第2-3話:今度はちゃんと走らせてあげるから……
昼過ぎ。
チィ・フゥはその日の授業を終えて、〔スーパーエイト〕が運ばれた整備工場に足を運んでいた。
その工場は学校の周囲に広がる離れた農場地帯から、さらに数キロ間を開けた平地にある。長距離バスに一時間ほど揺られて、彼女は目的のバス停で降車する。
バス停の目の前には整備工場の敷地が広がっている。しかし、金網の向こうには工場というよりは滑走路のようなサーキットが横たわっていた。テストサーキットであるが、オートアスリートは一台も走っていない。
「流石に走ってないよね」
チィはオートアスリートが一台くらいは走っていないかと期待したが、やはり簡単に見られるものではないようだ。
少し残念そうに肩を上下して、サーキットを横手に歩き出す。
徐々に機械音が耳に入ってくると、正門が見えてきた。掲げられた社名は「ヤーヴェン整備工場」とある。
「ここ、でまちがないよね……」
チィは手のひらに書いたメモを見て確認し、正門を跨ぎ、すぐそばの事務所に足先を向けた。
と、事務所の前に見覚えのあるサイドカーが止まっているのが目に入ってきた。
「キョーコちゃんのにそっくり」
チィはそう呟いて、事務所へ向かった。
カラカラと音を立てる引き戸を開けて、殺風景な受付を見渡す。事務机や受付カウンターの他には、安いソファーに自動販売機、電源の入っていないテレビが隅っこに固まって休憩所の体裁を取っていた。
「ん。なんだい? また若い子?」
と、受付の男が怪訝そうにチィを睨んだ。
チィは慌てて帽子を取り、受付へと急ぐ。
「あの、先ほどお電話したカワアイ工業高校の者なんですけど……」
慌ててスクールバックから紹介状を出そうとしたが、受付の男は手を振ってそれを制した。
「制服を見ればわかるよ。修理中の車両点検とかだろう?」
「ええ、はい。そうです」
チィは受付の人がどうしてわかったのか不思議に思って、ふと事務所の前に止まっているサイドカーを思い出す。
「やっぱり、キョーコちゃんたち……」
「それじゃあ、これ、関係者のパスだから」
そういって、受付の人はパスが入ったストラップを差し出す。
「ありがとうございます」
「三番格納庫で今はエンジンの積み替えをしているはずだよ。後これね」
チィはストラップを首にかけて、続いて出てきたヘルメットを受け取る。それからお礼を言って、事務所を出て行こうとした。
ちょい待ち、と受付の人が呼び止める。ひどく不愉快そうな声だった。
「うちはおしゃれなカフェーじゃないんだ。頻繁に顔を出すのは控えるようにお嬢さんから言っといてくれ」
「……はい。気をつけます」
チィは彼の声音に怯えて、小さな声で返事をする。
それから逃げるようにして事務所を後にし、整備工場内を歩いていく。
「やっぱり、迷惑だったかな」
チィはヘルメットをしながら、通路の端っこを肩身狭そうに歩いていく。
整備工場はいくつもの建物がある。その通路ではフォークリフトが金属板や部品を運び、そこかしこから金属音やらエンジン音が響いてくる。
「危ないぞ!」
「すみません。ごめんなさい!」
フォークリフトの運転手に怒鳴られて、チィは足早に通路を進む。
そして、正面扉が開けっ放しの第三格納庫に逃げるように飛び込んだ。入り込んだ矢先、再び怒鳴り声が彼女に襲い掛かった。
「誰だ! 勝手にはいってきたバカは!?」
野太く、頭ごなしな声にチィは背中を丸めて、その場に立ちすくんでしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「ん。チィ先輩」
今度は聞き慣れた後輩の声がして、チィは涙目になりながら恐る恐る顔を上げる。
格納庫の奥から駆け寄ってくるキョーコの姿が見えた。彼女も同じようにヘルメットをしていたが、いつものブレザーの下のパーカーやサングラスで彼女だとすぐにわかった。
「キョ、キョーコちゃん……」
「先輩。大丈夫ッスか? 泣かないで欲しいッス」
キョーコはサングラスを外して、チィを支えつつ奥の方へ誘導する。
改めて、格納庫内を見れば、修理工場というよりは解体場のような殺伐とした場所である。そこかしこに解体されたオートアスリートの手足が吊るされ、空っぽの胴体が転がり、エンジンやラジエーターが台車や巨大な棚に収められている。また別の棚には敵将の首を並べるかのように、いくつもの頭部が並んでいる。
そして、中央にはフレームだけになった〔スーパーエイト〕があった。もはや、人工筋肉も電装系もほとんど外されてミイラ同然。天井から下がるワイヤーで四肢を吊るされて、蜘蛛の巣に捕まった虫のような有様だ。
そして床は巨大なベルトコンベアのような構造をしていた。
漂う油と金属の焦げた臭いが奥へゆくたびに濃くなっていく。
チィはその臭いが強まるほどに怒鳴られた不安感が薄れていった。
「ちょっと、社長さん。いきなり怒鳴るの、やめてもらっていいですか?」
「こっちの都合も考えずに来たのは、そっちだ」
格納庫の中央で、ミミリアが腰に手を当てて男に文句を言っていた。
男は白髪混じりの短髪で、無精髭を生やした彫りの深い顔立ちだった。筋肉質な体つき、その二の腕にはタトゥーが刻まれている。服装もタンクトップにジーンズともあって、整備士というより格闘家のようにチィには思えた。
しかし、その男こそ「ヤーヴェン整備工場」の責任者であるヤーヴェン・ルーウェスである。
「まぁまぁ、これでもわたしたち、依頼した側なんですよね。進捗を知りたいのは当然じゃないですか?」
ソフィが飄々と言って、ヤーヴェンは口元を歪める。
「ったく。アイツの頼みだから引き受けたが、お前ら、状況わかってんのか?」
「ええ、だから予算だって繰り上げたでしょう?」
「そいつはどうも」
ヤーヴェンはソフィから視線を外して、すぐ横に置かれたエンジンに体を向ける。
「あの、エンジン、大丈夫そうですか?」
チィはキョーコから離れて、ヤーヴェンの側に立つ。
「お前は?」
「チームのメカニックです。一応……。あ、チィ・フゥです」
「……一応、か。アポがあったのはお前だな」
チィは頷いて、一度キョーコたちを見た。
「みんな、授業は大丈夫なの?」
「平気ッス」
「本当はサボりだけど」
キョーコの返答に、ミミリアが付け足した。
「そう……。〔スーパーエイト〕が心配なのはわかるけど、その……、無理しちゃダメだよ」
本当は厳しく注意しなければならないのだが、チィは言えなかった。
自分が怒鳴られたり、叱られたりするのが怖いように、相手も同じだと思うからだ。だから、強く否定できなかった。キョーコたちも心根は優しい子たちだと知っているから、余計にチィは叱ることはできない。
その様子を見ていたヤーヴェンは深いため息をつき、エンジンに視線へ戻した。
「お前ら、このエンジンを最後に点検したのはいつだ?」
「え、はい。故障するちょっと前です……」
チィはヤーヴェンに向き直って答える。
キョーコたちもエンジンを囲うようにして立って、ヤーヴェンの話に耳を傾ける。
ヤーヴェンが険しい形相でエンジンを睨み、油で汚れた手袋でレンチを手にする。
「そうか。エンジンの手入れは悪くない。学生にしてはよく頑張った」
「そ、そうですか?」
チィは素直に喜ぶことができず、ヤーヴェンが横に移動するのに合わせて一歩踏み出す。
それに合わせて、ミミリアがステップを踏んでチィとキョーコの間に入る。
「先輩、毎日手入れしてましたもん。ね、キョーコ?」
「そうッス。チィ先輩は凄いッスよ」
ミミリアとキョーコの賞賛に、チィは困ったように頷きながらヤーヴェンの顔色を伺う。
「一人でやってたのか?」
「え、あ、その。みんな忙しくて、わたしだけ何もできないから、せめて」
「……そうか」
ヤーヴェンは何か納得したように言って、エンジンが置かれた長机のさらに隣、ギアボックスと発電機の前で立ち止まる。
「変速機や発電機は?」
「それは、全然、やってません」
だろうな、とヤーヴェンは言ってギアボックスのカバーを外した。
中は大小様々な歯車が密集して、継ぎ目が模様のようにひしめき合う。潤滑油で光沢を帯びているはずの様々なギアは黒く汚れている。
そこにヤーヴェンがポケットからライトを取り出して、ギアを照らす。すると、黒い表面に、わずかにゴマ粒にも満たないキラキラと反射する銀色が輝いた。
「経年劣化が酷い、ギアも歪んできてる。金属片があるってことは、噛み合ってない証拠だ。お釈迦だな」
「そう、ですよね。これだと」
「取り換えるんじゃダメなの?」
ミミリアが質問する。
「ギアボックスを解体して組み直したら手間だ。時間もないだろ」
ヤーヴェンは少し苛立った口調で言う。
「やるか?」
「いいえ。時間がないのはわかりますから。それに、発電機の方もダメそう、なんですよね?」
真面目に答えるチィに、ミミリアは安堵したように胸をなでおろした。
「どうしたんだよ?」
そんなミミリアを見て、キョーコが耳打ちする。
「先輩がスイッチ入ったみたいだから。あたしたちだけだと、社長さんの話ついてけないじゃない?」
「……確かにな」
キョーコはミミリアの囁きに頷きながら、集中しているチィを見た。
普段の彼女は引っ込み思案だ。だが、メカニックへの誠実さはチームの中で一番と言っていい。そこに引け目などなく、結果や過程に対して真摯に向き合う胆力がある。
キョーコはテストライダーをしていた時から、チィの持つ誠実さを尊敬していた。
「わかるのか?」
ヤーヴェンがチィに問いかけながら、発電機に手を置いた。
チィは肩にかけているスクールバックの持ち手を握りしめながらいう。
「中の磁石が弱くなってるんだと思います。それに、コイルも。経年劣化もそうですけど、多分冷却が間に合わなかったのかも、です」
チィの意見にヤーヴェンは静かに頷いた。
「それには同意見だ。構造上、エキゾーストパイプが発電機に近い位置にあるからな。だが、ラジエーターで処理できないほどか?」
「それは、アイちゃんがアクセルを開け過ぎたんだと思います。ギアと発電機が不調だから、エンジン出力に頼って動かしてたんです。水温計と油温計がレッドゾーンをさしていたみたいですから」
「なるほど、な」
ヤーヴェンはチィの冷静な分析に感嘆しながら、内心〔スーパーエイト〕を動かしていたライダーのセンスにも驚きいていた。
ギアは歪み、発電機も本来の発電能力を失っていた。それをエンジンの回転で補うのは、常套手段ではある。しかし、エンジンを酷使することは最悪エンジンブローを引き起こす原因になる。
フルスロットルでエンジンを使い続ければ、5キロと持たずにエンジンの吸排気バルブが根をあげる。
だが、ヤーヴェンが見た限りでは、エンジンの損傷はそれほど大きくない。
「こいつを動かしたヤツは……」
ヤーヴェンは俄然そのライダーに会ってみたいと思った。
エンジンを限界寸前、それも壊れる一歩手前で出力を維持する感性と不調のギアと発電機が効率よく繋がるパワーバランスの見極め。
「……イカレてやがる」
ヤーヴェンは面白くなさそうに言って、手袋を取ってエンジンに背を向ける。
キョーコとミミリアは驚いて、彼の背中を目で追った。
「おい! 修理するんじゃねぇのかよ?」
「今できることはないな」
キョーコの陰に隠れて、ミミリアがヤーヴェンの背中を睨んだ。
「それでも社長さんなわけ?」
「だから、オレだって忙しいんだよ」
キョーコとミミリアが目を三角にしていると、黙っていたソフィがいう。
「オトナの都合も考えなきゃダメよ」
「都合って––」
キョーコが突っかかろうとしたところで、ヤーヴェンの声が反響してきた。
「お前ら、明日から作業始めるからな。あとで事務所で人数分の臨時の職員カード用意しておいてやる。チームの奴らにも、サボるんじゃねぇって言っとけ」
乱暴な言葉遣いであったが、彼が〔スーパーエイト〕、ひいてはチームの面倒を引き受けてくれる意思が感じられる。
チィは振り返って、深々と頭を下げる。
「あ、ありがとうございますッ」
「それから、バルザックにも顔出すように言っておけ!」
ヤーヴェンは最後に吠えるように言って格納庫から出ていった。
チィは頭を上げて、キョーコたちに視線を配る。
「よかったぁ……」
「社長さんって言っても人ってことね」
「そういうこと」
ミミリアといつの間にかそばに来ていたソフィが、仏頂面のキョーコを見ながらいう。
「んだよ?」
「別に。誰かさんに似てるんじゃないのってこと」
チィはソフィの言葉が意味するところがわかって、思わず笑みをこぼす。
「どこがっ。偉そうにしやがって!」
「そりゃ社長だから、偉いんだよ。キョーちゃん」
「センコーの知り合いなんだろ? それであの態度かよ。ムカツク」
ミミリアが呆れる一方で、ソフィは目を細めてケータイで口元を隠す。
「そ、そうかな? ヤーヴェン社長には無理を通してもらったと思うよ」
チィがフォローするが、キョーコは仏頂面のままだった。
そんな彼女に愛想笑いを浮かべ、チィは再び〔スーパーエイト〕を見た。
「今度はちゃんと走らせてあげるから……」
チィは静かにそう誓った。
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