朗読をする

『手はそのままにしておけ。崩れたらやり直しだぞ』


ナナシの発言に唖然としていたら、何でもないように言われた。いや、それどころじゃないでしょうが。


『どうした、これを俺に読むのがお前仕事だぞ。早く読め』

「・・・はぁ。分かったよ」


兵士さんたちへの言い訳は後で考えよう。今はこの猫を満足させるのが先だ。肩の力を抜いて、再度視線を空中に漂う文字たちに向ける。息を、吸って。


「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」


普段喋るよりも、ゆっくりと。落ち着いた声音を意識する。ナナシは漸く始まった朗読に満足そうに膝の上で丸まり、耳をピクピクと動かしている。兵士さんたちは突然始まった朗読に困惑していたが、読み進める内に前を向いたり、目を瞑ったり、曇り空を仰ぎ見たりしていた。


「先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵をめぐらした」


四を読み終えたところで、何処か建物に着いた。兵士さんたちは凄く残念そうにしていたけど、移動のお供の朗読はここまでだ。

建物は≪アナスタシア≫の東の砦。まずは汚れを落とそう、ということで風呂に連れてこられた。お風呂にはなんと、女性の事務員さんが入れてくれました。いるんです、女性が。後から知ったのですが、残った兵士さんや騎士たちでは事務にまで手が回らないので読み書きの出来る女性を雇っているそうな。


「猫さんは、レモンちゃんが洗ってね」

「うん」


お姉さんはナナシに触れないので―信仰上のアレソレ―、私が洗うことに。え、猫の洗いかたなんて知らんよ?取り合えずナナシが指示してくれるのでそれに合わせて洗った。そしてふと気が付いた。


コイツ、シルエットにしか見えない。


なんで今まで気付けなかったのだろう。黒猫だと思っていた。けれど毛の質感が無い。影絵みたいなんだ。目もある。色が分からない。不思議た。お姉さんに髪を乾かして貰いながら、膝上のタオルにくるまるナナシを見詰める。本当に、不思議だ。


「よし!じゃあ次は教会に行こうか」

「教会で何するの?」

「まずは孤児登録をして、次に礼拝堂で生きていることに感謝して、最後に猫さんの飼い主契約をするの」

「分かった」


猫を飼うのに教会で契約するのか。なんて面倒なんだ。

鏡の前に立ち、改めて自分の容姿を見詰める。陽に当たることが少なかったのか肌はとても白く、髪も薄氷とでも表現しようか、色素が薄い。唯一快晴の青空のような瞳にははっきりとした色がある。腹部から背中にかけてぐるりと火傷の痕があって、髪はショートカット並みの長さから右下がりに不自然に伸びている。多分切れたんだろう。


「んー、子供服なんて残ってたかしら。なんだったら今から作れるけど・・・」


箪笥をごそごそ漁っているお姉さん。下着はあったのに服がないって中々不思議な状況。結局少し大きいシャツをワンピースのように着ることになった。襟口がずれ落ちる。ナナシを抱え、お姉さんと共に町の教会へ向かう。なんと、馬で。お姉さんは乗馬が出来るらしく、馬に乗せて頂きました。いい経験した。ナナシは目立つので、タオルに包んで姿を隠しています。


「すみませーん、砦の者です。この子の孤児登録をお願いします」

「はい、承りました。では、奥の部屋で手続きを。貴方は、お祈りをして待っていてね」

「はい」


シスターさんに促されて、一人で礼拝堂に入る。中には誰もおらず、薄暗い中にステンドグラスから降り注ぐ柔らかな光。そりゃ前世で神社巡りを趣味としていたし、教会での礼拝方法も知識として知っちゃいるが別に熱心に神を信仰していたわけじゃないし、キリスト教の礼拝方法でこの世界の教会で礼拝をして良いのかも分からない。

今こうして私が生きているのは、膝上で呑気に欠伸をしているこの猫のおかげだ。なら、神に感謝するのは少し違う気がする。


『なんだ、何もしないのか』

「・・・逆に、何をしろってのさ」

『祈れば良いんじゃないか?』

「二礼二拍手一礼?あれ結構最近に作られた形式上の参拝方法でしょ?」

『適当にやってた時代の方が長いんだよな』

「そうそう」


女児の声とナナシの声が微かに反響している。聖歌隊はあるのだろうか。あれは素晴らしい歌声だった。是非また聞きたいものだ。片隅にオルガンを見付けた。埃を被っていた。そりゃそうか。戦時中に、楽しめる音楽なんてあるわけないか。


「お待たせ、レモンちゃん。猫さんの飼い主登録しよっか」

「はい」


シルエットしか分からないナナシの毛並みを整えていると、入り口からお姉さんが声をかけてきた。椅子から立ち上がり、ナナシを包みなおす。お姉さんと一緒に、しわくちゃなおじいちゃんが礼拝堂に入ってきた。真っ白な服を着ている。


「初めまして、レモンさん」

「初めまして」

「私はこの教会の司祭、ファスターです」


ファスター司祭の声は、私が小学生の頃に亡くなった祖父に似ていた。

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