第3話「平和な世の中」

 一昔前まで、自殺というのは良くないものだという風潮があった。

 けれど今では、国の政策の一環として、自殺志願者のための支援制度がある。

 自殺支援制度。それすなわち、例のチケットの配布だ。

 全国一斉検査によって自殺志願者と診断された国民には、国からそのチケットが送られる。


【ぎんいろ三日月ランド】という名の遊園地。


 自殺志願者になったら、そこへ行く。

 病気になったら病院へ行くのと同じことだ。


 自殺支援制度が実施された当初のことを、シュウはうっすらと覚えている。

 当時はたぶん、世間には戸惑いと不安の声が溢れていて、制度に対する大規模なデモが各地で起こっていて、それがしょっちゅうニュースになっていた気がする。

シュウも、テレビなどで制度の話を聞いて、幼心に「そんなの、なんか、おかしいんじゃないのかな……」と思っていた。


 けれど結局、全国一斉検査もチケットの配布も、今では当たり前のことになっている。


 だから、心配することなんて何もなかったのだ。

 あれから十年経っても、こうして問題なく制度は続いているわけだし。

 やっぱり、あの頃、制度賛成派が言っていたとおり、一部の心配性な人たちが過剰に騒いで反対運動をしていただけだったのだ。

 今ではもう、自殺支援制度に抗議するデモが起こったなんて話もぜんぜん聞かない。


 反対派の人たちもいいかげん気がついたのだろう。

 そこまで心配するほどのことでもなかったんだ、と。



          +



「新しい試みってのは、最初のうちは抵抗があるもんだよ、なんでもさ。俺や母さんだって、慣れるまでは違和感があったさ、そりゃあ」

「そうそう、私だってそれなりに不安だったし。けど、だからってデモまで起こして大騒ぎするのはねえ」

「へえー、反対運動とかあったんだ。あたしはさすがに覚えてないなあ、十年前じゃ」


 日曜日の朝。

 シュウたち家族は、予定どおり八時半に家を出て、車で遊園地とへ向かった。

 その車内で交わされる会話は、やっぱり制度についてのこと。

 それと、昼食のこととか、ガソリン残量のこととか、車窓から見える景色のこととか、途中でコンビニに寄るかどうかとか、そのほかいろいろだった。


「あの頃からすると、ほんと、世の中すっかり落ち着いて」

「うん、やっぱり、平和がいちばんだよな」


 母と父がうなずき合う。


 確かに、またあんな時代になったら嫌だもんなあ、とシュウは思った。

 街中まちなかで連日激しいデモが繰り広げられるなんて、うるさいし、鬱陶しいし、気が休まらなくてうんざりする。


 そういう運動が収まってよかった。

 なんだかんだで、自殺者支援は必要な制度なのだし。

 この国が、政治家の偉い人たちが、必要だと判断したのだから、必要なのだろう。


 政治とか経済とか福祉とかの難しい話は、シュウにはよくわからない。

 でも、頭が良くてなんでも知ってる人たちが、この国を担って、自分のような何も知らない市民の代わりに「正解」を導き出してくれるのだから、安心していられる。


「自殺志願者に対して、こんなに手厚い制度があるのって、この国だけなんだよね?」


 シュウは、そう言って話に加わった。


 窓の外を、延々と続く山並みが流れていく。

 道路脇の川の水面みなもに、キラキラと陽の光がきらめいているのを眺めながら、シュウはさっきコンビニに寄って買ったチルドカップのコーヒーを、一口すすって飲み込んだ。

 ちょっとぬるくなったコーヒーは、べたりと舌に甘かった。


「そうだぞー。ほかの国だと、自殺志願者は支援なんて受けられなくて、自分で首を吊ったり、ビルの屋上から飛び降りたり、手首を切ったり、線路や川や海に飛び込んだりしなきゃならないんだ」

「うへえー、ぜんぜん楽しくなさそう……」

「そのとおり。制度ができるまでは、この国でだって、自殺はただひたすら苦しくて、つらくて、痛いだけのものだったんだから」


 いい時代になったもんだ。と、父と母はまたうなずき合った。

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