猫が店主の朗読カフェ

初夏みかん

プロローグ

「私は、その人を常に先生と呼んでいた」


通勤中、私は朗読をしている。勿論電車の中では黙読だが。電車から降りる駅で、毎朝私を待っている子たちがいるのだ。人数は毎朝変わって、メンバーもしょっちゅう変わる。学校に馴染めない、自閉症の子供たちだ。養護教諭という仕事をしていて、彼らの心の声を聞く機会が多く、何より私自身の弟が自閉症だ。決められた通学団で登校するより、此方の方が彼らに心的負担が無い。それを4年間弟と共に通学団で小学校に通っていた私はよく知っている。

1年生から6年生までいろんな子がいるが、読むのは決まって文豪作品だ。たまにアンデルセンのグリム童話を読んだりもする。図書室に置いてある子供向けの絵本は持ち運びにくいし、何より子供たちが退屈する。この子達を子供扱いするのは間違いだ。


「せんせー、それなんて作品?」

「んー?夏目漱石の『こころ』ってやつ」

「夏目!?この前社会でやった!」

「おー、そうかそうか。じゃあ他に何書いてたか言える?」

「猫!」

「吾輩は猫である!」

「人間失格!」

「坊っちゃん!」

「図書室に草枕あった!」

「へー、よく見つけたね。偉い偉い」


ほら、次々題名が出てくる。内容は知らないけど、夏目漱石って作者名と共に何となく覚えてたんだろう。なら、ちゃんと褒めてやる。少数は何かと大勢に理解されない。けれどちゃんと向き合えばこの子達は賢いだけの普通の子供たちだ。


「あ、猫!」

「ねこちゃん?」

「どこどこ?」

「あそこ!」

「わー!」

「...なっ!ちょっと、まっ!」


余程猫が珍しかったのか、堪らなく好きだったのか。4年生の男の子が走り出してしまった。慌てて追い掛ける。そして、気付いた。横断歩道の信号は青。車道の信号は赤。なのに、全くスピードを緩めずに突っ込んでくる乗用車。


最悪だ。


目の前の男の子の肩を思いっきり掴んで後方に押し倒す。突然の痛みに、男の子は驚いた顔をしていた。反動で私の体は前に傾き、遠くで子供たちの悲鳴を聞きながら意識が途切れた。


ごめんね、怖いもの見せちゃって。驚かせてごめんね。続き、読んであげられなくてごめんね。あと、あと...。


『おい』


誰さ。


『猫だ。お前さん、死ぬのか?』


あぁ、死ぬなこれは。


『お前さんの朗読、毎朝楽しみにしてたんだがな』


おや、意外なファンがいたもんだ。


『提案だ。俺に毎日朗読を聞かせるのを条件に転生しないか』


転生?流行りのラノベじゃあるまいに...。


『本当なら、あのガキが死ぬはずだったんだが、お前はそれを救っちまった。せめてもの情けだ』


ふぅん...まぁどうでもいいや。いいよ、その話乗った。


『そうかい。じゃあ、また後でな』

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