第4話 Past memory

「先輩?」

杏沙先輩の手は、少し震えていた。持っていた本が落ちる音が部屋の中に響き渡る。


「りっちゃんが、そこに?」

「え?ええ。お知り合いですか?」

「ええ、まあ」


しかし、久々の再会に胸躍らすような表情ではなく、むしろ恐怖を感じているようであった。


「お久しぶりです」

彼女の声は、杏沙先輩には響かなかった。


「なんで、そこに」

「何でって言われましても…興味があったみたいですし」

「いえ、そういうことではなくって。だって、彼女は」

「手草さんは?」

何か言いたげな顔をしながら、彼女はすうっと座った。


「い、いえ。何でもありません」

「いやいや、気になりますよ。言ってください」

もうすでに、目の前で怪奇現象が起きているので、もう怖いものは何もなかった。

「そうだよ、杏沙ちゃん」

姉は、杏沙先輩の肩をつつきながら、斡旋した。


「え、ええと。どこから話せば良いか」

少し微笑んだ後、髪の毛を整えて、姿勢を正して、喉を鳴らして、話してくれた。


「手草理咲は、私の友人です。

「友人と言っても、そこまで親しかったわけではなかったのですが、少なくとも同じ部活動でした。

「4月に初めて出会った時は、柔らかい印象を抱いたものです。こんなにも文学を愛している人がいるのだなと、少し自分を恥ずかしく思ってしまいました」


隣を見ると、手草さんは「いやいや」と顔の前で手を振っていた。


「そんな彼女に触発されて、私は小説を書くことに一生懸命になっていきました。書いていくと楽しくなってしまって、時間を忘れて没頭してしまうことがしばしばありました。なんとか、進級できましたけど、ギリギリでした」


「そうだったんですか」

僕は、相槌を打った。


「ええ。しかし…そうですね、秋ぐらいでしょうか。部活動に、全く参加してくれなくなってしまったのです。ええ、ほんの一瞬も。理由は、その時は分からず、ただお家で何か忙しくなってしまったのかなと思っていました。

「そのころからでしょうか。なんとなく風の噂で、他クラスでいざこざが起きているということを聞きました。物騒な世の中になったものだと、牧歌的に考えていました。」

なにやら、いやな空気が流れます。


「時は流れ、雪の降る2月半ばのことです。担任の先生に用事があって職員室に行くと、彼女がいました。久々の再会に胸を躍らせましたが、彼女の顔は春先に見た顔よりも、酷い顔をしていました。げっそりして、焦点は定まっていなくて、泣き腫らしたような瞳に、あざだらけの腕。何事かと、思いました。私には、慰めるとか、癒すとか、そんなことはできませんでした。話しかけることすら、できませんでした。

「しかし、彼女は私を見るなり、ニコッと笑ってくれました。そして、口だけ動かして何かを伝えようとしました。残念ながら、その時の言葉は、一生聞こえなくなってしまいました」


「……一生?」

僕と姉は、口をそろえて言った。


手草さんは、「聞こえてなかったか」と、ため息を吐いた。


「卒業式1週間前。彼女は、教室棟の屋上から飛び降りました。誰も気づかず、見つかったのは休みを挟んだ月曜日でした」


やはり、そうだったか。では、彼女は幽霊なんだ。姉のこともあって、幽霊であることに関しては、恐怖を感じなかったが、それ以上にクラスの問題が引っかかって外れない。


「しかし、まだ亡くなってはいないはずです。たしか、病院で治療中のはずです」

「…でも、もう」

「そうですね。可能性は限りなく低いでしょうね」


学校側としては、一応留年扱いになっているということか。そして、生霊と言うべき彼女は、僕以外の誰にも見えていないのか。


「……いやあ、ごめんな。悲しい話を蒸し返すようで」

「いいえ、英子さん」

どうしてこの人のことは見えているのだろうか。


「…そういえば、見える見えないの基準ってあるんですか?」

僕は姉に問いかけた。


「まあ、基本的にはだれにも分からないけれど、ここにいてほしいと強く願った人には見えるんだろうな」

「でも、杏沙先輩は手草さんに会いたいですよね?」

「ええ、まあ」


「見えないのは、決して会いたくないからってわけじゃなくてな。いつも会っているから、見えないってこともあるんじゃないか?我が弟よ」


「…そういうことですか」


「ええ、祐司君が来る前に、英子さんと話をしましたが、私は何度か病院に通っています。いつも、久しぶりに会えた時のことを思い出しては、無力感に苛まれてしまいますが」

「…そうですか」


手草さんは、確かにここにいる。しかし、彼女には見えない。なぜならば、脳みそは、病院に彼女はいるからここにいるはずがないと、認識を変えてはくれないからだ。


すれ違う両者に、やきもきしたまま、時間はゆっくりと過ぎていった。

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