第1-4話:当人たち次第

「リン先輩が誘拐されちゃいました!!」


 ガレージに戻って来たアイが慌てて叫んだ。


「え、ゆ、ゆゆ、誘拐!? あわわ」


 アイの気迫と誘拐という単語ですっかり混乱してしまったチィは涙目になりながら、「どうしよう」と繰り返し呟きながらガレージの中を練り歩く。


 対して、ケイトレットは驚きこそすれ取り乱した様子を見せなかった。


「見間違えではないのですか?」

「絶対そうですもん。正門前でサイドカーに乗った人がダダッとリン先輩を無理やり乗せて、ババーッと逃げてったんですもん」

「サイドカー、ですか……」


 ケイトレットはガレージにかかっている時計をみて、一つ息を吐いた。


「8時20分にもなれば、始業時間間近です。うちの生徒の誰かなのでしょうけど」

「え? え? 学校の誰かが誘拐したの?」

「チーフ。いい加減落ち着いてください」


 ケイトレットが諭すが、チィの顔色は真っ青で動転していていた。


「もしかして、やめた人が逆恨みで連れてっちゃったのかな?」

「きっとそうです。あたし、この子で追っかけます」


 ヒートアップするアイはチィにそう言って、駐車している〔スーパーエイト〕を指差した。


「ふざけたこと言わないでください!」


 これには、ケイトレットがアイにすっ飛んで行って、その指を掴む。力づくでその手を下させながら、彼女のキョトンとした顔を睨んだ。


 短絡的な発想を軽々しく口にして欲しくなかった。〔スーパーエイト〕のコンディションは、自分たちでも走れるかどうか怪しい状態だ。


 仮に走れたとしても、公道に出すのは危険すぎる。


「本当に誘拐だったとしても、できることと––」

「誘拐は本当なの!? だったら、早く支度するね」


 混乱したままのチィはすぐに〔スーパーエイト〕の準備に取り掛かってしまった。


「本当にもうっ! いい加減にしてください! 人の話をちゃんと聞いてくださいよ」

「時間がないんですよ。すぐに出発すれば、追いつけます」


 ケイトレットの手を振りほどいて、アイは〔スーパーエイト〕の背部シートに続くタラップに急いだ。


 ケイトレットがとっさに手を伸ばすが、アイはその手を軽やかに避けてタラップを駆け上っていく。


「根拠ありませんよね、それ」


 ケイトレットもいよいよ頭痛がしてきて額を押さえる。


 その横をフルフェイスヘルメットを持ったチィが横切り、タラップを上った。


「これ、ヘルメットね。無線が通じるから、それで連絡をちょうだい。あと、車検証とか、保険証券はこっちに入ってるから」

「ありがとうございます」

「ナンバープレートをつけるから、3分欲しいんだけど、大丈夫?」

「向かった方向はわかってます。あとは、こっちで探してみます」


 アイはヘルメットを被り、車検証などが入ったファイルを受け取ると、スカートの裾の合間にねじ込んだ。


 チィも頷き、すぐにタラップから降りて片付ける。


「本気なんですか?」

「時間ないの。ケイちゃんも手伝って」

「それよりも先に警察に連絡とか、ありますでしょう?」


 ケイトレットは進言するも、チィは聞く耳持たず、すぐにガレージに置いていたナンバープレートと工具を手にして、取り付け作業に入ってしまった。


 その手さばきは混乱している人間とは思えないほど、正確で素早い。


「あぁ、もう知りませんっ」


 ケイトレットは苛立った声をあげて、怒り肩で居住スペースに置いていた自分のスクールバックをひっつかんで外に出る。


 チィの悪い癖はすぐにパニックになって、周りが見えなくなってしまうことだ。普段は面倒見のいい先輩であるが、非常事態になると真っ先に冷静さを欠いてしまうのだから、後輩たちも心配になってしまう。


 それに付き合い切れない人が出てもおかしくなかった。上級生としての風格がない、というのは後輩から軽くみられても仕方のないことだ。


 だが、そういう時こそ誰かがそばに居ないといけない、という責任感がケイトレットにはあった。


 リーダー不在の穴をどうにか埋めようと思ってのことだ。


 しかし、自分では役不足だと痛感させられる。


 後ろ髪を引かれる思いで肩越しに様子を見ようとしたが、かぶりを振って前に向き直る。


「あれ? ケイじゃん? どしたの?」


 ケイトレットはガレージに向かってくる二人組の女子生徒を見て、ばつが悪そうに髪を掻いた。


「何ですか? ミミリアに……、ソフィまで」


 向かってくる二人はガレージとケイトレットを見比べて、何かを察したように互いにアイコンタクトをする。


 一人は軽くパーマをかけた髪の先を派手なネイルのついた指先でいじりながら、ストラップをジャラジャラとつけたカバンを肩にかけ直す。


「なんかあったっしょ?」


 ケイトレットは彼女、ミミリア・ミラッソに頷く。


「ええ。リン先輩が誘拐されたとかどうとかって、新入生の子が騒ぎましてね」

「それでチーフもいつもの悪い癖が出たわけ、ね」


 そういうのは、もう一人の少女、ソフィ・ルルだ。


 柔らかい金髪をアップにまとめ、青い瞳と薄紅色の唇が小悪魔のように笑っている。それから、ブレザーのポケットから使い古されたケータイを取り出す。


 ケイトレットはケータイを出すソフィから目を離して、盛大にため息をつく。


「そういうことです。あたしはもう疲れました」

「えぇ? あたしらだって疲れてるんだけど? 色々と話つけるの大変なんだから」


 ミミリアがむくれている横で、ソフィがケータイの画面をケイトレットに見せる。


「で? その誘拐がどうとかって言ってたのってこの子?」


 ケイトレットが画面を除くと、そこにはアイが息急き切って走る姿が写っていた。


「いつ撮ったの?」


 これには、そばにいたミミリアが疑いの視線を向けながら尋ねる。


「ついさっき。ほら、リン先輩、すごい勢いでキョーコのバイクに走ってったじゃない? あの時、後ろから追っかけてた子」

「やっぱり。キョーコのサイドカーですか」


 ケイトレットは予想が当たってほっと胸をなでおろした。


「キョーちゃんくらいじゃん、そんなの。チィちゃん先輩も言えばわかってくれたっしょ? 言わなかったの?」

「憶測で物を言うのは信条ではありませんから」


「あっそ」とミミリアは肩を落とした。


 ケイトレットの悪い癖は判断が慎重になってしまうことだ。相手を言葉で納得する術を自分から制限してしまう。


 ミミリアの態度を見て、ケイトレットが眉間にしわを寄せる。


 その2人を横からソフィは可笑しそうに笑って、ケータイで口元を隠す。


「慎重すぎるケイトレット。まぁ、それでお尻に火がついたチーフを止められるとは、期待してないわ」

「あなたは止められるの?」


 さぁ、とソフィははぐらかしてガレージの方に目を向ける。


 ケイトレットとミミリアも視線を向けた時、ガレージから爆音が轟いた。


「あらら、動くんじゃん」


 ミミリアがあっけにとられて言う。


 ケイトレットとソフィも神妙な表情で、ガレージの奥から出てくる巨大な影を見守る。


 フレームむき出しの〔スーパーエイト〕が立ち上がり外に出てくる。バイクの靴に備え付けられている油圧ロッドが車高を上げる。エンジンの音は幾度となく深呼吸を繰り返し、全身に電気の血を運ぶ。


 次の瞬間には、タイヤが回り出し、〔スーパーエイト〕は姿勢を低くしながら走り出す。不恰好に脚部全部で衝撃を減らし、バイクの動力だけで走行する姿は公道で走るスタイルである。


 ケイトレットたちは黙って、横間を過ぎていく〔スーパーエイト〕を目で追うばかりで止めることなどできなかった。


「あーあ、行っちゃった。てか、キョーちゃんの行き先わかってんのかな?」

「無計画、ですよ。考えずに走り出すんだから、もう」

「真面目なのも大変ね。お疲れ」


 ソフィはケイトレットの肩を叩いて、ガレージの方へ歩いていく。


 それで、ケイトレットは彼女には何か腹案があると思った。


「何か妙案でもあるんですか?」

「さぁ? どうだろう」


 ソフィははぐらかしながら、肩を揺らした。


 ケイトレットは一抹の不安を覚えながら、今は彼女を信じることにした。悪知恵がよく働く女子だ。良くも悪くも、人を動かすのがうまい。その手腕を考えれば、適任であろう。


「警察沙汰にならないようお願いします」

「もちろん。時間かせぎはよろしくね。ここで終わるのは、面白くないでしょう?」


 ソフィはすれ違いざまに言う。


 そんな二人を安心そうにミミリアは見ていた。


「結局こうなるんだから、毛嫌いしなくてもいいじゃん?」


 ケイトレットはそれを聞いて、口を尖らせると大股で歩き出す。


「ソフィに借りを作ることの面倒さをあなたは知らないだけです」

「そう? いいコンビだと思うよ? あたしら程じゃないけど」

「いつも三人一緒の方が変わっていますからね」


 ミミリアは負け惜しみのような彼女の言葉を聞きながら、踵を返して並んで歩く。


「ケイちゃんは参謀役が似合ってるよ。あたしら三人はそれを遂行する諜報部員、かな?」

「よく言いますよ。一人は問題児だと言うのに」

「それがキョーちゃんの魅力なの」


 二人はそう話しながら、校舎へと向かっていく。


 現状、彼女たちにできることはない。すでに〔スーパーエイト〕が出発してしまった以上は、変に動くとそれこそ自分たちが動けなくなってしまう。


 アイたちが問題を起こしてしまった以上、ケイトレットたちは対策を練らねければならない。後処理係だ、と彼女たちは強く自覚しているからこそ、今日まで行動することができたのだ。


「あとは、当人たち次第ですね」


 ケイトレットは今後のことを想像して、頭痛がしてきた。


 しかし、あとは行動の結果が出るのを待つしかない。


            *      *      *


 リン・ブレックスを乗せたサイドカーは州立カワアイ工業高校を離れて、街を抜け出した。


 あるのはまっすぐな道。進む先には地平線に並ぶジオラマのような街並み。高く昇った太陽と冷たい風がサイドカーを運転するライダーとサイドカーに座るリンを包む。


 リンは低い視点から見える景色と横に聞こえるエンジン音が新鮮で、心地よく思えた。


 牧草地を縦断する道を超えて、丘を登れば、数キロ離れた隣町が見えてくる。街といっても低い民家とまばらな商店がひっそりと並んでいるだけだ。


 サイドカーは小さな街をゆったりと走り、やがて街外れのコンビニに停車した。


「ねぇ、キョーコ? どうして、わたしを連れ出したの?」


 リンはヘルメットを取りながら、バイクに跨っているライダーに問いかける。


 キョーコ、と呼ばれたライダーはフルフェイスのヘルメットを取っていう。


「それは、先輩が追われてるなって思って……」


 純白の肌、色素の薄いまつ毛と眉が困ったように下がる。熱帯魚のように毛先が赤く染っている白髪、そして、淡い桃色の瞳が揺れて、彼女は薄紅の唇を尖らせた。


 ブレザーの下にパーカーを着込み、スカートから見える足は黒いパンストを履いている。


 リンは見慣れた彼女、キョーコ・スコルの容姿に安堵してヘルメットを膝に置いた。


「どうして?」

「そりゃ、やめた連中が逆恨みで、とか?」

「突拍子も無い。そういう人が白昼堂々追い回すと思う?」


 リンの言い分に、キョーコは言葉を詰まらせてフードをかぶる。それから、ブレザーのポケットからレンズの色の薄いサングラスをかけた。白い髪や肌、桃色の瞳は人の目を引く。それを嫌って、彼女は容姿を隠しているのだ。


「けど、ありがとう。心配してくれたんだね?」

「べ、別に。ただ先輩にはでっかい恩義があるッス。それだけ––、それだけッス」


 キョーコが意地を張って反論していると、彼女のケータイが鳴った。


「スンマセン。ゲッ、ソフィから……」


 キョーコの露骨に嫌悪する声に、リンは小さく息を吐く。


「代わりに出ようか?」

「た、助かるッス。あたし、ちょっと中でメシ買ってきます」


 そういって、キョーコはケータイをリンに預けるなり、そそくさとコンビニにいってしまった。


「素直じゃないんだから」


 リンはキョーコのわかりやすい態度に微笑して、ケータイの着信ボタンを押した。


「ハロー。よろしくやってる?」


 受話器の向こうからソフィ・ルルの気だるげな声がする。


「もしもし、久しぶりね。ソフィ」

「あらら、あなたさんでしたか」


 これはびっくり、と言いつつソフィ当人が対して驚いていないのはリンからもわかった。


「まぁ、いいです。ところで、今どこにいますか?」

「隣町のコンビニよ」

「ペルペトの方ですか?」

「いいえ、逆のミサリアにきてるわ」


 なるほどー、と間延びした返事がソフィから溢れる。


 リンはソフィ・ルルと親しい間柄ではない。それだけに彼女の本心を推移するのは難しかった。


「以外と近いですね。それなら、まぁ何とかなるかもね」

「何とかなるって?」

「ええ、一年生ちゃんが整備途中のマシーンで飛び出しちゃいましたから大変なんですよ」


 それを聞いて、リンは驚いて目を丸くした。


 一年生といえば、アイしか思い浮かばない。そして、整備途中のマシーンは〔スーパーエイト〕しかない。


 ケータイを握る手が震えた。不安半分、期待半分。


 不安は自分の行動が人を巻き込んだことへの後悔から。しかし、期待は何故なのかリン自身もよくわかっていなかった。


 もうオートアスリートには関わらないと決めていたはずなのに、胸の奥が震える。


「誘拐された先輩を助けるんだーって。すごいですよね?」

「ええ。けど、それは誤解よ。わたしは大丈夫だって、あの子に伝えて。〔スーパーエイト〕の無線は使えるでしょう?」

「もちろん。けど、こればかりはあなたさんに頼むしかないんですよ?」


 ソフィの言葉がトゲのあるものに変わる。


「どうして?」

「わかってるくせに。こっちも時間稼ぎとかで忙しんですよ。というわけで、協力してもらえませんか?」


 リンはソフィが嘘を言っているようには聞こえない。


 ただ含みのある言い方がどこか引っかかる。しかし、疑う理由もない。思い返せば、自分が発端なのだ。責任を取れ、と彼女は言っているのだとリンは思った。


「わかった。迷惑をかけて、ごめんなさい」


 受話器の向こうからソフィの声が途切れる。


 何を思っているのか、リンにはわからない。怒っているのか、蔑んでいるのかも何一つ掴めない。


 と、吐息のような笑った声がかすかに聞こえた気がした。


「いいえ。むしろ、感謝しますよ。では、待っててくださいね」


 ソフィとの通話はそこで切れた。


 リンはため息をついて腕を伸ばす。どっと疲れが吹き出してきて、脱力感に任せて腕を下ろす。


「よくわからない子……」

「ん。先輩、電話どうだったスか?」


 すると、コンビニからカップ麺とビニール袋を持ったキョーコが出て来た。


「ソフィからだった。ここで待つように言われたわ」

「他に、何か言ってました?」


 彼女はサイドカーの出っ張りに寄りかかり、ビニール袋を置く。そこから牛乳とコーヒーの缶を出す。


「別に何も。一年生の子が、〔スーパーエイト〕で学校飛び出しちゃったんだって。わたしが誘拐されたって勘違いしちゃったらしくて」

「それは……、ヤバイッスね」


 キョーコは辟易した表情を浮かべつつ、リンからケータイを受け取る。


「どっち飲みます?」


 ジュースを勧めるキョーコはリンの顔色を伺った。


 あまり自身を責めて欲しくない。リンが人一倍責任感を感じているのは、キョーコも知っていた。こうして連れ出してしまった手前、前向きな気持ちになってほしい。


 そんな彼女の視線を感じながら、リンは少し迷ってコーヒーに手を伸ばした。


「ありがとう。コーヒー、もらうね」


 コーヒーを手にすると、空いた手で通学カバンを開けようとする。


「ああ、金はいらないッス。おごりってことで。早とちりした詫びッス」


 キョーコの早口に、リンは手を止める。


「ごめんね。学校あるのに、こんなにしてもらって」

「いや、あたしは別にバックれるくらい––。先輩こそ、大丈夫なんスか?」


 その質問に、リンはぎこちない笑みを作った。


「いいの。先生たちも迷惑そうだったし」

「そうッスか」


 それっきりしか言葉は思いつかず、キョーコはカップ麺の蓋を開けて袋からプラスチックのフォークを取り出す。そして、逃げるようにしてカップ麺を食べ始める。


 気の利いた話題を、と思うもなかなか出てこない。


 リンもコーヒーを飲み始めて、しばらく二人の間に会話はなかった。


「ねぇ、キョーコ?」


 と、リンが口火を切った。


「みんな、この半年どうしてた?」

「どうもこうも––」


 キョーコはカップ麺のスープを一口飲んで気持ちを整える。


「先輩が事故った後は授業受けるヤツが少なくなって、ずっと〔スーパーエイト〕の整備してたッス」


 それなのに、と怒りを含んで続ける。


「やめた連中、本来取れる単位がどうのこうの言うし。訳わかんねぇこというクズがでやがって。ここら一帯も変な連中が増えたのも、あたしらのせい。変な当てつけが増えたッス」

「変な連中?」


 リンは初耳のことに食い入るように訪ねた。


「どっかのチームがシマ荒らしに来てるみたいッス」

「あ、と。シマ荒らしってどういう意味?」

「あぁ……。この辺ででっかい音で走り回ったりとか、迷惑かけてるってとこッス」


 そんな感じ、とキョーコは肩を上下させた。


 リンの表情が険しくなる。


「どうして、そんなことに?」

「あたしらがレースに復帰するのが目障りなんじゃないかってソフィとケイは言ってたッスけど」


 リンは胸が締め付けられるような痛みを覚える。


 すでにボロボロのカワアイ工業高校のチームをさらに追い詰めるやり方。弱っているところを潰しにかかる場外工作など容認できるものではない。


「なんて酷い……」

「タチが悪いのは、今年の一年がどうも一因らしいッス」

「それって、アイちゃんのこと?」


 リンがアイの名前を口にすると、キョーコはたぶんと頷く。


「あたしも直接あったことねぇけど、センコーの話だと……」


 一度そこで言葉を区切り、キョーコ自身も半信半疑といった様子であった。


「プロライダーの娘だってさ。自分もプロになりたくて、ウチの学校に来たみたいッス」


 リンはぽかんと開いた口が塞がらなかった。


「プロって? 現役の?」

「そこまでは知らないッス。だから、尾ひれついた噂が一人歩きして、ウチのチームを目の敵にする連中が増えたんじゃないかって話です」


 キョーコもあまり納得していない様子で、牛乳パックにストローをさして一口飲む。


「大変だったね……」

「他人事みたく言わないで欲しいッス。周囲からくだらないプレッシャーかけられて、チィ先輩は落ち着きないし、ケイもイライラしっぱなしで、まとめる人がいないんスから」


 がっくりと項垂れるキョーコを見ては、リンも表情を曇らせてしまう。


「でも、リン先輩が復帰すれば問題解決ッスね」


 リンの心境を知らないキョーコは空を見上げて、希望に満ちた笑みを浮かべる。


 オートアスリートを辞めるわけがないと信じている。リン・ブレックスはキョーコにとって憧れであったし、恩人だ。そんな彼女が逃げるはずがない。


「……」


 リンはキョーコの笑顔を見ては、違うと否定できなかった。無理だと伝えられなかった。


 自分の気持ちを打ち明けられないから、かつての人は一人勝手に自滅してしまったと言うのに。


 自分の弱さを打ち明けられなくて、虚勢を無理に張ってみんなから信頼されたい。失望されて、自分の周りから人が離れていくのが怖い。


 俯いて煩悶としてると、けたたましいエンジン音が聞こえてきた。


「なんか来るッス」


 キョーコが警戒して、サイドカーから腰を浮かせる。


 リンも重たい頭を動かして、後ろを振り向く。


 息巻くような排気音はオートアスリートのもの。〔スーパーエイト〕が来たのだろう、とはじめこそ思った。


 だが、耳を突き刺すような鋭い音が彼女たちの不安を大きくする。さらに注意深く聞けば別の音も混ざっている。


「運悪すぎ」


 キョーコが悪態をついた時には、隣の民家からひょっこり見えるオートアスリートの頭が彼女たちに気づいた。


 コンビニの前にでてきた全身像は黒豹のようにしなやかで、バネの強そうな脚部で道路を蹴って駐車場に入って来た。その後ろからワゴン車とバイクが数台続く。


 あっという間にキョーコたちを囲って逃げ場を塞ぐ。


「キョーコの言ってた人たち?」

「はい。〔シュバルツ・レパード〕なんてスカした車乗ってるヤツらは、アイツらしかいないッス」


 キョーコはサイドカーの後方に立つオートアスリート〔シュバルツ・レパード〕の赤い単眼を睨みつける。


 その巨体があざ笑うかのように見下ろし、脅かすように排気音を轟かせた。

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