第3-2話:テスト走行

〔スーパーエイト〕にモトスパイクが履かされる。


 モトスパイクのシートが靴のタンのようにめくれ、そこに隠されていた接合部とマシーンの足首とを接合する。フレキシブルに可動できる車軸に、衝撃吸収を担うポールジョイント数点を結べば、モトスパイクは立派な巨人の靴になる。


 その作業を念入りにチェックするハルルは口の端を歪めながら、もう一足を準備するチィを見た。


 視線を受けて、チィも帽子のツバを少し上げる。


「どうかしたの? ハルちゃん」

「んー。なんともどうとも……」


 ハルルは歯切れ悪く唸る。そうして〔スーパーエイト〕にモトスパイクを履かせて、分厚い手袋を取る。


「なーんかなー」

「アイちゃんが乗るの、不安なの?」


 チィも作業を終えて、ハルルの懸念を推察する。


「それもあるかなーとは思ったりしちゃったりするけどさー」


 ハルルは少し〔スーパーエイト〕から距離をとって、顔を上げる。


〔スーパーエイト〕の左肩部にはエリーの背中が見え、その奥でチラチラとアイの短髪が見え隠れする。


 ハルルはなんとなく、両手の親指と人差し指を合わせて四角の枠を作り、エリーの背中に合わせた。それで、前後に指のフレームを移動させながら唸るのだ。


「なんかなー」

「ん? エリーちゃんがどうかしたの?」

「先輩、エリーって胴長だったかなー?」


 ハルルの質問に、チィは首を小さく振る。


「ごめんなさい、そこまでは……」


 チィもエリーの背中を見て、ハルルの質問を吟味する。


「でもちょっと、大きいか、な?」

「エリーってボクらの中だと、真ん中くらいでしょ?」


 そうだね、とチィは答えつつ、ハルルに倣って、エリーの背中をみる。そして、左手を伸ばして人差し指と親指でL字を作る。親指のラインをエリーのお尻に合わせて、人差し指の関節を彼女の背中に合わせる。


 そこまでやって、隣にある〔スーパーエイト〕の頭部に目が映る。それから、爪と頭部の大きさを合わせて、少しずつ腕を下げていく。


「あれ? 頭部ってこんなに大きかったかな?」

「お前ら、準備ができたら、こっちを手伝え!」


 そこに、ヤーヴェンの怒鳴り声がチィたちに飛んできた。


 二人はびっくりして、慌ててテントの方へ走った。


 その様子をエリーは肩越しに見送ってから、改めてシートに座るアイに視線を戻す。


「アイちゃん、どう? できそう?」

「ん。だいたいわかった」

「わからないことがあったら、聞いてね?」


 アイはバインダーの資料を器用に指先でめくって、空いている手でボトルを潰しながら飲料水を飲んでいる。


 そして、ボトルを飲み干すと一息つく。


「やれるよ……、たぶん」


 アイはそういって資料に目を向けたまま、空になったボトルをエリーに突き出す。


 エリーはその様子に複雑な表情を浮かべて、差し出されたボトルを受け取った。


「それはアイちゃんの体に無理はしないってこと?」

「うん……、たぶん」


 アイは話半分の様子で、新調したばかりの〔スーパーエイト〕の資料に没頭していた。


 整備の進捗はチェックしていたが、これまで改造車に毛が生えた程度の〔オーステン〕で走っていたこともあって、記載されているカタログスペックの差に驚いていた。


「完全なレースマシーンなら、あたしは……」

「ねぇ、アイちゃんの体の傷ってオートアスリートで無理をしたからなの?」


 エリーが話しかけても、アイは同じ返事しか返さない。


 アイ・シマカワは一人、自分の世界に入っていた。どうすれば〔スーパーエイト〕を操れるのか、ギア比に燃費、モトスパイクのグリップ、ブレーキの反応などなど、目に見えない、体感していない文字情報を頭の中でシミュレートする。


 そこには、誰もいない。


 自分と〔スーパーエイト〕だけの寂しい世界だ。追い抜く相手も、迫ってくる相手もいない。機械的にコースとマシーンの相性を徹底して分析する。


 その世界を壊すようにして、エリーが力任せにアイからバインダーをひったくる。


 その瞬間、アイは目をパチクリさせて、慌てて顔を上げる。


「何する––、ウプッ」


 青い空が見えたかと思えば、一瞬にして暗い闇が顔に覆いかぶさって乾いた痛みを運ぶ。


「もうっ、アイちゃんは、もう!」


 エリーはバインダーでアイの額をもう一度叩く。


 アイは三度目を振り下ろそうとする彼女の細い手を掴んで、バインダーを止める。


「どうしたの? 痛いじゃん」

「だって、それはそうでしょう?」


 アイはエリーの心配そうな顔に、ムッと頬を膨らませる。


「そんなにあたし、信用ならない?」

「アイちゃんこそ、どうなの?」

「みんなを信頼してるよ。当たり前じゃん」


 きっぱりといって、エリーの手を押しのける。


 エリーはその力に驚きながら、握りしめたバインダーを胸に抱え込んだ。


「そういう向こう見ずな信じかたをするアイちゃんを、わたしは信じられないよ」

「何それ? 全然わかんない? 同じチームの仲間なんだよ? 仲間なら信じて当然じゃない……」


 エリーの厳しい視線に、アイの言葉もしりすぼみになる。


 アイは嘘をついていない。エリーたちを疑う気持ちは微塵もない。それが当たり前なのだ。疑いの余地を挟み込む必要性がない。


 疑うべきは、ライディングテクニックだけ。自分とキョーコがうまく〔スーパーエイト〕を乗りこなせなければ、レースでは勝てない。もし、負ける要因があるとすればそれくらいだ、とアイは決めていた。


 だから、エリーの不安そうな顔がアイにとって一番のプレッシャーになっていた。


「あたしがしっかりすれば、あとは問題ないでしょう?」


 アイが恐る恐る尋ねると、エリーは首を横に振った。


「違うよ。アイちゃんが自分に自信が持てないように、わたしも、チィ先輩だって、〔スーパーエイト〕を完全にできたとは思ってない」

「でも、みんな全力を尽くした。尽くしてくれた。あとは、それを結果に結びつけるだけだもん」


 エリーはアイの真剣な表情に嘘はないと思った。


 そして、素直で純粋で優しすぎると痛感する。人に対して評価が甘すぎると言い換えていい。『頑張った分だけ結果が必ずついてくる』と疑おうともしない頑固な意思があるのだ。


 しかし、エリーは必ずしもそうならないことを知っている。


「アイちゃん……」


 だからこそ、彼女の頑なな意志をわかりたいと願った。


 アイは笑顔で、優しい。その反面で勝利に貪欲なまでに厳しい。そうなってしまう理由をエリーは知らない。


 いや、他のメンバー同士でも同じことが言えるかもしれない。


「準備いいぞ! エンジンスタートだ!」


 そこにヤーヴェンの野太い声が飛んできた。


 アイはそれを聞いて、すぐにキーを回し、エンジンをスタートさせた。


「アイちゃん––ッ!」


 エリーは急に体が浮き上がるのを感じて〔スーパーエイト〕の頭部にしがみついた。


「エリーは降りて! 必ず、いい結果を出すから!」


 アイはヘルメットを被り、コンソールを操作する。


〔スーパーエイト〕の頭部のサインアイに光が灯る。そして、右のマニピュレータを左胸部へ移動させて、階段を作る。


 エリーはアイの名前を叫んだが、〔スーパーエイト〕の高まりだしたエンジン音にかき消されてしまう。


 声が届かない。すぐにそう判断できた。


 アイはすでにライディングの姿勢を取って、エリーを見ている余裕もない。


 エリーは閉じられていくハッチを目の端で捉えて、〔スーパーエイト〕の腕部を伝って降りていく。もう止めることはできない。


「無理はしないで……」


 ただそう祈ることしかできない。


 そして、エリーが地面に降り立つと、〔スーパーエイト〕の顔を見上げながら、立ち上がる。


「ヨォシッ! 計測始めるぞ!」


 ヤーヴェンの声がかすかにエリーの耳に入ってきた。


 エリーは滑走し始めた〔スーパーエイト〕に背を向けて、テントに駆け込んだ。


「これ付けて!」

「ありがとうございます」


 エリーはリンからヘッドセットを受け取って、装着する。


「これ、どうやって見るわけ?」

「あ、それはね。こっちでやるから……」


 ヘッドフォンからミミリアの不機嫌な声とチィの気弱な声がはっきりと聞こえた。


 無線だというのに、声のした方向がわかる指向性があり、エリーは思わず彼女たちの方を見た。


 そこではミミリアとチィ、それとハルルがノートパソコンの画面を見つめていた。他にもいくつかのモニタが設置されており、それらが起動するとテストコースの定点カメラの映像が入ってきた。モニタには1番から6番の番号が振られ、コーナーやストレート、S字コーナーの映像が投影されている。


「あ、了解です。先生、聞こえてます?」

「おぉ、聞こえている。こっちのモニタも受信している」


 ミミリアがパイプ椅子に腰掛けると、ピットレーンとサーキットの合間にあるピットスタンドにいるバルザックが答える。そこにもノートパソコンが置かれており、サーキットの様子が映されていた。


 その無線を受けてか、〔スーパーエイト〕を見送っていたリンとマルーシャ、キョーコがパソコンが置かれている長机に集まりだした。


「ミミってパソコンできんの?」

「バカにして。授業でやりました」


 キョーコの軽口にミミリアは答えている。隣のパイプ椅子にチィが腰掛けた。


 エリーも集まりだしたメンバーを見て、彼女たちの元へ寄る。


「エリー。資料くれる?」

「え、はい。どうぞ」


 エリーは隣にいたリンにびっくりしながら、抱きしめていたバインダーを渡した。


 リンは少し不審そうに首を傾げたが、「ありがとう」とバインダーを受け取る。


 そうして、資料をめくりながらノートパソコンを操作するミミリアにいう。


「ミミリア、〔スーパーエイト〕の直通回線は5559。設定できる?」

「了解。ヘッドセットの3番ボタンでお願いします」

「わかった」


 リンはミミリアのテキパキとした仕事ぶりに安心した。ケイトレットとソフィのオフィサーが不在の中でのテストだったので、不安があったが裏方はなんとか運営できそうだ。


 それから、長机に並んでいるモニターに目をやれば、3番モニタの緩やかなコーナーに〔スーパーエイト〕が映った。


「何事もなければいいんだけど……」


 リンは吐息のように呟いた。


 現在、〔スーパーエイト〕は慣らし運転中。軽々とした足運びで、スーッとコーナーを抜けていく。腕部をコンパクトに脇で固めて、上体を倒すこともなくクリアしていくさまはジョギング程度の軽い挙動だ。


「先生、現在〔スーパーエイト〕はセクター2の中速コーナーを通過しました」


 チィはモニタの番号からテストコースの2つ目の区間セクターに〔スーパーエイト〕がいることを、バルザックに伝える。


「ん。こちらでも確認している。区間タイムの記録を忘れないように」


 バルザックは特に淡々と指示を出して、顔を上げる。サーキットから聞こえてくるのは寂しげなエンジン音だけで、〔スーパーエイト〕の影などは起伏のあるコースでは見えるものではなかった。


「本当に大丈夫なんだろうな?」


 バルザックの耳にヤーヴェンの不安そうな声が届いた。声のした方に向ければ、彼がヘッドセットを片手で押さえながら、コースを眺めているのが見えた。


 ヘッドセットのイヤフォン部分を押さえているのは、そこにある短距離通話のスイッチを押しているからだ。後ろのテントで観戦しているエリーたちは、そのためにヤーヴェンの声は届いていなかった。


「どうだろうな」


 バルザックも同じく短距離通話のスイッチを押さえながらいう。


「マシーンの仕上がりが、キミの言う通り8割弱だとしても、動作不良を起こすのはマシーンだけとも限らないだろう」

「少し計算が狂った箇所もある。その数字がたとえコンマ単位のズレでも命取りなのは、知っているだろう?」

「メカチューンだけなら、ままあるがね。それをキミが指摘しなかったのは、少なくとも事故に繋がるような要因ではないと考えた末だ」


 バルザックはヤーヴェンの仏頂面をちらりと盗み見て、少し気の毒に思えた。


「自信をつけさせるいい機会だ。悪いな、突貫作業で」

「まだまだ腕の良し悪しもわからなん連中ばかりで、頑張って作業はしているがな。そういう間は不安なもんだ」


 バルザックは後援でチィたちメカニックチームを手伝っていた。


 彼女たちはこのテスト走行の日までよく働いていたと思う。しかし、マシーン一台組み上げたこともない初心者ばかりでは、内心納得のいかない部分が多かっただろう。


 何しろ、オートアスリートを走らせたことがない。うまく走った、走らなかったの結果がわからない不安を簡単には拭い去れない。


 必ず走る、と自信を持って欲しいところだが、テントの方に目をやればモニターに食いついている少女たちがいる。


「今の若い人を育てるのも楽じゃないな」

「叩き上げの社長が言うことかい? 強面の割に、神経が細いな」


 ヤーヴェンの弱音にバルザックが言った。


 彼らとて、オートアスリートに携わるメカニックとして実績がある。しかし、その全てを次の世代に教える術を持っているわけでもなかった。


 熟練のメカニックマンは幾度となく計算し、何度も組み立てと解体をしてようやく、理論と実物を結びつけるのだ。


 完璧だ、よくやった、と現状で言い渡せなかったのは、チームのオーナーとしても歯がゆい思いがあり、技術者として妥協できないところであった。


「このままだと、レースに出ることはできても不完全なまま〔スーパーエイト〕を出すことになる。そうなれば……」

「それを少なくするための、テスト走行だ」


 バルザックがヤーヴェンの言葉を遮って断言する。


 これ以上の問答に意味はない。できなかったことを悔やんでいても仕方がない。今はできるだけ多くの問題点を見つけて、改善するしか方法はないのだ。


 彼らが神妙な顔でモニタに視線を戻したところで、スキール音がサーキットから響いた。


 バルザックたちが驚いて顔を上げる。


「スキール音だと?」


 最初に疑問の声をあげたのは、ヤーヴェンだった。


 しかし、スキール音がこの場に置いて異常であることは、テントにいるチィも理解していた。


「アイちゃん大丈夫?」


 すぐに専用回線のボタンを押して、アイに呼びかける。返事はすぐにかえったきた。


「平気です。ちょっと、調子を見たかっただけです」


 そう、とチィは胸を撫で下ろしながらも、モニタを見ていたキョーコは眉根を寄せる。


「第4区間セクターのカメラって直線じゃないの? 見ていた人、どうなの?」


 テントに設置されているモニタがテストコースの全てをカメラで納めているわけではない。キョーコもなんどもテストコースを走って、その道筋を熟知しているつもりだ。


 そして、第4区間セクターで計測をしているスタッフから返答がきた。


「短い直線でマシーンが速度を上げて、タイヤがから回ったように見えた。少しバランスを崩したようだが、持ち直した」


 その報告にミミリアとエリーはなるほどと頷く。


「マシーンだってバカじゃないってことじゃないの、キョーちゃん」

「アイちゃんもデータ収集とかのために、速度を上げたとか、なんですよ、きっと」


 ミミリアの楽観的な意見に、エリーのアイを擁護する意見。


 キョーコもリンもそれらを全否定できるものではない。しかし、オートアスリートを操ることの過酷さを知っていれば、軽々しくできることではない。


「脚部とタイヤの回転があってねぇんじゃないッスか?」


 キョーコは厳しい口調でリンとチィを見た。


「まだ調整できてないところがあるのかも……。ケイちゃんがいればすぐに修正できるんだけど」

「チィ先輩で直せないんですか?」


 ミミリアが問いかけると、チィは弱々しく首を横に振る。


「わたし、シャシーとエンジンだから、手を加えると時間がかかっちゃうの。プログラミングだけで解決できることもあるし……」


 そんなチィの肩にリンは手を置いて、顔を近づける。


 チィはリンがマイクを手のひらで覆って、わずかにイヤーマフを開けるのを見て取り、同じようにする。


「深刻な問題になりそう?」

「今の調子ならまだ、なんとか……」

「わかった」


 リンはコースを見ているバルザックとヤーヴェンに目を配りながら、姿勢を正す。


 そして、イヤホンにある専用ボタンの一つを押す。それはアイに直接繋がる無線スイッチである。


「アイ、何か違和感があったらすぐに報告をお願い」

「わかりました」

「それから……」


 リンは少し迷ったが、遠くから響いてくるエンジン音に急かされる。


「こっちが危険と判断したら、すぐに中止にするから。無理はしないで」

「無理ってなんですか? 〔スーパーエイト〕の限界を探るんでしょう?」

「今日のところは慣らし運転までにして。ケイトレットもソフィもいないから、すぐに調整がきかないの」


 リンの言葉に対して、アイの返答がかえってこない。


「下手に壊すと車検も通らないの」


 リンはそう言った。


 それは彼女以外のチームメイトが思うところであった。車検は明日。これに通らなければ、まず出場すらできない。


〔スーパーエイト〕はレースの出場規定に則ったスペックで組み上げることができた。このまま車検に出しても、通過はできるだろう。


 アイを除いて誰もがその及第点を取ればいいと妥協している。当然だ。レースの出場がかかっているのだから。


 だが、それでいいのか。


 リンたちの胸中にあるのは、燻る不安、焦り。目先の問題解決のために、もっと重大な問題を先送りにしている。


「わかって……、お願い」


 リンは苦渋に満ちた声で願う。


 返事を待っていると、獣の咆哮にも似たエンジンの轟音がイヤホン越しに聞こえてきた。


 同時にモニタを見ていたハルルが驚きの声を上げる。


「ちょっと、〔スーパーエイト〕が全力疾走なんだけど!」

「……本気なのですね」


 マルーシャが平坦な声でいう。しかし、彼女の瞳は揺れながらもモニタに映る〔スーパーエイト〕から離れない。


〔スーパーエイト〕は姿勢を低くして、コースを蹴って滑走する。最終コーナーを軽やかにクリアすれば、コーナー出口から一気に加速体勢に入った。


「ま、だ、いける-----っ」


 乗っているアイに負荷がかかる。シートから体が引き剥がされるような容赦ない力。無数の剛腕が体のあちこちを掴み、引っ張られるような感覚にアイは歯をくいしばる。


〔スーパーエイト〕がメインストレートへと加速する。


 膝や肩、肘に首に至るまで静電気が飛び散り、急激な加速に車体が震え上がった。


「ここで認めてもらうの!」


 わずか数秒のうちにトップギアへと運んで、アイの全身に鈍く力強い反応が返ってくる。正常な反応だ。徐々にアクセルが軽くなるのを感じ取れば、エンジンになんら異常がないことがわかる。


 が、ピットレーンで見ているバルザックとヤーヴェンが目を見張った。


 突っ込んでくる〔スーパーエイト〕がわずかに雲を引いている。肩部や胸部、脇腹など薄く細い雲が渦を巻いて流れていく。


「雲を引きやがった!」

「シマカワくん、減速しろ!」


 ヤーヴェンとバルザックが無線に叫んだ。


 凄まじいエンジン音が轟く中でも、無線は彼らの声を確実にアイに届くようになっている。仮に言葉が潰れて聞き取れなかったとしても、アイは危険な状態であることはわかるはずだ。


 しかし、返事はなく、〔スーパーエイト〕は雲を巻いて彼らの前を猛スピードで過ぎ去っていった。


 その異常はモニターを見ていたリンたちも伝わる。


「マシーンから煙噴いてるように見えますよ!?」

「そんなの------」


 エリーが食い気味に言うと、ミミリアも困った様子で返すのが精一杯だった。


 モニターの映像からでは、車体から白煙が噴き出しているように見えた。まして、人型の車両で雲ができるなど想像すらしたこともなかった。


 三年のリンとチィもこのような状況に立ち会ったことがなく、マシーンの内部機関の異常だと思った。そして、マルーシャとハルルも衝撃を受けて言葉を失っていた。


 しかし、キョーコは嫌な予感を覚え、じっとできなかった。彼女はテントを飛び出した。


「キョーコ先輩!」


 それに気づいたエリーがキョーコの背中に叫んだ。


「止めるように指示しろ! あたしはあれで----っ」


 キョーコの先には〔オーステン〕がある。


 エリーは彼女が〔オーステン〕で〔スーパーエイト〕を追うものだと思った。しかし、悲鳴のようなスキール音がイヤホン越しからも聞こえて、続くスタッフの声に戦慄する。


「オーバースピードだ! ダメだ!」


 次には鈍い激突音と甲高い金属音がサーキットからこだまする。


 その余韻を残して、やがて静寂が降りてくる。


「クソッ! ざけんな」


 キョーコは毒づいて、〔オーステン〕に急いだ。


 一方、エリーは恐る恐るモニターに視線を戻す。モニターを一つ一つ確認していくほどに、胸が張り裂けそうだった。


 そして、3番モニタで目が止まる。


 そこにはコースアウトして、倒れこむ〔スーパーエイト〕が映っていた。コーナーは傾斜バンクのあるコーナーだったが、そこにはマシーンの破片とコース上には無数の引っかき傷が残されている。


 誰もが言葉を失っていた。


 観測に出ているスタッフたちが慌ててコースに出て、白煙をあげる〔スーパーエイト〕に集まっていく。


 エリーは最悪な状況を想像してしまい、喉の奥からこみ上げてくるものとを抑えようと口元を手で覆う。


「いくよっ。キョーコ、お願い!」


 そういったのは、リンだった。


 彼女は唖然としているチィの背中を叩いてから、急いで杖をついてテントを出た。

 

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