


      *      *      *


 アイが目を覚ました時、目の前には青空。そこに、羊のようなの雲がのんびりと流れていた。


「……っ」


 何気なく体を起こそうとして、首筋に引きつったような痛みが走る。


 アイは力なく倒れて、顔を横に向ける。コツンとヘルメットが音を立てる。


 視線の先には土のえぐれた土で出来た退避エリアグラベルベッドにうつぶせで倒れた〔スーパーエイト〕があった。ヤーヴェン整備工場のスタッフ数人が、車体のあちこちを見て回り、損傷箇所を確かめているようだった。


 それを見た瞬間、アイは頭の中で火花が弾けて痛みをも忘れて体を起こす。


「そうだ! 〔スーパーエイト〕は……っ」


 ヘルメットを脱いで、急いで立ち上がろうとするが、彼女の意識に反して足から力が抜けてこけてしまう。


 それに気づいたスタッフの1人がアイの元に駆け寄る。


「おい。無理すんなよ?」

「あの、〔スーパーエイト〕は大丈夫なんですか?」


 アイは片膝を立てるスタッフにすがりついて、問いかけた。


「ああ。大丈夫だ」


 スタッフはアイの肩を掴んで、それから落ち着けと軽く肩を叩く。


 アイは彼の言葉を聞きながらも、肩越しに見える〔スーパーエイト〕から目が離せなかった。


 出火はしていない。が、ひどい損傷を受けているように思えた。


 オートアスリートのカウル損傷は人で言えば擦り傷のようなものだ。それだけなら、すぐに手入れして走ることができる。


 しかし、アイが見える範囲では、カウルの損傷が激しく、肩関節が外れたように力なく垂れているように見受けられた。


 重症だ、とアイは胸の内で後悔する。

 

 もし、脚部やエンジンに損傷があれば、レースの出場が危ぶまれる。


 そんな不安を掻き立てるように、背後からカリカリと嫌な音を立てて近づいてくるものがあった。


 アイがとっさに振り返ると、チームメンバーを腕に抱え、肩に乗せて滑走する〔オーステン〕が見えた。


〔オーステン〕が減速して、屈んでいる姿勢をさらに低くする。


 マシーンが停車する前に、腕部に乗っていたマルーシャとハルルが飛び降りて〔スーパーエイト〕の元へ駆け出す。


「ちょっと、マルーシャ! ハルルまで!」


 停車した〔オーステン〕の肩に乗るエリーが反対の肩から降りていくハルルに叫んだ。


「マシーンの状態、気になるじゃん?」

「そういうことじゃないでしょ! アイちゃんの方は!?」


 エリーは叫んだが、誰も止まってはくれなかった。


 しかし、チィとミミリアが遅ればせに降りて、アイの方へ向かおうとする。


 チィはマシーンとアイを交互に見て、顔面蒼白になっていた。


「アイちゃん! へぶっ」

「先輩、何してんです」


 足がもつれて倒れるチィをミミリアが抱き起す。


 しかし、そこでチィが蹲って動けなくなってしまった。


 ミミリアは彼女が怪我をしたのではないか、と一瞬疑ったが震える背中に違うと判断した。それから、そっと寄り添うよにして彼女の背中をさする。


「大丈夫ですよ、先輩。先輩のせいじゃないって」


 その様子にエリーは自分も急がなければと硬い地面に飛び降りた。思ったより高いところから降りたからか、足が痺れてすぐに動けなかった。


 すると、ヘッドセットにキョーコの無線が飛び込んできた。


「エリー。あたしはこいつで〔スーパーエイト〕を運ぶから------、リン先輩!?」


 キョーコの驚く声とともに、マニピュレータに座っていたリンが杖をついて、勢いよくアイの方へ向かっていく。


「あなたは------、どうして!」


 リンは乱暴にヘッドセットを外し、顔を真っ赤にして唸った。


 アイには〔オーステン〕のエンジン音で彼女が何を言っているのかわからなかった。それでも、リンの鬼気迫る表情に体が震えだす。


「あ……」

「どうして!」


 アイが弱々しい声を零すと同時にリンが杖を投げ捨てて、掴みかかった。


「無理はしないでって言ったでしょう!」


 リンは膝から崩れて、地べたに座る。


 アイは同じ目線になった彼女のまっすぐな瞳から逃れられなかった。涙をためて、嗚咽をこらえている。レーシングスーツを掴む手も怒りで震えている。


 そんな彼女に、アイは恐怖した。相手から沸き立つ怒りにではなく、自分の奥底に閉じ込めていた負の感情に背筋が凍りつく。


「マシーンが壊れたら、レースに出られないの! 怪我をしたら、マシーンにも乗れない! わかってるよね?」

「わ、わかって------ます」

「だったら、なんで無理をしたの?」


 アイは言葉を絞り出そうとするも、言葉に詰まる。


「だって、あの……」

「だって?」


 リンの詰問に、アイはますます言葉が見つからず、重たい空気に胸が苦しくなる。


「あなたは……」


 感情のままにリンはいう。


「みんなの頑張りを無駄にしたいの? マシーンを壊して、結果を残せなかったら、何も残らないのよ!」


 そこまで言って、リンはハッとなって口に手を当てる。


 過去の自分の過ちを思えば、間違ってもそんなことは言えるものではない。しかし、同時に確信する。


 あの時のチームのみんなが同じ思いを抱いて憎んでいた。でなければ、今リン・ブレックスがアイに浴びせた言葉は出てこない。


 アイが目を見開いて、唖然とする。彼女もわかったはずだ。リンにそんなことを言われる筋合いはない、と。


 しかし、彼女はあまりにも素直であった。


「……ごめんなさい」


 リンは涙をためて、弱々しく謝罪する彼女に罪悪感が込み上げてくる。


「どうすれば、許してくれますか?」


 アイの問いかけに、今度はリンが言葉を失った。


 それは自分が一番知りたいことだ。だから、言葉にできない。だが、こうしてアイを見ていると、過去の自分を重ねてしまう。


 どうすれば、許されるのか。


 出会ったばかりの時、アイは言った。許されようとしたのか、と。


 そのことに気を捉えていると、エリーが2人の合間に入る。


「何してるんですか? アイちゃん、怪我は大丈夫?」

「え、あ……」


 エリーの問いかけに、アイが呆気にとられる。


 リンも彼女の“普通”な感覚に目を白黒させる。仲間を、友達を思いやる言葉。その言葉を忘れていることに何も言い出せなかった。


 エリーは2人の異様さを気にかけながらも、ヘッドセットを抑えながら言う。


「誰か、病院に連絡----、え? 先生が連れてってくれるんですか? こっちに向かってる?」


 そういって、サーキットに目を向ければ場違いなワゴンが一台のろのろと向かってくるのが見えた。


「病院には、わたしがつきそうよ」


 リンがエリーの肩を叩いていう。


 エリーはムッとした表情を見せた。怪我人に突っかかっていく人の言うことか、と内心毒づく。しかし、無線に入ってくるハルルたちのやりとりが耳をかすめる。


「…………っ」


 思わずヘッドフォンを掴んで、エリーは問いただしたかった。


 だが、沈鬱なアイと何かを覚悟した顔つきのリンを見比べて言いたいことを飲み込んだ。


「もう、ダメなの……?」


 エリーが弱々しく問いかけ。


「まだ、大丈夫」


 リンはそう答えた。

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