第五章 鴨とぱるるとさや姉と








─────天命、鴨とぱるるとさや姉と




文久三年九月十六日



そんなことはもちろん全然知らなかった。


幕末の京の春風に吹かれる中、我が身が近藤勇であることを何の疑いもせず日々を生きる自分がいた。

今の私達はどういう状況にあって、この新選組は何を目指し何処へ向かっているのか。

まずはそれをしっかりと推し量り見据えることが何より大切。

あの日に戻ることがどれほど意味があるのか 記憶のなかにある平成の世が徐々に姿を変えつつある。そういう意味では私はもう私のなかの近藤勇を完全に踏襲しているといってよかった。


朝起きると気がつけば枕元の小鉄の束を握っていた。物音ひとつで身構える癖。

暗闇を通るときは小走りで、通りを横切るときは目を皿のようにして辺りを見回す。そんな新撰組局長の日々のルーティンが自らの意思で自然に行えるようになっている私、横山由依。



「近藤さん」


「うん?」


「桜は桜や。いつの時代も変わらへん、散りゆく桜はなんか物悲しゅうて綺麗すぎて心が痛む」


ひらひらと風に揺られて舞落ちる桜の花びらを数えるようにさや姉の声が夜風に響く。春の十六夜の月は誰にでも優しく微笑んでいるようだった。


さや姉から由依はんと呼ばれることはもうほとんどなくなった。

もうこの時代の人たちには山本彩は一点の曇りもない新撰組の一番隊長として受け入れられている。

「私はアイドルとは思わんようにしてる」

山本彩は平成の世ではいつもそう言っていた。

アイドルとして生きる自分を俯瞰で見れるさや姉が私に誇らしく眩しかった。


「AKB にはもののふと呼べる人間が二人いる。一人はさや姉。もう一人は・・・

言わないでも分かるよな、横山?」

秋元先生がよくそう言っていたのを思い出す。

そういえば彼女もおんなじ事を言っていたような気がする。


「アイドルなんて私には向いてない。意味もないのにヘラヘラ笑うことなんてできないし、無駄なお世辞や愛想も返せない。そもそも生きる時代を間違えてる気さえする」


運命の神様が何を基準にして誰をどう選んだのかは知らない。

けれど確かに必然性はそこに存在する。


天が坂本龍馬に島崎遥香を選んだこと。

今はすべての事を重く受け止めなければいけない状況なのに、その事を考えると自然に笑みが漏れてくる。


「神様が島崎遥香に日本の夜明けを託したんや」

さや姉の言葉に私は何度も小さく頷く。


目の前をさらさらと流れていく川面にユリカモメが一羽二羽と舞い降りる。  悠久の流れを抱く鴨川はいつの世もそのリズムを崩すことなく、そのせせらぎの音(ね)を私達に届けてくれる。

ぱるるも確かに、時代を越えてこの京にいる。それももしかしたらこの川の音がきこえるほどのところに。。


今度ぱるる、いや、龍馬とあったら何て言おう。

なんて言ったらいいのか分からないけど、「久しぶり、元気?」でないことだけは確か。

でもいきなり天下国家をああだこうだと論じるのもどうかとも思うし、だいいちはたして彼女が私を横山由依と認識してくれるのかどうか、それもまだ定かじゃない。


「いきなり、あの連発銃を撃ってくるかもわからへん、ぱるさんのことやから」

そう言ってさや姉は切れ長の目をいっそう細くして悪戯っぽく笑った。


── 強ち冗談とも思えない

ぱるるのなかではもうあの平成の世の中はすでに終わっているはず。平成の標準的女子の私が近藤勇の想うところをもうこれだけ具現化できている。

もののふの心を持つ彼女なら、それを上回る龍馬との同化を遂げていると考えるのが自然。



「鼻づらに突きつけられた拳銃の感触は今も残ってる。うちが山本彩と分かっていての所業や」


あの夜、確かにぱるるはもう坂本龍馬だった。 おそらく島原遊郭の階下から響き渡ったその声で彼女のなかのその日のシナリオは全て出来上がったはず。

「私は島崎遥香。」

そんな歴史の流れを止めるかのような真似はしない。それが天が造りたもうた筋書きであるなら誰であろうと打ち負かすことは吝かではない。それが例え“ぱるさや“のさや姉であろうと。



あの夜・・・


(もういいでしょ!)


美音の言葉に二人は凍りついたまま沈黙の闇のなかで睨み合う。

互いに、聞こえてくる息遣いの数を数える。僅かな吐く息の乱れをさや姉は感じていた。


(撃つ気なのか、ぱるさん)

その気持ちの揺れが切っ先を微妙に揺らす。対峙する緊張の糸はほんの数ミリの動きにも瞬時に反応する。それは今から思えば僅かゼロコンマ数秒の世界だったと思う。

どちらかが先だったか分からない、銃弾がさや姉のこめかみをかすめ、その剣先が彼女の黒髪を数本払い落とす。


(ぱるるさん!)

美音の叫びが闇の中に溶け込み、さや姉の微かな吐息だけがその場に残った。



それは沖田総司としての気持ちが勝っていたのかもしれない。今ならあの坂本龍馬を切れる。目の前にいるのは紛れもない私達が追い求めている不貞浪士の権化。その時、さや姉は島崎遥香の姿は見えなかった、いや見ようとしなかったと言えばいいのかもしれない。



「十六夜のお月さんのせいで今夜は島原もえらい人やろ」

今日のさや姉はいつもと少し違う。良く笑い、良く喋り、良く飲み、そして良く泣いた。

大切なものを捨てて自分を貶める覚悟を決めかねているのだろうか。



文久三年九月十六日、私の記憶が確かならば今宵は芹沢鴨、落命の日。

新選組屯所でもある八木亭離れにて沖田総司に肝臓を射抜かれ絶命する。


けれどもし指原莉乃が幕末の史実に詳細な知識を持ち合わせているのであればこれは当てはまらない


「逃げるんかな、指原さん」


月明かりに照らされた沖田総司の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいるようにも見えた。




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