オート・ガール・アスリート
平田公義
プロローグ:勝たなきゃ……、勝たなきゃ……っ
––––負けたくない。
––––勝つんだ。
––––負けるわけにはいかない。
––––勝たなくちゃいけない。
勝負の世界ではよくある真理。それも激しい競争の中で、多くのライバルの群れの中に身を置けば、ひしひしと身も心も圧迫されるだろう。
例え、薄っぺらい液晶モニタの向こうからだろうと。
群れ走る騎馬のように、鋼鉄のアスリートが四方を囲おうとも。
ここが最速のマシーンを決めるサーキットならば、誰が勝利を諦めるものか。
細身で足の長い設計は陸上選手の躍動感とスピードスケーターの疾走感、フィギュアスケーターの柔軟さ、そして、風を制するスポーツカーのノウハウを詰め込んだ特殊人型走行車両。
中でもレース用に改良された車両はオートアスリートと呼ばれている。足にはインラインスケートのように装着された電気オートバイの一種モトスパイクを履いている。
タイヤが回る。過剰な電力が地を這う静電気となって弾ける。
脚部全体の脚力と合わさって、オートアスリートたちが超高速でサーキットを駆け抜ける。
迫力ある追走劇、逃走劇、競り合い。ダイナミックな競争が見る者を魅了するエンタテイメントとなっていた。
そして、初夏の眩しい日差しを照り返して、バンクコーナーへオートアスリートの群れが突き進む。トップがコーナーを火花を散らしながらクリアしていくと、数秒遅れて中間グループが飛び込んでいく。
手足につけられた
グループの先頭数台が、早いテンポでブレーキを踏む。テールランプが赤々と光った。
途端、後続車両が驚いて外に膨らみ、急減速していく。
密集していた互いの車間が開く。整然と積み上げらた積み木のように、無軌道に先頭から陣形が崩れていく。
「––––ッ!」
そのわずかな勝機に、一台のオートアスリートとそのライダーが勝負に出た。
ダークグリーンとシルバーの酷く地味な色のマシーンだ。周りが空気力学に基づいたシャープな曲線の
名は〔スーパーエイト〕。時代遅れのスポーツモデルであった。
しかし、瓦解した集団の合間をすり抜けて行く。コーナーというシビアな状況でありながらブレーキのかかったモトスパイクと、前にかかる荷重移動が織りなす軽やかなステップを踏む。
無駄な減速をせずに急減速するライバルたちを追い越して行く。
それができるのは、〔スーパーエイト〕の
ブレーキングやアクセルワーク、さらにライディング式のシートで行う荷重移動を同時に一瞬でこなす技能は並ではない。
彼女の足先がシフトギアを軽く蹴り上げ、投げ出していたお尻をシートに戻す。
〔スーパーエイト〕がコーナー出口で中間グループから脱して、トップ集団を追いかける。
従来の二輪、四輪以上とは比べ物にならないダイナミックな走行で、ハイペースで観客たちが歓声をあげるメインストレートを抜けて行く。
今は沈黙しているアーチ状のワープ装置を潜り抜けると、観客席で、ピットレーンで数々のフラッシュが瞬く。
『レースもいよいよ大詰め! 第3ステージのバラストがいよいよライダーたちを苦しめる。そして、第2ステージのオフロードでの疲れを感じさせないゼッケン8番、〔スーパーエイト〕! インターハイの切符は目前か!?』
実況が会場を焚きつける。
〔スーパーエイト〕は胸部の吸気口から空気を吸い込み、ギアのシフトアップに合わせて排気口を唸らせる。プラズマモニタで表示された双眸が、一瞬苦しげに霞んだ。これは〔スーパーエイト〕の危険信号である。
しかし、そのことを乗り手のリンは気にかける余裕はなかった。
彼女が手にするスロットルやブレーキバー、足先のシフト、ブレーキペダルの感覚が遠のいていくのを感じたのだから。
まだ高校二年生。しかし、同年代のライダーよりもテクニックは上だと自他ともに認めていた。
故に勝たなければならない。
彼女はオートアスリートの背部に設けられた運転席の中で、ひとり戦っていた。
インターハイリーグ出場か、敗退かを決めるこのレースだけは負けられない。
自責の念が彼女の心臓を押しつぶす。
周りの期待が彼女の首を締め上げる。
血の上った頭では、周囲のモニタが映す景色もよくわからなくなっていた。
見ている景色が無数の線となって後ろに流れていき、走っているコースも徐々に白く塗りつぶされて細くなっていく。
「勝たなきゃ……、勝たなきゃ……っ」
彼女を支える最後の執念。
白く濁る視界の中に、ピットで待っているチームメイトたちの顔が走馬灯のように流れた。
みんな、笑っている。
「勝たなきゃ――っ!」
それに呼応するようにして、彼女を乗せた〔スーパーエイト〕は脚部を動かし、大型二輪車の靴で滑走する。
頭部のプラズマディスプレイの目が瞳孔を開くようにして光の輪郭を狭める。
前にはトップ集団。
あと一息で詰められる。
表彰台に上がれば、次に繋がる。チームの目標を果たせる。
リンはほんの少しアクセルを開けた。わずかに車体が沈む。背筋が凍りつくほど怖かった。
その悪寒が再び走馬灯を呼び起こす。
みんなが笑っていた。楽観的に、リンに微笑みかけてくる。
苦し気な排気音が続く。胸部の吸気口はスーパーチャージャーによって、空気をありったけ吸い込んだ。
心臓のエンジンが燃え上がる。一層の甲高い金属音がアクチュエーターから木霊した。
しかし、リンの耳にはその音すら遠く感じる。ヘルメットのヘッドフォンからもノイズのような音が聞こえるだけ。
変わって聞こえてくるのは幻聴だった。
––––何不安がってるの? リンはエースなんだよ? わかってる?
耳の奥が痛い。体のあちこちが痛い。心が不安で押しつぶされそうだ。
〔スーパーエイト〕が姿勢を低くして、大股で加速。タコメーターの針が跳ねた。その全身を突き上げる振動に、リンの身体は素早くシフトアップの手順を踏んでいた。
「どうして、わたし––––ッ!」
トップ集団が緩やかな最終コーナーを抜けていく。色とりどりのマシーンが残り少ないタイヤのグリップと格闘しながら、鮮やかな列を連ねていく。
その列に猛然と〔スーパーエイト〕のダークグリーンが迫った。
燃料を燃やし、エンジンから生み出される電力が全身に迸る。電光石火の電気の血液が人工筋肉を、油圧ダンパーをみなぎらせる。
回るタイヤから悲痛な不協和音が響き、車体のアクチュエーターから血のような火花と共に激しい静電気が起きる。手足、胴体から真っ赤な放電がコースに流れて落ちていく。
最終コーナーに入った直後。
〔スーパーエイト〕のあちこちでアクチュエーターが弾け、破片を噴き出しながら崩れ落ちていく。
ニーアーマーがサーキットを擦り、激しい火花がはじけ飛ぶ。強く胸部を打ち付けると、車体は天地を反転した。
––––弱気になるなよ。俺たちのためにも、絶対勝てよ!
また幻聴が聞こえた。
リンの視界は灰色の地面から、白に消えていく青空に変わっていった。わずかな時間の中で、恐怖よりも先に後悔と疑問が頭に浮かんだ。
どうして、こんなに勝ちに拘ったんだろう……。みんな、ごめん------。
答えを出す前に、彼女は真っ暗な闇に押しつぶされてしまった。
サーキットの退避スペースには、緩衝材のバリアに激突し、赤黒いオイルをぶちまけた〔スーパーエイト〕が横たわっていた。
車体はひしゃげ、瞳にも光はなくなっている。
加えて、脚部はあらぬ方向にねじ曲がり、ライダーと同じように立ち上がることもできなくなっていた。
どうして、わたし、オートアスリートなんて……。
リンは自分の体が冷えていくほどに、自分がわからなくなっていった。
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