第3話 手草理咲
長かった入学式を終え、いざ教室へと入ると自分の机にはどの動物か定かではないぬいぐるみが窓の外をぼんやりと見ながら座っていた。
「あれ、熊好きなの?」
「いやいや、嫌いじゃないけど。僕のじゃないし」
「へえ、てっきり君のかと」
「だって、教室には入ってませんし」
「それもそうか。あ、席となりだね」
「そうみたいですね」
ぬいぐるみは机の中へとしまい、椅子に座って先生が来るのを待った。
少し時間は空いたが、担任の先生はダラダラと歩いて入ってきた。
見た目はおじさんというよりは、おじいさんくらいで、立派な銀色のひげに、年老いてもなお生き残る髪の毛を持った優しそうな人だった。
「ええ、わしがこのクラスの担任を受け持つ、鴫達丈二郎(しぎたち じょうじろう)じゃ」
語尾に「じゃ」ってつく人って本当にいるんだと思った瞬間だった。
それは、彼女も同じようで
「すごい、本当におじいちゃんって感じだな」
と驚いていた。
「それじゃあ、出席をとっていくかのう」
「げっ」
げっと言ったのは、彼女だった。
「どうしたの?」
小声で聞いてみるも、返答はない。
ただ愛想笑いというか、苦笑いをするだけだった。
「ええと、相沢佐祐(あいざわ さすけ)君」
「はい」
一人ずつ名前が呼ばれていった。出席番号15の僕も呼ばれ、22番の彼女の名前が呼ばれるのを待つだけだった。
それだけの、はずだった。
「ええと、手草理咲さん…は、おやすみかのう」
「……へ?」
確かに彼女はここにいて、絶対に休んでなんかいないはずだ。しかしながら、担任の先生には見えていなかった。
認識されていなかった。
「あーあ、やっぱり」
彼女は両手を頭の上に乗せて、ため息交じりに零した。
僕は、担任の先生に意見を言えるほど心が強くないので、彼女―手草理咲さんに聞くことにした。
「手草さん…、どういうこと?」
「ああ、後でね」
彼女は、そう言うだけだった。
色々な説明や、クラスごとのレクレーション大会も終わり、皆は教室を出ていった。僕は、引きずっていることがあって、まだ外に出られずにいた。
「あれ、帰らないの?」
「なんか、難題が二つもあるんですよ」
「そうか、二つもあるのか、それは難しいね」
「一つは手草さんのことですけどね」
「え、私?」
自分に指をさして、目をぱちくりさせる。
「そうですよ、あなた気配薄すぎませんか?」
「まあ、しょうがないよね」
「それでいいんですか?」
「良いんだよ、それで。それが、一番良い」
その答えは、あまりよく分からなかった。自分の存在を知られないほど良いことなんてあるのだろうか。
「逆だよね。自分という存在を知られた方がひどいってこと」
より疑問符が増えていく。
「まあ、それは気にすることじゃないよ。それよりさ、部活見に行かない?」
「部活…ですか?」
「そう、私文芸部に行こうかと思うんだけど」
「あ、そういえば文芸部の先輩と会いました」
「本当⁈じゃあ、行こうよ!確か隣の棟でしょ?」
「ええ、特別教室はすべて隣の棟ですから」
「よし、じゃあ行こう!!」
疑問は尽きなかったけど、とりあえずそのことは忘れて移動することにした。読書が好きなくらいで、自ら執筆しようとは思っていなかったけれど、これを機に書いてみるのも面白いのではと思う。
「手草さんは、文章書くのとか好きなんですか?」
「まあ、君と一緒だよ。読書が好きってだけ。書けたら、面白さ王だなって」
「すごい、王様救難ですね」
「君の噛み方も尋常じゃないね」
「すみません、王様級なんですね」
「まあ、私の場合はQueen級なんだけどね」
「戦艦感が増しましたね」
「重ねてくるね。艦感とか、ましましとか。重ね着してくるね」
「重ね着するほど寒くない季節になりましたけどね」
「重ね着するほど寒いギャグではあったけどな」
「ギャグではないのですが⁈」
「え、違ったの?ごめん、てっきり」
テンポが良いのは、姉のおかげと言えるかもしれない。
「すごいですね、アンテナが」
「カンテラ?いや、年下に友達はいないかな」
「どうして、スペインサッカーでいう下部組織に言及してると思ったんですか⁈ていうか、博識ですね」
「薄識ではないことは確かだよ」
「そんな熟語は無いと思いますが⁈」
「いや、あるかもしれないよ?」
「微妙なラインで作るの止めてください!」
「絶妙なラインと言ってほしいけどね」
「巧妙なトリックであることは否定しませんが」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん」
そんなこんなで、ようやく部室へと到着した。
「ささ、ノックしてよ」
「はいはい」
コンコン、とノックすると中から透き通るような声で返事をしてくれた。
「はーい」
「あ、こんにちは」
「あら、先ほどの」
「ええと、」
名前を言おうとしたところで、衝撃を受けてしまった。そういえば、さっきから見ないなあと思っていた姉が、部室の、ましてや一番奥でゆったりしているのだ。
「あ、私の名前を言ってませんでしたね。八城杏沙(やしろ あずさ)と言います」
「え、あ、あの。宜しくお願いします。加原祐司(かはら ゆうじ)と言います」
「祐司君ですか。よかったら、どうぞ中へ」
ここでも、彼女の気配を感じてはくれなかった。
「やっぱりね」
ここでも、彼女はそうつぶやくだけだった。
席に座ると、机には数多くの書籍が置かれていた。
「おい、我が弟よ。この人すげえぞ」
「何ですか」
「作家名読んでみろ」
見てみると、そこには杏沙先輩の名前が刻まれていた。
「もしかして、先輩って」
照れくさそうに両人差し指を突きながら、杏沙先輩は言った。
「ええ。いわゆる、プロ作家ってやつです」
「そうなんですか⁈すごいっすね!」
「いえいえ、たいしたことでは。下手の横好きが、むしろ奇跡に近いですよ」
「それでもすごいっすよ」
あまりそっちの業界を知っているわけではないが、作家になれる人なんて一握りしかいないと聞く。
「あと、我が弟よ」
「なんですか?」
「私のことは、こいつ見えてる」
「そうなんですか⁈」
「は、はい。一応」
「そうなんですね」
分からない。法則性がなさ過ぎて、分からない。
「それと、そいつ誰だ?」
指をさす方向には、手草さんがいた。
「ええと、この人は手草理咲さん」
「手草…?」
反応したのは、姉ではなく、先輩だった。
「手草…理咲?」
手草さんも、静かに驚いていた。
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