第6話 武術トーナメントの優勝者、それは――

「……えーと、凄惨な試合でしたが、次の二回戦第二試合が始まります。二伊寺にいでら代美ヨミ選手VS浜崎寺ユイ選手です」


 理子リコが試合場の開始線の前に着いた両者を眺めやりながら実況する。


「――解説やゲストみなさん、この試合はどう展開するか……は、わかりきってますよね」

『当然です』


 三人は同時に答える。


「――一回戦の佐味寺さみでら三郎太サブロウタ戦と同じです。相手もその選手と同じ得物の光線槍レイ・スピアですし、一方的な展開となります」


 ゲストの武野寺先生が力強く断言すると、もう一人のゲストの多田寺先生が追加解説する。


「――しかし、どちらが勝つかまではわかりません。浜崎寺選手のタフネスさは異常の域に達しています。一見、今にも倒れそうですが、それは一回戦が始まる前からその状態ですし、泥沼の死闘を演じ終えた後も同様でした。なので、実際はどうなのか、計りかねます。二伊寺にいでら選手が攻めきれるか、浜崎寺選手が耐えきるか、そんな根競べの闘いになるでしょう」

「――いずれにしても、面白みのない闘いになるのは確かですね。観客があくびをする姿が目に映ります」


 解説のアキラがそのように締めくくった。


「――始め」


 審判が試合開始の合図を上げた。

 その後は武野寺勝枝カツエ先生の予想通りの試合展開になったので、詳細は割愛する。

 そして、多田寺千鶴チヅ先生が言った根競べの結果、


「――勝者、浜崎寺ユイ選手」


 となった。フィニッシュの一撃まで佐味寺さみでら三郎太サブロウタ戦と同じだった。

 会場はつまらない娯楽映画でも観ていたかのような雰囲気に包まれていたが、試合終了の合図を聞くと、それから解放された雰囲気に取って代わる。


「……相変わらずユイたんのタフネスぶりはすごいニャ。まるで不死人ゾンビニャ……」

 有芽ユメが感嘆とも唖然ともつかぬ感想を述べる。


「……いったい、どうやったら倒せるんだろう……」


 勇吾ユウゴも途方に暮れる。イサオの容態は深刻であったが、命に別状はないと診断されたので、こうして二人して観戦する精神的余裕ができた次第である。


「――ま、とりあえず、当面は目前の相手に集中するニャ」


 しかし、有芽ユメが気を取りなおして告げると、次の試合に出るべく、控室を後にする。

 それとは入れ違いに、ユイが控室に入るが、顔色は相変わらず病人のように悪いし、足元もいつ倒れてもおかしくない程におぼつかない。


「……だ、だいじょうぶですか? 浜崎寺さん」


 ゆえに、勇吾ユウゴは気をつかわずにはいられなかった。


「……だい、じょう、ぶよ。他人の、心配、よりも、自分の、ことに、集中、しなさい。でない、と、負ける、わよ……」


 そんな弱々しい口調で言われてもまったく説得力がなかった。


「……さて、長い試合がようやく終わりました。次の二回戦第三試合は、海音寺涼子リョウコ選手VS猫田有芽ユメ選手。優勝候補の双璧の一人と、突如として現れたダークホースの対決です。解説のゲストの皆さん、この試合の予想は……」

『……………………』

「――おっと、とっさに言葉が出て来ません。前の試合と違って。それだけ予想が困難ということでしょうか。この調子では、どちらが勝ってもおかしくない、白熱した試合展開になるようです。果たして、どちらが勝つか」

「――はんっ。なに寝言をほざいてやがる。勝つのはこのオレに決まってんだろうが」


 開始線に立った海音寺涼子リョウコが、吐き捨てるように言ってのける。


「――士族の子女なら万が一の可能性があるが、ただの平民に億が一の勝機すらあるかってんだよ」


 そのセリフに、開始線に着いた猫田有芽ユメが憤激する。


「――ニャにおォーッ! 聞き捨てニャらないニャ。一回戦じゃその士族に勝ったっていうのに、ニャめてると痛い目を見るニャ」


 だが、口調が口調なので、とてもそうは感じられない。むしろふざけているようにしか聴こえない。


「――ふんっ。ただの平民が士族に勝ったくらいで調子に乗るな。勝って当然の相手なんだから。ましてや、名門士族を鼻にかけた口先だけのオトコならなおさらだ」


 涼子リョウコは上から目線で有芽ユメの実力を過小評価する。口調については言及しないようである。


「――ニャらば、痛い目を見せてやるニャ。覚悟するニャ」


 そう宣言すると、審判に涼子リョウコともども「礼」と「構え」の順にそれをうながされ、それにしたがう。有芽ユメは猫足立ちの構えを、涼子リョウコは上段の構えを、それぞれ取る。


「――始めっ!」


 審判が開始の号令を発する。

 ――と同時に、涼子リョウコが振り下ろす。

 相手の距離まで青白色の刀身を伸長させた光線剣レイ・ソードの唐竹を。

 一撃で一回戦の相手を倒した強烈なそれは、だが、有芽ユメの迅速な右のサイドステップで躱され、床に長大な青白い刀身を叩きつける。

 しかし、それは返す刀の横薙ぎで、唐竹を躱した有芽ユメの頭部に襲い掛かる。

 回避は不可能なタイミングであった。

 なので、有芽ユメはこれを左の十字受けで防御する。

 回避は不可能なタイミングでも、防御ならまだ間に合うタイミングであった。

 交差した両腕で相手の横薙ぎを受け止めた有芽ユメは、それでも、そのまま場外間際まで薙ぎ飛ばされるが、そこで踏んばり、場外への転落をまぬがれると、即刻相手に向かってダッシュする。


「――ちっ」


 舌打ちした涼子リョウコは、相手の開始線まで伸長させた光線剣レイ・ソードの青白い刀身を通常の長さに収縮するが、勇吾ユウゴほど迅速ではないので、通常の剣の間合いに戻した時には、相手の武器の間合いにまで接近を許してしまう。

 ――こうして、試合は接近戦となった。

 猫田有芽ユメは二本の光線爪レイ・クローと二本の脚を駆使して攻撃を繰り出す。

 それに対して、涼子リョウコは一本の光線剣レイ・ソードで応戦する。

 膂力では涼子リョウコの方が上だが、速度スピードと手数では有芽ユメの方が勝る。

 光の刀身と光の爪が目まぐるしく交差するが、どちらも一歩も引かず、掠りもしない。

 完全に互角であった。


「――なんということでしょうかっ! 優勝候補の双璧の士族に対して、ただの平民が対等にわたり合っていますっ! 正直ぶっちゃけ、実況のわたしもここまでやるとは思っていませんでした。解説やゲストの皆さんも声もなく目を見張らせています」


 理子リコが興奮した声で実況するが、ほとんどの人が耳に入っていない。好勝負というべき展開となった試合に、会場が歓声で沸騰しているのだ。ゆえに、実況の声が聴こえないのも、無理もなかった。

 唐竹で振り下ろされた涼子リョウコの一撃を、有芽ユメは頭上にかざした光線爪レイ・クローの十字受けで受け止めると、光線剣レイ・ソードを握る涼子リョウコの手を狙って左の前蹴りを放つ。涼子リョウコは慌てて手を引いて躱すが、有芽ユメが蹴り足をそのまま前に踏み込むことで相手との距離を詰め、蹴りの間合いに入る。そして今度は右の前蹴りを上段に振り上げる。涼子リョウコは首を右にスライドさせて躱すが、次は蹴り上げた有芽ユメの右足がそのままかかと落としとなって涼子リョウコの左肩に落下する。躱しきれないと判断した涼子リョウコは、左腕を上げてそれを受け止めるが、有芽ユメはそれに右足をひっかけたまま、左のサマーソルトキックを振り上げる。有芽ユメの上足底が、避けようとして避けきれなかった涼子リョウコの右頬を深々と掠める。


「――てめェッ!」


 怒りの声を上げた涼子リョウコは、態勢を崩されながらも、右手に持つ光線剣レイ・ソードを片手で横に薙ぎ払う。

 宙で逆立ちしている有芽ユメの首筋を狙って。

 しかし、


「――ニャんのォーッ!」


 有芽ユメは逆立ちの態勢から独楽コマのように宙で身体を回転させると、その遠心力がかかった光線爪レイ・クロー涼子リョウコの左顔面を襲う。

 両者の頭部に衝撃の青白い爆光が同時にひらめく。

 涼子リョウコはたたらをふみながらも踏みとどまり、有芽ユメは宙をまわりながらも猫さながらのしなやかな動きでなんとか着地に成功する。

 どちらもとっさに硬氣功を施した左腕で防御したので、頭部にダメージは受けてない。平崎院タエほどではないが、双方とも申し訳程度ながらもそれを会得していた。


「……な、なんと素晴らしい攻防でしょうか。今まで繰り広げられた試合の中では間違いなく屈指の好勝負です。はっきり言って、こういう紙一重の勝負を、観客は待望していました。果たして、勝負の行方はどうなるのでしょうか」

「……ちっ。テメェのような平民相手に好勝負を演じるハメになるとは、屈辱の極みだぜ」


 涼子リョウコは相手の攻撃を受け続けた左腕を屈伸しながら言い捨てる。


「――が、それもここまでだ」

「……………………」


 有芽ユメの表情からいつもの笑みが消えている。


「――崩れた態勢から振るったからといって、片腕で受け止めてただで済むほど、オレの斬撃と錬氣功は軽くねェぜ。それが片手でもな」


 それとは対照に、涼子リョウコの表情に余裕の笑みが浮かぶ。いささか嗜虐的サディスティックにゆがんでいるが。


「……まずい、わ……」


 控室から観戦しているユイが危機感をはらんだ口調で言う。


「……ええ、おそらく、骨折しています。猫田さんの左腕……」


 隣に立つ勇吾ユウゴも同様のそれで応じる。その証拠に、有芽ユメは左腕を上げずに構えている。上げないのではない。上がらないのだ。


「……硬氣功を張ったのに、それでも骨が折れるなんて……」

「……どれだけ、凄いの、涼子リョウコの錬氣功は……」


 勇吾ユウゴユイは驚嘆の声を漏らす。


「――だから降参しろ。もし片腕でも勝てると思ってんなら、ふざけるのもいい加減にしろよ。ただでさえ口調もそうなんだからな」


 涼子リョウコ有芽ユメに勧告する。涼子リョウコも相手の左腕が骨折したことをしたたかな手応えで察知していた。


「――ことわるニャ。例え負けるとわかっていても、降参なんてアタイのプライドが許さないニャ」


 だが、有芽ユメはそれを一蹴する。


「……そうかい。ならさっさと負けろォッ! 地べたをはいずってなァッ!」


 涼子リョウコが咆えると、上段に振り上げた光線剣レイ・ソードを唐竹で振り下ろす。

 相手に届く距離まで青白い刀身を伸長させて。

 有芽ユメは紙一重で右に躱すが、勢いを殺さずに返した刀身が、横薙ぎとなって有芽ユメの胴体にせまり来る。

 前回と同様、唐竹から横薙ぎに派生したそれを続けてかわすには、初撃を躱した動作が、次の攻撃の回避を不可能にしていた。

 かといって、右腕だけで受け止めたら、それごと胴体を折られる。

 涼子リョウコの錬氣功はそれだけ練度が高いのだ。

 どの出場選手よりも。

 申し訳程度の硬氣功ではとても耐えられない。


「……だめ、だわ……」


 ユイが絶望のつぶやきをこぼしたその時、


「――ニャんのォーッ!」


 咆えた有芽ユメは横薙ぎの一閃を右の回し蹴りで迎撃する。

 錬氣功と硬氣功が施されたそのスネは、折れる気配もなければ、力負けする様子もなかった。


「――蹴りがあったか」


 勇吾ユウゴは驚くと同時に得心する。脚は腕の三倍の筋力がある上にそれよりも頑丈なので、氣功術で膂力と強度を脚に上乗せすれば、練度の高い錬氣功で膂力を上げた涼子リョウコの斬撃に十分対抗できる。もともと爪よりも蹴りが得意な選手なのだ。それを駆使すれば片腕が使えなくても勝機はある。速度スピードなら有芽ユメの方が上なのだから。

 だが、


「……止まら、ない」


 ユイが驚きまじりにつぶやく。涼子リョウコの横薙ぎは、有芽ユメの回し蹴りで受け止められたにも関わらず、止まる気配がない。それどころか、そのまま強引に振り抜く勢いがあった。そして、それは最後まで衰えぬまま――

 ――有芽ユメは場外に落ちた。


「――それまで。勝者、海音寺涼子リョウコ選手」


 試合を止めた審判が、勝者に手を挙げる。


「――あっーとっ! 猫田選手。場外です。場外に落ちてしまいました。場外負けです。今大会屈指の好勝負は、猫田選手が場外に落ちたことで決着がつきました。両者ともまだまだ闘える様子なだけに、いささかあっけない幕切れとなりました」


 理子リコが残念そうに実況する。そのためか、会場の盛り上がりもイマイチであった。


「――ちっ、しまった」


 涼子リョウコは舌打ちする。相手の場外で勝ってしまったことに。本当なら平崎院タエが龍堂寺イサオにしたような勝ち方をするつもりだったのに、渾身の横薙ぎを受け止められたことで、ついムキになって全力を出してしまったのだ。こんな勝ち方では、自分の力を誇示しても説得力がない。むしろ勝てそうにないから場外負けを狙ったようでモヤモヤする。また、そう見られるのも屈辱であった。


「……片足であの豪剣を受け止められても、残りの片足だけでは場外まで踏んばり切れませんでしたか……」


 勇吾ユウゴも残念そうな口調で有芽ユメの敗因を述べる。


「……でも、片腕、だけで、海音寺に、勝つのは、やはり、厳しい、と思う……」

「……そうですね、ユイさん。でも、復氣功で骨折した箇所を迅速に治せたらまだわかりませんでしたけど……」


 そこまで言って、勇吾ユウゴは口を閉ざす。仮定もしの話を挙げたら際限キリがないことを悟ったからである。

 互いに礼をしてから試合場を降りた涼子リョウコは、不機嫌な表情と歩調で控室へ戻って行く。その途中、平崎院タエとすれ違うが、空気のように無視する。場外を狙ったことをあざ笑われたくなかったからである。実際は「硬氣功も使えたのですね」と言っただけだったのだが、その裏にはどんな本音が隠れているか、知れたものではない。しかし、これはさすがに偏見であった。平崎院タエは、龍堂寺イサオよりも、猫田有芽ユメの方を、高く評価していたのだ。少なくても、龍堂寺イサオのような勝ち方を、猫田有芽ユメにすることは不可能だと思っている。経過はどうであれ、最終的には、余計な消耗を避けるためにも、場外を狙うだろうと。当初こそ猫田有芽ユメをイロモノな戦闘スタイルで闘う平民だど侮っていたが、今はそんな驕りはカケラもない。このあたり、相手の実力を素直に認める点においては、海音寺涼子リョウコよりも上のようである。


「――しかし、それでも、今大会屈指の好勝負であることに変わりはありません。それを演じてくれた両者に惜しみない拍手を――」


 実況の理子リコにうながされて、会場はそれに満たされる。特に、名門の士族相手に善戦した平民の有芽ユメには。


「……うう、負けたニャ~……」


 それを背に受けて、涼子リョウコとは別の出入口から控室へ入った有芽ユメは、悄然とした表情と口調でつぶやく。目尻に涙の粒が溜まっている。骨折の痛みよりも負けた悔しさで。


「――でも、素晴らしい闘いでした、猫田さん」


 勇吾ユウゴが感嘆まじりに賞賛する。


「――猫式武闘術、この目にしっかりと焼きつけました」

「……やはり、ネコのイメージから、ほど遠い、闘いぶり、でした、けど……」


 ユイが物理的な意味でも首をかしげる。それが折れていてもおかしくない角度で。


「……とにかく、医療班に、治療を、受けた、方が、いいわ……」

「お前こそ治療を受けた方がいいニャ」


 有芽ユメが即座に返すと、


「……わたし、トーナメントに、勝ち残って、いるから、他者から、治療は、受けられないの。大会規則ルールで、決まって、いる……」


 ユイはたどたどしい口調で説明する。


「――わかってるニャ。それでもツッコまずにはいられないのニャ。いつ倒れてもおかしくないお前の姿を見てると。それでよく準決勝まで勝ち進めたニャ」


 有芽ユメは不機嫌と感心を混同した口調で応じる。さらに言えば、準決勝に進めなかった自分に対するイヤミないし当てつけかと思ったが、ユイがそんな性質タチではないことくらいは、短いつき合いとはいえ、よく知っているので、すぐに考えをあらためた。


「――次の二回戦、第四試合に出場する選手は、準備をお願いします」


 会場にアナウンスがひびきわたる。


「――僕の番ですね」 


 それを耳にした勇吾ユウゴが独語する。


「――それでは、行ってきます」


 そして、二人の女子に言って歩き出す。

 試合場へと。


「……行って、らっしゃい……」 

「――アタイの分までがんばるニャ」


 ユイ有芽ユメは控室を後にした勇吾ユウゴを見送った。




「――さァ、二回戦も最後となりました。小野寺勇吾ユウゴ選手VS一ノ寺いちのじ恵美エミ選手との対決です。両者、控室から出てきました」


 実況の理子リコがそう言った瞬間、会場がこれ以上ないくらいに沸き上がる。


「――ご覧ください。この大歓声。これは試合場へ歩いて行く小野寺選手に対して向けられたものです。無理もありません。一回戦の三木寺みきでら選手を文字通り瞬殺して勝利したのですから。瞬殺宣言しておきながら逆に瞬殺された三木寺選手は今頃どうしているでしょうか」

「――わたしならとても人前に出られませんね。ものすごく恥ずかしくて。うかつに顔を出したら、指さして笑われること間違いなしです」


 そう述べた解説のアキラの口調は冷淡であった。佐味寺さみでら三兄弟と同様、多数で小野寺勇吾ユウゴをイジメる三人組の女子に対して、アキラは好感などひとかけらも持ち合わせていない。その一人を公衆の面前で極限の恥をかかせた小野寺勇吾ユウゴはよくやったと、内心で拍手喝采を送っている。イジメられっ子がイジメっ子にリベンジして勝利するさまは、いつ何度見ても爽快である。もっとも、勇吾ユウゴにそんなつもりは毛頭もないが。


「……………………」


 三木寺の親友である一ノ寺いちのじ恵美エミは、開始線の前で不本意な沈黙を強いられていた。解説のアキラの発言に対して、反論の余地がまったくないからである。小野寺勇吾ユウゴ相手に親友が負けた事実は不愉快であったし、大言壮語を吐きながらあっさり敗退したその親友に対しては、不愉快を通り越して憤りすら抱いている。ちなみに、もう一人の親友である二伊寺にいでら代美ヨミに対しても、イジメられっ子の浜崎寺ユイに負けた事実も不愉快であった。この二人と一緒にいると、自分まで負け犬の二人と同じ扱いを受けてしまう。当分の間、この二人とは距離を置いた方がいいと、一ノ寺恵美エミは思うのだった。


(――イジメっ子がイジメられっ子に負けるなんて、絶対にあってはならない事なのに、不甲斐ない二人ね、まったく――)


 一ノ寺恵美エミは内心で吐き捨てる。だが、なんの対策も練らずに小野寺と闘ったら、三木寺の二の舞になるのは、これも不本意であるが、確実であるのは認めざるを得ない。


(――でも、二度は通用しないわよ。一度見せた相手には。見てなさい。その得意げな鼻っぱし、完膚なきまでにへし折ってやるわ。イジメられっ子の分際で、アタシたちに牙をむき、あまつさえ恥までかかせるなんて、絶対に、絶っ対に許さないから~~)


 一ノ寺恵美エミの胸中は激しい憎悪の渦を巻いていた。相手をにらむ眼光もそれに準じている。


「――両者、開始線の前で対峙します。この試合、文字通り一瞬で決まります。西部劇の早撃ち対決よろしく。開始の合図と同時に、開始線前の相手まで刀身を伸長させた小野寺選手の神速の斬撃が放たれること間違いなしです。瞬き厳禁の抜刀勝負。これに対して、一ノ寺選手はどう対処するのでしょうか。正直ぶっちゃけ、手や足を出す前に終わってしまいますので、対処のしようがありませんが」

「――そんなことはありませんよ。むしろ容易です」


 ゲストの武野寺先生が、実況の理子リコの見立てを否定する。


「――と、言いますと――」


 理子リコが催促の質問をしかけると、


「――両者、礼」


 審判の指示が語尾に続く。


「――構え――」


 勇吾ユウゴは例の横薙ぎの途中のような構えを取る。それに対して、一ノ寺恵美エミ光線槍レイ・スピアを右側に立てて構える。腰を十分に落として。まるで突進して来る猛牛かイノシシでも止めるような態勢である。気合いもそれに準じている。


「……あ……」


 この光景を見た理子リコは、武野寺先生から説明を聞くまでもなく理解する。


「――いくら神速を誇る斬撃でも、その出だしが開始前の時点で丸わかりでは、防御は簡単です。相手は横薙ぎしか繰り出せないのですから、構えの段階でそれに対応した態勢を取られたら、どうしようもありません。光線槍レイ・スピアを縦に立てたのはそのためです」

「――あとは開始と同時にその態勢で突進して攻撃すれば、それで終わりです。相手はその迫力にビビッて動けなくなるほどのビビリですからね。それを防ぐには、前の試合と同様、開始と同時に早斬りを繰り出すしかありません。光線槍レイ・スピアで受け止められるとわかっていても、せざるを得ないのです」


 多田寺先生が親友のそれに続く。


「――やはり初見殺しの技であったか」


 蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキが沈痛な面持ちでつぶやく。


「――初見殺しは一度でも見られてしまうと二度と通用しないものだからな。見られた相手には。小野寺の早斬りもその類の技であったか……」

「――それじゃ、小野寺クンは負けてしまうの?」


 窪津院くぼついん亜紀アキが悲観的な結論に行き着く。


「……勇吾ユウゴ……」


 リンは祈るようにその名を口にする。

 ――そして、


「――始めっ!」


 審判が試合開始の号令を下した。

 ――が……


「……両者、動きません。一回戦の三木寺戦と同じです。これはもしかして……」


 理子リコが期待を膨らませた口調で実況する。

 その期待は、裏切ることなく見事に応えられた。

 一ノ寺恵美エミは崩れ落ちるように光線槍レイ・スピアごと倒れ伏す。

 立ち上がる気配はなかった。


「――それまで。勝者、小野寺勇吾ユウゴ選手」


 審判が勝者に手を声を上げると、会場は割れんばかりの歓声で沸き上がる。ほとんどの観客は視認してない上に、どうやって倒したのかまったくわかってないが、小野寺勇吾ユウゴが早斬りで相手を瞬殺したことは間違いないと確信しての歓声である。


「――またですっ! また瞬殺しましたっ! 小野寺選手の勝利ですっ! 瞬きはせずに目を凝らして見ていたにも関わらず、剣閃がまったく見えませんでしたっ!」


 理子リコが興奮をむき出しにした声調で実況する。


「――いったい、どうやって相手を倒したのでしょうか。相手は試合開始前から光線槍レイ・スピアを縦に構えて防御していたはずなのですが、それだけあの早斬りには海音寺選手の上段の構えからの両手唐竹に匹敵する攻撃力があるということでしょうか」

「――いえ、そこまでの攻撃力は、あの早斬りにはないわ、理子リコ


 解説のアキラが首を振る。


「――もし、そこまでの攻撃力があるのなら、あの光線槍レイ・スピアの長い柄は『く』の字に折れているはず。なのに、光線槍レイ・スピアの柄は折れてないどころか、持ち主の手からすら離れ飛んでないわ。神速に比較して斬撃が軽い証拠よ。海音寺選手の上段の構えからの両手唐竹がストレートなら、小野寺選手の早斬りはジャブといったところね。ボクシングでいうところの」

「……そ、それじゃ、小野寺選手はどうやって倒したの……」


 否定された理子リコは途方に暮れるが、


「――かは、一回戦の時と同様、ゲストの二人のどちらかがしっかりと視認しているので、それをこれからスローで再生配信します」


 武野寺先生と多田寺先生に丸投げすることを思いつき、即座に実行する。


「――こらこら、勝手に視認していると決めつけるな」


 武野寺先生が苦情を申し立てるものの、


「――でも、視認できなかったわけじゃないんでしょ。このままじゃ観客も完全に納得はしないから、ここは理子リコちゃんの言うとおり、アタシたちの動体視力で見えた見聞記録ログの視覚映像をスローで再生配信しましょう」


 親友の多田寺千鶴チヅにいさめるように言われて、しぶしぶながらそれにしたがう事となった。


「――さァ、スロー再生が始まりました。審判が試合開始の合図を上げた――瞬間、小野寺選手の早斬りが即座に放たれました――が、それは一ノ寺いちのじが縦に立てた光線槍レイ・スピアの柄によって弾かれました。一回戦の三木寺みきでら選手のように、胴体に剣撃が入っていません。解説の二階堂にかいどうさんの言うとおり、小野寺選手の早斬りは神速ほど攻撃力は高くないようです」

「――感想はいいから、実況を続けて、理子リコ


 親友のアキラにうながされて、小倉理子リコは続ける。


「――さて、早斬りを難なく受け止めた一ノ寺選手は、立てていた光線槍レイ・スピアの穂先をわずかに前傾させて、前足もわずかに浮きました。これは刺突と突進を同時に行おうとしていたのでしょうか」

「――その通りだと思います。早斬りを凌いだ以上、瞬殺される怖れはなくなったのですから、前に出るには最高のタイミングです。それだけでビビッて戦闘不能におちいる相手ならなおのこと。二撃目が来る前に突撃するのは当然の判断でしょう」

「――そして、一ノ寺選手は引き続き突進するための一連の予備動作モーションを実行して――いたら、ふたたび剣閃が煌めきました。早斬りです。小野寺選手の。それも、光線槍レイ・スピアで受け止められた右横薙ぎの一撃目とは反対側からの左横薙ぎです。まだ一撃目の剣閃の光跡が消えてないうちに放たれた二撃目の早斬りが、一ノ寺選手の無防備の左わき腹に叩き込まれました。まるでハサミで切られたような光景です」

「……………………」


 アキラは声が出ない。間髪をれる、その間すらない二撃目の早斬りに。恐らく、一度返した手首のスナップを戻す際に振るったのだろう。強靭な手首でない限りできない芸当である。そこだけ徹底的に鍛えたとしか考えられなかった。それほど高くない資質の氣功術の氣を、錬氣功として、手首だけに集中させて。


「……なに驚いているのよ。小野寺の早斬りをボクシングのジャブに喩えたのは他ならぬアナタでしょ」


 多田寺先生がマイクをオフにしてたしなめるが、たしなめた本人も驚きと動揺を隠せないでいる。しかし、それは武野寺先生や観客も同様であった。


「……早斬り二連――はさみ斬り……といったところだな、これは……」


 その一人である蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキが、脳裏に低速度スローモーション再生リプレイされた映像を見て、そのように名付ける。むろん、顔は驚愕で汗ばんでいる。


「……まだ隠し持っていたか。初見殺しの技を。もはや人間業ではないな……」

「……す、すごいわ、小野寺クン。一回戦だけでなく、二回戦も常人離れした早業で圧勝するなんて……」


 窪津院くぼついん亜紀アキも目を丸くしてつぶやく。


「……この調子で行けば、次の準決勝で当たる優勝候補の双璧の一人に勝って、そのまま優勝しちゃうかも……」

「……だ、だから言ったでしょう。勇吾ユウゴが絶対に優勝するって。アタシは確信していたわ……」


 観静リンはもっともらしくうなずいて見せる。


「……その割には顔中が汗まみれなんだけど……」


 疑わしげな口調で指摘したのは、だが、窪津院亜紀アキではなかった。


「……あ、アイちゃんっ!?」


 であったことに、リンは驚くと同時にうろたえる。


「――どうしてアイちゃんがここに――って、そういえば、一回戦負けしたんだっけ。平民とはいえ、歩兵科なのに、不甲斐なく」

「ほっといてちょうだいっ!」


 アイはツッコミを入れるようにさけぶ。


「――ま、しゃーないやろ。武術トーナメントに参加したワイら五人の中で一回戦負けしたのはおまいだけなんやから」

「情けないニャ」


 アイの背後にいる龍堂寺イサオの指摘と猫田有芽ユメの酷評に、アイは身体ごと振り向いて叫びかけるが、事実なので抗弁のしようがなく、不機嫌に口をつむぐしかなかった。

「――そう言えば、三人とも大ケガしたけど、大丈夫なの? 特に龍堂寺クンは」


 亜紀アキが心配の声をかける。


「――おう、大丈夫や。医療班の復氣功のおかげで、この通りピンピンやで」

「……そう、よかった……」


 安堵のひと息をついたのは観静リンであった。二回戦第一試合が終わった後、リンもまたタンカで医務室に運ばれる途中のイサオのところまで駆けつけたのだ。その時のイサオの状態は虫の息も同然で、リン勇吾ユウゴを始め、ユイ有芽ユメが声をかけても反応すらしなかったのだ。しかし、ケガと意識は医療スタッフの復氣功のおかげですぐに回復し、命に別状はないと医療スタッフのチーフに言われたので、四人は胸をなで下ろした。ただ、三人の出場選手が控室へ戻ったあと、観客席へ戻ろうと医療室を後にしかけた時、教師である医療スタップのチーフが安堵まじりに漏らした言葉が耳に入った。


「……私だけの復氣功では、危険だったかもしれなかった。覚えたてとはいえ、他にも復氣功の使える生徒が医療スタッフの中にいてよかった……」


 なで下ろした胸の中で、それが鋭利なとげとなって、今でもリンのそこに刺さっていた……。

 そして――


「――さァ、武術トーナメントもようやく準決勝まで進みました。その第一試合は、平崎院タエ選手VS浜崎寺ユイ選手です」


 実況が挙げたその試合の出場選手の片方の名を聞いた瞬間、胸中に刺さっているその棘の痛みが増したような錯覚に、リンは囚われた。




「――解説のアキラさん。この試合はどのように推移すると思うでしょうか」


 実況の理子にうながされた当人は、迷いのない口調で断言した。


「平崎院の勝利で終わります。途中経過はどうであれ、最終的には相手の場外負けを狙うでしょう」

「――場外負けを狙うというのですかっ?! 一回戦や二回戦で見せたような勝ち方ではなく。平崎院選手のこれまでの闘い方から見て、自分の実力を誇示するような闘い方で勝利して来ました。海音寺選手と同様に。双方ともライバル意識をむき出しに張り合っているからだと思いますが、それがここに来て、本人たちから見ればそんなセコい勝ち方に方針を転換するとは、平崎院選手の気質や性格を考えると、とても思えないのですが」

「――決勝戦にひびくからよ。それに固執したら」


 そう答えたのはゲストの多田寺先生である。


「――どんな鍛え方であのようになったのかはわからないけど、浜崎寺選手のタフネスぶりは人外すぎるわ。復氣功や硬氣功の氣功術を併用していることを考えても。ここまで来ると、正直、不気味な相手よ。正面から闘って底なしの消耗戦に挑んだら、たとえそれで勝っても、決勝戦で勝つのは至難になるわ」

「……確かに、浜崎寺選手は一回戦、二回戦ともにその末に勝利しました。この準決勝でも、浜崎寺選手はそれで挑むと……」

「――というより、それしか手段がないわ。防御力や耐久力は人外でも、攻撃力や機動力は素人同然だからね。守勢は得意でも攻勢は苦手なのよ」


 そう答えたのは武野寺先生である。


(――確かに、このまま闘えばそうせざるを得ないでしょうね――)


 試合場の開始線の前でたたずんでいる平崎院タエは、実況席でのやり取りを聞いて内心で認める。


(――けど、ひとつだけ忘れていることがあるわ。浜崎寺の驚異的な防御力と耐久力を奪える方法が、わたくしにあることを――)


 そして、これも内心でつけ加えてながら正対する。

 向こう側の開始線の前に立っている相手――浜崎寺ユイに。

 両者は審判の指示にしたがって互いに一礼して構えると、試合開始の号令と同時に片方が動いた。

 それは――


「――おォーとっ! 平崎院選手が開始線の前にいる浜崎寺選手に向かって突進します。これは意外です。遠距離からの光の鞭でバシバシ攻撃すると思いきや、自ら接近戦に挑むとは。いったいどういうことでしょうか」


 理子が驚きと意外さを混合した口調で実況する。

 剣の間合いまで相手に接近した平崎院タエは、刀剣様式モードにした光線剣レイ・ソードを振り上げ、唐竹で振り下ろす。

 それに対して、ユイは相手の迅速な行動に驚きながらも、とっさに光線剣レイ・ソードを水平にして受け止める。だが、錬氣功で上乗せした総合的な膂力では、平崎院タエの方が圧倒的に上であった。振り下ろした勢いそのままに浜崎寺ユイの脳天に青白色の刀身が叩きこまれる。ユイは眼がくらみ、たたらを踏むが、なんとか倒れずに踏みとどまる。そんなユイの右手首を、タエが伸ばした左手で掴み、ユイの右手にある光線剣レイ・ソードの動きを封じる。そして、タエは右手に持つ光線剣レイ・ソードをふたたび振り上げるが、そのまま振り下ろすには相手との間合いが近かった。目のくらみから立ちなおったユイは前に踏み込み、左肩で受け止める。光線剣レイ・ソードの青白い刀身ではなく、それを持つタエの右手を。それでも、ダメージが皆無ではないが、青白色の刀身ほどではない。今度は唯がタエの右手首を掴もうとする。タエはそれをかわすと、その動きから一本背負いに繋げ、ユイを投げ飛ばす。ユイの身体は放物線を描いて床に落ちるが、なんとか受け身を取り、その場で一転して立ち上がる。

 両者はふたたび構えを取って対峙する。


「……なるほど。その手があったわ」


 ゲストの武野寺勝枝カツエが感嘆まじりにつぶやく。


「……え? それはどういうことでしょうか? 今の攻防に、何か意味があったのですか?」


 それを聞いた実況の理子リコがうながすように問いかける。


「――わからないの、理子リコ。この大会で取っ組み合いのような展開になった後、その両者のうちの片方が必ずといっていいくらいに陥っているじゃない」


 解説のアキラからヒントを出されると、理子リコは即座に気づく。


「――あっ! そうです。封氣功です。平崎院選手は相手にそれをかけて氣功術を使えなくした模様です」

「――おそらく、あの異常なまでのタフネスさは、氣功術によるものだと判断したのでしょう。海音寺選手が錬氣功に気功術の過半を振り向けたように、浜崎寺選手は復氣功と硬氣功に氣功術のすべてを費やしたのだと思います。攻勢に関する技能のとぼしさをそれで補うより、むしろ守勢に特化させて、相手の消耗を攻撃によって誘い、それで疲弊したところを突くという戦術で闘うために。現に一回戦や二回戦もそれで勝利しましたからね」


 イジメられっ子ならではの発想と忍耐力である、と、アキラは内心で付け加える。攻勢に特化した同じイジメられっ子の小野寺勇吾ユウゴのそれとは真逆である。


「――ということは、浜崎寺選手はこれ以降、平崎院選手の攻撃を耐え抜くことはできないというわけですか」

「――そういうことになるわね」


 理子リコの問いに淡々と答えたのはゲストの武野寺先生である。


「――あとは平崎院選手が遠距離から光の鞭で攻撃を繰り出し続ければ、相手を場外に落とすことなく勝てます。浜崎寺選手も、今度ばかりは耐え切れずに負けるでしょう」


 そして断言する。

 試合は武野寺先生の言った通りの展開になった。平崎院タエは遠距離から光の鞭を相手に間断なく叩きつけ、浜崎寺ユイは防戦一方になる。

 ――それが三十分続いた……

 ……のに、決着はまだついていなかった。


「……どう、いう、こと、なの……」


 平崎院タエは激しく息を切らしながらかすれた声で独語する。


「……なぜ、まだ、耐え、切れる、の。気功、術、は、封じた、はず、なの、に……」


 今にも倒れそうな顔色で。

 それは浜崎寺ユイも同様である。

 それに見合った状態のはずなのに、力尽きそうで力尽きないのだ。

 疲労困憊の平崎院タエとちがって。

 それは、この準決勝に限らなかった。

 二回戦も、一回戦も、そして、試合以外の時でも、顔色は悪く、フラフラで、いつ死んでもおかしくないくらいに病弱で虚弱体質なのに、実際はゴギブリよりもしぶとく、殺しても死なないなどというレベルをはるかに超越していた。その秘密は気氣術にあると思って封氣功で使えなくしたのだが、相手は相変わらずの状態を維持している。

 いついかなる時も。

 龍堂寺イサオが死にかけた人間ヨーヨーですら、そうなるどころか、戻り際に光線剣レイ・ソードで反撃してきたのである。


「……本当にどういうことのなのですか、武野寺先生……」


 実況の理子リコが深刻な疑問を投げかける。


「……………………」


 だが、投げかけられた方は重苦しい沈黙でそれに報いる。


「……予想と全然ちがうのですが……」

「……………………」

「……よしなさい、理子リコ。これ以上追及するのは……」


 アキラが沈痛な面持ちで制止する。これはもう、予想を上回るとか、予想の斜め上を行くとか、そんな次元で片付けられる事象ではないのだから、それを責めるのは酷というものである。


「……本当に人間なの、浜崎寺さんって……」


 アイが驚嘆としかいいようのない表情と口調で誰となく問いかける。


『……………………』


 だが、その場にいる他の五人は、それに答えるどころか、問いかけられたことにすら気づかなかった。

 リンも、イサオも、有芽ユメも、亜紀アキも、良樹ヨシキも、ただ茫然と試合場を眺めている。

 正確には、浜崎寺ユイを。


「……こう、なっ、たら……」


 その浜崎寺ユイと対峙している平崎院タエは、疲労の濃い顔色に決然とした表情をつくると、乱れに乱れている呼吸をなんとか整える。

 氣功術を使うようである。

 しかし、氣が底をついている状態では、いくら呼吸で練っても、氣功術は使えない。ガス欠同然の状態なのだから。

 ――にも関わらず、タエは構わず氣を練る。

 新型の気功術とは異なる呼吸法で。


「……まさか、あの女子……」


 それに気づいた多田寺千鶴チヅが声と腰を上げかける。


(……こんなところで、こんなヤツに負けるわけにはいかないのよ。絶対に、絶対に勝たないと。そのためなら、命だって惜しくないわ。だから――)


 タエは瀕死の鬼のような形相で相手を睨みながら自身に言い聞かせる。口は呼吸を整えるのに専念しているので、内心での語りかけとなっている。だが、もし言語化していたら、勝利への執念と執着に身震いを禁じえなかったであろう。そうでなくても、息づかいの荒い呼吸に、対戦相手はひるんでいるのだから。


「――やめなさいっ! それは禁止されているわっ! 大会規則ルールには記載されていないくてもっ!」


 ついに席から立ち上がった千鶴チヅは、制止の叫び声を放つ。


「――どっ、どうしたのですか、多田寺先生」


 実況の理子リコが驚きと戸惑いの表情と口調でたずねる。


「――平崎院は使う気なのよっ! 旧型の松岡流氣功術をっ!」


「なんだとっ?!」


 武野寺勝枝カツエも席を立ってさけぶ。


「――よせっ! 平崎院っ! その氣は生命活動に必要な最低限の生命エネルギーなんだっ! それまでも氣功術に使ったら、命に危険が――」


 だが、幸いにも、それは杞憂に終わった。平崎院は旧型の氣功術を使用する前に、白目をむいて倒れたからである。そして、立ち上がる気配はなかった。


「……そ、それまで。勝者、浜崎寺ユイ選手」


 審判がとまどいながらも宣言するが、会場は沈黙で静まり返っている。何が起きたのかわからずに。


「……こ、これは、いったい……」


 実況の理子リコも同様の状態に陥っている。


「――セーフティーがかかったのよ」


 その疑問に答えたのは多田寺先生である。


「――新型の氣功術を一度会得すると、旧来の氣功術は二度と使えなくなるのよ。使用者の生命を守るためにね。平崎院が気絶したのは、新型の氣功術を会得しているのに、旧型の氣功術を使おうとした、その結果だわ」

「……そうだったわ。新型の氣功術はそういう仕様になっていたんだっけ。私としたことが……」


 武野寺勝枝カツエが自分の狼狽ぶりを悔やむような口調でつぶやく。


「――でも、ちゃんとセーフティーがかかったってことは、新型の氣功術の基本――リミッターの呼吸法はしっかりと会得している証拠だわ。こういう無茶をする人がいるから、そういう仕様にしたのよ。新型の氣功術の開発にあたって一番苦労したのがそこだからね」


 多田寺千鶴チヅが、その開発者から聞いた逸話を披露する。


「――いずれにしても、優勝候補の双璧の一角である平崎院選手が、準決勝で敗退しましたっ! しかも、大穴の双璧の一角である浜崎寺選手にっ! これを大番狂わせと言わずになんと言えばいいのでしょうかっ! 浜崎寺選手、決勝進出ですっ!」


 事態を呑みこめた理子リコが実況すると、会場は一気に盛り上がる。やはり観客はこれを求めているのだと思わずにはいられない興奮ぶりである。


「……平崎院が、負けた。まさか、そんなことが……」


 武野寺勝枝カツエが茫然とつぶやく。落ち着きを取り戻したことで改めて認識した、目の前で起きた現実に対して。とても信じられないといった態であった。優勝候補の双璧の一人が、まさか決勝戦に進めぬまま敗退するとは、予想だにしていなかったのだ。決勝戦で海音寺涼子リョウコと名勝負を繰り広げると期待していた勝枝カツエの期待は、こっぱみじんに粉砕された。


「――チッ。なんであと一つで負けるんだよ。しかもあんなヤツに」


 タンカで医務室に運ばれる平崎院タエの姿を控室から見て、海音寺涼子リョウコは嫌悪感に似た舌打ちをする。


「――ふん。まァいい。どうせ優勝するのはオレなんだから。途中経過はどうであれ」


 そして、言い捨てながら、同室にいる自分の次の対戦相手を見やる。


「――浜崎寺さん。決勝進出、おめでとうございます」


 控室に戻ってきた浜崎寺ユイに、小野寺勇吾ユウゴは率直な謝辞を述べる。


「……あ、ありが……とう……」


 返礼した方は相変わらずの状態だが、これが標準デフォルトなのは、観客やスタッフももはや承知しているので、特に心配しなかった。決勝まで勝ち残ったのが何よりの証拠である。


「……?」


 しかし、それに対して、勇吾ユウゴはかすかな違和感を覚えるが、準決勝第二試合の出場選手の登場をうながすアナウンスが聴こえて来たので、それは雲散霧消してしまった。


「――さァ、武術トーナメント一年生の部もあと二試合となりました。三位決定戦を含めれば残り試合は三つなのですが、準決勝で敗退した平崎院タエ選手にドクターストップが掛かってしまったため、三位決定戦は実施されないことに決まりました。つまり、この時点で、準決勝第二試合の勝敗に関係なく、両者とも表彰台に上がれることが確定しました。実に幸運なことです」

「――けっ。なにが幸運だ。ここまで勝ち上がったオレの実力を幸運の一言で片付けるんじゃねェ、実況」


 控室から試合場へ向かう途中、海音寺涼子リョウコは吐き捨てるように文句を垂れる。両者の距離と歓声の影響で、理子リコの耳には届いてないが。


「――それに、幸運だと言うんなら、そりゃアイツの方だろうが」


 そして、憎悪に似た鋭い目つきは、実況の理子リコから、自分と同じく試合場へ並行して向かう次の対戦相手――小野寺勇吾ユウゴの横顔に注がれる。その視線に気づいた勇吾ユウゴは思わずひるみ、よろめくが、しりもちをつくのはかろうじてまぬがれる。


「……ユウちゃん大丈夫かなァ……」


 観客席からその姿を眺めている鈴村アイが、心配で不安そうな表情と口調でつぶやく。


「……まだ初見殺しの技を隠し持っているのなら、まだ勝機はあるが、さて……」


 蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキが腕を組んで冷静に分析する。


「――解説とゲストの皆さん。この対戦、どう見ますか?」


 実況の理子リコがうながすようにたずねる。


「――これもすぐに終わります」


 ゲストの多田寺先生がにべもなくと言った口調で即答する。


「――両者とも開始線からでもそこにいる相手にまで光線剣レイ・ソードの間合いを伸長させることができますからね。ただし、パワーなら海音寺、スピードなら小野寺に、それぞれ分があります。それも、大きく」

「――ですが、総合的に分が悪いのは小野寺選手ですね」


 これは武野寺先生が続いて答えたセリフである。


「――小野寺選手には相手が一歩でも接近して来ただけで萎縮して動けなくなるという致命的な欠点があります。これまでの試合でそれが表面化しなかったのは、接近して来る前に相手を瞬殺したからです。でも、小野寺選手の早斬りは、アキラさんの言う通り軽く、一撃で倒せたのは相手にその予備知識がないゆえの勝利でした。しかし、次の相手は今までとは違います。予備知識は元より、対策もあるでしょう」

「――この対戦のポイントは、開始と同時に繰り出される小野寺の攻撃を海音寺が凌げるかどうかにあります。凌ぎ切れなければ小野寺の勝ち、凌ぎ切れば海音寺の勝ちです。凌いだ後、相手に接近すれば、それだけで小野寺は戦闘不能になり、勝敗が決まるのですから」


 今度は多田寺先生が解説を引き継ぐ。


「――小野寺にどんな早斬りを隠しているかわかりませんが、ここまで手の内を見せてしまっては、もはやどんな早斬りも通用しないでしょう」


 そして、武野寺先生がそのように結論づける。


「――さァ、開始線に着いた両者、審判の指示にしたがって互いに一礼すると、これも同様にそれぞれ構えを取ります」


 理子リコが徐々にテンションを上げて実況する。


「――小野寺選手は例の早斬りの構えに対して、海音寺選手は――おっと、両腕を上げて頭部をガードしています。右手には光線剣レイ・ソードが握られているとはいえ、まるでボクシングの構えです。これはどういうことでしょうか?」

「――彼女も待っているのよ。試合開始の合図と同時に動くのを」


 理子リコの疑問に答えたのは解説の二階堂アキラである。


「……動くって具体的には……」


 理子リコがうながすように問い質す。


「――相手に向かって一直線にダッシュするのよ。相手の早斬りを無理やり突破してね」


 アキラがふたたび答えると、多田寺先生がその続きを引き継ぐ。


「――現に彼女はボクシングでいうところのクラウチングスタイルを取っているわ。アレは相手の攻撃を受けても強引な前進が可能な構えよ」


「――むろん、両腕や胴体に硬氣功を通わせてね。平崎院ほどではないでしょうけど、それでも、小野寺に負けた選手のように瞬殺されないほどの防御力はあるわ。猫田戦から見て」


 そうつけ加えた武野寺先生が解説の締めにかかる。


「――やはりこの勝負、海音寺の勝利で終わるわ。小野寺の早斬り対策は即興ながらもきっちり練られているからね。この通り」


 そして、そのように総括するのだった。


「――なるほど。よくわかりました」


 理子リコはうなずくと、視線を試合場に向ける。


「――さァ、「構え」を言った審判の右腕が両者の間に割って入っています。これが「始め」と同時に言って上がると、試合開始となります。通常の試合なら文字通りの意味でそれから試合の観戦に集中するのですが、小野寺選手が出場する試合では、試合開始の合図が上がる前から、これも文字通り目が離せません。なんせそれが上がった瞬間に終わってしまいますから。小野寺選手の勝利で」

「――だが、今回はそうはいかねェぜ。このオレに早斬りは通用しねェぞ」


 と、小野寺勇吾ユウゴに言ったのは、クラウチングスタイルで構えている海音寺涼子リョウコである。その名の通り、前傾姿勢で、いつでもダッシュできるその構えは、弓を限界まで引き絞った気迫に満ちていた。そして、ダッシュもまた弓から放たれた矢のごとくな迫力と速度スピードで飛来するだろう。

 正面の相手に向かって、一直線に。


「――その余裕に満ちた化けの皮のツラ、はがしてやる。チキンのくせに、自分よりはるかに強い相手に勝って調子コクのもここまでだぜ」


 吐き捨てたそのセリフや相手をにらむ眼光も憎悪のそれに満ちていた。


「……………………」


 それに対して、勇吾ユウゴは無言で応える。横薙ぎの途中のような構えを維持したまま。別にことさら無視したわけでもなければ、涼子リョウコの言う通りこれまでの勝利に酔って驕っているわけでもない。そんな余裕など、一回戦が始まる前から皆無であった。常に勇吾ユウゴは背水の陣で試合に臨んでいるのだ。涼子リョウコのセリフは、偏見と先入観に、これも満ちた誤解でしかなかった。

 審判が横目で両者を交互に見やる。

 眼球だけを動かして。

 固唾を呑んで観ている誰もが始まると思った、その瞬間――


「――始めっ!」


 審判が試合開始の号令を発して腕を上げた。

 ――と同時に、両者は動いた。

 どちらも床について。

 小野寺勇吾ユウゴは尻から、海音寺涼子リョウコは右側頭部から、それぞれ。

 勇吾ユウゴはへたり込んだまま動かない。

 涼子リョウコも横たわったまま動かない。


『……………………』


 会場に沈黙が下りる。

 なにが起きたのかわからないという……。


「――はっ、すみませんっ! 予想だにしない事態に、しばらくの間、茫然としていましたっ!」


 理子リコが実況を中断してしまったことに対して謝罪する。


「――しかし、今回は違います。何が起きたのかわからないのは、これまで小野寺選手が出場した全ての試合と同じですが、どちらが勝ったまでもわからないのはこれが初めてです。解説の先生方、恒例のスロー再生をお願いします」

「……ええ……」


 多田寺先生は応じるが、どこか条件反射的であった。多田寺先生もまた茫然としていたのだ。もう一人の武野寺先生に至っては戦慄と驚愕に絶句していて、応じる余裕すらなかった。それをよそに、スロー再生の準備が完了したことを、多田寺先生から告げられた理子リコは、その実況を開始する。


「――さァ、スロー再生が始まりました。審判が試合開始の合図に腕を上げた直後、両者は同時に動きます。小野寺選手は早斬りを放ち、海音寺選手は右足を上げかけます。やはり解説やゲストの推察通り、クラウチングスタイルでダッシュする模様です。その身に早斬りの連撃を受け続けることを覚悟して」

「――繰り言になりますが、強引でも一歩だけ前に踏み込めば、それだけで相手はその迫力に竦んで動けなくなるのですから、それを突かない手はないでしょう」


 解説のアキラが口を挟む。理子リコは続ける。


「――小野寺選手が早斬りを放ちました。手元がほとんど霞んでいます。光線剣レイ・ソードの刀身が青白く発光してなければ、それすらもスローで見えなかったとは、動体視力に優れている多田寺先生の感想です。その早斬りがヒットした相手の箇所は、海音寺選手の両腕――ではなく、ガラ空きの脇腹――でもありません。ヒットした箇所は――足です。海音寺選手がダッシュのために上げかけた右足に早斬りが当たりました」

「……アレは偶然ではありません。明らかに最初から狙って振るったものです。完全に虚をつかれました。ですが、よく考えたら、相手に接近されるのは何としても回避したいところですから、小野寺選手からすれば、早斬りによる足払いは至極当然でしょう」

「――足を払われた海音寺選手は完全に意表を突かれたのか、表情が驚きに呆けています。払われた足が高々と上がり、それに釣られて上体も横向きに傾きます、そのまま床に叩きつけられる勢いで。そこへ、小野寺選手の二撃目が来ます。むろん、これも早斬りです。しかし、斬撃の角度は、二回戦のように水平ではありません。斜め上三〇度くらいの左斬り上げですが、それはまだ呆けている海音寺選手のアゴを跳ね上げました」

「――両腕のガードは左右からの攻撃に対しては有効ですが、上下からの攻撃は完全に無防備になっています。しかもアゴという急所を直撃されては、さすがの海音寺選手もひとたまりもありません。その角度での斬撃まで想定していたとは思えませんから、硬氣功も通わせてないでしょうし、まさか足払いで身体角度を変えられるとは、想定外の極致としか言いようがありません」

「――そして、海音寺選手は、アゴを跳ね上げられながら、横から床に叩きつけられました。しかし、ダッシュしようと動いた名残りでしょうか、床をバウンドしながらも一歩分ほど前に進みました。その後、小野寺選手がしりもちをつきました」

「――倒れながらとはいえ、相手が接近して来ましたからね。それでも、それに迫力を感じて萎縮したのでしょう」

「――つまり、小野寺選手のしりもちは海音寺選手の攻撃によるものではない。そのダメージはないというわけですね」

「――小野寺選手のように光線剣レイ・ソードの刀身を伸長させてはいませんから、そうなります」


 ここで、脳裏に投影されていたスロー映像から意識をはがすと、眼球を通して見えている現在の映像に、理子リコアキラは注視する。

 すなわち、目の前の試合場に、リアルタイムで。


「――で、海音寺選手はいまだ意識が戻る気配がないのに対して、小野寺選手はすでに立ち上がっています。まだ試合は終わっていません。審判が海音寺選手の状態を診ていますが――」


 理子リコがそう実況してから、審判が判断を下したのは、そう時間は経たなかった。


「――それまで、勝者、小野寺選手」


 審判が宣言した瞬間、会場が一斉に沸き立ち、興奮の坩堝と化す。


「――またもや大番狂わせが起きましたっ! 小野寺選手、決勝進出ですっ! 準決勝第一試合に続いて、大穴が本命を下しましたっ! いったいだれが予想したでしょうかっ!」


 理子リコもそれに呑まれたかのような口調で実況する。


「……ウソでしょ。平崎院に続いて、海音寺まで準決勝で敗退するなんて。それも、大穴中の大穴の二人に……」


 タンカで運ばれる海音寺涼子リョウコを眺めながら、武野寺勝枝カツエは茫然とつぶやく。


「……いったい、何者なの、あの二人……」


 そして、本人にとっては深刻な疑問に囚われるのだった。




「――やったっ! ユウちゃんが勝ったわっ! すごいっ! すごいわっ、ユウちゃんっ!」


 鈴村アイが、隣席の人と手を取り合って飛び回りながら喝采する。


「――ホントよねっ! 優勝候補の双璧の一人を、ユイちゃんに続いて勝つんだものっ! ホント、なんてコたちなのよっ!」


 アイと手を取り合っている亜紀アキも、取り合っている当人と似たり寄ったりの状態で同意する。


「――たいしたヤツらニャ」


 有芽ユメはしきりにうなずきながら賞賛する。


「――よかったわね、イサオ。優勝候補の双璧に借りていた借りを、勇吾ユウゴユイがそれぞれ代わりに返してくれて」

「――なに言うてんねん。こういうのは借りた当人が返すのがスジというもんや、観静。第一、借金の肩代わりなんてワイの主義やないで」

「――それにしても、まだ初見殺しの技を隠し持っていたとはな。さしずめ、海音寺を倒したあの技は、早斬り二連――レ点斬り、といったところだな」


 良樹ヨシキがまたもや勝手に勇吾ユウゴの技を命名する。


「――なに言ってるのよ。小野寺流光線剣レイ・ソード遠距離ロングレンジ型連撃術、「ツバメ返し」に決まってるでしょ。勝手に命名しないでくれる」


 アイも勝手に命名する。それを契機に、両者は小野寺勇吾ユウゴの技の命名をめぐって言い争いになるが、それ以外の者は遠巻きに無視する。うかつに関わったら、両者からどちらがいいか迫られるのは明白なので。


「――さァ、武術トーナメント、一年生の部もようやく決勝戦を迎えます。時間が押しているので、このまま始めます」


 理子リコが休みなく、もしくはせわしなく実況を続ける。本来なら二年生の部がすでに開始されている時間帯なのだが、浜崎寺ユイの消耗戦という長期戦のおかげで、予定より長引いてしまっているのである。小野寺勇吾ユウゴが短時間で試合を決してくれなかったら、一日で大会を終了させるのは絶望的であっただろう。


「――控室から、浜崎寺選手が、小野寺選手が待つ試合場へ歩いて行きます。相変わらず弱々しい足取りですが、それはまったくの演技――としか思えないほど、異常なまでのタフネスさで勝ち上がって来ました。それに対して、小野寺選手は、相手が一歩でも近づいて来るだけで全身が竦んで動けなくなるチキンさを発揮する前に、西部劇の早撃ち対決よろしく、微動だにすらさせぬまま、早撃ちならぬ早斬りで瞬殺するという、目にすら映らぬ早業で強豪を文字通りなぎ倒して来ました。その両者が、決勝の舞台で激突します。果たして、どちらが優勝の栄冠を勝ち取るのでしょうか」

「――浜崎寺選手ですね」


 即答で応じたのは解説のアキラである。


「――いまだ原理はわかりませんが、あの異常なまでのタフネスさを誇る相手に、小野寺選手の早斬りでは終わらないでしょう。少なくても一撃では。そして、早斬りが打てなくなった時が、小野寺選手の敗北が決定します。その理由はもはやご存知でしょうから割愛しますが」

「……たしかに……」

「――ましてや、早斬りは手首の負担が大きい技です。これまで三連以上打ってないのが、何よりの証拠。それをジャブのように延々と連打すれば、いくら錬氣功で補強しているとはいえ、すぐに手首が持たなくなります。ですが、それでも小野寺選手は早斬りを試合開始と同時に繰り出すしか選択肢がありません。それしか勝機がないのですから。決勝戦に限らず」

「――打っても当たらない相手よりも、当たっても起き上がってくる相手の方が、精神的にきついからね。山頂の見えない山を登るようなものよ」


 多田寺先生が比喩を使って説明する。


「……………………」


 一方、武野寺先生は優勝候補の二人が準決勝で敗退した衝撃の事実から、いまだ立ち直れないでいる。決勝戦の解説に加わる意思が働かないほどに。もっとも、加わったところで、アキラ千鶴チヅと似たような解説しかできないが。


「――どっちが勝つのかしら」


 リンが至極当然の疑問を口にする。実況席のやり取りを聞いて、触発されたのだ。


「――実況席の分析が正しければ、浜崎寺選手の勝利で終わるだろう」


 良樹ヨシキが冷静な表情と口調で予想する。


「――いいえ。ユウちゃんが勝つわ。絶対に」


 すると、アイが信じて疑わない表情と口調で断言する。


「……でも、浜崎寺選手のあの異常なまでのタフネスぶりは不気味だし……」


 だが、亜紀アキはその断言に懐疑的で、かといってどちらが勝つか容易に予想できず、悩み込む。


「――いずれにしても、どっちか勝ってもおかしくないニャ」


 有芽ユメはそちらの面で断言する。


「――せやな」


 イサオはもっとらしくうなずく。


「――さァ、両者、開始線の前につくと、審判の指示で互いに一礼し、構えます。第五回武術トーナメント、一年生の部、ついに決勝戦が始まります」


 実況の理子リコが口を閉ざすと、「構え」と言った審判が、両者の間に腕を差し込む。そして、


「――始めっ!」


 と言って差し込んだ腕を上げる。

 浜崎寺ユイが横から倒れたのは、その直後だった。


「――あぁーとっ! 試合開始と同時に炸裂しましたっ! 小野寺選手の早斬りっ! ――といっても、その斬撃が見えたわけではありませんっ! それしか考えられないからですっ! まさに神速の斬撃っ!」


 理子リコが興奮に震わせた声で実況する。


「――しかし、これで終わらないのが浜崎寺選手です。小野寺選手が一、二撃でほうむったこれまでの相手とは次元が違います。異次元なまでに。ここから長い闘いが始まります。正直ぶっちゃけ、二年、三年の部が残っているので、できれば早く終わって欲しいのですが」

「……………………」

「――さァ、浜崎寺選手が、いつものようにゾンビよろしく平然と立ち上がり――……ません……。アレ? おかしいですね……」


 実況の理子リコが首をかしげる。


「……どうしたことでしょうか。浜崎寺選手、倒れ伏したまま起き上がろうとしません。まさか、小野寺選手の早斬りが予想以上に堪えたのでしょうか」

「……それは考えにくいですね。小野寺選手の早斬りは速度スピードに反して軽いですから、浜崎寺選手の防御力や耐久力を上回るほどの攻撃力はないはず……です、が……」


 アキラは解説するにつれて徐々に声が小さくなる。いまだ浜崎寺ユイが立ち上がる気配がないのを感じ取って。理子リコは実況を続ける。


「――おっと。不審に思った審判が倒れたまま動かない浜崎寺選手に駆け寄り、様子をうかがっています。おそらく、感覚同窒フィーリングリンク生命徴候バイタル確認チェックしているのでしょう。果たして、審判の判断は――」

「――それまで。勝者、小野寺選手」


――であった。


「――やったァーッ!! 優勝だァーッ!! ついにやったよ、僕はっ!」


 それを聞いた瞬間、勇吾ユウゴは両腕と歓喜の声を上げる。


『……………………』


 だが、それに反して会場は静まり返っている。


「……アレ? 終わり? 決勝戦は? これで……」


 実況の理子リコが拍子抜けした地声をこぼしたのは、だいぶ経ってからであった。


「……え、なんで一撃で終わっちゃったの? 浜崎寺選手は。これまでの試合では打たれようが倒されようが必ず立ち上がっていたのに、どうしてこの試合にかぎって……」

「――噴出したからよ。この決勝戦で、一気に――」


 それに答えたのは多田寺先生である。


「――噴出したって、なにがですか?」


 理子リコは尋ねる。


「――これまでの試合で蓄積していたダメージがよ」


 多田寺先生が再度答えると、その理由を説明する。


「――いくらバケモノじみたタフネスさを誇る浜崎寺選手でも、限界はあったってことだわ。そしてそれは、決勝戦の舞台に上がった時点で、それに達していたのよ。一回戦の試合中でも言っていたように、武術トーナメントような、ワンデイトーナメントでは、消耗戦は悪手だからね。常にいつ倒れてもおかしくない状態だったから、わからなかったけど」

「――それでは、浜崎寺選手は決勝戦で闘える身体ではなかった。小野寺選手の攻撃をしのぎ切れるだけのHP《ヒットポイント》は残されていなかったというわけですか?」

「――そうですね。これが決勝戦ではなく、一回戦で両者が当たっていたら、少なくても一撃で終わることはなかったでしょう」

「……なるほど、わかりました。それでは、あらためて――」


 理子リコはひとつセキを吐いて声調を整えると、大きく口を開く。


「――試合終了ォ~ッ! 武術トーナメント一年生の部、優勝は小野寺勇吾ユウゴ選手ゥ~っ!」


 そのように宣言した瞬間、静まり返っていた会場が一気に沸き立つ。


「――いったいだれが小野寺選手の優勝を予想していたのでしょうかっ! 下馬評では浜崎寺選手と並んで大穴もいいところだったのに、それを裏切って一回戦、二回戦を勝ち進み、準決勝では優勝候補の双璧の一人を破り、決勝ではもう一人の優勝候補を下した同じく大穴の浜崎寺選手に勝利するとは。しかも、全試合すべて瞬殺で決めました。はっきり言って、奇蹟としかいいようがありません。奇蹟の優勝を果たした小野寺選手に惜しみない拍手を。そして、惜しくも敗れた浜崎寺選手にも」


 実況の理子リコにうながされて、観客は惜しみない拍手を、試合場を降りる優勝者と、タンカで運ばれる準優勝者に声援つきで送る。観戦しているアイたち六人も例外ではない。

 だが、その両者を、医療室の出入口から、憎悪の眼差しで見送る者がいた。


「~~なにが奇蹟の優勝だァ。ふざけるな~~」


 憎悪を込めて吐き捨てたその者は、海音寺涼子リョウコという名の女子であった。


「~~アイツが優勝できたのは、単に運と組み合わせがよかったからじゃねェか。多田寺の言うように、これが一回戦だったら、確実に負けてただろうが。オレは認めねェ。認めねェぞ。オトコとチキンの分際で、アイツが武術トーナメオントの優勝者としてふんぞり返るのは。浜崎寺も浜崎寺だ。オレがこの手で倒したい平崎院を倒しておきながら、そんなヤツにあっさりと負けるんじゃねェってんだよ。これじゃ、ますますアイツが調子コクだろうに」

「――でもこれが現実であり、事実よ、海音寺さん」


 涼子リョウコの背後から、諫めるような口調でそれを突きつけた人物がいた。

 涼子リョウコはくせのあるショートカットの髪を振り乱すように身体ごと振り返ると、艶のあるストレートロングの少女が、そこに立っていた。


「~~平崎院っ!」


 好敵手ライバルの名を呼んだ涼子リョウコの口調は、うなり声を上げるかのようであった。平崎院タエはひるむことなく続ける。


「――わたくしたちがあの二人に負けた原因は明らかにわたくしたちの驕り以外の何者でもないわ。なにせわたくしたちはお互いを意識するあまり、それ以外の選手には歯牙にすらかけなかったのですから」

「――てめェ、認めるのかっ?! こんなヤツらに負けたことをっ!」

「……とても悔しいことですが……」

「~~オレは認めねェぞっ! あんなのノーカンだっ! まともに闘えば、オレが絶対に勝ってたんだからっ!」

「……そう思っているかぎり、あなたにあの子を負かすことなんて、卒業してもできないでしょうね。でもわたくしは違う。次は必ず、この屈辱を晴らします。必ず……」


 そう言い残して、平崎院タエはその場を立ち去った。そこに取り残された海音寺涼子リョウコは、あらためて、観客の声援に満面の笑みで応える武術トーナメント一年生の部の優勝者を眺めやる。


「~~見てろよォ、小野寺。この借りは絶対に返してやるからなァ。絶対にィ~~」


 むろん、憎悪に満ちた眼差しと口調でつぶやきながら。

 しかし、海音寺涼子リョウコの他にも、小野寺勇吾ユウゴの実力を認めない者がいた。

 正確には過小評価であるが。


「――たしかに、小野寺の早斬りはすごいけど、それ以外はまったくの素人。それが浮き彫りにならなかったのは、相手がその技の存在を知らなかったからに過ぎないわ。それが周知となった以上、二度と通じない。もう一度同じ相手と闘えば、敗北は必至よ」


 放心状態からようやく立ちなおった武野寺勝枝カツエは深刻な表情で親友に語る。実況席から、二年生の部のトーナメントの抽選を、慌ただしく準備している大会運営スタップの生徒たちを眺めながら。


「――この優勝、小野寺のために決してならないわ。相手が一歩前進して来たら、その迫力だけで萎縮して動けなくなるという、闘うにあたって致命的というべき弱点はそのままなのに、その認識もなく、まぐれで優勝したこの現状に喜ぶようでは、彼の軍人のとしての将来は真っ暗もいいところよ。近い未来、挫折の壁にぶつかるのは火を見るよりも明らか。もしこの調子で陸上防衛高等学校を首席で卒業したら、実戦では使えない優等生の典型的軍人を輩出するハメになってしまうわ」

「――でも、それは克服するかもしれないわよ。もし本当の臆病者なら、わざわざ自分から闘いの場に上がったりなんかしないわ。だから、その見込みは十分にあると思うんだけど」


 親友の多田寺千鶴チヅはそれに同調せず、むしろ可能性を見出しているが、武野寺勝枝カツエは懐疑的だった。


「――どうかしら。私にはイヤイヤ闘っているようにしか見えないけど。資質や適性はともかく、性格的に向いてないわ。軍人といった荒事には。だから、一回戦で惨敗して放校された方が彼のためであり、それが私の率直な感想と評価よ。そういう意味では、荒事には無縁な高等学校に編入して、専業主夫みたいな将来と職業を目指す、絶好の機会だったのに……」

「――そんな否定的で悲観的なことは言わずに、見守って行きましょう。生徒の希望に沿うように育てるのも、私たち教師の仕事よ。彼はまだ一年生。見限るにはまだ早すぎるわ」


 多田寺千鶴チヅは励ますように親友を諭す。諭された方はそれこそイヤイヤながらもうなずくと、準備の終えた二年生の部の抽選に、親友ともども集中するのだった。

 だが、二人の女性教師は知らない。

 小野寺勇吾ユウゴは、まさにそれになるために、両親から出された条件を満たすべく、学年首席での卒業を、イヤイヤながらも目指しているという真実を。

 その登竜門である武術トーナメントの優勝は、勇吾ユウゴにとって、専業主夫になるために必要な条件のひとつでしかなかった……。

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