第六章 是非に及ばず


今夜、私は死ぬことになっている。 というか、殺されないといけないらしい。




新撰組内部の反発だけでなく会津のお殿様からも勅命らしきものが下っているという。このままもう芹澤は捨てては置けないと。


でも私にも言い分がある。いくら非道極悪と言われようがお金の面を全てにわたってケア、マネージメントしてきたのはどうもこの私のようだ、


汚い部分を買って出て必要悪を一手に引き受けてきたのが芹澤鴨という男。


この新撰組の創成期において彼がいたからこそ新撰組が新撰組足り得たと言えなくもない。




ただそうかと言ってここで死を免れたいのかと聞かれればその答えには困ってしまう。






生き延びてこの先に何があるの?どんな未来が私らを待ってるんだ。


わたし、指原なりに考えてみた。



まず池田屋騒動。歴史的には大きな事件らしいけど、ここは芹沢鴨はそのポジションを考えた時、ほとんど関わらないと思うので、パスでいい。


鳥羽伏見の戦い、ここはほんとにマジ大変そう。新選組の半分以上が命を落とすんだからおそらく私もハーフ&ハーフの確率で死ぬ。


それから近藤勇の処刑、私たちのやってることが国に対しての罪とは未だに思えないけど、負ければ賊軍らしいのでやっぱり私も処刑される確立は激高い。そして沖田総司の病死。さや姉が死んじゃうんだよね。もし平成の世からペニシリンのひとつでも持ってきといたら助かってた命なんだけどね。あとは五稜郭の戦い、土方歳三戦死、新撰組消滅、西南戦争、そしてやっとこさ心安らぐ明治維新が訪れる寸法。


こう見ていくと最後までいかないと、全部楽しそうじゃないことばかり。ここで逃げてまで経験することじゃない。

それに私が言うのもなんだけど、ここを生き延びても新撰組の芹澤鴨という奴はホントにヤバい。


繰り返すようだけど、こいつの生き様はほんとに怖い。毎日敵を造ってるんじゃないかと思うほど。




意識ははっきりとこっちが握っているはずなのに制御できない力が働くときがある。気がついたら人を斬ってたり、


意識が突然ぽっかりと飛んだかと思うと目の前に死体が転がってたり。。

映画、幕末桜の花びらたちのクランクインに当たって、こんな私でも歴史はそれなりに調べあげた。


ググってググって手に入れた即席の知識を頭のなかに無理しつり押し込んだ。




だから芹澤鴨がこの世から消えることには何の異論もない。むしろ消えるべき。


ただやっぱり私自身の死への恐怖は当然ある。


だって私はこれから起こるであろう惨劇を全て克明にイメージできるほどに知っている。


寝起きを襲われ、枕もとの刀を取りにいくも、もたつく間に背後から袈裟懸けに土方歳三に一撃。


振り向きざまに飛び込んできた沖田総司に肝臓を突き抜かれ絶命。首まで討ち取られたあげく、あたりに夥しい血が流れる惨殺状態。


なので一応考えてみたりする、もし私がここでこの八木邸の母屋からひとり抜け出し遁走したとしたら。

彼等は、いや彼女達はどうでる?近藤勇は、横山由依は。


いや、その前に歴史は私らを許すのか。運命なんてそんなに本当に変えられるものなのか。史実によると死ぬのは私だけじゃない。この傍らで小さな寝息をたてているお梅とか言う女も藤堂平助の刃にかかって絶命すると言う。


時は子の刻。あと半時もすれば沖田総司が数名の手練れを連れてここに現れるはず。


相手もわかっている、私がここで命を落とすことを認知しているということを。


さあ、どうするんだ芹澤鴨。


生き延びてこの時代の自分を見届けるのか。

それとも沖田総司に肝臓を射抜かれて首を落とされあの日に戻ることに賭けるのか。




どうすんのよ、指原莉乃。










※※※






是非に及ばず


この言葉、近藤勇が不貞浪士討伐の際、抵抗する者に対して好んで使うという。


平成の世では本能寺の変での織田信長のダイニングメッセージみたいに言われてるけど、ここ幕末の京では彼の言葉で通っているらしい。




文久三年、1863年10月30日

時刻は子の刻、時間にして午前零時を回っていた。


手筈はもう整っていた。

宴の席はもう終わっている。彼等は壬生の屯所の八木邸に戻り

そこの離れにある母屋で酔いつぶれ、床についているはず。


あとはさや姉が藤堂以下の手練れを引き連れて寝込みを襲えば史実通りに事はすんなり治まる。


ただその事を歴史に逆らわず行うことが私達にとって正解なのかどうか。


芹澤鴨許すまじの声は新撰組内にとどまらず、京の洛中洛外隅々に行き渡っているのはもう隠しようもない事実。


その声に導かれて事を成すのはごく自然な流れのように思えた。けれど私たちは今ひとつさしこの心の中を読みきれていない。




「わからへんのは指原莉乃がこの時代にやって来ても芹澤の悪行は続いているとということや。  


一年前のごたごたはともかく、この前の大和屋の焼き討ちはあれはもう彼女の仕業やろ」


総司がそういうのも頷けた。さしことは未だにお腹を割って話し合えていない。何を考えているのか

「横山は横山。近藤は近藤だろ。なのにあんたは色んな顔を見せてくる、どっちで話してんのかわからないんだよ、あんたは。


だから話し合ったって頭がこんがらがるだけ。この時代なりのうちらでいい。私はそれでいく。」


最近では、ずっと監視を続ける藤堂平助の話によると酒浸りの日々が続いているらしい。だから何か考えがあってのこととは考えにくい。






「私らとさしこの違うとこころって、なんやと思う?さや姉」




「・・・・・」




「この時代の人間に限りなく近いということや、指原梨乃という人間は。


それはぱるるにも言える」




「うん。。わからんことはないけどな、それは」




「そう。さや姉はこちら側の人間に寄ってるとこはあるけど、やっぱりこの二人とは少し違う。何か心の中でこの状況を笑ってると言うか斜めにみているところがこの二人にはある。言葉を変えて言うなら楽しんでる?」




「けど、どこからくるんやろな、そんな気持ちは?」




「わからんけど、強いて言うなら覚悟の差やろな」




覚悟があるから楽しむこともできる。この時代を俯瞰で見ることも出来る。幕末に生きるもののふを気取って、


前のみを見ながら歩いていける。


そういう意味でいくと指原梨乃は芹澤鴨と同化してこの時代を生きているのかもしれない。


そしてもしかしたら私たちをどうしようもなく疎ましく感じているのかもしれない。







ただ私達は史実にできるだけ沿うようにここまでやって来た。


運命の歯車はなるべく変えないように、そう思って今までやって来た。道理を通せば自分達の未来ははまた必ず開ける。

近藤勇には近藤なりの沖田総司には総司なりの道をしっかりなぞること。そんな彼等の生涯を全うする、その先に見えて来るものがある。


「そう信じてここまで来たんや」



ここで怯む訳にはいかない。その言葉にさや姉が総司の顔に戻る。




「最近、由依はんの顔が本当に近藤勇の顔に見える時がある。


それがええことなんか悪いことなんかうちには分からへんけど


とりあえず進む道は見えてきたような気がする。


AKB も新撰組も由依はんの背中を見てるときが、うちは一番落ち着くんや」



ステージ前の高揚感、胸の高鳴り。頭のなかをオーバーチュアが駆け巡る。そう思えばいい。


全てはあの日へ戻るためのパフォーマンス。


それを分からない指原莉乃とは思えない。




「待ち構えていて、激しく抵抗された時は?」




「是非に及ばず。。ということやろ」




こういう時に使う言葉なんだと思った。


”そうとなれば仕方がない、こちらも全力でやるべきことをやるだけ”




総司の顔に再び笑みが浮かぶ。


「さしこさんにはちゃんと死んでもらう。私がしっかり送り届けてみせる、平成の世へ」




さや姉の横顔にも死の影が近づく。


死ぬ日が正確に逆算できるということ。


はたして私達はそれを”覚悟”に変えることができるのだろうか。








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