第7話 終章

 ――こうして、武術トーナメントは、多少の遅延があったものの、その日のうちに無事終了した。

 二、三年生の部の優勝者は、ほぼ下馬評通りの結果であったが、一年生の部はその真逆で、大波乱もいいところであった。

 実力から見て、武術トーナメントの出場自体、大それた事業なのに、一回戦で惨敗するどころか、見事優勝してしまったのだから、無理もなかった。 

 それも、すべての試合、瞬殺で。


「……ウソでしょ……」


 喫茶店カフェ『ハーフムーン』のテーブル席で、下村明美アケミは茫然とつぶやく。大会が終わってから三日が経過したというのに、いまだ信じられないのだ。その瞬間を報道機関プレス用の観客席から目の当たりにしたにも関わらず。その後も、どの媒体でもこの事が報道され、職業上、目に触れる機会は幾度もあったはずなのに、それでも、今でもかたくなに首を振るのだった。


「――さァ、この場であの時の暴言を撤回しなさい。この賭け、アタシが勝ったんだから」


 向かい側の席に座っている観静リンは、借金取りのような冷たさで要求する。


「……なんで小野寺が優勝するのォ……。どう見たって一回戦負けは確実だったのに……」


 だが、明美アケミは相手の要求を聴いていなかった。ひたすら現実逃避の独語を続けている。だが、リンは容赦なく追及する。


「――いい加減、認めなさい。現実を。ジャーナリスト志望者がそんなザマでなれると思ってるの」

「……………………」


 明美アケミは沈黙の檻に閉じこもるが、むろん、永遠にそれを続けることなど不可能であった。苦渋の決断を下すかのように、ついに暴言撤回のセリフを吐き出した。


「――あまり誠意を感じられないけど、ま、いいわ。認めただけでも大したものなんだから。それじゃ、それに敬意を表して、パンケーキをおごってあげる。賭けに大勝ちしたおかげで、懐が温かいのを通り越して、火傷するほどの熱さで困ってるから」

「……それって賭けに負けたアタシに対する当てつけ」

「――まァ、そうなるわね」


 リンは悪びれもなく答える。


「――撤回したとはいえ、勇吾ユウゴをバカにした事実に変わりはないんだから、このくらいは甘受しなさい」


 たしなめるように言うと、リンの胸中に武術トーナメント一年生の部の優勝者の顔が浮かぶ。

 ドヤ顔にあふれた、その表情が。

 それも当然であろう。

 結果的にも、経緯的にも、小野寺勇吾ユウゴの狙い通りになったのだから。

 優勝を果たした小野寺勇吾ユウゴの評価は、一般人はともかく、陸上防衛高等学校の関係者は額縁通りには受け取らなかった。

 理由はやはり、一年生の部が終えた後に述べた武野寺勝枝カツエ先生のそれと同じであった。

 この認識が、時が経つにつれて、陸上防衛高等学校の関係者を中心に浸透しつつあったのだ。

 本来の実力に不釣り合い極まりないこの結果に、教師の間では危惧を、生徒の間では、それに加えて嫉妬と憎悪を、それぞれ胸中に抱き、このままではいけない、絶対に済ませないと、同時に思い始めていた。

 要するに、小野寺勇吾ユウゴは、結果に見合った正当な評価を得られてないのだった。

 本人はこの結果に対して、学年首席卒業へ大きな一歩を踏み出せたと無邪気に喜んでいるが、それを心から祝福してくれている者は二桁にすら満たない。大半はまぐれだの運がよかっただのと、相手の実力を見極める能力や、それを認める度量にとぼしい人間がよくする決めつけで片付けられている。実際はまったくちがうのだが、ほとんどの人間が勘違いなまでに誤認しているのは、この不当な評価こそ、小野寺勇吾ユウゴが望んでいたそれであることである。これなら学年首席で卒業しても、専業主夫になることに対してだれも引き止めたりはしないし、条件を満たしている以上、両親だって文句は言えない。無邪気に喜ぶのも無理はなかった。


(――今頃は一人で祝宴を上げているでしょうね――)


 と、リンが運ばれてきたパンケーキをほおばりながら思ったその時、

 エスパーダの精神感応テレパシー通話の着信音が脳内に鳴りひびいた。


(――リン。今どこにおるんや――)


 それに出るやいなや、なじみのある関西弁の声が、聴覚機能を刺激した。


(――なによ、イサオ。アタシはいま好物のパンケーキを満喫してるところなんだけど――)

(――ついに、ついに起こったんや。恐れていたことが――)

(――恐れていたこと? なにそれ?)

(……民事訴訟や――)

(……はァ?!)

(……『小野寺勇吾ユウゴの家事に対する被害者の会』の団体がついに起こしたんや。小野寺に対して、民事訴訟を……)

(……………………)

(――あのアホがワイの注意を聞かずにまた他所の家事を請け負ったんや。で、あとはわかるやろ――)

(…………………………………………)

(――それでやな、いま『小野寺勇吾ユウゴの家事に対する被害者の会』の代表と弁護士を説得しとるところなんや。訴訟の取り下げに。せやけど、小野寺が自分の非を認めなくて、会場は紛糾しとるんや。もうワイだけでは収拾がつかへん。今からでもええからリンも説得の手伝いを――)


 そこまで聞いたリンは、即座に精神感応テレパシー通話を切った。


「――フォンシタノ《どうしたの》、フィンファン《リンちゃん》」


 隣に座っている亜紀アキが怪訝そうな表情でたずねる。口にパンケーキを詰めたまま動かしたので、発音がしっかりしていないが。


「――なんでもないですわ。さァ、食べましょう、亜紀アキさんが再現したパンケーキを」


 リンは笑顔で答える。何事もなかったかのように。


(……専業主夫になるために必死こいて知恵と力を絞り、運と詐欺まがいの戦法で悲願の優勝を果たし――たがゆえに、他の生徒からこれ以上ないほどの嫉妬と憎悪を、望み通りの不当な評価ごと買った結果がこれか……)


 しかし、胸中は真空のように虚しく、スッカラカンであった。ここまでやっておきながら、やった当人も含め、だれ一人幸せになれないこの現実に、リンはそこから逃避するかのごとく、ひたすら切り分けたパンケーキを口に運び続けるのであった。


                               ――完――

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才能と志望が不一致な小野寺勇吾のしょーもない苦難3 -専業主夫になりたい小野寺勇吾の最初の試練- 赤城 努 @akagitsutomu

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