第2話 イジメをしたりされたり止めたり観たりする者たちの事情

「……で、結局、立件しなかったわけね……」


 イサオから勇吾ユウゴの器物損壊事件に関する説明を聞き終えたリンは、そのようにそれを締めくくる。

 昼休みになった陸上防衛高等学校の校舎裏を歩きながら。


「……せや。立件するのもアホらしゅうてな」


 そう応えたイサオの目は死んだ魚のそれであった。それを見てリンは小さくため息をつく。


「……相変わらずムダな努力に精を出しているのね。なんとかならないの、アイちゃん。このさい中二的な方法でもかまわないから」

「……なんともならないわ、リンちゃん……」


 アイは沈痛な表情でかぶりを振る。


「……そんなこと言わないでよォ。日本民族の総氏神、『天照大神あまてらすおおみかみ』につかえる大神十二巫女みこ衆の筆頭巫女なんでしょ。あざ笑ったりしないから色々と霊的な方法で試してよ」


 リンは泣きそうな表情で懇願するが、アイは今度は悲痛な表情でふたたびかぶりを振る。


「……それはもう粗方試しつくしたわ。ユウちゃんの依頼で。でもダメだった。改善のきざしは微塵もなかった……」

「……すでに実施ずみやったんか……」


 イサオは苦々しい口調でつぶやく。


『……もうどうしようもないな……』


 三人は絶望のなげきを同時に漏らす。


『……………………』


 それっきり、三人は口を閉ざしたまま沈黙する。

 並んで歩くその足音だけが三人の鼓膜を通して意識に介入する。

 そこへ――


「――アンタよくもやってくれたわねっ!」


 甲高い声が三人の意識を貫通する。


「――いくらなんでも陰湿じゃないのっ! アタシたちに恨みがあるからってっ!」

「――そうよそうよ。これだからオトコは。この士族の恥さらしがっ!」


 それも複数だった。


「――なんやなんや。なんの騒ぎや?」


 それらの声で足を止めたイサオが、声の上がった方角に視線を動かす。

 アイリンも同時に。

 そこで繰り広げられているのは、三人の女子生徒が、一人の男子生徒をイジメている光景であった。

 イジメているのは、それぞれ、ウェービーロング、ポニーテール、ボブカットの髪型をした一年生女子。イジメられているのは、マッシュショートの髪型に糸目をした一年生男子の――


「――小野寺やないけっ?!」


 であった。


「――あの三人、まだユウちゃんをイジメていたのねっ!」


 アイが憤怒の声を上げる。


「――懲りない連中ね」


 リンも嫌悪をむきだしにした口調でつぶやく。

 そして、三人がそろってそこへ向かおうと歩き出したその時、


「――めな」


 制止の声をかけられる。

 三人の行く手を自身でさえぎると同時に。

 声の主であるその生徒は、癖のあるショートカットの髪型だったので、一瞬、男子だと、三人は思ったが、身に着けている学生服ブレザーが女子のそれであることを認めると、二舜後にはそう思わなくなった。それだけ雰囲気が男子的であった。それも武闘派の。端整だが野性的な顔立ちで、いつ襲い掛かってくるかわからない獰猛な野生動物に、それは近かった。野生動物といっても、女豹のような色気はほとんど感じられない。素材としては悪くないので、化粧次第ではその通り化けるかもしれないが。

 陸上防衛高等学校歩歩兵科一年生の海音寺かいおんじ涼子リョウコという名前の女子生徒である。


「――ちょっとどいでよ。邪魔しないで」


 アイが癖のあるショートカットの女子生徒を避けて行こうとする。

 だがそれは、その女子生徒が水平に伸ばした右腕によってふたたびさえぎられてしまう。


「――めろって言ってんだろうが。聞いてなかったのかよ」


 ドスとガンの利いた海音寺涼子リョウコの声と眼に、アイは思わず後ずさる。


「――どうしてイジメを止める邪魔をするの? あの子はアタシたちの友達なんだけど」


 リンがひるむ色を見せずに問いただすが、


「――はっ! そんなこともわからねェのかよ。これだから誇りのねェ平民は――」


 海音寺涼子リョウコは愚問として一笑に付す。


「――ワイ、士族なんやけど、士族のワイでもわからへんで」


 イサオがツッコミを入れるが、涼子リョウコは歯牙にもかけずに続ける。


「――この前の連続記憶操作事件で真偽と名誉を晴らした本当の超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘と言っても、所詮はこの程度か。進学する学校を誤ったんじゃねェのか」

「なんですってっ!」


 リンの瞳と声に怒気がこもる。


「――オイコラ、無視シカトするんやないで。オンナのくせにずいぶんと乱暴なくちょ――」


 両者の間に割って入ったイサオが、そのセリフを中断する。

 自分の意志によらずに。

 涼子リョウコに顔面を殴られたからであった。


「――今度そのセリフを言ってみろ。マジぶっ殺すぞっ!」


 もんどりをうって地面に倒れたイサオを、海音寺涼子リョウコは殺気に満ちた眼光で睨みつける。


「……本当に乱暴ね……」


 リンは率直な感想を述べるが、


「――だからどうした?」


 と、涼子リョウコは言い捨てる。


「――弱ェヤツは強ェヤツになにもされても文句は言えねェんだよ。ましてや士族ならそれにふさわしい強さと誇りを持っていて当然。なのにそれらを遠くへ放擲したようなあの醜態ザマはなんだ。オトコのくせにオンナよりも弱ェヤツなんざ助ける価値もねェ。自力でなんとかさせろ」

「それはアンタたち士族の価値観でしょ。平民のアタシたちにまでそれを押しつけないでくれない」

「イヤだね。オレは弱者が大嫌いなのと同じくらいに、弱者を助けようとするヤツも大嫌いなんだ。そんなにアイツを助けたけりゃ、このオレを力尽くで倒すんだな」


 涼子リョウコがケンカ腰で宣言すると、拳をポキポキと鳴らし、威嚇する。そばにいるアイがふたたびひるむ。


(……これだから脳筋な弱肉強食の信奉者は……)


 リンは舌打ちしたくなってきた。こういう輩に肉体言語以外の言葉は通用しない。である以上、こちらも肉体言語で排除するしか方法がないが、あいにくとそれに張り合えるだけの語彙力はない。となると、観静リンが取れる手段はただひとつ。マインドサイバー攻撃である。運動機能をつかさどる海音寺涼子リョウコの小脳にテレハックして、自分で自分を殴るように操作すれば、それで万事解決である。海音寺涼子リョウコは納得しないだろうが、こちらも納得できない価値観を押しつけられて多大な迷惑をこうむっているので、お互い様として納得していただこう。


「――さァ、いつでも来な。遠慮しなくてもいいから――」


 涼子リョウコは手招きして挑発する。


(――それじゃ、遠慮なく――)


 リンはマインドサイバー攻撃を予備動作無しノーモーション且つ無言で実行しようとした矢先、


「――どうしたのですか、リンさん」


 涼子リョウコの背後から丁寧な口調で問いかけてきた。むろん、海音寺涼子リョウコのものではない。

 リン涼子リョウコの左後ろに立つ一人の男子生徒を認めると、


「――ユウちゃんっ!」


 同じくその姿を認めたアイが声を上げて勇吾ユウゴにかけ寄る。


「――大丈夫、ユウちゃんっ! ケガはない」

「――うん、だいじょうぶ。この人が助けてくれたから――」


 そう応えて勇吾ユウゴは背後にたたずんでいる一人の女子生徒を肩越しに見やる。

 海音寺涼子リョウコとは対照的に、清楚でしとやかな容姿で、つやのあるストレートロングが、彼女の美貌さをいっそう際立たせている。大和撫子やまとなでしこ典型テンプレで、一周目時代の二十一世紀日本では絶滅危惧種に指定された人種である。

 陸上防衛高等学校歩兵科一年生の平崎院ひらさきいんタエという名前の女子生徒である。


「――小野寺くんをイジメていた女子たちはこのわたくしが説得して止めさせました。どうかご安心を」


 言動も外観ルックスにふさわしく淑女のそれであった。


「そうだったのですか。ありがとうございます。平崎院さん」


 アイが礼を言って深くおじきする。リンも内心で礼を言う。正直、マインドサイバー攻撃は使いたくなかったので。ちなみに勇吾ユウゴもすでに礼をすませている。


「――おい、てめェ。なに勝手に助けてやがんだ」


 しかし、その行為に対して怒りを買った者がいた。

 誇り高き士族である海音寺涼子リョウコその人であった。


「――だれが助けていいと言ったァ。ええ」


 進路上にいる勇吾ユウゴアイを払いのけて、平崎院タエに詰め寄る。


「――あなたもずいぶんとえらくなりましたわねェ。そんなことが決められるほどになるまでに。入学試験では次席だったあなたが、首席だったわたくしに命令できる立場と身分にあるとお思いで」


 平崎院タエの高飛車な言動は、粗野で短気な海音寺涼子リョウコにとって、火に油をそそぐ行為以外の何者でもなかった。


「うるせェッ!! だいたいなんで華族の名門たるてめェが物好きにも陸上防衛高等学校なんざに入学しやがったんだっ! ここは士族のみが入学を許される軍の学校なんだぞっ! 荒事に向かない華族どもは政治や学問の道を選べってんだっ! てめェさえここを受けなければ、首席はこのオレだったっつうのにっ!」

「――それは残念でしたわね。いずれにしても、あなたの命令にしたがう義務はありませんわ。おとなしくここから去りなさい」

「――けっ! こっちこそてめェの指図にしたがわなけりゃならねェ道理はねェぜ」


 その返答に、平崎院タエの目が細まる。むろん、小野寺勇吾ユウゴほどではないが。


「――ではどうするのですか?」


「決まってんだろ。オレをしたがわせれば、力尽くで、だっ!」


 そう答えると、涼子リョウコは腰に差してある光線剣レイ・ソードを抜き放つ。

 ほぼ居合の形で振るわれた青白色の光刃は、だが、同時に振るったタエ光線剣レイ・ソードで受け止められる。そしてタエがバックステップして相手との間合いを取ると、青白色の光刃を伸ばし、蛇のようにくねらせて打ち振るう。涼子リョウコはサイドステップして鞭様式ウイップモード光線剣レイ・ソードを躱す。鞭の先端が一瞬前まで立っていた涼子リョウコの地面を音高くたたく。

 涼子リョウコは舌を鳴らす。


「――ちっ。相変わらずやるじゃねェか。華族のお嬢さまにしちゃ。ギアプを使っていることを考えに入れても」

「――なにを勘違いなさっているの。ギアプなんていう無粋なものを使わなくても、わたくしは本来の実力を発揮することができますわ。あなたとちがって」

「こっちだってそうだっ! ナメてんじゃねェぞっ!」


 涼子リョウコは反射的に言い返す。


「――いい度胸だ。こうなったらこの場で決着ケリをつけてやるぜ。『武術トーナメント』の開催まで待つまでもねェ」

「――そうですね。よく考えたら、『武術トーナメント』に出場したからって、必ず対戦できるとはかぎりませんからね。あなたが格下相手に一回戦負けを喫する可能性も否定できませんし」

「それはこっちのセリフだっ!」


 これも反射的に言い返す涼子リョウコ。両者とも腰を落として対峙している。双方の両眼からほとばしる視線が両者の中間で衝突し、煮え切った殺意の火花を散らす。


「……ど、どうしよう。なんか、決闘沙汰になっちゃったわ……」


 アイがオドオドとした表情で両者を交互に見やる。勇吾ユウゴリンに語りかける口調もそれに準じている。


「――こっちとしては助かったけど、なんか釈然としないわね」


 リンが気になったのは、平崎院タエが海音寺涼子リョウコに対して取った最初の言動についてであった。入学試験の席次でも身分でも劣る涼子リョウコですら見下した態度であったのに、その涼子よりも劣る自分やアイを助けた理由はいったいどこにあるのか。見下す価値すらないと思っての同情や憐れみの行為だったのか。だとすれば、ずいぶんとナメられたものである。別に自慢や自負をするつもりはないが、先々月まで続いていた連続記憶操作事件の解決に一役買った上に、本当の超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘を、平凡な平民と同列視するとは。平崎院タエにテレハックして、その思考を読みたい衝動に、リンは駆られた。


「――イサオさん。だいじょうぶですか。しっかりしてください」


 だが、そんな意識などこれっぽっちも抱いてない様子の勇吾ユウゴが、必死に気を失っている龍堂寺イサオをゆさぶる。だいじょうぶかどうかは、感覚同調フィーリングリンクすれば一発でわかるはずである。鼻血が出るほどの苦痛だが、命に別状はないし、骨も折れてない。すでに観静リンが確認している。別に慌てるほどの重傷でもない。それにしても、リンは思う。自分よりも功績や身分の高い小野寺勇吾ユウゴの方こそ、そういったことに敏感に反応しなければならないのに、まるで他人事のように関心を示さないとは。


(――ま、それがこの男子のいいところなんだけどね――)


 結局、そのように思いなおすリンであった。

 そうしている間にも、海音寺涼子リョウコと平崎院タエの対峙は続いている。両者はにらみ合いながらも迂闊な攻撃をしかけないでいる。しかし、両者が高めている緊張感は臨界に達しつつある。そしてそれが越えたその時――


「――コラァッ! そこでなにをしているっ!」


 激怒に似た声が、その緊張の糸を断ち切った。

 複数の生徒の案内で駆けつけてきたベリーショートの女性教師が、両者を交互に見やりながら割って入る。


「――生徒同士の私闘や決闘は校則で禁止しているのだぞっ! わかっててやっているのかっ!」

「――ちっ」

「……………………」


 涼子リョウコは舌打ちして、タエは無言で、それぞれ矛を収める。

 とりあえず、生徒同士の決闘沙汰は回避された。




「――ふう~っ。痛みがウソのように引いたわァ」


 校舎の一階にある保健室で、龍堂寺イサオは、殴打の痕が消えた顔面をさすりながらホッと一息をつく。

 保健室には、龍堂寺イサオの他に、小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、観静リン、そしてイサオの顔面を治療した女性教師が腰に両手を当てて佇んでいた。


「――さすが多田寺ただでら先生の治癒術ね。あの安倍あべの晴明せいめいの直系の子孫なだけあって、陰陽師に関して右に出る者はいないわ。やはり大神十二巫女衆に選ばれるだけのことはあるわ」


 鈴村アイが生徒の分際で上から目線で教師を賞賛するが、


「――なに勝手に選んでるのよ。アンタの脳内でひねり出した中二設定に。それに、これは『復氣功ふっきこう』という傷を治す『氣功術きこうじゅつ』のひとつで、『第二次幕末』の動乱をきっかけに、女性を中心に普及した、超能力と並んて科学的に証明された力よ。いまだ科学的に証明されてない陰陽師などといった霊能力とはちがってね」


 観静リンが説教と説明と注意まじりにたしなめる。


「――おおきに、千鶴チヅ先生。ごっつ痛かったから助かったで」


 イサオは陽気な声で礼を述べる。


「――お安い御用よ。これくらい。『第二次幕末』の動乱に比べたら、こんなの、傷のうちに入らないわ」


 長い黒髪を後ろの首元で結った女性教師――多田寺ただでら千鶴チヅは、闊達で屈託のない表情で男子生徒のそれに応える。三十代半ばのはずだが、外観的には二十代後半でも十分に通用する若さと美貌である。

 この超常特区は、十代の少年少女しか居住を許されていない行政区画で、本来ならそれ以外の年齢の者は対象外なのだが、教師の資格を持つ者は例外である。


「――それにしても、相変わらず乱暴ね。海音寺涼子リョウコは。気持ちはわからないわけじゃないけど、はやし立てられたわけじゃないのに、男子にオンナ扱いされただけで思いっきり殴るなんて。膂力りょりょくが向上する『練氣功れんきこう』を会得していたら間違いなく死んでいたわ」

「……恐ろしい力ですね。『氣功術きこうじゅつ』って……」


 小野寺勇吾ユウゴが身震いする。


「――そうよ。それが理由で氣功術の伝授や会得は法律で禁止されているわ。第二次幕末の動乱が終結してからは。だからあなたたちの世代で氣功術の会得者はいないはずよ」

「……でも、多田寺ただでら先生も、いま、氣功術を……」

「――心配しないで。わたしの氣功術はその法律が施行される前に会得したものだから、抵触はしないわ。それに、氣功術の使用までは禁止されてないから、わたしが氣功術を使っても問題ないわ」

「――そうだったのですか。よかったァ……」


 勇吾ユウゴは胸をなでおろす。


「――せやけどあのオンナ、そんな理由でワイを殴り飛ばすやなんて。警察の職務遂行中でなかったら暴行罪で逮捕したるのに、絶対に許さへんっ! 必ず復讐リベンジしたるわっ!」


 イサオは握り拳をつくって宣誓すると、


「――十日後に開催される武術トーナメントで」


 リンに確認の質問を受ける。


「えっ? なにそのイベント」


 意表を突かれたイサオは思わず問い返す。


「――知らないの。龍堂寺くん」


 それに答えたのは多田寺ただでら千鶴チヅ先生であった。

 武術トーナメントとは、その名の通り、生徒同士が己の武術で相手と競い合うトーナメント方式の大会である。

 大会は学年別に行い、武器は光線銃レイ・ガンなどの飛び道具以外の超心理工学メタ・サイコロジニクスで作られた白兵戦用のものなら自由。相手が戦闘不能になるか、降参するか、審判が続行不可能と判断するまで終わらない。出場者は主に士族が大半を占めている。そしてその優勝者は、学年首席で卒業するための大きな一歩を踏み出すことができる。ゆえに、それを目標にしている生徒たちにとって、この大会は、いわば登竜門というべき存在なのである。


「――よし。ならその大会にワイも出場するで。憲兵MP科やから畑違いやけど、海音寺のヤロウに殴られた借りを返さへんと気が収まらへんわ。それも熨斗のしつきでな」


 イサオが武術トーナメントの出場に決意と意欲を固めると、


「――僕も出場します」


 勇吾ユウゴも出場を表明する。


「えっ!? ユウちゃんも」


 リンが驚いた拍子に『ちゃん』付けで呼ばわる。


「――うん。だって武術トーナメントに出場して優勝しないと、学年首席での卒業が遠のいてしまうんでしょ。もしそうなったら、僕、とてもこまるもん」

「学年首席での卒業を目指しているのっ!? あなたっ!」


 多田寺ただでら先生も驚きを禁じえない声を上げる。


「……たしかに、勇吾ユウゴにとってはこまるわよね。そういう事態は」


 リンは戸惑いと得心の間に揺れた声でつぶやく。


「……別に目指すのは構わないけど……」


 多田寺先生も困惑に満ちた表情と口調で言う。


「――さすがユウちゃん。そうこなくちゃ」


 二人とは対照的に、アイは笑顔を浮かべて喝采する。

 だが、


「――そんなの無理に決まってるだろう」


 そう断言した者がいた。

 龍堂寺イサオではない。

 保健室に入室して来たベリーショートの女性であった。

 その歩き方は堂々たるもので、顔つきもそれに相応しく、威厳に満ちている。素人がみても百戦錬磨の風格が漂ってくる、女傑という生きた見本のような人物であり、士族の女子生徒からの人気は高い。

 陸上防衛高等学校の実技担当の女性教師、武野寺たけのじ勝枝カツエである。

 決闘沙汰になりかけた時、そこへ駆けつけた教師である。

 教科担当の多田寺千鶴チヅとは第二次幕末の動乱でともに戦った戦友であり、教師として同じ教え子たちに軍事的教育をほどこす同年代の親友でもある。

 保健室にいる一同が注目する中、武野寺先生はさらに言う。


「――いくら自由参加とはいえ、この武術トーナメントは開校以来毎年続いている格式のある大会なんだ。感覚同調フィーリングリンク越しとはいえ、国防軍の首脳部だって観戦する。そんな大会に君のような気弱なイジメられっ子生徒が出場しても、一回戦で惨敗するのが目に見えている。正直ぶっちゃけ、お勧めできないわ。やめた方が賢明よ」

「……ちょっとカっちゃん。いくら事実だからって、もう少しオブラードに包んだ言い方が……」

「カっちゃんはよせっ! 多田寺教諭。いくら親友だからと言って、生徒の手前、そんな呼び方は不適切だろう」

「……それはそうだけど、だからってその呼び方だってあまりにも他人行儀じゃ……」


 多田寺千鶴チヅはしょげた声をこぼすが、武野寺たけのじ勝枝カツエは構わずに続ける。


「――さらに言えば、小野寺、あなたには軍人の適正はないわ。これまでに受けた実技の授業から見て。よく入学試験に合格したわね」

「……ぼ、僕の場合、士族の特権で免除されたので……」

「――あ、そうか。そういえば、それがあったわ」


 武野寺先生は舌打ちをこらえる表情で独語する。華族ほどではないが、士族は平民よりも社会的に優遇されており、陸上防衛高等学校の受験免除もそのひとつだが、それを行使する士族は極少数派である。理由は、第二次幕末の動乱で、己の力で新時代を築いた自負心の強い士族が多く、それは世代をまたいで受け継がれているからである。そのため、自分の実力を示すために、あえてその特権を行使せずに受験する場合ケースが圧倒的に多いのだ。海音寺涼子リョウコもその一人である。むろん、華族や平民も陸上防衛高等学校の入学資格はあるが、受験の免除特権はないので、それを受けて合格しなければならない。観静リンは余裕で、鈴村アイは定数ギリギリの成績で、それぞれ合格した。士族である龍堂寺イサオも、圧倒的多数例にならって受験したが、結果はくり上がり合格ギリギリであった。

 ただ、小野寺勇吾ユウゴも、当初はあえて特権を行使せずに受験するつもりだった。しかし、その理由は圧倒的多数例のそれとはまったく異なっていた。わざと不合格になる予定で受験を申し出たのである。陸上防衛高等学校の首席卒業が専業主夫になることを許すという条件を成立できなくさせるために。そして、本命である家事の授業が多いすべり止めの高等学校に合格し、進学する算段を、両親には内緒で立てていたのだ。それを察知した小野寺勇吾ユウゴの母親が、本人のあずかり知らぬところでその特権を行使したので、あえなく頓挫してしまったが。


「――まったく、士族のはしくれなら実力で合格しなさいよ。ましてやオトコならなおさらだ。おまけに実技の成績もかんばしくないのに、武術トーナメントに出場するなんて、厚かましいとは思わないの」


 そういった事情の知らない武野寺先生は、叱りつけるように小野寺勇吾ユウゴを責める。勇吾ユウゴはうつむき加減にしょげてしまうが、


「……それでも、僕は武術トーナメントに出場して、優勝したいのです。学年首席で卒業するためにも……」


 武野寺先生を直視して宣言する。

 それを聞いて、武野寺先生は小さなため息をつく。


「……まァ、いいか。参加は自由だし、それを止める権利はわたしたち教師にはないわ。けど、もし一回戦で惨敗するようなことがあったら、放校される可能性が高くなるからね。士族の特権で入学したからには。そうなってしまった時、後悔しても先生は知らないわよ」


 もっとも、そうなった方がこの男子のためだろうと、内心でつけ加えるが。


(……まったく、こんなことに士族の特権を付与するから、現場の教師は苦労するのよ。こんな男子よりもはるかに優秀な生徒がいるっていうのに。海音寺や平崎院のような……)


 いずれにしても、武野寺勝枝カツエは、それ以上はなにも言わずに保健室を去って行った。


「――気にしないで、小野寺くん。突き放した口調だったけど、アレでもカっちゃんはあなたを心配して言ったんだから」


 多田寺先生が糸目の男子生徒をはげますと同時に同僚をフォローする。


「……うん」


 勇吾ユウゴは小さくうなずくが、しょげた表情はそのままだった。


「――せやけどホンマにだいじょうぶか、勇吾ユウゴ。武術トーナメントには、決闘沙汰になりかけたあの二人も出場するんやで。勝利はおろか、善戦すら厳しいぞ」

「――なに他人の心配してるのよ、イサオ。そんな余裕、あると思ってるの。武術トーナメントじゃ、ギアプの使用は禁止されているのよ。素の技能が低いアンタだって、善戦すらおぼつかないんじゃないの。あっさり殴り飛ばされたあたり」


 リンのセリフに、イサオは驚く。


「――へっ!? 禁止なの。ギアプの使用は。ホンマか、それ」

「――そりゃそうでしょう。技量を競い合う大会なのに、それを使ったら意味がないじゃない。ま、開催日までの十日間、せいぜい頑張りなさい」

「げっ! ウソやろォーッ、オイッ! どないしよかっ!」


 イサオは頭を抱える。


「――だいじょうぶよ。ユウちゃんなら必ず優勝するわ。だってユウちゃんは須佐十二闘将の一人なんだもん」

「……アイちゃん。それは根拠なき中二妄想よ……」


 リンは小声でたしなめる。


「――あなたたち二人は出場しないのね」


 多田寺先生の問いに、リンアイは同時にうなずく。アイは射撃しか上達していないし、リンに至っては工兵科なので、白兵は苦手であり、本分ではない。


「――こうしちゃおれへん。さっそく特訓メニューを組まへんと。勇吾ユウゴ、おまいもつきあえ」

「……う、うん……」


 勇吾ユウゴはうなずくが、あまり乗り気ではなかった。


(――そりゃそうよね。だってその必要はないほどに強いんだもの――)


 リンは内心で述懐する。ここ数カ月の間、超常特区で起きている様々な事件の解決には、ヤマトタケルが大きく関わっているが、そのヤマトタケルの正体こそ、小野寺勇吾ユウゴなのである。その実力はひかえめに言っても、上級生や防衛大学の在学生を上回り、ヘタをすれば第二次幕末の動乱で戦い抜いた士族たちに匹敵するといっても過言ではない。武術トーナメンドで優勝するなど、造作もない事業であろう。だが、


(――優勝したらしたでとても困るのよね。ユウちゃんの場合――)


 小野寺勇吾ユウゴは専業主夫になるための条件として首席卒業を目標としているが、それを達成してもどのみち専業主夫にはなれないのだ。そんな逸材を軍部を中心とした周囲が放っておくわけがないから。勇吾ユウゴの両親はこうなることを知った上でそんな条件を出したのである。勇吾が気づいた時にはすでに入学した後であり、どうすることもできなかった。首席卒業を果たしても果たさなくても、小野寺勇吾ユウゴの進路は決定されていたのである。その打開策として、小野寺勇吾ユウゴは、『実戦では使えない優等生』を演じることで、その条件のクリアを目指しているが、具体的にどうするのかまでは、首席卒業の登竜門である武術トーナメントの開催が近づいている今になっても思いついていない。もし思いついていれば、今でもしょんぼりとしていないはずである。


(――いったいどうやって『実戦では使えない優等生』を印象づけた優勝のしかたをするのかしら――)


 考えれば考えるほど迷路をさまよっているような気分になる観静リン正直ぶっちゃけ、糸口どころか糸すら見当たらない。本当にどうするつもりなのだろうか。


「……わ、わたしも、出場、します……」


 そんな時であった。

 カーテンに仕切られた寝床ベットからう弱々しい声が聞こえたのは。

 一同がそこに視線を集中させると、カーテンが開き、その隙間から一人の生徒が顔を出す。

 毛先が内巻きのボブカットの女子だが、三方からそれで覆われているその顔色はとても悪く、今にも事切れそうだった。アイなどは一瞬悪霊ではないかと疑ったほどである。


「――あ、あら、浜崎寺はまざきじさんじゃない。具合が悪くて寝ていたんだね。それに気づかなくてごめんなさい。今まで騒がしくしてて」


 多田寺先生は謝罪するが、相手は聞いていなかった。


「……せ、先生、わたしも、出場します。武術、トーナメントに……」

「おまいも出場するんかいっ!?」


 イサオがすっとんきょうな声を上げる。


「イヤイヤ、やめた方がええ。今にも死にそうやないか。つついただけで」


 それに続いて本心から忠告するが、これも無視されてしまう。


「……お願い、先生。出場させて。わたし、立派な軍人になるのが、夢だから……」

「イヤイヤ、どう見たって立派な病人やろが。おとなしゅうしとけ」

「そうです。どうか無理をしないでください」

ユウちゃんの言うとおりよ。死んでしまったら元も子もないわ」

「――っていうより、なんでこんな病弱な子までがこの学校に入学してるのよ。アタシなら絶対に入学させないわ」

「……そ、それは、士族の、特権で……」

「……あ、それがあったわね……」


 リンは得心するが、だからと言ってこの事実と現実を容認したわけではない。


「――じゃない。言いたいのは。浜崎寺はまざきじさんだっけ。いいから安静に――」

「……出場、させて、先生。お願い、だから……」

「――聞きなさいって」

「――わ、わかったわ。出場させてあげる。だから今は横になって――」


 多田寺先生が言いながら浜崎寺|を横に寝かせる。それを聞いて安堵したのか、|浜崎寺|は安らかな笑顔で両目を閉じた。


「……い、生きとるのか?」


 イサオが不安そうにたずねる。


「……死んでないわよ。たぶん……」


 リンが答えるが、自信満々にはほど遠かった。念のため感覚同調フィーリングリンクして生命徴候バイタルを確認したが、正常なのか異常なのか判断がつかなかった。とりあえず痛覚の類は感じられないが。


「……なんだったの、この女子……」


 アイが茫然とつぶやくと、


「――別に先生から許可を得なくても出場はできるのに」

「……いや、そこじゃないわよ、ユウちゃん」


 勇吾ユウゴのボケにすかさずツッコミを入れる。


「――その女子生徒の名は浜崎寺ゆい。歩兵科の一年生よ。この通り病弱でね。両親の反対を押し切ってこの陸上防衛高等学校に入学したの。でも休みがちだから、一学期が終わらないうちに出席日数が危なくて。だから武術トーナメントに出場してそれを挽回しようと焦ってるんだと思うわ」


 多田寺先生が手短に生徒たちに説明する。


「……どうりで顔を知らないわけだわ。同じ科のクラスなのに……」


 アイが苦々しい表情で得心する。


「……せやけどええのか。出場させても。つついただけで死にそうやのに……」


 イサオが心配そうに言う。


「――多田寺先生。復氣功でなんとかならへん?」

「――無理よ。龍堂寺くん。復氣功でも病弱までは治せないわ。体質の問題だから――」


 沈痛そうに多田寺千鶴チヅが答えると、右耳の裏に装着してあるエスパーダから、精神感応テレパシー通話の着信音が脳内に鳴りひびき、それに出る。相手は同僚であり親友でもある武野寺勝枝カツエからであった。


(――多田寺、今から緊急の職員会議が始まるわ。すぐに職員室へ来て――)

(――どうしたの、カっちゃん――)

(――カっちゃんはよせって。それよりも、たったいま全国の感覚同調フィーリングリンク放送で重大なニュースが流れたんだ。緊急の職員会議を開くのもそのためだ――)

(――ニュースって、なんの――?)

(――ついに全面解禁されたんだっ――!)

(――なにが――?)


 多田寺が再三うながすと、武野寺は一拍を置いてからおもむろに、そして嬉しそうに答えた。


(――『氣功術』の伝授と会得がだっ! 今日から私たち教師がこの学校の生徒たちにそれを教えてもよくなったんだっ――!)




 『氣功術』は、これもまた、超能力や超心理工学メタ・サイコロジニクスと同様、一周目時代には存在しなかった超常の力のひとつである。

 しかし、近年になってその基礎理論が確立された超心理工学メタ・サイコロジニクスと異なり、その誕生は二周目時代の中では古く、数々の流派が存在するものの、エスパーダのように一般人にまで広く普及してはいなかった。

 その理由は使い手を非常に選ぶからであった。

 そのため、本来なら歴史の陰に人知れず埋没する運命をたどるはずだった。

 それが突如歴史の表舞台に現れたのは、第二次幕末の動乱が始まってからであった。

 近代氣功術の創始者、松岡まつおか貴美子キミコが、一周目時代に関する情報を参考に、汎用性の高いそれを新たに編み出したのだ。

 特に、編み出した者が女性ということもあってか、会得には女性との相性や親和性がよく、これまで男尊女卑であった旧時代の世の中を変革させる大きな契機となったのだ。

 第二次幕末の女性たちは、活躍の場を求めてこぞって松岡流氣功術を会得し、男性をも勝る活躍を戦場で果たした。

 その結果、小野寺家を始め、当主が女性の士族が数多く輩出され、女性の活躍が常識となった現在の世の中をつくり上げたのだ。

 それに大きく貢献した松岡流の氣功術であったが、第二次幕末の動乱が終結すると、第二日本国の貴族院の男性議員から、氣功術の使用禁止についての議題が国会に持ち上がった。女性からすれば、氣功術は女性進出の象徴的な存在であり、それの使用を禁止するなど、女性に対する男性のやっかみと怖れとしか釈れなかった。それがまったくないと言えばウソになるが、理由はそれだけではなかった。

 本当の理由は氣功術の危険性にあった。

 氣功術は『氣』という『生命エネルギー』をエネルギー源としているがゆえに、その過剰使用によるエネルギー切れは容易に死に直結する。そんなことになっても気絶するだけで済む超能力や、超心理工学メタ・サイコロジニクスのエネルギー源である『精神エネルギー』とは根本的にちがうのだ。現に第二次幕末の動乱での戦死の原因の過半はそれによるものである。また、氣功術が悪用された場合、第二日本国の社会や治安維持に多大な被害や悪影響をこうむる。戦乱の時期なら問題はないが、平和な社会を構築するには大きな脅威であったのだ。

 そうした理由に、衆議院の女性議員たちは理解や納得を示さなかったわけではないが、それでも承服や受け入れはできなかった。氣功術も、使い方次第では平和な現代社会でも役に立てると。これを契機に、男性議員と女性議員の間に政治的な駆け引きや綱引きが繰り広げられた。その結果、氣功術の安全な会得と使用が確立されるまでの間、その伝授や会得を禁止するという法律の制定と、氣功術の使用規制に関する法整備の実施で合意したのだった。


「――その法律が制定されてからおよそ二十年。明日をもってついに氣功術の会得が解禁となったというわけだ」


 武野寺勝枝カツエ先生は、得々とした表情と口調で、氣功術についての概略を説明する。

 グラウンドに正方形で整列している歩兵科の生徒たちにむかって。

 頭上に浮かぶ陽月がとてもまぶしい快晴の空模様のもとで、陸上防衛高等学校の午後の授業が始まろうとしていた。

 その内容は実技なので、歩兵科の生徒たちは全員野戦服である。


「――女子たちにとっては待望の解禁となったわけだ。どうだ。嬉しいだろ」


 煽動するように語る武野寺勝枝カツエの方こそ、ここにいる女子生徒のだれよりも嬉しそうであった。むろん、残念がる女子生徒は一人もいない。鈴村アイもその中に含まれてある。むしろそれは男子生徒の方が多かった。氣功術の修練と修得次第では、あっさりと立場が逆転する可能性があるからである。


「――ちっ。なんでよりによってこんな時期に解禁するんだよ」

「――ホントだぜ。もうすぐ武術トーナメントが始まるっていうのに」

「――これじゃ、ますます女子どもがつけあがるぜ」


 整列している男子生徒の中から、小声だが深刻な不満とグチがこぼれる。むろん、それに小野寺勇吾ユウゴは唱和しなかった。


「――先生。前置きはいいからはやく氣功術を教えてくれよ。オレ、覚えたくてウズウズしてるんだからさァ」


 急かすように言ったのは海音寺涼子リョウコであった。


「――落ち着きなさい。別に氣功術は逃げやしませんから」


 平崎院タエが澄ました声と表情でなだめるが、その口調には多少のあざけりが混じっていた。

「なんだと、テメェ」


 それを敏感に感じ取った涼子リョウコが目と牙をむく。


「――コラコラ。二人とも。また叱られたいの。決闘沙汰になりかけた昼休みの時のように」


 武野寺勝枝カツエが注意するが、それは苦笑まじりであった。ことあるごとに対立し、なにかと問題を起こすこの二人の女子生徒を、武野寺勝枝カツエは、口にこそ出さないが、その実力を高く評価している。海音寺涼子リョウコは数々の武名を挙げた昔の自分に似ているし、平崎院タエも華族でありながら陸上防衛高等学校に首席で合格したその結果に偽りはない。どちらも、将来国防軍の未来をしょって立つ逸材にちがいなかった。そして、自分の手でその逸材を育てられると思えば、否応がなしに高揚するというものである。ゆえに、密かにだがなにかと目をかけているのだ。


「――残念だけと、今日は無理だわ。さっきも言ったように。なにせ、突然の解禁発表だったから、準備が整ってないのよ。氣功術の修練は明後日あさってから。だからそれまで待ってなさい」

「そんなァ……。チッ」


 涼子リョウコはあからさまに失望をあらわにして舌打ちするが、さすがに教師の指示には逆らわなかった。


「――今日の授業は本格的な白兵戦の訓練よ。名前を呼ばれた二人の生徒は前に出て相手と闘いなさい」


 そう言うと、武野寺先生は二人の生徒の名前を呼び、他の生徒たちの前で対戦させる。両者の実力差がでないよう、できるかぎり互角になるように組み合わせてあるので、いい勝負ができるはずである。とはいえ、そんなに時間は取れないので、一戦あたり一分というところだが。

 最初の対戦が始まると、整列している生徒たちはしゃがんでそれを見物する。


「――フフフ、ついに、ついにユウちゃんの実力がみんなの前で披露される時が来たわ」


 次々と対戦が進む中、鈴村アイは悪人のような笑顔をつくってつぶやく。


「――須佐すさ十二闘将としての実力はまだヤマトタケルには及ばないけど、それでも海音寺|や平崎院に引けを取らないわ。それは武野寺先生だってわかっているはず」


 根拠のない中二的思考で。

 しかし、実はアイは一度も幼馴染が対戦しているところを見たことがないのである。

 実家に住んでいた頃は道場で基礎訓練を積んでいるところしか見てなかったし、ようやく実戦訓練が始まろうとした矢先に例の誘拐事件で疎遠になり、その場面を道場で見ることはないまま、奇しくも超常特区の陸上防衛高等学校に同時入学したのだ。そしてそこでも基礎訓練の実技授業しか受けている場面しか見てないので、実戦訓練に移り始めたのは、つい最近のことである。

 そして――


「――次、小野寺勇吾ユウゴ。前に出て」


 ようやく鈴村アイに幼馴染の実力を拝見する機会が訪れたのだ。


(――キタァーッ――)


 内心で大きくさけぶ勇吾ユウゴの幼馴染。


「――小野寺の対戦相手は、と――」


 武野寺勝枝カツエはしゃがんでいる生徒たちを見回す。


(――さァ、だれと闘うのかしら。海音寺|かな。それとも平崎院かな|。どちらもまだ呼ばれてないから、どちらにしても、いい勝負ができるはずだわ――)


 アイは確信をもって断言する。これもまた根拠なき確信である。


「――よし、あなたに決めたわ」

(――どっちかしら。ユウちゃんと闘うのは――)

「――鈴村、前に出て」

「……………………へ?」

「『へ』じゃないわよ。ほら、はやく立って闘いなさい。小野寺と」

「……………………ええェェェェェェェェッ!!」


 思わずさけび声を上げるアイ

 予想を完全に裏切る組み合わせカードに。


「……ち、ちょ、まっ、アタシが、ユウちゃんと……」

「――そうよ。さっきから言ってるでしょ。ホラ、さっさと来て。ひとつに対戦にそんなに時間は割けないんだから」


 武野寺先生に急かされて、鈴村アイは図らずも幼馴染と対戦するハメになった。

 両者は光線剣レイ・ソードを正眼に構えて対峙する。


(――冗談でしょ! アタシがユウちゃんに勝てるわけないじゃないのよっ! ――ってちがうわ。アタシに勝っても当然の結果すぎてなんの感銘も受けないじゃないっ――!)


 アイは内心で喚き散らす。勇吾ユウゴと疎遠になるまでは幼馴染の道場に行ったことはあるが、門下生としてではなく、ただの見学者としてであるので、白兵や格闘はまったくの素人である。陸上防衛高等学校に入学してからは、そのための基礎訓練を受けたが、実戦訓練に慣れている士族の子女たちには遠く及ばない。射撃訓練なら多少の自信はあるが、むろん、今回の授業ではやらないので、無用の長物である。要するに、鈴村アイの白兵戦技の実力は、幼馴染の引き立て役にすらならないほど低いのだった。


「――二人ともじっとにらみ合ってないでさっさと闘って。お見合いじゃないんだから」


 武野寺先生がまたしても急かす。


(――仕方ない。こうなった以上、闘うしかないわ。みんながユウちゃんに対してどんな印象を抱こうとも――)


 意を決したアイは、光線剣レイ・ソードを上段に振り上げて突進する。


「――えええええええいっ!」


 素人丸出しの迫力のない掛け声とムダだらけな動きとともに。

 そして、ろくに相手との間合いを測らずに、しかも両目を閉じたまま光線剣レイ・ソードを振り下ろした。


 バシッ!

 ドサッ。


 勇吾ユウゴは打ち倒された……。

 アイが振り下ろした光線剣レイ・ソードを、ろくな防御もできぬまま。

 相手が一歩せまって来ただけで身体が萎縮し、動けなくなってしまったのだ。

 ヘビに睨まれたカエルのごとく。


「……え、ウソ……」


 両目を開けたアイが事態を呑みこむのは、それからだいぶ経ってからであった。


「――ギャッハハハハハッ!。なに今の一撃。へなちょこもいいところじゃない。けど、そんな一撃に倒される小野寺はそれすら上回るへなちょこ振りだぜェッ! それでよく武術トーナメントに出るなんて言えるなァッ!」

「――やめなさい。海音寺さん。いくら事実だからって、口に出してあざ笑うのは」


 たしなめる平崎院の声調も笑いをこらえるあざけりが多分にまじっていた。


「――まったくだ。あの海音寺の言うことを認めるわけじゃねェが。こればかりはどうしようもねェぜ」

「――しかも、士族が平民のあんな一撃で倒されるとは、とんだ恥さらしだぜ。同じ士族としてみっともない醜態をさらすんじゃねェよ」

「――浜崎寺といい、士族の特権で受験を免除されたヤツらはホント使えねェヤツばかりだぜ。オレたち士族も同じ人種ヤツらだと思われないうちにさっさと退学しろってんだ」


 実戦訓練が始まる前に、氣功術や女子生徒に対してグチをこぼしていた三人組の男子生徒たちが、今度は同性の小野寺勇吾ユウゴを口々に罵倒する。

 勇吾ユウゴのイジメっ子である三人組の女子にいたってはいわずもがなである。


(……はァ。だから無理だって言ったのよ……)


 武野寺先生は、嘲笑する生徒たちをたしなめないまま、グラウンドに倒れている小野寺勇吾ユウゴを見下ろしなから内心でつぶやいた。




「――つまり、勇吾ユウゴはアンタの一撃であっさりと倒れてしまったのね」


 本日の授業が終えた放課後の校舎裏の一角で、観静リンは、鈴村アイから聞き終えた歩兵科の実戦訓練の概要をそのように締めくくった。


「――そうなのよ。まさかアタシに負けるほど弱かったなんて、思いもしなかったわ。どうしよう……」


 アイは今にも泣きそうな表情でうつむく。


(――ま、予想できなかった事態じゃなかったけどね――)


 だが、友人とは対照的に、リンの態度と内心は落ち着きを払っていた。

 以前、小野寺勇吾ユウゴの脳内仮想空間で、当人が語ったことがある。自分は本当は臆病だと。リンは否定したものの、半分は真実である。午後の実技授業で見せた実戦訓練の結果こそ、小野寺勇吾ユウゴの本来の実力なのである。『ヤマトタケル』として発揮した、第二次幕末の動乱を戦い抜いた士族なみの実力は、怒りやたかぶりなどといった極限の精神状態になってこそなのである。通常の状態だと、アイにすら負けるほど弱いのだ。


(――とはいっても、潜在能力ポテンシャルが皆無というわけではないのよね――)


 でなければ、九歳のころ、素手で武器をもった四人の暴漢の大人たちを倒せるわけがないし、ほぼ一人で四十人の黒巾党ブラック・パースを全滅させられるはずもない。要するに、勇吾の実力は、当人の精神状態に大きく左右されるのだ。そして、傾向で言えば、大事な人や他者が窮地に立たされた時に発揮する場合が多く、それ以外だとまったく発揮できない。今回の実戦訓練の場合ケースでは後者に属する。別に前者のような状況に陥っているわけではないのだから。それは武術トーナメントでも同様である。


(……どーするのよ、ユウちゃん……)


 リンは途方に暮れる。まるで今のアイのように。

 専業主夫になるための条件である学年首席で卒業するには、十日後に開催される武術トーナメントでの優勝は必須である。なのに、優勝どころか、一回戦すら勝てないようでは、到底おぼつかない。そこで惨敗などすれば、放校される可能性が高くなる。もしそうなったら、その時点で、小野寺勇吾ユウゴの進路は、一兵卒としての軍人の道へ一直線である。かといって、武術トーナメントに参加しないわけにはいかない。首席卒業の道が到達不能な距離にまで遠のいてしまう。しかも、ただ武術トーナメントで優勝すればいいというわけではない。『実戦では使えない優等生』として認知するような勝ち上がり方で優勝しなければならないのだ。このままでは一回戦負けをした『実戦でも使えないただの劣等生』である。


(……ダメだこりゃ。もう八方ふさがりだわ……)


 リンはついに観念する。

 心が折れてしまったとも言える。


「――そうだっ! まだ氣功術があったわ。それさえ会得すれば、あるいは――」

「……そういう問題じゃないわよ、アイちゃん……」


 リンかぶりを振る。これは勇気や胆力といった精神の問題なのである。いくら氣功術で肉体的な強化をはかっても、精神がそれにともなわないのでは、宝の持ち腐れである。その上、そういう問題は一朝一夕で解決できる類のものではない。少なくても、十日後の武術トーナメントまでにそれらをつけるのは不可能に等しい。


「……で、でも、だからといって、なにもしないわけには……」

「……うーん……」


 リンは頭を抱える。たしかにアイの言う通りだが、かといって名案や妙案があるわけではない。


「……とりあえず、本人と相談しましょう。どうすればいいのかを」

「……そ、そうね」

「――それで、肝心の勇吾ユウゴは?」

「――一応、鍛錬室トレーニングルームで筋力トレーニングさせているけど」


 愛が返答した後、


「――なんだよ、あの実戦訓練の醜態ザマはよォ。よくそれで武術トーナメントに出場しようと思えるよなァ、オイ」


 ガラの悪い男子の声が聴こえて来た。


「――ちゃんとわかってんのか。てめェの実力。はっきり言って平民以下なんだよ」

「――てめェのようなヤツは士族やこの学校の恥だぜ。さっさと称号を返上して自主退学しろ。このヘタレがっ!」


 それも複数であった。

 リンアイは声が聴こえた方角に振り向くと、三人の男子生徒が、一人の生徒を口々になじっていた。

 幹の太い樹木に追いこんで。


「……また勇吾ユウゴがイジメられているわ。今度は男子に……」


 その内容を聞いて、リンはそのように判断する。


「――あ、あの三人の男子は」


 声を上げたアイは、その集団の声に聞き覚えがあった。実践訓練の授業で、女子や氣功術に対してグチをこぼしたり、醜態をさらした小野寺勇吾ユウゴをあざ笑ったりした例の三人組の男子生徒である。

 そして、血を分けた三つ子の兄弟でもある。

 髪型を五五分けにした男子が長男の佐味寺さみでら一朗太イチロウタ。右の七三分けにした男子が次男の佐味寺さみでら二朗太ジロウタ。そして左の七三分けにした男子が三男の佐味寺さみでら三郎太サブロウタである。

 一卵性三つ子なので、髪型はちがっても、顔の造形は全員同じで、そこそこ端整だが、どれも上から目線の傲慢な表情なので、とても好感が持てない。士族の身分に鼻をかけたその子弟の典型テンプレである。


「――だまってねェでなんとか言えよっ!」


 佐味寺さみでら一朗太イチロウタが樹木の幹に手を叩きつけて威嚇する。いわゆる壁ドンだが、そんな色気のある雰囲気ムードでないのはむろんである。それを受けて、イジメられている生徒はさらに身を縮こまる。


「――今回にかぎったことじゃないけど、イジメってホント醜悪だわ。それこそ恥ずかしくないのかしら」

「――ホントにそうですよね。リンさんの言う通りです」

「――まったくだわ。それじゃ、止めに行くわよ、勇吾ユウゴ。海音寺の邪魔が入らないうちに」

「はい」

『――ってユウちゃんっ?!』


 アイリンが驚愕の大声をハモらせて上げる。


ユウちゃんじゃないのよっ!」

「――はい。そうですが」

「いつからそこに――じゃなくて、あの男子どもにリアルタイムでイジメられていたんだじゃ……」

「……いえ、僕はアイちゃんの言われた通り、鍛錬室トレーニングルームで筋力トレーニングをしていましたけど……」

「……それじゃ、いまあの男子どもにイジメられているのは……」


 アイは遠くからイジメの現場イジメられている生徒を凝視すると、


「――あれは――浜崎寺はまざきじさんです」


 勇吾ユウゴが答える。


「――ああ。そういえば、実戦訓練で、アタシとユウちゃんが対戦した後、平崎院と対戦した浜崎寺さんも、ユウちゃんのようになにひとつできないまま惨敗したんだっけ」


 アイが思い出したかのように述べる。その後、武野寺先生は対戦相手を組み直し、平崎院タエは海音寺涼子リョウコと闘ったが。


「――どちらにしても、止めに行きましょう。イジメなんてイジメられる方にとってはつらいだけですから」


 その経験が豊富な勇吾ユウゴは、イジメの現場へ駆けつけようと走り出したその時、


「ぐわぁっ!」

「ぐかっ!」

「ぐふっ!」


 三種類のうめき声がイジメの現場から上がった。

 それは、佐味寺さみでら三兄弟のものであった。

 三人はそれぞれ崩れ落ちるように頭から地面に倒れる。

 倒したのは、だが、浜崎寺ユイではなかった。


「――サイテイなヤロウどもだな。オトコのくせに、寄ってたかってオンナをイジメるなんて。士族の風上にも置けねェぜ」


 侮蔑の声を吐き出した癖のあるショートカットの少女こそ、浜崎寺ユイをイジメていた佐味寺さみでら三兄弟を倒したのである。

 右手に持つ光線剣レイ・ソードで。


「――アンタは」


 現場へ駆けつけたリンは、癖のあるショートカットの少女――海音寺涼子リョウコと対面する。


「――だいじょうぶですか、浜崎寺|さん。ケガはしていませんか」


 その間、勇吾ユウゴリンの背後で、イジメを受けていた浜崎寺ユイに気づかいといたわりの声をかけ、アイは地面に横たわっている佐味寺さみでら三兄弟を、「……うわー……」と言いたげな表情で次々と見下ろしてまわる。


「――どういう風の吹き回しなの? 弱いヤツは何をされても仕方がないと謳っていたアンダが、勇吾ユウゴのように弱い者イジメを受けている浜崎寺|を助けるなんて。言ってることとやってることが矛盾してない?」


 リンの問いただしは明らかに詰問調であった。


「――別に浜崎寺|はいいのよ。オンナだから」


 だが、海音寺涼子リョウコの返答は、悪びれもなく、あっけからんとしていた。その態度に、リンは立腹する。


「……勇吾ユウゴはダメというわけね。オトコだから……」

「――そうさ。だからどうした。文句あんのか」

「あるわね。随分と不公平じゃない」

「そりゃそうさ。オレはオトコが嫌いな上に憎いからな。特に、弱いオトコの士族は。だからそいつらを叩きのめしたんだ。浜崎寺をイジメから助けたのはただの口実だ」

「……勇吾ユウゴが女子から受けていたイジメを止めるどころか、止めようとしたアタシたちを妨害した理由もそれか」

「ああ、そうさ。なんか悪いのかよ」

「……そんなに憎いの? 弱いオトコの士族が」

「ああ、憎いなァ。この世から絶滅させてェくれェに。実際絶滅すりゃいいんだ」


 涼子リョウコは憎悪で開きなおったセリフを次々と吐き出すが、最後のこれはその極みに達していた。


「――その最有力候補がオレの親父だ。第二次幕末の動乱じゃ、ろくな武功を立てれなかった士族の恥さらしのくせに、家庭いえでは気弱だが武功を立てたお袋を散々いびりやがるんだ。旧時代じゃよくいた亭主関白よろしく。本当は内弁慶のくせによォ。しかも、オンナしか産めなかったお袋や、そのオレも、ことあるごとにこうなげくんだ。『オトコだったら家督を継がせられるのに』って。これにはカチンときたぜ。だから誓ったんだ。この世を限界まで女尊男卑の世の中にしてやると。陸上防衛高等学校に入学したのも、武術トーナメントに参加するのも、そのためなんだからな。だからだれにも邪魔はさせねェ。オンナをバカにするヤツは絶対に許さねェ。たとえ同じオンナでもな」

「……………………」


 リン涼子リョウコに対してなにも言わない。否、言えない。これ以上なにを言ってもムダだと悟ったのもさることながら、相手の迫力に呑まれて思うように声帯が動かないからである。それは倒れている三兄弟をひととおり見下ろしまわり終えたアイや、浜崎寺ユイをいたわり終えた勇吾ユウゴも同様であった。


「……あ、あの、助けて、くれて、ありがとう、ございます。海音寺、さん……」


 ユイだけをのぞいて。

 弱々しいが心のこもった礼に、だが、涼子リョウコは黙殺する。別にアンタを助けたくてイジメっ子どもを倒したではないという空気が全身からにじみ出ている。それは涼子リョウコが『ツンデレ』などとという、一周目時代の二十一世紀日本にて分類カテゴライズされていた性格属性だからではない。まさしく、文字通りの意味でしかない、冷酷で不公正な性格であったからである。


『……………………』


 リン涼子リョウコの無言のにらみ合いはいまだ続いている。どちらも先に目をそむけたら負けだと、自ら課しているからである。なぜそうしたら負けになるのか、本人たちにもよくわからないまま……。

 ゆえに、はりつめた空気がさらにはりつめる。

 もう切れるのではないと、アイが目を閉じて思ったその時、一匹のネコが両者の間を横切る。

 その後、


「待つニャーッ!」


 甲高いがかわいい声とともに現れた一人の女子生徒が、ネコの後を追うようにそれに続く。

 しかし、逃げるネコと違い、幹の太い樹木に衝突してしまったその女子生徒は、そのままひっくり返る。


「……いたいニャー……」


 衝突した部分である鼻面をおさえながら起き上がるその女子生徒。

 リン涼子リョウコたちの存在にはいまだ気づかずに。

 髪型はセミショートなのだが、なぜか両側頭の斜め上の部分を正三角形にセットされている。いわゆるネコミミだが、眼もネコっぽく、口元からは一本の八重歯がはみ出ていて、おまけに猫背。まるでネコが無理やり二足直立しているような姿勢である。


「――あっ、アイたん。こんなところでニャにしてるニャ」

「……だれ、あなた?」

「――覚えてニャいの。アタイニャ。猫田ねこた有芽ユメニャ」

「――ああ、思い出したわ。今日の実戦訓練で、時間がなくて対戦できずに終わった――」

「そうニャ! 覚えていてくれて嬉しいニャ!」

「……そりゃエスパーダを装着しているからね」


 アイは言いながら右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器に触れる。


「――ふん。なんだかバカらしくなってきだぜ」


 吐き捨てるように言ったのは海音寺涼子リョウコである。それにより、はりつめていた空気が弛緩する。


「――オイ、そこの糸目と病弱。マジで武術トーナメントに出るんなら、惨敗や退学を覚悟で出るんだな。優勝するのはこのオレなんだ。お前らに負けるわけがねぇんだから。特にオトコのおめェは」


 そう言い残して、涼子リョウコはその場を去って行った。

 まだ倒れている三人の男子生徒を地面のごとく踏みつけながら。




「――そないなことがあったんかい」


 意外とも感心ともつかぬひびきの声が、校舎裏の一角から上がった。

 むろん、声の主は龍堂寺イサオである。

 海音寺涼子リョウコとは入れ違いで、小野寺勇吾ユウゴたちが集まっているところへやって来たのだ。

 その間、ようやく立ち上がった佐味寺さみでら三兄弟は、捨てセリフのひとつを残して走り去って行った。


「――海音寺に言っておけっ! この借りは武術トーナメントで必ず返すとっ!」


 そんな事を本人に伝える義理は、結果的に助けてもらった浜崎寺ユイ以外にはないのだが、とりあえずその場にいる者たちはうけたまわった。機会と気が向けば、そのついでに伝えておこうと。


「――そうなのよォ。海音寺ってホント自分勝手で凄まじいまでのオトコ嫌いなオンナなの。あそこまで来ると病的ね」


 イサオに事情と経緯を説明したアイは、癖のあるショートカットの士族の子女をそのように評してのける。


「――でも、浜崎寺|さんを助けたのはたしかですよ」


 勇吾ユウゴが幼馴染の批評に一石を投じるが、


「――けど、勇吾ユウゴの時は助けるどころかそれの邪魔をしたわ」


 リンもまた涼子リョウコを擁護する勇吾ユウゴの言葉に懐疑的であった。


「――たしかに、海音寺の言ったことはわからないわけでもないけど、それとこれとはまったくの別よ」

「――リンの言う通りだわ。海音寺が武術トーナメントで優勝する姿を見るのは、正直ぶっちゃけシャクね」


 アイが同意と自分の心中を示すと、


「――こうなったらアタシも出場するわ。武術トーナメントに」


 意を決した表情と口調でそれを表明する。


「ええっ?! アイちゃんもっ!?」


 勇吾ユウゴが驚きの声を上げる。


「――幸い、氣功術という新たな力が使えるようになるわ。それ次第じゃ、いいところまでいけると思うの」

「……で、でも、アイちゃん。それは海音寺さんだって同じ……」

「……ユウちゃんの見殺しを強いたアイツを、アタシ、絶対に許さない。必ず一泡を吹かせてあげるわ」


 金剛石ダイヤモンドよりも固い幼馴染の意志に、勇吾ユウゴはこれ以上なにも言えなかった。


「……まァ、そこまで言うなら止めやしないけど……」


 リンも消極的ながらも親友の出場を認める。


「……わたしも、出場、する。だから、止め、ない、で……」


 顔色の悪い浜崎寺ユイが必死な表情で訴えかける。


「別にアンタまで出るななんて言ってないでしょ。いや、正直に言えば出ない方がいいと思うけど……」


 訴えかけられたリンは困惑の表情を浮かべて対応する。


「――へェー。みんニャも出るんだ。これはこれは、ニャかニャかの熱戦が期待できるニャ」


 猫田ねこた有芽ユメが八重歯を光らせてうなずく。


「――アンタも出るつもりなのっ!? ――って、熱戦なんて期待できるの? このメンツで……」


 この中では唯一出場する予定のないリンが、出場メンバーを順々に見やる。

 白兵戦が苦手なアイ

 そのアイにすら負けた勇吾ユウゴ

 海音寺に正拳一発でされたイサオ

 いつ倒れてもおかしくないほどの虚弱体質で病弱なユイ

 ウケ狙いと出オチで終わりそうなイロモノの有芽ユメ

 ……初戦でバッティングしない限り、一回戦負けは必至なメンバーである。


「……うーん、これはイジメっ子どもでなくても出場するなといいたくなるメンツだわ……」


 リンはいまさらながらにその事実に気づく。


「――ニャにおォー。アタイをバカにするニャー。アタイが編み出した猫式武闘術は最強ニャンだから」

「……そ、そうよ。きょ、虚弱体質、だという、理由で、そんなこと、言わないで……」

「……じゅーぶんすぎるでしょう。翻意をうながす理由としては」


 リンは言うが、それで納得する二人ではないのは、初めて知り合ったその日の時間だけで十分だった。


「――どうやら観静っちはアタイの実力を疑っているようだニャ。ニャら証明しようじゃニャいか。そこの三人や浜崎寺っちを、アタイの卓越した指導で鍛えて強くさせることで」


 その一人の猫田有芽ユメが、この中の女子よりもない胸をそらして宣言する。


「ホントですかっ! それはとても助かります」


 それに真っ先に食いついたのは小野寺勇吾ユウゴであった。


「……なんだか怪しげな名称の武術ね。須佐之流武術よりは劣りそうだけど、背に腹は変えられないから、アタシもそれを受けるわ」


 アイも中二まじりに逡巡しながらもそれを承諾する。


「――せやな。このままやと一回戦突破もおぼつかないし、ここは特訓もかねて受けたろやないか」


 イサオも、最初こそやや消極的であったが、最終的には積極的に同意する。


「……わ、わたしも、受ける。お願い、するわ……」


 ユイも震える手を挙げて依頼する。


「……………………」


 その有様に、リンはなにも言えずに沈黙する。


「――どうニャ。この依頼数。これこそアタイの猫式武闘術を高く評価している証拠ニャ」

「……単にワラにもすがる思いで募っただけでしょ」


 リンが真実のツッコミを入れるが、有芽ユメは聞いてないフリをする。


「――それじゃ、明日の午後四時、ショッピングモールにある松下鍛錬教室トレーニングジムに集合するニャ。そこでアタイの猫式武闘術の会得と氣功術の予習をするニャ」

「――明日は実戦訓練の授業がありませんからね」


 勇吾ユウゴが言うと、アイが応じる。


「――本当は今からでも受けたいんだけどね」

「――しゃーないやろ。氣功術の会得解禁はあくまでも明日からなんや。今日からじゃあらへんさかい」


 イサオが肩をすくめるかたわらで、ユイが口惜しげにつぶやく。


「……で、でも、わかっていても、もどかしい。早く、学びたい。そして、戦い、たい……」

「……なんでこの女子はこうも積極的で好戦的なの。病弱で虚弱体質な上にイジメられっ子なのに……」


 リンがとまどいながらも首をかしげる。


「――リンさんはどうするのですか」


 勇吾ユウゴがたずねる。


「――アタシは出場しないど、一応みんなとつき合ってあげるわ。サポート要員として」


 リンは仕方ないと言いたげな口調で答えた。

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