第2-2話:本気でレースをする気、あるんですか?

 州立カワアイ工業高校の蔵書量は、書籍は約300万冊、スクラップ記事や雑誌を入れればさらに100万は跳ね上がる。


 その圧巻の蔵書量は必然、図書室というよりは図書館ともいうべき空間と設備を必要とした。


「やっぱり広なぁ……」


 リン・ブレックスは館内端末で得られた蔵書検索結果の印刷を待ちながら、改めて内装を見渡す。


 本棚がそのまま建物になったような空間だ。吹き抜けの天井と2段、3段さらに上層と見える階層が棚のように構えている。各階層には蔵書が詰まった本棚が並び、人が人形のように歩いているのが見て取れた。


 情報媒体を電子化しないのは、電子媒体の使用規制があるからだ。かつて宇宙規模まで広がったインターネットだったが、その組織を分断された。


 デジタルハザードか、天変地異か、はたまた戦争か。


 それを知る者はおらず、また記録されたモノはない。ただインターネットを構築していたサーバーが星々の中継基地で遺跡として存在している。


 その技術を復元、サルベージしながら、人はいつの時代かの生活リズムに身を置いているのだ。


 リンは印字が終わった索引の紙を取って、大きく息を吐く。1メートル近く伸びてしまった索引の紙を折りたたみ、ノートと一緒に持つ。杖をつきながら歩き、蔵書の場所を確認する。


「結構な関連書があるみたいだけど……」


 リンの右にも、左にも本棚、前にも背の高い本棚が群がっている。リンの背より数倍も高い本棚は、かかっているハシゴを使わなければ、上段の本などは取れない。


 リンは一度立ち止まって、その本棚を見上げた。


「あんまり利用したことないから、わからないな……」


 立ち止まっていると、すぐ横を男の人が追い越していった。学校の生徒でも、教師でもない。


 リンは右側に体を寄せながら、周囲を見渡す。子どもづれの親子や老人、スーツの人、さらには見慣れない学生服の人まで様々な人が通路を歩っている。


「一般の人も結構きてる。うまく見つかるといいけど」


 リンはため息ひとつついて、索引表と本棚についている索引ナンバーを照らし合わせながら歩き出す。


 図書館は周辺地域の人が利用する。一般開放もされているため、他校の生徒が来るというのも珍しい光景ではない。


 とにかく、手が届く本はチィから預かったファイルと一緒に抱え込む。


 ハードカバーの本で5、6冊を片腕で抱えたところで、自習コーナーへと向かった。


 自習コーナーは個別の机の他にも、共同の長机や子ども用の足の短いちゃぶ台がある。個別の机はすでにいっぱいで、共同の長机にちらほらと空きがある。


 が、リンとしては杖を持っている手前、あまり人が密集しているところは避けたい。


 しばらく、物見していると、共同の長机に広げっぱなしの雑誌や本が占拠している人物がいた。そのせいで他の人も座るに座れず、迷惑そうな視線を向けていた。そして、占拠している当人は突っ伏して眠りこけている始末。


 リンも同じく不愉快な思いを抱きながら、その席を見ていた。


「……ん?」


 しかし、よく目をこらすと、カワアイ工業高校の女子生徒だとわかった。肘をついた右腕だけが、鎌首もたげた蛇のようにたち、指先にはシャーペンが握られている。左腕は枕にしていると思いきや、書籍のページを広げたまま固まっている。


 辛そうな体勢のせいか、しゃっくりのような寝息を漏らし、その度にボサボサの頭が揺れる。


「…………」


 リンはその声と髪質に頭痛がしてきた。知っている人だ。しかも、普段は生真面目で厳格な子なだけに残念な気持ちになる。


 重苦しいため息を吐いて、静かにその女子生徒の横に進み、肩を揺すった。


「起きて、ケイトレット」


 すると、ボサボサ頭の少女はピクリと体を震わせる。重たそうに頭をあげて、リンの方にメガネのずれた寝ぼけ顔を向ける。


 リンも彼女の顔を見て、はっきりとケイトレット・リーファンだと確信する。


「やっぱり。こういう場所で寝ないの。みんな迷惑してる」

「んー……? んーっ!」


 ケイトレットはいつもの険しい目つきになって、一瞬目を見開く。


 慌てて、メガネの位置を直し、改めてリンの困った顔を確認する。


「ブレックス先輩? 何で? いつの間に退院したんですか?」

「落ち着いて。先日、会ったでしょう?」

「あ、いや、そうです。そうでした」


 リンが落ち着いて対応すると、ケイトレットも我に返ったらしく深呼吸をする。


「勉強?」

「あ、まぁ、そんなところです」


 そう、と言いながら、リンがケイトレットの隣に腰掛ける。


 ケイトレットは口元をハンカチで気にしながら、空いている手で散らばっている本をまとめる。


「システム工学、プログラミング、オートアスリートのシステム規定手引き書……」


 リンはその手の動きを見ながら、タイトルに目を走らせた。


「システムの変更だって、チェックしなければいけないんですよ」


 ブツブツというリンに、ケイトレットは一冊の雑誌を彼女の前に置く。


 リンは抱えていた本を机に置き、雑誌を手に取る。オートアスリートの専門雑誌だ。


「90ページから規定変更の情報があります」


 ケイトレットはハンカチをしまって、本を横手に積み上げて整理する。それから、ノートに視線を落とし、読みかけであった参考書を横目に必要事項を書いていく。


「ごめんね。システム全般をやってもらってるようで」

「好きでやってることですから。最近のネット発掘調査が求めるレベルは高いですから、これくらいは」


 そっけないケイトレットの反応に、リンは苦笑いを浮かべる。


 目元にくまを作って、ボサボサ頭を掻き毟って作業をしている様子からも、彼女が根を詰めているのがわかる。


 彼女の言うネット発掘調査は『インターネット遺跡』からのデータサルベージや、そのデータ復元、さらには暗号化したデータの解析をする国家事業である。プログラミング技能が必須で、そうした勉強、実践をするにもオートアスリートは良い題材でもあった。


「無理はよくないよ。わたしにできることがあったら言って?」

「お気遣いどうも」


 ケイトレットはそう返しながら、机にかかっているリンの杖に目がいった。


 隣にいるリンに視線を変えれば、半年前とほとんど変わらない彼女の姿がある。


「これも実感っていうのですね」


 ボソッとケイトレットは呟く。


 リンが足にハンデを負ったことを知りながらも、頭の中では『エースライダーのリン・ブレックス』がいると思ってしまう。


 立てかけている杖が何かの冗談のように見えて、ケイトレットはメガネの横間からリンの様子を伺った。


「先輩は本気でレースをする気、あるんですか?」

「急にどうしたの?」


 リンは彼女の質問に思わず、後輩の険しい顔を伺った。


「いいえ、別に……」


 ケイトレットは目をそらして、自分の仕事に戻る。ノートにシャーペンを走らせるも、迷うように止まっては髪の毛を掻く。


 リンは静かに彼女の言葉を待った。


「ライダー、やると思ってましたから–––」


 なるほど、とリンは内心戦々恐々としながら、雑誌の項目に目がとまる。


 そこには、ライダーの身体規定が載っていた。視力や聴覚、内臓器官の状態などライダーになる以上、必要不可欠な身体能力が明記されている。


 だが、オートアスリートは原則誰もがなれるチャンスがある。例え、生まれ持ってのハンディキャップがあったとしても、後天的にハンデを負ったとしても。


 それはオートアスリートに限らず、日常生活を不自由なく過ごす手段でもある。


 その項目こそ、リンも思い悩んだ部分であった。


「サイボーグ手術のこと? それは、悩んだよ。たくさん……」

「先輩ほどの腕なら、損はなかったと思いますよ」


 ケイトレットの言葉に嘘はない。


 彼女もリンのライダーとしての活躍を間近で見てきたのだ。


 サイボーグ手術は今日珍しいものではない。義手や義足、義眼、人工内蔵などは人々が生きていく中で必要とされている。


 身体の欠損でなくとも、補強という形で骨や神経にまで機械を組み込むことができるからだ。


 オートアスリートの場合はそうしたサイボーグ化した人でも、挑戦する権利が与えられる。


 ゆえに、この規定はライダーにとって絶対の掟でもあった。


 使用できる人工臓器などは許可されたメーカーだけであったり、また超人的な力や反応速度を出せる義手や代理神経は禁止となっている。


 それらの規定範囲内での人工臓器や義手は努力を積み重ねた肉体よりも高い能力を発揮する場合もある。


 個々人の能力は千差万別。だからこそ、自分の弱さを機械で補う考えもあって必然であった。もともとの正常な身体に手を加えて、レースで勝つためのアドバンテージを得るために義足などを組み入れる。


「お医者さんも、勧めてくれた。けど、なんか嫌だなって」

「どうしてですか?」


 ケイトレットは手を止めて、リンに顔を向ける。


「自分のしてきたこと、全部なくなっちゃいそうで」

「……そうですか」


 リンの顔は複雑であった。悲しんでいるようにも、恐れているようにも見える。


 ケイトレットは静かにノートに視線を戻す。それでも、隣にいるリンの顔が頭から離れない。集中が切れて、ペンが止まる。


「リン先輩が、杖ついてるの見たとき何やってるんだって思いましたよ、正直」


 リンは口元を歪めながら、雑誌のページをめくる。


 彼女の言う通り、サイボーグ手術を受ければ、すぐにでもライダーとして復帰できた。しかし、復学を考えたときに他のメンバーの反応が怖かった。図々しいのではないか、と。


「これはあたし個人の意見です。リン先輩はライダーとしての才能も素質もありました。だから、どんな手段を使ってでも戻ってくると思ってました」

「ケイトレット……」


 リンは静かに、ケイトレットを見た。


 彼女がペンを握る手は力がこもって、震えている。いつもの苛立ちとは違う。悔しそうに、歯痒そうに行き場のない怒りを込めている。


「がっかりしました。中でも、チームを信じてくれなかったことは最悪です」

「それは、その–––」

「リン先輩にしてみれば、まぁ、わからない話ではありません。実際、ほとんどやめちゃったんですから」


 だけど、とケイトレットはペンを握る手を緩めて、一度呼吸を整える。


「せめて、チィ先輩やキョーコたちは信じてください。それに新入生たちも、みんな、リン先輩のこと好きみたいですから」

「……ありがとう、ケイトレット」


 リンの口から安心した声が漏れる。


 ケイトレットも一息ついてから、再びサラサラとペンを走らせる。


 リンの目からは気持ち、軽やかな筆運びだと思った。


 それから、リンも雑誌に一通り目を通してから、パーツを調べる作業に入った。


        *      *      *


 州立カワアイ工業高校のオートアスリートチーム再建は、スポンサーたちにも知らされていた。電話やファクシミリはできる世の中ではあったが、チームの運営をするにはやはり足は必要である。


「先日は大変ご迷惑をおかけいたしました。こちら、心ばかりのものですが」


 そういって、制服姿のミミリアは紙袋から包装紙で包んだお菓子を差し出す。


 相手はスポンサーをしてくれている酪農家の夫婦だ。事務所の応接スペースで、初老の夫婦はにこやかに対面テーブルに置かれたお菓子を手元に引き寄せる。


「まぁ、お気になさずともいいのに」

「いいえ。こちらも援助をいただいておりますから。それに出資金額も増やしていただいて」


 ミミリアの隣でソフィが朗らかな笑みを浮かべる。


 ミミリアは横目に彼女の笑みを盗み見ながら、肩の力を抜く。いつもは無関心で面倒ごとは避けるタイプの彼女なだけに、胡散臭く映ってしまう。


 しかし、普段のソフィを知らない夫婦は育ちのいいお嬢さんと思ったことだろう。


「何々、ウチの犬っこを助けてもらったんだ。それに悪いのは、最近この辺でうるさくしてる連中なんだろ?」


 旦那さんの方が太い腕を組んで、不機嫌な顔をする。


「そのようです。ご支援いただいてるスポンサーの方々を標的にしているようで、警察にも注意喚起を呼びかけています」


 ミミリアは旦那さんの気持ちがよくわかったし、熱のこもった声でいう。


 数日前、ミミリアとソフィ、そしてキョーコはここのスポンサー夫妻を訪ねた際に、ハーマン一味が飼い犬に暴力を振るっているのを目撃した。


 真っ先にキョーコが頭に血が上り、男子三人を相手に乱闘となった。ミミリアが警察を呼ぼうとした時には、三人組はキョーコの鉄拳に痛めつけられ、恐れをなして逃げ出していた。


 怒り爆発のキョーコが追撃を加えようとしたところで、ソフィが止めに入り、結局警察と獣医が来るまで痙攣して身動き一つできない飼い犬をただ見守ることしかできなかった。


「けど、警察も犯人を捕まえてくれなかったんでしょう? 証拠不十分にしても、酷すぎるわ」


 奥さんも困った顔でいう。


「パトロールの強化をしてくれるだけでも効果はあります。こっちも証拠不十分でしたから」


 ソフィはそう説明して、ミミリアに目配せする。


「けど、ご安心ください」


 ミミリアは前のめりになって、胸に手を当てる。


「チームが勝つことができれば、そういう人たちもいなくなります」

「どういう理屈なんだい?」


 旦那さんが不思議そうに尋ねる。


 事情を知らない夫妻にとって、ミミリアの言葉は不自然に聞こえる。危害をくわてくる人たちと何らかの因縁があると想像すると、怖いとさえ思う。


 が、ミミリアは姿勢を正して毅然と答える。


「その危害を加えてきた人たちですが、どうもカワアイ工業高校チームが復帰するのが嫌なようなんです。それで、資金源を絶ってしまおうと躍起になってるんです。だから––」

「チームが世間に認められれば、卑屈な嫌がらせもしなくなるだろう、と」


 ソフィが割って入り、ミミリアは言葉を飲み込んだ。


「もっと過激になりそうだけどね」

「実力チームの復帰はそのままスポンサー様の広告になるわけですから、そういう名前の知れたところにはミーちゃんハーちゃんが集まるからやりにくいでしょう?」


 奥さんの不安にもソフィは飄々と答える。


 オートアスリートは全宇宙で人気のモータースポーツ。ハイスクールだけのレースでも、その人気は非常に高い。野球の甲子園のようなものだ。予選段階から熱狂的なファンは視聴しているし、スポンサー側も大きな宣伝になっている。


「ここのバタークッキー、美味しいですから人気出ますよ」


 ミミリアが笑うと、夫妻もようやく表情を和らげてくれた。


「では、失礼します」


 ソフィが切り出し、ミミリアも続いた。


 スポンサーの夫妻もわざわざ出口まで連れ添って送ってくれる。


 外に出れば、独特な濃い臭いが鼻をつく。時刻は正午に差し掛かるころだというのに、春先の日差しをもってしても寒さが身に染みる。


 ミミリアたちが事務所を出た先では、キョーコがサイドカーに寄りかかって待っていた。その視線は事務所から離れた納屋の横、犬小屋に向けられていた。


「本日はありがとうございました。改めて、書類をお送りします」


 ミミリアは夫妻に一礼する。


「あの子にもちゃんとお礼を言っておきたいんだが……」


 と、旦那さんがキョーコを見ていう。


「人見知りがひどいので、いつもああなんです。気にしないでください」


 ミミリアが取り繕っているうちに、ソフィはさっさとキョーコの元へ歩み寄る。


 キョーコも彼女たちに気づいて、サングラスを少しずらし、ちらっと確認する。


「話は済んだのか?」

「少しはわたしたちの苦労も知ってほしんだけどー? ひとりで待ってるの、ずるいわ」


 ソフィはそういって、ミミリアたちを顎で示した。


 キョーコはふんと鼻を鳴らして、サングラスを掛け直す。


「外面が悪いんだから、これでいいんだよ。文句あんの?」

「キョーコとは仲良くしておきたいもの、遠慮しとく」


 ソフィはクスクスと笑いながら、定位置のサイドカーにおさまる。そして、いつものようにケータイを取り出すと、メールを打ち始める。


「いい加減なヤツ」

「キョーコ、挨拶くらいしなよ」


 すると、夫妻との別れたミミリアが合流し、キョーコは口元を歪ませる。


「こっちは細かいんだから」

「なんか言った?」


 ミミリアが睨みつける。


「別に……」


 キョーコはミミリアの小言にうんざりして、逃げるように視線を事務所の方に向けた。


 まだスポンサー夫妻がいる。ミミリアとの話は終わったというのに、律儀に見送るつもりなのだろうか。


 キョーコはその視線が気まずくなり、サングラスを外しながらミミリアを急かす。


「おら、さっさと乗れっての」

「何よ。感じ悪いんだから」

「いつもそうだっての」


 ミミリアはバイクのリアサイドに吊るされているヘルメットを取りながらいう。


 キョーコはといえば、フードをとってハンドルに掛かっているヘルメットに手を伸ばす。


 その前に、もう一度スポンサー夫妻の方に顔を向ける。


 彼らはキョーコの白い容姿に少し困惑しているようだった。そういう目を向けられるとわかっていたから、キョーコは交渉に出ようとは思わなかった。


 軽く一礼して、フルフェイスのヘルメットをかぶるとバイクに跨って、エンジンをスタートさせる。


 そして、ミミリアとソフィの安全を確認してから、サイドカーを発進させるのだった。

 

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