第三章 そこをね、未来では"せんた"って言うんだって
「美音見なかった?
胸騒ぎが次第に大きくなる。
「さしこ頼むね、美音のこと」
昨日の夜から今日の朝まで、ラインとメールで
横山の美音頼むで攻撃の集中砲火は止むことがなかった。
――取り合えず、何も話さなくてええから、目離さんといて。
それじゃあ私でなくてもいいじゃん
安心やからさしこが一番
まるで自殺でもするみたいな言い方だよね
それも含めて・・お願い
マジで?
その日、映画幕末の桜の花びらたちのPV撮影は午前と午後と場所を変えて行われる予定になっていた。
昼休みが終わればここ壬生寺から場所を移動して祇園でのロケ。昼食を終えてスタッフさん達は三々五々、自分の持ち場に戻り移動の準備を始める。
もうそんなに時間はない。
事が大きくなる前に見つけないと・・
冷静に頭を休めて考えてみる。
衣裳の花魁の着物を引きずったまま外に出れる訳はないはず。
だとしたら考えられるのは、控え室、トイレ、庭、車のなか。
そして横山が言っていた、あのお堂。
「全部見たし。誘拐でもされない限り、何処かにいるのは間違いない」
少なくとも横山の心配していたことは起こっていない。そう考えると少しは気持ちが落ち着いた。
ただ・・
「お堂の前でじっと立っているのを見たわよ、さっき」
そんなスタッフさんの声は心のどこかに引っかかっていた。
「あのお堂のなか入れるの?」
「鍵いるみたいだよ、行くまでの通路の。 でも・・・」
「でも?」
「さっき見た時、壊れてるみたいに見えたけど」
「ふーん」
鍵が壊れてる、
そんな声に導かれるように気がつけば私はもうそのお堂の前に立っていた。よくよく見れば、壊れていると言うより、もともと抜いて入れるだけの鍵だったのだろう。それを誰かが開けたまま放置していったのかもしれない。
有名な観光地でもある壬生寺の昼下がり。平日とはいえ観光客や参拝客は少なくはない。けれどここは一般客は入って来れないようで、行き交う人もほとんどいない。何か嫌な胸騒ぎはした。自分の危険やリスクを予見する、そんなことに関しては人一倍敏な私だけど、その日は何故か違った。足が勝手に動く、誰かが何かが私の背中をおしていた。
少し錆びかけて茶色くなった鉄格子を親指と人差し指だけでそっと開ける。思ったより冷たい鉄の感触に心がちょっとざわつく。突然冷房の効いた部屋に入ったような温度差を感じる。
お堂まではあと5,6歩ほど。戸はついていなくて、ちょうど向こうとこっちがいけいけの門のような造り。
「美音!いる?」
誰もいないところなのに誰かが見ている、誰かが呼んでいる、
そう感じた途端、足元がぐらつく。踏ん張れない感覚が全身を襲う。
戻らなきゃ、本能的に踵を返して鉄格子にへばりつく。曲がるはずのない鉄の棒がぐにゃりと形を変える。持っていたピンクのiphoneが黒光りする廊下に転げ落ち、辺り一面を桜色に染めていく。
「指原さん・・」
美音の声が聞こえた。
薄れゆく意識のなかで満開の桜下で舞い踊る花魁夕霧の姿を見たような気がした。
───── ※ ─────
────せんたー美音
なにがなんだか分からないままに時が過ぎてはやひと月。ここが島原遊郭と呼ばれるところだということがわかるのにそんなに時間はかからなかったけど、私がここで何をするかという一点については少しばかりの時間を要した。
「あんたの最近の喋り方、ちょっとおかしあらへん?」
お母さんではないのにお母さんと呼ばないといけないこの人。しきりに私の言葉に食いついてくる。
「花魁言葉、忘れてもうたん、あんた?あんだけ苦労してやっと覚えたのに、人間ってそんな簡単にわすれられるもんやろかねぇ」
「覚えてねぇし、忘れてもねぇし」
「なに?何て言うたん? 分からへんのよ、近頃のあんたの言葉。」
この人に私のことをどんなに喋っても分かってくれるわけはない。
まずは私の思考回路はそこからスタートするしかなかった。
「遊郭と売春宿ってどう違うんですか」
映画幕末の桜の花びらたちの事前本読みを兼ねた打ち合わせ。
その席で私は秋元先生にそう聞いた。
「何言ってんのよ、ググればいいじゃん、美音」そんなざわつくメンバー達の声は私の耳には入らない。聞いておかないとダメだと思った。自分で調べるんじゃなく、この映画を作る秋元先生に聞くことに意味があった。
夕霧がどう生きたのか、どんな想いでここまでたどり着いたのか。それを私にどう演じろというのか。そうでなければ私はこの役を受け止めることができない。生意気かもしれない。演技の経験の浅い、私が言うのは鼻につくかもしれない。でも思った疑問はその時々にきちんと解決していく、それは私が子役時代に学んだ数少ない教訓のひとつ。
「全く別物だ。売春行為とか、そういうものを越えたところに遊郭というものはある。特に島原というところは。簡単にいうなら人間の営みの根源を見れるところだ。大袈裟に言うなら
幕末の歴史を作ったところでもある。演じる上で知らないことは罪だぞ、向井地。」
島原遊郭。花魁夕霧の生きた街。10代半ばの若さで花魁の地位まで上り詰めたといわれる伝説の花魁。彼女がいなかったら間違いなく京の歴史は変わっていた、そこまで語り継がれる女性とはどんな人なのか。ググったけど、私の好奇心を満足させらるような情報はそれほど多くはなかった。
島原の現存する遊郭の遺構、島原桜。お城を思わせるその建物は当時の建築としては破格の木造地上四階建て。そしてその最上階がおいらん夕霧の寝所。ある意味仕事場だったとも言えるかもしれない。
赤茶けた塗り壁はその都度修復され、未だに当時の華やかさを残す。立派な床柱は黒光りしていてまるで鏡面のような怪しい輝きを放つ。見上げるような天井、そこに描かれる極彩色の花鳥風月。
でも限られた史実によると
おいらんの一日はそれはそれは大変だったらしい。
朝一番から若い子たちの挨拶を受け、必要があれば伏して体調が悪い子への見回りもする。
午後からは芸事の稽古、島原の顔である花魁、お客様への文は彼女の筆が一手に行う。
言葉使いも花魁なりの客の期待を裏切らない対応が求められたという。会う方々はいわゆるその時代の要人の方ばかり。ボキャブラリーはもちろん当時の接客態度、マナー、世情など、すべてを把握したうえで席に挑まなければいけない、
・・・と史実ではそう書いてあったんだけど。。
でも、ほんと歴史なんていい加減だと思う。
今日だって私は朝から何もしていない。やることと言えばお化粧をされるのに顔を少しばかり前に突き出してじっとしていること。あとはすべて回りがやってくれる。
言葉に限ってもそう。だって自分のことを"あちき"、語尾には"ありんす"、それでことが足りるみたい。ただ発音と言い回しとTPO、これを間違うと意味が伝わんないし、場が浮いてしまう。
それらしい言葉を添える時にはそれらしい言葉の抑揚とおいらん独特の目線、豊かな感情表現が必要になる。特に島原遊郭は数ある遊郭のなかでも格式が高く、おいらんになった後でもいろいろとしきたりが煩かったらしい。まぁこれもAKBでいうところのセレクション審査みたいなものと思えばなんと言うことはない。
でも、ここではお母さんを除いてはおいらんが一番偉い。それはどうもそうらしい。だから一応そんな言葉使いもそれなりにしていれば誰に怒られることも誰に咎められることも、まずはない。そういう意味では向井地美音にとってはそれほど住みにくいところではないようだ。
お客さんに限ってもおいらんの一存で事の全てが運べる。
映画幕末の花びらたちの事前講習で習った事実以上にここではおいらんファーストが進んでいることに驚く。そのなかでの一番の驚きは、私の周りにはいつも女の子が付いていて、頭のてっぺんから足の先まで面倒を見てくれること。朝目が覚めればお湯を張った桶を持って傍らにいて、食事の時にはぴったり寄り添い口にまで料理を運んでくれる。もちろん一日二回のお風呂は体の隅々にまで彼女の手が届く。
「私もいつか太夫みたいになりたい。いっぱい御足頂いて目一杯綺麗に着飾って、ありんす、ありんすって胸を張っておいらん道中を歩くの」
この女の子は目を輝かしてそうは言うけど、なれるのはほんの一握り。というよりもほぼ奇跡に近い確率。ほとんどの子達は当時の寿命が得られないまま若くして労咳とそう毒で命を落としていく。そのきらきらした瞳が今の私には堪らなく、眩しくて切なくて。
そんな、彼女の自分を疑わない真っすぐな瞳とけなげに生きるひたむきさがチーム8の子達と重なる。
「ゆいゆい、菜々美、どうしてるのかなぁ」
平成の京都の空とは比べるべくもない、京の都の星降る夜空を見上げながら、涙を一筋こぼすのが毎夜の私の日課。訳も分からず手ぬぐいで私の涙をぬぐいながら同じように瞳を潤ませる少女。
今の私にはこの女の子が唯一の心を許せる友といっていい。
お小夜ちゃんって言うんだけれど、私とそう年端も変わらないこの子のおかげで私はこの得体の知れない世の中に何とか適合できてる。
「私、未来から来たんだよ」
大人なら誰もが鼻で笑われるか、すっ飛ばされるところをお小夜ちゃんは目を丸くしながら聞いてくれた。
「お客さんから、そんな話を聞いたことがある」
耳年増って言葉は平成の世のなかでも聞いたことはあったけど、ここの子たちはそのレベルが違う。お大名、お公家、お侍、不貞浪士に歌舞伎役者、商人は言うに及ばず、お乞食さんまでが島原遊郭の戸を叩く。格式は日ノ本随一だけど、客を選ばないのも日本一。
接する人々のバラエティさが彼女たちの知識の泉を驚くほど豊かにしているのかもしれない。
ほんとうに怖いほど何でも知っていた。この子を見ていると、この時代の遊郭というところの溢れるほどの情報量のすごさを思い知らされる。
「時を飛び越えてやって来れる人が稀にいる、その人はそう言ったの」
未来に同じ女の子達がいる。身体は売らないけど、やってることは同じようなもの。だから、ここの子たちを見ていたら自然に涙が溢れる。
みんなおいらんになれる日が来るのをじっと待ってる。日々の苦しさ嫌なことはその日を夢見ることで我慢できる。でも誰も疑わない、誰も口には出さない、そのなかでほとんどがその真ん中にはたどりつけないことを。
自分のことはあまり語らなかったそのお侍さんだけど、お小夜ちゃんには心を許したのか、そんなことを語ったという。
「そこをね、未来では”せんた”って言うんだって」
「せんた?」
「うん。せんた」
「お小夜ちゃん?その人ほんとにそう言ったの、センターって」
「ううん、せんたぁぁ、じゃないよ、せんた」
誰かがこの世界にいる、私だけじゃないんだ。
それにもしかしたら私を捜してくれているのかも知れない。
誰だろう?横山さん?でもお侍さん男の人だし。さや姉?男装したらみえるかも?
何でもいい、とにかくうれしくて涙が溢れた。
良く聞けば名前は知らないらしい。ここは特殊なところだから名乗らずに常連になっている者が少なからずいる。高名なお公家さんや大名クラスの武士でもいわゆる字(あざな)と呼ばれるニックネームで呼ばれることが多かったという。
「でも大体決まった日にお越しやから会えると思う 」
お小夜ちゃんが言うには月夜の晩、月明かりが足元を明るく照らしてくれるような日には絶対来ない。決まって来るのは闇夜の日。それも雨がそぼ降る人の出入りがめっきり落ちる日。
「明日は本降りだよ、太夫。 だって、ほら見て。十六夜の月が今夜は全く見えないもん」
お小夜ちゃんはそう言っていつもと変わらない笑顔を私に向けた。
元治元年六月十六日、雲が開ければどんなに綺麗なお月様が見れるんだろう。
、花魁夕霧がそう毒で命を落とすのも一年後の今月今夜。
満ちた月が眩しいほど輝いていた十六夜の日。そんな史実に残されなかった事実を私はまだ知らない。
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