第七章 島原の風に揺れる命ひとつ─前編







島原の朝は遅い。


夜が明けて東山の空高くにお陽さんが昇る頃になっても

通りを行く人影はまばらで、チュンチュンと舞い降りてくる雀たちの囀りが聞こえてくるだけ。


人々は夜な夜な続いた昨夜の宴を夢見て未だ朝のまどろみのなか。


一日の始まりを告げる、東本願寺の鐘の音もどこか控えめに聞こえてくる。


朝の緩やかな日差しが寝屋の側まで忍び寄る。

太陽の位置からするともう八時は過ぎているはず。

隣でスースーと気持ち良さそうに寝息をかいている美音を起こさないように布団をそっと祓う。


この子が花魁だなんて・・

あどけなさがまだまだ隠しきれない、その寝ている顔はあの時のまま。AKB48次世代を担うセンター美音。

これで私も安心して自分の道を歩める、島崎遥香のいないAKB も捨てたもんじゃない、向井地美音がゼロポジで歌い踊る姿を見て私はそう思った。


こんな信じられないようなタイムスリップが災難だと思うか、天から与えられた貴重な至福の時と思うのか、それでこの世界の生き方が変わってくる。要は考え方ひとつ、その時々に自分の居場所を見つければ自ずと道は開けてくるはず。

ただ、そんな選択を幼すぎる美音に求めるのはあまりにも酷な話かもしれない。











「夕霧が死んだら私はどうなるの?」



昨日の夜、東山の空に浮かんだ十六夜の月を見上げていた美音は何か楽しいことを思い出したかのように仄かに笑みを湛えながらその大きな瞳をこちらに向けた。


「平成の世に帰れる、さや姉はそう言ってた」



「でもだよ、私イコール夕霧でしょ、夕霧が死んだら私も死ぬのが道理でしょ?」


「大きな括りで言うとそうだけど、突き詰めて言うとそうじゃない」


「わかんないよ、それじゃあ。なら、ちゃんと突き詰めて言ってよ。ぱるさん」


「だから、龍馬でいいがやき」


「ほら、都合が悪くなるとまた変な言葉使う」



ぷっと頬っぺたを膨らませる美音の目にはまだ深刻な陰は降りていない。


おそらくこの世界で死ぬということの意味をまだはっきり理解できていないのだろう。

考えてみれば、昨日までアイドルをやっていた子が突然目が覚めたら島原の郭のてっぺんで、花魁の衣装を着せられて鎮座ましましているんだから、今の自分を夢物語と捉えていても無理もない事なのかもしれない




けれど、そういう私もこの世界を美音に語れるほどの自信はないしこの時代の自分をはっきりとは認識はできてはいない。

朝起きて思わず、あるはずのない枕元の目覚まし時計に手を伸ばしてみたりするのはいつもの事だし、町をゆく京都の人間達を見ても未だにリアルに感じられない。


どこかで誰かが騙してる、大がかりな国家プロジェクトのようなドッキリ。

そんな考えは今の今まで捨てきれなかった。


ただ、この何処までも続く町家の並び、耳を澄ませば聞こえてくる高瀬川の瀬音、天気のいい日には東の空にくっきりと浮かび上がる比叡の山々の稜線、それらが今となってはその考えが妄想に過ぎなかったことを教えてくれている。

認めたくない現実がそこにはある。



「でもぱるさんは楽しんでるようにも見える」


美音はそう言って憚らない。


確かにいつも懐に抱いている英国式連発銃のこのしっとりくる心地よい重さには心躍るものはないとは言えない。


ドラマのなかだけでしか知らなかった坂本龍馬をリアルに演じれている快感、

それもないとは言い切れない


だけど、私だってこんなとこ、はっきり言って好きじゃない。



京都は由依と連れだって二三度しか来たことはないけど、その時はこんなんじゃなかった。


町並みの古めかしいのは嫌いじゃない。それなりに風情があっていいと思う。

月明かりに照らされて町家の軒下を彩る提灯を見ながら河原町通りをそぞろ歩き歩くのは心が安らぐ。

でもそれも一雨来れば一変する。泥だらけで歩けたもんじゃない。


それに町を歩いたら必ずと言っていいくらい野良犬に追いかけられるし、


通りにはだれとも知れない骸が転がってるし、トイレもほとんど垂れ流し。ほんと町中に耐えられない臭いが充満してる。


ただこの町のこの時代に漂う妖気とも言えるようなただならぬ雰囲気は

私に合っているような気がしてならない。

龍馬の血が融合して私はここに立てている。あの平成の世のポンコツ島崎遥香を遠いものとして斜めに見れてる。

何の躊躇いもなく平気で刀を握り銃を取り日本の夜明けに向きあえてる。


そういう意味では自分では気づかないうちに 

もしかしたらこの世界を私は楽しんでいるのかもしれない。






「だけどさぁ、結局はみんな死ぬのよね。龍馬のぱるさんも近藤勇の横山さんも沖田総司のさやかさんも、そしてええっと誰だっけな、指原さんの・・」



「芹澤鴨」



「そうそう、その鴨さんも」




(生きて戻る為に私達はちゃんと死んでいくんや)


芹澤鴨の忌野の際にさやかさんはそんな言葉を贈ったらしい。

沖田総司に肝臓を射ぬかれ抱き抱えられ、まるで夢の中に吸い込まれるようにさしこさんは笑顔を浮かべて絶命したらしい。


それ以来ちゃんと死んでいく、その意味をずっと考えてる。

龍馬の私で考えるなら、おそらくそれは難なくやってのけると思う。

でも少しでも島崎遥香が顔を覗かせたなら事はそう簡単には運ばない。




時刻は明け六つ亥の刻、べんがら格子戸の窓のすき間から心地よい初夏の風が吹き抜け風鈴をチリリンと鳴らす。

見上げればいつの間にか顔を出した入道雲が東の空をすっかり夏色に染めていた。



















※※※






「太夫、よろしおすか?」


突然 障子の向こうで聞こえる禿(かむろ)の少女の声に身構える。



「何?」



いつから起きていたのか、布団のなかから大きな瞳を覗かせる美音。


「お客さんどす」



「お客さんって?」



美音の顔色が変わる。その声に小首を傾げるのも無理はない。

ここは郭、客を招き入れている座敷にダブルブッキングなどあろうはずがない。



「しっ」


キョトンと小首をかしげる美音のまだ紅の残る唇を人差し指で抑えながら、懐の連発銃に手を伸ばす。


朝の木漏れ陽に照らされて揺れる人影がゆるりと障子戸に手をかける。

二人、いや三人、微かな廊下を滑らすような足音でその人数を推し計る。


(部屋の隅に)

指先で指し示し目線でささやくように促す。


以前も同じような事があった。もし私があの時山本彩の沖田総司に気づくのが数秒遅れていれば私の連発銃はその心臓を確実に撃ち抜いていただろう。


見方を変えて言うと沖田総司の判断がもう少し遅れていれば彼の妖刀、菊一文字で私の鼻面は真一文字に分断されていただろう。


けれど懸命なさやかさんのこと、同じ轍を踏むとは思えない。

だとしたら、今まさに障子の向こうに居るのは新撰組の別動隊かそれとも会津子飼いの市中見回り組。



「開けてよろしおすか?」



心なしか震えている禿の催促の声に美音が訴えるような瞳をこちらに向ける。

花魁の座敷はあくまでも郭のなかでは聖域、花魁夕霧の承諾なしではその扉は開かない。それはここ島原での絶対の決まり事。


「逃げないの?ぱるさん」


「どうせその内死ぬ身じゃ、ここで朽ち果ててもえろう変わらんきに」


「じゃ・・いいのね」


「ああ、おまんだけは後ろに下がっちょき」


私もぱるさんと一緒だったら怖くない、

そう言って美音は唇を真一文字に結び姿勢を直して入り口の方へと向き直る。




「よろしいえ。どうぞお入り」


美音を左手で庇いながら連発銃の銃身ををゆっくりと入り口の方へと向ける。

禿の小さな影の向こうに脇差しを差した大きな影が三体ほど見えた。

弾もちょうど三発。外さなければこの至近距離、どんな相手であろうと瞳の底まで撃ち抜ける。


ぱるさん・・・

美音の鼓動が速くなる


その囁きが終わるか終わらないうちに音もなく戸が開く。

膝をついた禿に招き入れられ、覆面頭巾姿の侍達三人が姿を現す。



「おっと、龍馬さん、そいつはちょっと物騒過ぎねぇかい」



聞き覚えのある生粋の江戸言葉に思わず引き金を緩める。脇差しに手をかけていた両脇の侍を制止ながら彼は覆っていた頭巾を外した。


「ずいぶん待たせるもんだな、花魁ともなると」


「麟太郎先生?」



日本を歴史を変えた人間が二人、島原の郭で顔を会わせる。これも自然な歴史の流れなんだろうか。それとも私たちがこの時代に降り立った罪の為せる業なんだろうか。



「誰?」



美音は知らないのかもしれない。


この人が龍馬と共に私たちの日本を異国から救った救世主の一人であることを。







※※※











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