戦孤児
『おい』
てしてしと頬を叩かれる感触で目が覚めた。瞬間、記憶がフラッシュバックしてもう一度気絶しそうになった。あ、頭痛い・・・。
『起きたか』
「・・・お前、猫だったのか」
『なんだ、知らなかったのか』
「まぁ、声しか聞こえなかったし。それで、ここは・・・」
『ここは所謂異世界。つい先日世界大戦が終了して、今はどの国も疲弊している。お前さんはその戦孤児の身体に転生したのさ』
言われて初めて己の体を眺めてみた。年は10に満たないだろう少女の体だった。腹部から背中に大きな火傷の痕がある。可哀想に、痛かっただろう。猫曰くこの体の元の持ち主は既に旅立っていて、周囲の人間も全員死んだらしい。
周囲は焼け焦げた瓦礫だらけで、酷い腐臭もしている。森があったのだろうか、煤けた黒い柱が寂しげに立ち往生している。空は重たい雲に覆われている。時間なんてわかりゃしない。
「私は、何をすれば良いんだ?」
『まずは人がいる所まで歩くぞ。そこで孤児として保護してもらう』
「どれくらい掛かる?」
『そうさな、兵士たちが残骸処理をしている場所までは半日もあれば着けるかもな』
残骸。なんの、とは聞かなくても良いだろう。私の曽祖父は陸軍の軍人だった。そういう話は嫌というほど聞かされた。周辺国が核ミサイルの実験ばかりしていて、テレビでもそういう放送を再三やっていた。全く、敗戦国というのはそういう物に敏感になってしまうのだろうか。
幸い体の機能に不備は無かったので猫を抱えて移動を開始した。移動中に猫からこの世界について色々教えてもらった。
『この世界には魔法が存在してる。一般的な呼び方は魔術で、古代の失われた魔術や魔術師の上位職である魔導師が扱う魔術を魔法と呼ぶ。で、何故世界大戦が行われたかといえば失われた古代魔術の《アルシャス》と呼ばれる魔法を蘇らせちまった魔導師がいたのさ。《アルシャス》ってのは要するに全知全能って意味でな、この魔法が使えれば・・・あー、なんというか、お前の世界でいうゼウス神みたいな立ち位置になれるのさ。つまり、人間を神にする魔法だ。勿論本当に神になることは出来ない。代償も必要だ。それでも、欲に目が眩んだ大馬鹿者には魅力的なモノだったんだろうな。世界は三つに分かれた。魔導師を保護するか、危険と判断し処分するか、自分たちの為に扱き使うか、大喧嘩さ。渦中の魔導師は姿を消したし、多くの人間が死に、土地が死に世界が疲弊した。そして漸く各国の王が集い、終戦が宣言された。今お前がいるのは魔導師を保護しようとした国の代表国である《アナスタシア》だ。・・・寒そうな名前だと?まぁロシアの皇女の名前だしな。《アナスタシア》は日本によく似た気候だ。四季がある。世界共通の暦も元の世界と変わらん。そうだな、中世ヨーロッパに現代の色々な物が混じっていると思ってくれ。水道もトイレも風呂も現代日本と大差ない。・・・あぁ、凄いだろう。こういう魔法が発達した世界こそ文明の発達は遅い。だがこの世界はバランスよく発達しているのさ』
猫の話はただの説明だったが、とても面白かった。多分猫の声が聞きやすいからだろう。私にも分かるように例えを出してくれたり、退屈しないような工夫をしてくれたり、中々気の回る猫だ。猫の饒舌を聞きながら辿り着いたのは、ナニカが小高い山をなしている広い、広い更地だった。
『酷いもんだろう、元は穏やかな草原だったんだぞ』
くあ、と猫は欠伸をした。赤黒く汚れた小山を眺めながら脳裏に広大な草原を思い浮かべてみたが、ダメだ。芝生はズタズタに裂かれた防弾チョッキらしきものに、背の伸びた草は濁った色の指に、草花を揺らす穏やかな風は火薬と鉄の匂いを運んでくる。空に太陽は無く、青色は見当たらない。あぁ、これが戦争か。
曽祖父はいつも言っていた。戦争は恐ろしい。けれどもっと恐ろしいのは死んだ人間たちだ。生き残った人間に絶望しか与えない。流した血で希望を覆い隠してしまう。私はそれを悲しいことだと聞いていた。しかしそれはただの、私の妄想でしか無かった。妄想は所詮妄想だ。現実とは、こうも差がある。
『・・・どうした』
「不思議だ。こうして今、目の前に死体があるのに、私にはまだ画面越しの風景にしか見えないんだ。それが凄く、不思議だ」
『まぁ、いきなり悲鳴を上げて逃げ出さないだけマシさ。お前の思考が冷めてるのと、その体が慣れ切っていたんだろうさ』
この体の、元の持ち主はこの風景に慣れてしまったのか。この場合、可哀想にと憐れむのはお門違いだろう。それよりもまず、人を探さなきゃ。
「近くに人はいる?」
『目の前にごまんと転がっているだろう』
「生きてる人間」
『すまん冗談だ。このまま真っ直ぐ進め。そうすりゃこの国の何人かいる』
「分かった」
足場が悪い。しかも裸足で、子供の体で。不便でしかないがなんとか猫が言う方向に進んだ。すると、沢山の声が聞こえてきた。
「猫」
『ナナシだ』
「変な名前ね。ねぇナナシ、あの人たちで良いの?」
『あぁ、《アナスタシア》の兵士たちだ。行くぞ』
歩くのは私なんだけどなぁ。この子の見た目通りの言動を思い出しつつ、ゆっくりと兵士たちに近づく。兵士といっても鎧は纏っておらず、荷車に故郷の人たちを横たえている。その表情があまりにも悲しげで、目を逸らせずにいたら、乾いていなかった血でぬかるんだ泥に足を取られ、盛大に尻もちをついた。
は、恥ずかしっ。
『おいおい、大丈夫か』
「めっちゃ痛い・・・」
服も体も元から汚れている。気にはしないが、やはり恥ずかしいものはある。
「ん?なぁ、あっちで物音しなかったか?」
「物音?どんな」
「なんかこう、べしゃっって感じの」
「なんかが滑り落ちたんだろう。気になるなら見に行って来いよ」
「うへぇ、魔獣だけは勘弁」
あ、誰かこっちに来る。
無意識に猫を抱える腕に力が入る。座り込んだせいで、あちらの死角に入ってしまったらしい。
「ど、どうすればいいのさ」
『どうもせずに怯えてろ』
「なるほど現状維持ね」
人間予想外のパニックになると体が言うことを聞かなくなるらしい。誰かが来るまで、もう少し。
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