第1話:オン・ユア・マークス

第1-1話:歩かされる人生

 リン・ブレックスはふわりと腰を浮かせた振動で目を覚ました。


 目に入ってきたのは巨大なフロントガラス。その向こうでは緑色の湿地帯と花束のように纏まった針葉樹、緩やかな灰色の上り坂がゆったりと流れていく。


 それからふと視線を横に移せば、少し下がった位置にある運転席で制服を着た人型アンドロイドが大きなハンドルを握っている。


 うとうとと目を瞬かせて、リンは携帯電話ケータイをカーディガンのポケットから取り出して時間を確認する。


「7時ちょっと……。バスだとこれくらいなんだ」


 リンは背もたれに体重を預け、徐々に体が起き上がっていくの感じた。


 バスが緩やかな坂を超えて、今度は丘陵を下っていく。視線をあげれば、民家の屋根や放牧された牛や羊たちが見えてきた。


 すると、一台のオートバイが颯爽と追い抜き、瞬く間に街中へと姿を消していく。その動きをリンは自然と目で追っていたが、ふと我に返って唇を固く結って視線を外す。


『まもなく、ペルペトです。お降りの方は停車ボタンを押してください』


 アナウンスが流れ、リンは目的地の手前の街だと確信し、一度後ろを確認する。


「誰も、乗ってないか……」


 乗客はリン一人だけで後ろの席は空席だらけ。朝の陽ざしが差し込んでいるのがよくわかる。


 視線を横車窓に移すと、ちょうど街角から勢いよく女の子が飛び出してくるのが目に入った。


 リンと同じ制服だ。つんのめりながら曲がると、バスを追うようにして全力疾走している。スカートがめくれようとお構いなし。小さな体で歩道を走ってくる。


「乗るのかな……、あの子?」


 徐々に彼女の姿が後ろに流れされて、大通りに出るころには車窓からは見えなくなっていた。


 しばらくして、バスの停留所が見えてきた。待っている人はおらず、リンも降りるつもりはなかった。


 だが、後ろ髪を引かれて今一度振り向いた。


 その目に飛び込んできたのは、風のように大通りを横切り体を傾けながらも全力疾走する少女の姿。


 その姿が〔スーパーエイト〕のコーナーワークの動きと重なった。果敢に攻める走り方で、速さを求めるフォームだ。


 リンはかぶりを振って、くだらない連想だと否定する。


 しかし、その意識が大きくなるとともに、バスのエンジン音まで大きく聞こえてきた。


 胸の内が苦しくなる。あの時と同じように、息までも苦しくなってくる。


 次には嫌な記憶が蘇りそうになり、リンは目を背けて思わず停車ボタンを押した。


『次、止まります』とアナウンスが流れる。


 エンジンの音が小さくなると、動悸も徐々に治ってリンも一息つくことが出来た。


「もう忘れたいのに……」


 リンは呟いて、スカートの裾を強く握りしめる。


 半年前の事故。それは彼女の心身に深い傷を残した。その傷が彼女の胸を締め付けて勇気を奪ってしまう。


 停車ブザーが鳴り、バスの扉が開いた。


 運転手のアンドロイドは何も言わない。黙って、降車するお客を待った。


 しかし、リンは動かなかった。


『発車します』とアナウンスが流れ、ブザーが鳴る。


「ああ! 乗りまーす! 乗りますよ!」


 そのとき、閉まるドアの向こうから先ほどの少女が間一髪、車内に飛び込んできた。


 騒音を撒き散らして、小さな体が転がる。


 リンも驚いて顔をあげて、少女の方に目を向ける。


 お尻が上がって前転に失敗したような態勢。気まずそうに手を振る仕草が、リンには幼げに見えた。


「あはは、どうもです」


 少女は足の合間から、罰の悪そうな笑みをのぞかせた。


『無理なご乗車はおやめください』と機械のアナウンスが淡々と告げてバスを出発させる。


 それに合わせて、少女もころりと体を横に倒して、立ち上がった。揺れる車内で一瞬足元がふらつく。


「あ、大丈夫?」

「平気ですっ。鍛えてますもん」


 リンの声に、少女はガッツポーズをして見せた。


「そう……。そうなの?」


 天真爛漫な彼女に気圧されながら、リンは彼女を改めて観察した。


 150センチあるか、ないかの小さな背丈で、真新しいだろうブレザーの袖口も手のひらを半分覆っていた。短髪童顔ともあって、中学生に思えるほどだ。


 しかし、その右目。縦一直線の深い傷跡がアンバランスに刻まれていた。


「ところで、あなた一年生? 朝早いね」

「はい。アイ・シマカワですっ。今日から念願の授業に出られるんです。楽しみでつい早出しちゃって。先輩さんもですか?」


 少女、アイは背負っているリュック共々その場で跳ねながら、目を輝かせてリンに質問する。


 活き活きとした表情に、リンも彼女の傷跡のことを忘れて肩の力を抜いた。


「いいえ。わたしは……、まぁ習慣かな。今日復学なの」


 そこまで言って、暗い話だと思いとどまり、リンも笑顔を作ってアイの顔を見た。


「自己紹介、まだだったね? わたし、リン・ブレックス。三年生よ」

「よろしくです、リン先輩」

「アイちゃんはこの辺の出身? うちの学校、いろんなところから人が来るから楽しいよ」


 無難な話題を振りながら、リンはアイの反応を待った。


 すると、アイは楽しげに口元を緩める。


「あたし、すっごく田舎から来たんです。第5恒星系。畑と小山ばっかりでした」

「そうなの? 第5恒星系ってことは、それはまた、遠くから……」


 リンは彼女の出身を聞いて驚いた。


 アイの出身は人類が最後に到達した生活圏であり、開拓が途中で断念された辺境である。何億光年も彼方の星から、彼女はやってきたのだ。


「はいっ。ここはすごいですね! バスが走ってて、家もたくさんある。あっ、それに一日中やってるお店まであるんですよね! さすが都会ですっ」


 アイは興奮して、胸の前で手を合わせる。


「本当に田舎から来たのね……」


 リンは幼子のようにはしゃぐアイに同情の年を抱いた。


 今、彼女たちのいる第3恒星系は確かに第5恒星系に比べれば、都市化が進んでいる。しかし、それは入植拠点となった地域くらいのもので、リンたちの生活圏近辺はのどかな自然が残る片田舎だ。


「けど、ここもそんなに都会じゃないのよ?」

「へ? そうなんですか? てっきりサーキットも近いから、そうかと思ったんですけど……」

「サーキット、ね」


 リンは言葉を詰まらせて、視線を外す。


 しかし、アイはそんな彼女の困惑を気にもせずおしゃべりを続ける。


「リン先輩は知ってるかもですけど、この近くにオートアスリートのサーキットがあるんです。ああ、早く行ってみたいなぁ」

「そうなんだ……。わたしは、その、あんまり興味ないから……」


 リンは自分に嘘をついて、胸が痛んだ。


 オートアスリートにはもう関わりたくない。だというのに、後悔の念はいつまでも続いている。事故のトラウマからか、ずっと踏ん切りがつかない。


 リンの尻すぼみな声に、アイも疑問に思って改めて彼女を見た。


 彼女の座る座席。その窓側に一本の杖が掛かっているのが目に入る。それだけでなく、もう少し下に視線を下げれば、サイハイソックス、腰には無線機のようないかついポーチがいくつか確認できる。


 それらを見て、アイはなるほどと一人納得した。


「だったら、今度一緒に行ってみませんか? きっと楽しいですよ」

「え? いいえ、遠慮しとくわ」

「大丈夫ですよっ。オートアスリートの走るところ見たら、元気が出ますもん」


 リンは初対面の人にズケズケというアイの無神経さに不快感が増してくる。


 が、アイは良かれとばかりに傷跡のついた顔で笑っていう。


「足が悪くったって、楽しめますよっ」

「あなた––ッ! 言ってはいけない事の区別もつかないの!?」


 リンは能天気な一年生に怒鳴って、怒りを込めて睨みつけた。


 足が悪くても楽しめる、と軽々しく言って欲しくない。何より彼女の楽観的で自信に満ちた態度が気にくわない。


 さすがのアイも半歩下がって仰け反った。その表情もみるみる落ち込んでいく。


「ごめんなさい……。あたし、そういうつもりで言ったんじゃなくて、です」

「はぁ……。あなたも高校生でしょう? 少しは相手の気持ちも––、いいえ、そういう事じゃないのよね。きっと……」


 リンはしゅんとするアイを見て、彼女がなんら悪意があったわけでないのを察した。


 少しムキになりすぎたか、と反省しながら窓の向こうに視線を向ける。すると、小高い丘の上に彼女たちが通う学校の校舎が見えてきた。その周囲にはグラウンドやプレハブ小屋が並んでいる。


「悪気がなくったって、人を不快にさせることもあるの。他の人にはそうしないように、ね?」


 リンは窓にかかっている杖をとって、停車ボタンを押す。


「はい。ごめんなさい」


 アイは顔を向けてくれない先輩に申し訳なさそうに頭を下げて、謝罪を口にする。しかし、リンはとうとうバスが学校の停留所ついても顔を合わせてはくれなかった。


 バスが停車すると、リンは腰に巻いているポーチの一つに手を伸ばし、スイッチを入れる。すると、両足につったような痛みが走る。


 顔を顰めて、リンは杖と肘掛を支えに立ち上がる。サイハイソックスがポーチから送られてくる電力を得て、彼女の足を無理やり緊張させる。


 リンが身につけているガーターベルトは歩行補助装置である。サイハイソックスは神経伝達が不十分な筋肉に電流を流し、緊張状態を作る。その電源かつ制御装置がポーチにある。制御装置は杖に頼らなくても、歩くことも走ることも可能にしてくれる。


 だが、それをリンは快く思わない。


「あの、手伝いますか?」


 アイが心配そうに手を差し伸べるが、リンはどうにか立ち上がって無視する。


「結構よ……」


 リンは足を引きずるようにして、バスを降りていった。


 杖で身体を支えて歩いていても、足の感覚はずっと痺れたままで『立っている』実感は皆無である。


 その虚しさをわかってくれる人がどれだけいるだろう。


 機械任せになったら、一生になる。そんなことは認めたくない。だが、今は支えなしには歩くこともできない。


 悔しい、とリンは歩きながら思った。


 

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