きみは いつだって 認めてほしい


褒めてほしい



勉強も 


グレたのも



きみは 寂しかったんだよ



それに 振り回される


私のことも ちょっとは 気づいてよ



この ぐるぐる リンネテンセイを——







 他人に興味を持ったことはない。



 母子家庭で育ったは、優しさだけをついばんできた。


 父がいない寂しさを、僕は知らない。



 不治の病だった。


 僕が1歳のときに、若くして父は逝去したという。



 それからは母が育ててくれた。


 父がいなくても、寂しくないように。



 周りの子と自分を比較して、僕が悲しまないように。



 母のおかげで、自分が可哀想だと思うことはなかった。

 

 でも他人が、僕を可哀想だということは、よくあった。



「夏目くんって、お父さんいないんでしょ?」


 

 可哀想に、かわいそうに。寂しくない? 


 うちにおいでよ。不幸だねぇ。かわいそう。うちのお父さんとお母さんはね——



——うるせェよ、



 僕が可哀想かどうかを決めるのは僕だ。


 僕は可哀想じゃないと思うから、僕は可哀想じゃない。



 そう思うなら。それを貫いていればいいだけだ。


 でも僕は、それが出来るほど大人ではなかった。



 感化される。僕のことを、僕じゃない他人に。



 手を挙げたのは、小学生の頃だった。


 相手も小学生だった。僕等はみんな、子どもだった。



 止めに入った先生がいた。


 先生は「お父様がいないから、心が荒れている」と言った。



 僕はまた、右手拳を握った。相手は先生だった。

 


 物理的に、僕は強かった。


 でも、精神的には弱かった。



 母が、学校に呼び出された。



 叱られなかった。


 けれどなぜか、母は僕に謝った。



 ごめんね、裕くん、ごめんね、って。



 母は謝っていた。小学生と、先生と、僕に。


 僕は、母を泣かせた。困らせた。謝らせた。



 夏目裕紀なつめゆうきは、わるいこだった。


 嫌だった。母に対して、わるいこな自分は。



 良い子になりたくて、他人と関わるのをやめた。感化されてしまうから。


 話すのをやめた。笑うのもやめた。人が寄って来るから。



 はじめたこともある。


 仕事疲れの母に『優しさ』を提供するため、料理を作り、洗濯をし、掃除をした。



 褒めてもらえて、ありがとうって言ってもらえて、嬉しかった。



 

 将来、いい大学を出て、いいところに就職したくて、勉強をこなす。


 褒めてももらえる。




 僕だって、優しさを————






 椅子に座っていた。


 教室の彼女一角を、そのまま異空間へ移動させたみたいだ。



芳野よしのさん」


 

 最近、ダメだ。高2になってから、よく他人と話をしてしまう。



 僕は、芳野咲良よしのに『興味』を持っているのか。


 僕が分からない僕のことを、一体誰が分かる?



「勉強しているの?」



 普段の僕は、SHRが終われば直帰するけれど、今日はすべからく足を運んだ。


 雨が降らないけれど、雨のやまない、この場所へ。



「テスト終わったのに」



 椎木しいき高校の屋上に。



「夏目こそ」 


「僕はちがう」



 勉強をしにきたんじゃない。きみに会いに来た。



 僕は、ひがんでいる? 芳野咲良を。



 頭の良さも、友達の多さも。


 僕とは違って。



 全部、芳野咲良は僕とは違う。

 


「夏目だっていつも勉強してンじゃん」


「まぁ」


「なんで?」



 なんで? 


 なんでだろう。 



 負けたくない? いや。1位を取るのは目標じゃない。


 実際、去年までの僕は、上段に記名された『芳野咲良』を、これほど意識していなかっただろう。



「アタシが、天才だと思った?」



 興味がなかった。



 よく見るから名前を知っていただけ。


 芳野咲良に、興味がなかった。



「アタシも……勉強するんだよ」



 いつからだろう。隣の席の『芳野咲良』に競争心を抱いたのは。


 切磋琢磨とか、ライバルだとか、そんな言葉は要らなかったのに。


 

「……芳野さんが1位で、僕は驚いているよ」



 入学式からの首席へ、2番手がなにをほざいている。



「容姿のことかな」



 至極当然のように口では言うのに、口角を上げて、眉をひそめた。


 あからさまにこじれた顔だ。



 ぼどぼど、雨音がする。



 いまって雨、降っているっけ。



「髪、痛むよ」



 やはり屋上では、今日も髪色はよどんで見えた。


 教室ではひとりだけ目立ち、色がツンツンする。


 あたたかい照明なら、きっと柔和な雰囲気なのだろう。



 芳野咲良は、何色にでもなれる。



「別にいいよ」



 彼女は毛先をちょっと見つめて、僕から目を逸らした。顔をらした。

 

 見えない彼女の表情は、感情も、僕には分からない。



「先生に注意されないの」


「知らない」


「内申点さがるよ」


「別にいい」


「将来、後悔するかも」


「私はねェ!」



 ガタッと立ち上がった彼女に椅子が便乗して音を鳴らした。



「私のこれは! ある人の、ためなの。全然、ぜんっぜん気づいてくれないけど——」



 睨まれた。僕が。



 血の滲むような刺刺しい彼女の目に、囚われた。



 金縛りのように意識は飛ぶし呼吸は見失う。



 殺意さえ放つその目に、僕は。



——なにかを知っている気がする。




瞬間、彼女の瞳からぽろぽろ零れた雨は、僕にはあたらなかった。


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