悪人にすらならない事の罪

あなたが、五人を殺して、一人を助けたとしましょう。

その事を、あなたが責められた。

「どうして、分岐器の切替棒を引かなかった?」

もしくは、

「どうして、橋の上の大きな人を突き落とさなかった? 五人を殺害した!」


あなたの言い分はこうだ。

「そんな事をしたら、その一人が死んでしまう」

それでも周りは、

「そうだとしても、五人を殺した事には変わりはない」

と周りは責める。


次に言うあなたの言い分はこうだ。

「私がいてもいなくてもその五人は死んでいた。

意思も行為も不在ならば、そのことに責任はない。

私は何もしていない。

それは、自然そのものの行為だ。

強いて言うならば、自然が犯した罪だ。

だから、私には罪はない。

それに、その一人が死ぬ事と、その五人が死ぬ事に関係性は一切ない。無関係だ。」

周りは言う。

「選択できる立場にいながら、罪すら犯さず、何もしなかった時点で、轢き殺した事と同等だ。それに、その事を阻止できる素材である限り、その一人の命は、関係している。実際に、その一人の命を犠牲にすれば、五人は助かった。」




責任ってなに? 罪ってなに?

その事について考えなければならない。


例えば、毒入りの飲み物がある。

あなたの目の前の人がその飲み物を飲んだ。

あなたは、それを飲んだ相手は死ぬと知っている。

目の前の相手はその飲み物に手を伸ばして飲もうとした事をあなたは分かった。


それを止めなかった事は罪だろうか?


知っていて止めないのならば、それは罪だ。


行為が不在でも罪である事は変わりない。

そこには、意思がある。だから、罪だ。


ならば、前後は関係あるのだろうか?


目の前に大きな人間がいる。

その人間を橋から突き落とせば、五人は助かると知っている。


あなたは、影響を与える立場にいる。

そこに自然が入り込む余地はない。

人工しかない。

全ては、あなたの選択で決定する。

傍観者ではない。


選択の放棄は罪ではないだろうか?


つまり、構造的に罪からは逃れられない。

しない事が罪ならば、

何をしようが、それは悪となる。

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