第1-2話:エンジンテスト

 州立カワアイ工業高校は恒星間宇宙船やワープトンネル装置から電子レンジやミキサーまで幅広い機械工学を学ぶことができる。


 受ける授業は自分で組み、必要単位を取得していく教育課程を採用している。大学課程に近いだろうか。そのため、様々な施設が立ち並び、少数での研究授業も行われいる。


 その中でオートアスリートを選択授業として取り入れている。


 リンと別れたアイは迷わず、その授業が行われる専用ガレージに向かった。


 校舎の裏手。遮蔽物のない開けたコンクリートのスペースに、ポツンとL字型のガレージが立っている。長方形のマシーンガレージに、居住スペースとなる小屋がくっついているような感じだ。


 すでに誰か来ているのか、居住スペースの方では日よけが張られている。


「おはようございますっ!」


 アイは日よけを潜って、居住スペースに入る。


 長机に長椅子、正面の壁にはコルクボードがあり、学校からの知らせや写真が貼られている。横に目を向ければ、ホワイトボード兼用のスクリーンが掛かっている。天井は、むき出しの梁に固定されたプロジェクタとそれを繋げるケーブルが埃を被っているのがわかる。


 座学に必要そうなものはそれくらいで、他には魔法瓶、紙コップ、お菓子の詰まった瓶が置かれている。教室というより部室という感覚に近かった。


「誰もいませんかー?」


 アイは周囲を見渡して、足音と声をひそめる。


 マシーンが駐車されている隣のガレージからは、カタカタと機械的な音が聞こえてくる。しかし、アイに気づいていないのか、反応はない。


 彼女からもホロを被った駐車中のマシーンが視界を遮っており、誰がいるのかわからない。


「……これ、いただきますねー」


 アイはコルクボードの側にあるカラーボックスに無造作に置かれたキャンディの詰まった瓶の蓋に手をかける。瓶のラベルには『先生用の!』と注意書きがされていた。


 しかし、入学して来たばかりのアイはこの教室のルールをよく知らない。それで歯止めが聞けばいいのだが、お腹をすかせた彼女には一粒の飴玉も魅力的に写り込んでしまう。


 と、アイが蓋を開けようとしたところで、奥のドアが開いた。


 アイはびっくりして背筋を伸ばし、その方向に目を向ける。


「うんしょ……。あ、アイちゃん」


 背中でドアを押しながら、雑誌を抱えた少女がいう。


 短い髪を後ろで束ね、古びたキャップで隠れた顔は少し幼く見えた。それでも体つきは女性らしいラインを浮き彫りにして、着ている制服が不釣り合いに感じられる。


「おはようございますっ、チィ先輩」


 アイは長机に雑誌を置く彼女、チィ・フゥに挨拶して咄嗟に両手を後ろにくんだ。しかし、その視線はチラチラと飴玉に向けられていた。


 その様子をチィはすぐに察して、笑みを浮かべる。


「おはよう。先生には内緒、だよ?」


 アイはそれを聞いて目を輝かせると、満面の笑みで返事をしてお菓子瓶から飴を一つとって口に放り込んだ。


「んー。甘いですっ」

「よかった。それにしても、朝早くに何かご用?」

「いいえ。ただ、〔スーパーエイト〕を見たいなぁって」


 アイは頰に大玉の飴を頰に追いやりながら返答する。


 選択授業はまだ仮決定の段階であり、5月以降に本決めとなる。仮入部期間のようなものだ。新入生の希望調査は学校側にとっても、今後の教育方針を決める上で重要であるため、慎重にもなる。


 チィは帽子のつばを下げながら、マシーンガレージ側に回るアイを目で追った。


「まだ仮決定期間なのに熱心ね」


 その目が一瞬コルクボードに貼ってある集合写真に止まった。ほんの半年前に授業を受けていた仲間たちで撮ったものだ。


 その人たちの笑顔に、チィは胸を押さえて目をそらした。


「だって、オートアスリートをやるためにこの学校に決めたんですもん」

「そうなんだ。さすが、プロレーサーの子だね」


 チィはアイの元気な声に顔を上げて、マシーンガレージに足先を向ける。


「はい。絶対お父さんみたいになるって決めてますもん」

「シンジロー選手。有名な人だったからね」


 チィはマシーンの前に立つアイの横に立って、被せているホロに手を伸ばす。


「そういう人の、アイちゃんがいればこの子も安心だよ」


 ホロを手繰り寄せて、腕の中で丸めていく。


 次第に、駐機しているマシーン〔スーパーエイト〕の全貌が徐々に明らかになる。


 足を少し曲げて、腰を下ろし、背部のシートにもたれかかるようにして車体を支えている。カウルは外されて、今はほとんど骨組み状態だ。剥き出しの内部構造は繊維状の人工筋肉と各種ケーブルが、車体を支える骨組みに絡みついている様相は人体構造を強く意識した構成だ。


 足先にはまだ調整中のバイク型の靴モトスパイクがあり、そこから美しく伸びる脚線美を目で追っていく。脚部は特に損傷が酷かったらしく帯電テープが包帯のように巻かれて、人工筋肉をまとめ上げている。お腹は蛇腹の空冷ファンが備えられ、胸には吸気口が二つと心臓のエンジンとそれに連なる発電機が繋がっている。


「ごちゃごちゃですね」


 アイは実直な感想を述べた。


 それから肩から肘、腕へと降って地面に着いた五本指のマニピュレーターを眺めて顔を上げる。


〔スーパーエイト〕の頭部はかろうじてヘルメットのようなカウルが充てがわれているが、その瞳は暗いまま俯いている。


「色々バタバタしてたから、なかなか、ねぇ?」


 チィの困った声はアイにではなく、マシーンガレージの奥にいるもう一人に向けられたものだ。


 アイはちょうど短い背部シートの外装を撫でて、車体の背後に回るところで端っこのスペースに目が止まる。


 そこには、3台のモニタが並んだエンジニアデスクがあった。古びたリクライニングチェアがクルリと回り、そこに座るメガネの女子生徒が不満げに言う。


「事故車なんですから、当然ですよっ」


 アイはその怒鳴り声に驚いて、目を丸くした。


 しかし、メガネの女子生徒は閉じた唇を歪め、アイなど眼中にないとばかりにメガネを取ってクリーナータオルでレンズを拭き始める。


 ボサボサな黒髪で、薄い化粧、神経質そうな鋭い瞳はメガネがないと一層切れ長に見える。飾りっ気もない。おしゃれっけもない。かといって不衛生でもない。キチッと制服の着こなしが、彼女の生真面目さを物語っていた。


 アイが立ち止まっていると、背後からチィが申し訳なさそうに肩をすぼめて前に出る。


「そ、そんなに怒らないで、ケイちゃん。車検は通ったんだから……」

「言いますけど、まともな運転はしてないんですよ」


 メガネの女子生徒、ケイこと、ケイトレット・リーファンは深いため息をついて、メガネをかけ直す。


 そこでようやくアイに目を配らせて、チィに向き直った。


「それに、その子、本当に信用するんですか? あんなこと……」


 これにはアイも口元を尖らせて不満をあらわにする。


「嘘じゃないですもん。シンジロー・シマカワはあたしのお父さんで、元プロレーサーで––」

「数年前には第828回コスモグランプリの総合優勝を飾った指折りのライダー」


 ケイトレットはアイを手で制して、彼女を睨んだ。


「その奥さんはチームの監督。落ちぶれていたチームを復活させたヒーローたちだった、でしょう? 聞き飽きました」

「ケイちゃん、言い方が……」


 チィの消極的な制止を無視して、ケイトレットは一層険しい目つきで微動だにしないアイを見据える。


「それで自分もできるって思っているのなら大間違いだと言っておきます。それに、その総合優勝をした年に、夫婦揃って引退。引退理由が『レースが怖くなった』じゃ納得できるものでもありません。世間じゃ、勝ち逃げの臆病者じゃないですか?」

「臆病者じゃないです! ちゃんと理由があるんです」


 ケイトレットはアイの怒りが本気だと思った。


 アイの両親は揃ってオートアスリートのプロチームにいた。その実績はケイトレットが述べたように華やかな戦績である。シンジローという名前を聞けば、往年のオートアスリートのファンやプロライダーたちは、天才の二文字で賞賛するだろう。


 そんな彼が、まだ20代半ばで引退を表明した。腑に落ちない点が多く、週刊誌などはこぞってこの話題に尾ひれをつけて面白がっていた。


 そのことをアイはどう思っていたのか?


 ケイトレットはそこまで考えたが、アイが今にもドカドカと言い出す前に気持ちを切り替えた。


「だとしても、です。親の名前を言いふらすだけでは説得力ありませんよ」

「だって、それは––––、自慢のお父さんとお母さんで。あたしのヒーローだからです」


 アイの悔しげな声に、ケイトレットもチィも押し黙った。


 幼い言葉だったが、アイにとっての真意であると感じる。


 かつて、自分たちが1人の『天才』に甘えていたように、心の奥底で複雑な想いを抱えているのだろう。


 すると、チィが手を膝に置いて背の低いアイの顔を覗き込んだ。


「ねぇ、アイちゃん。この子のエンジンテスト、手伝ってくれる、かな?」

「え、いいんですか!」


 アイはパァッと笑顔になって、チィにキラキラした瞳を向ける。


 チィは大丈夫だよ、と頷いてから、ちらりとケイトレットの方を確認した。


「どうぞ、チーフの判断ですから」


 ケイトレットはチィにそういって、モニタに体を向けて、手元のキィボードに指をのせる。


「やるんでしたら、データリンクを忘れないでくださいよ?」

「ええ。ケイちゃん、サポートお願いね」

「仕事ですから」とケイトレットはぶっきらぼうに答えた。


 チィは少し困った顔をしたが、背筋を正すとアイに向き直る。


「ケイちゃん、生真面目だからちょっと厳しいことを言うかもだけど、嫌いにならないでね?」

「それはまぁ……。でも、ちょっと考えます」


 アイは偽りなく、答える。


 それにはチィもやっぱり気難しい表情を浮かべてしまう。しかし、根本的に2人がだと思った。


「そう……。でも、きっと仲良くなれるよね? 今は、うん。エンジンテストしよっか?」

「はいっ。頑張りますっ!」


 アイは元気に答えて、すぐに側にあるタラップを引っ張ってきて〔スーパーエイト〕の背部に設置する。


 チィはさっさと制服も、荷物もそのままに登っていくアイに驚いて、おどおどと目で追うことしかできなかった。


「あ、アイちゃん。エンジンテストって言っても、ちょっとだけだからね? 走ったりとか、フルスロットルとかはダメだよ! 車検もギリギリだったみたいだから」

「わかってますよ」


 アイは制服姿のまま、ハッチの開閉バーを回す。


 背部の上半分が後ろに向かって開き、全貌を明らかにした。


 シートはライディングスタイルであり、中型バイクがロールケージとそこに張り付いたモニタに囲まれている装いである。


 アイがロールケージに足をかけて、上部ハッチに手をかけながら中をマジマジと観察する。シート全体がコントロールシステムであると同時に、モーターアスリートの自立型コンピュータそのものである。


 座席の前にはハンドルにはパッシングやウィンカーボタンなどのボタンがあり、またアナログなタコメータに小型のデジタルディスプレイが装備されている。ステップやシフトペダルは真新しい輝きを見せている。


〔スーパーエイト〕のボロボロの車体よりも、ずっと整備が行き届いていた。


「アイ、動かすんなら、これ!」


 と、アイが内装に綺麗さに微笑んでいると、ケイトレットがあるものを投げ渡した。


 アイはロールケージを掴んで、体を投げ出す。大きく逸れて飛んできた光るものを不安定な体制でキャッチすると、ポールダンサーのようにくるりと体を回す。


「これ、鍵ですか?」


 掴んだ手のひらを広げれば、古臭い金属の鍵だった。


「学校の所有物だから、そうなの。電子制御のイグニッションだと誰だって勝手に乗り回せるからって」

「なるほどです。それはそうですね」


 アイは納得して、シートに跨る。


「ああ、アイちゃん、ちょっと待って。やり方––」


 チィが待ったをかけるが、アイの行動は早かった。


「大丈夫です。おばあちゃんの家にあったのと、おんなじですから」


 受け取った鍵をハンドル下の差込口に差し込んで回す。


 瞬間、車体が大きく震えて、爆発しそうなエンジンの鼓動が響きだす。その音はガレージに転がるネジが跳ね上がり、壁にかけてあるレンチやラチェットが小刻みに震えだすほどだ。


「エンジン始動確認。動きましたよ! 動きました!」


 アイはデジタルディスプレイに指先を滑らせて、車体に問題がないことを確認する。しかし、声を張り上げなければエンジンの轟音に人の声などすぐに飲み込まれてしまう。シートを包むディスプレイにも光が入り、ガレージ内を投影する。


「動いた!? ケイちゃん、どう!」


 チィはアイの声を聴きながら、ケイトレットのいるデスクへと回った。


 背部に伸びるマフラーの排気に帽子を抑えながら、そこから出る鼻の奥をつくガスの臭いが正常だと感じた。


 ケイトレットは離れていても伝わってくる熱風に、ボサボサの髪を軽く搔き上げる。


「彗星燃料の燃え方も大丈夫そうだよ。嫌な臭いとか、音はしないもの」


 彗星燃料は彗星から取れる結晶体を液化したもので、化石燃料に近い性質を持っている。そのため燃焼後の排気には、鼻を突く刺激臭が含まれており、不完全燃焼だと排気管か、排気口近くで火花が弾け、焦げた匂いがするのだ。


「チーフの鼻と耳は信用します。けど、エンジンだけですっ。手足までは電力供給はしてませんよ! あと冷却はどうするんですか?」


 チィはケイトレットの耳元に顔を寄せて、モニタを一瞥する。


「こっちでやるっ」


 チィは急いでデスクを離れた。


 オートアスリートは彗星燃料を燃やしてエンジンを動かす。それを動力源として、ギアボックスを挟んだ発電機に回転を伝達し電力を生み出す。火力発電の原理に近いだろうか。


 冷却には本来、走行中の空気よって冷やされた冷却材がエンジンや各アクチュエーターをクールダウンさせる。


 ケイトレットがマシーンの正面に回るチィに叫ぶ。


「いいんですか? 燃料代だってあるんですよ!」

「いいの! あとちょっとなんだから––」


 チィはマシーンガレージのシャッター開閉ボタンを押して、続いて片隅に置かれているファンと電源を確認する。


 ファンは横に寝かせた円筒状のものでキャスターで簡単に動かすことができる。


 シャッターが軋んだ音を立てて上がるとともに、チィは急いでファンを〔スーパーエイト〕の腹部まで運ぶ。そして、スイッチを入れて強風を一気に冷却ファンへ送り込む。


「やっと、元に戻れる……。そうでしょう?」


 チィは真剣な眼差しで、光のない〔スーパーエイト〕の暗い顔を見上げる。


 事故から半年。たった半年しか経ってない。だというのに、崩れ去ったコトが多すぎて、全てが元どおりという訳ではない。


 その最後の希望は今、鋼の心臓を必死に動かす〔スーパーエイト〕にある。


 一際大きなエキゾースト音が、打ち上げ花火の連続のように澄んだ青空にまで轟いた。まるで、誰かを求める叫び声のように、遠く響き渡った。

 


 


 

 

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