第1-6話:あなたは本当にオートアスリートが好きなのね

「午前の授業をサボる。校内の備品を勝手に持ち出す。挙句、接触事故のうえ壊す」

「事故じゃないです! 相手が押したから––!」

「整備不良の車を走らせた運転手のいうことに、説得力がないことは警察からも説明があったでしょう」


 昼過ぎ。


 学校の一室にアイとリン、それにキョーコとチィが集められて、教師たちの審問にかけられていた。


 長机を四角く囲った会議室で、窓からの午後の日差しが教師陣たちを黒い影に塗りつぶして、アイたちには得体の知れない生き物のように映った。


「レコーダーだってあるんです。〔スーパーエイト〕が証明してくれます」


 アイは窓の光に目を細めながら、教師陣を睨んだ。

 

「だといいがね」と教師の誰かが言った。


 その目が、光に照らされる女子生徒たちを値踏みするように横に流れる。


「保険会社からかなりの損傷だと聞いている。事故の衝撃でそういう証拠もないかもしれない」

「どうですか、バルザック先生?」


 別の教師が一人少女たちの弁護士のようにそばに座っている教師に言った。


 彼、バルザック・マーロンは長い鼻先を指先で擦り、ばつが悪そうに張り出したお腹をさすった。髪は薄く、白髪混じりだったが、理知的なメガネの奥の目つきや、シャツの袖から出る太い腕などは体力の衰えなど感じさせなかった。


「授業担当としていかがですか? 校内でも受講生がこのことを隠そうとしていたことについても」


 この会議を招集した教頭が怒りを押し殺していう。


 そのことを聞いて、チィはびくびくと青ざめた表情で肩を震わせる。


「ケイちゃん、ミミちゃん……。ごめんね」

「先輩、しっかりしてくださいよ」


 隣に座るキョーコがチィの背中をさする。


 アイは依然と不服そうに眉を吊り上げ、リンも険しい表情をしていた。


 そんな彼女たちを担当教員のバルザックは一瞥して、笑みを浮かべる。


「ハハハ……。面目丸潰れで、返す言葉もありませんな」


 アイは体を少し乗り出すようにして、楽観的なことをいうバルザックの様子を伺った。


 もっと自分が怒られても仕方ないと思っていたし、何より彼のことは入学前に聞いていた。カワアイ工業高校に決めた理由も、彼がいるからに他ならない。尊敬できるメカニックマンで、指導者だと思っていた。


「印象違うな……」


 アイがポツリと呟く。


「しかしまぁ––」


 と、バルザックが切り出して、アイは姿勢を正した。一瞬、目があった気がした。


「なんです?」


 教師の一人が食い気味に質問する。


「マシーンはまともに動けないはずでした。だから、三年生の彼女に鍵を預けていても問題ないと皆さんにご説明して、判断されたじゃないですか?」

「動かないと、あなたが言ったからだ、バルザック先生。オートアスリートのエンジニア経験が豊富なあなたの言葉だから信じたんです」


 教師たちが渋々肯定する。


「僕自身、手を抜いたつもりはありません。しかし、ここ数日の生徒たちの自主的な整備はありましたから、その効果があったというべきではありませんか?」

「生徒たちの技能の賜物だと? だから?」


 バルザックの意見に教師陣は深いため息をついた。


「前々から話し合ってきたではありませんか? あなたの授業は今年から廃止する、と」

「そんなこと、聞いてません!」


 アイが勢いよく立ち上がったが、キョーコが片足あぐらをかく。


「選択授業の説明であったんじゃねぇの?」


 アイは刺々しい言い方に頬を膨らませる。


「寝てたから聞いてないです」

「アホくさ……」


 キョーコはそっぽを向いて、頬杖をつく。


 それには教師陣の一人が指先で小刻みに机を叩いた。わかりやすい苛立ちのサインだ。


「スコル。頬杖をつくな。それにフードと色眼鏡も」

「チッ。うざ––」


 注意した教師が力任せに机を叩く。バンッと嫌な張り詰めた音が鳴る。


 チィはその音に驚いて、帽子を胸の前で潰し、慌ててキョーコに視線を送った。


「キョーコちゃん……」


 チィの青ざめた表情や泣きはらした目を見ては、キョーコも頭が上がらない。お世話になった先輩であったし、何よりも人の泣き顔を見るのは好きではない。しぶしぶと姿勢を正して、サングラスとフードを取る。

 

 アルビノの白い髪と赤い瞳が露わになると、周囲の空気が少し張り詰める。


 教師たちが目の色を変えて、努めて奇異の目を向けまいと視線を明後日の方向に向ける。


「言われた通りにしたぞ、ほら? アタシの目ぇ見て話せよ」


 キョーコの凄む声に教師たちは言葉を詰まらせてつつも、本題へ戻していく。


「今回の件で我が校では、まだオートアスリートが生徒たちでは扱いきれない教材だと痛感させられました」


 また、という響きがリンの中で反響する。


「オートアスリートは危険な、行為です」

「モータースポーツですっ」


 ムキになっているアイが割って入る。


 教師たちは彼女の幼稚さをため息一つで片付けようとした。彼らとて、オートアスリートが一大エンタテインメントであることは承知している。


「だから、時期尚早だったと遅ればせながら判断したんだ」

「メカトロニクスの総括的な教材としての目論見はやはり間違っていた。それだけだ」」


 学校は教育の場である。


 オートアスリートは教材であって、レースに出るための手段ではない。エンジニアとしての技術を磨く上で、実物が最も効率的だと考えているからだ。


 レースの参加などは副次的なこと。オートアスリートにかかる費用を賄うためにスポンサーは必要であり、レースの参加はその一環でしかない。好成績を残すことが目的ではない。


 そこに生徒たちが学ぶものはない、と思っているのだ。


「先生たちはオートアスリートをなんだか危ないことだと考えてるんですか?」

「つか、問題起こったから禁止ってヤツだろ。責任取りたくない連中の通り文句じゃねぇか」


 アイの質問に、キョーコが呆れたように被せる。


 教師たちは少し黙り、言葉を選ぶように1人が口を開いた。


「当たり前だ。だから、バルザック先生をつけているし、安全圏を守ってやってもらいたいのだ」


 アイたちの対面に座る教師だ。


「すでに怪我や事故を起こしている。これ以上のことが起きないとも言い切れない」

「一度や二度の失敗でやめられないです!」


 アイはテーブルを強く叩いて、対面の教師を睨んだ。


「安全とか、危ないとか、みんなわかってやってるんです。その結果を誰かのせいにしようなんて変でしょう? 先生たちが怖がってるみたいです」

「生徒を命の危険に、犯罪の危険に晒すほど、我々は無能でありたくないのだ」


 教師陣は静かに頷く。


 いくら生徒たちのやる気があっても、周囲の人間が許さない。教師という立場である以上、仕方のないことだ。


 アイのいう通り、怖がっているのは大人たちの方だ。アイの熱意を無下にしたくない気持ちもある。その気持ちが今回のような、リンのような事故を引き起こす可能性も否定できない。


 それらを未然に防ぐためにも、用心深く、冷血に判断を下さなければならないのも一つの仕事だ。


「レースで命を落とすことだってあるんだ」


 教師たちにとって、それが最後の警告だ。


 リンは迷った。事故を起こしてしまった責任、一緒に授業を受けていた友人たち、そして、今回の騒動。いろんな人に迷惑をかけて、困らせてしまった。


 一度は死にかけた。その事実が胸に突き刺さる。胸が張り裂けそうに痛む。だが、もやもやとしていた不安が消えていく。


 痛みと苦しみ。苦悩と絶望。


 しかし、リンは自分の足をさすりながら思う。


 負の感情に屈して、大人たちの冷徹な判断に従うことが、果たして自分たちが望む事なのか。


「そんなこと、ライセンスを取った時から覚悟しています……」


 リンが硬い顔を上げて、教師たちに言った。


 中でも、キョーコとチィは目を丸くして、長机を支えに立ちあがる彼女の姿に震えた。


 教師たちも震える足で立ち上がるリンに驚いた。


「それくらいレースに、オートアスリートに命を賭けて挑んできた。だから、お願いします」


 どうして、オートアスリートに必死になってきたのか。なぜ、命を懸けてでも、上を目指していたのか。


 この場で言わなければ、きっと一生わかないままだ。


 リンの表情が徐々に真剣なものになっていく。


「チャンスを、わたしたちにチャンスをください!」


 お願いします、とリンは頭を下げる。長机に手をついて、不恰好に頭を垂れ、相手の返事を待った。


 それはハーマンたちにした後ろめたさはない。


 ただまっすぐに純粋な自分の願いであった。


「チャンスだと?」


 教師の一人が狼狽する。


 もはや、チャンスを与えたところで何ができるというのか。リンならなおさらのことだ。


「もう一度、レースに出させてください。そこでトップをとったら、授業の継続をお願いします」

「我々はレースが危険だと言ったんだぞ! 誰が許可できる?」

「だったら、いいもん! 勝手にあたしたちでチームを作る!」


 教師の言い分にアイが吠える。


「ば––っ!」

「あたし、別にレースできないならここにいる意味ないもん。学校やめてでも、オートアスリートを続ける」


 アイの交渉材料にもならないわがままに、教師たちは言葉を失った。


 そこにキョーコが畳み掛ける。


「スポンサーさんとの話はつけてある。学校がダメになったら、そのツテは使わせてもらうからな」

「せ、整備もお願いできるところを、探します、です」


 引っ込み思案なチィもたどたどしく続いた。


「まったく……」


 バルザックは彼女たちの意見に口元を緩ませる。


 彼女たちの主張はどこにも根拠や確証などない。ただ続けたい一心でその覚悟を口にしているだけだ。できる、できないで考えているのではない。


 やるか、やらないかで答えているのだ。


 そういう子達は行動するだろう。特にアイ・シマカワは一人ででも突っ走りそうな印象だ。


「それなら、技術顧問として僕も手伝おう」

「バルザック先生!?」


 これには、教師たちは驚くしかなかった。


「新しいチームができるなら、もはや学校活動の範疇ではありませんからな。だが、彼女たちはまだ未熟だ。責任の取れる大人が見てやらなきゃいけない」


 こうなっては教師陣も止めることはできない。


 そう思うくらい、アイとリンの真摯な態度は迫力がある。やる気のある生徒がいるのなら、その熱意に水を差すようなことはしたくない。


 彼らは顔を見合わせて、やがて教頭先生が代表して口を開く。


「わかった。ならば、ブレックスくんのいうチャンスを与えましょう」


 その言葉に少女たちは喜びとともに、真摯にその好意に感謝した。


「ありがとうございます!」


 リンが喜びの顔を上げて、また真っ先に頭を下げる。


「だが、レースでの優勝に加えてこちらからも一つ条件をつけます」

「な、なんでしょう……?」


 チィが恐る恐る尋ねる。


「マシーンは本校の備品を使うこと。それ以外のものは認めません。そのマシーンで走りきり、勝てば、あなた方の学習意欲と効果を認めて授業を継続します」

「あの子、〔スーパーエイト〕で……」


 アイがポツリと呟く。


「不満ですか?」

「いいえ。すごく嬉しいです!」


 教頭は嫌味のつもりで聞いたのだが、アイは満面の笑みで答えた。


 これには彼らもキョトンとしてしまう。


「なぜだね?」

「これまで、先輩たちが頑張って守ってきた子ですもん。たくさんの思い出が詰まったマシーンと一緒に走れるなんて、すごく嬉しいじゃないですか!」


 そんな乙女チックなことを言うアイに誰もが毒気を抜かれた。


「あなたは本当にオートアスリートが好きなのね……」


 リンは隣で笑うアイを横目に見ながら呟く。


             *       *       *


 午後になれば、選択科目の授業が多くなる。そのため、4月中は全学年が仮選択で決められた科目コマ数をこなせば、自由に授業を受けることができる。


 オートアスリートの授業はその日休講である。


 しかし、それを知っていてソフィ・ルルは一人ガレージにいた。


 居住スペースにある長椅子に腰掛けて、今しがた届いたメールを眺めていた。


「フフッ。アイ・シマカワちゃん、ね……」


 足を組んで、メールを素早く打つ。慣れた指先はすぐに文章を組み上げて、相手に送信する。その唇は可笑しそうに緩み、涼しげな瞳が細くなる。


「少しは楽しませてくれそうね。あとは––」


 と、ソフィはガレージに向かってくる人影を見つける。


 今やこの場所に来る生徒は少ない。開講している時ですら、冷やかしで覗く人ばかりだ。


 ただ、ソフィの印象に残っている生徒がいる。10名も満たない人数だ。


 そして、やってきたのはそのうちの3名だった。


「あら、メール読んでくれたの?」


 ソフィは立ち上がって、ケータイを下げながら出迎える。


「ごめんなさいね。まだ、先生たち帰って来ないみたい。悪いけど、今日の約束はなしってことでいいかなしら? 今度、お返ししてあげるから」


 その三人は首を横に振って、ここで待つという。


 ソフィは仕方ないと肩を上下して、三人を居住スペースに誘導する。


「今回は特別よ。ま、色々と話したいこともあったし、聞きたいでしょ?」


 彼女にとっては彼女たちの行動は予想の範囲内。


 3人の生徒は頷いて、さらにソフィは上機嫌になって緩んだ口元をケータイで隠す。


「フフッ。楽しみにしててね」とソフィは囁くように告げた。

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