八章:三元融界の果て 10


「アゼレア、どうなんだい?」


 驚く二人を余所に、トーリは体を起こしながら問い詰めるようにアゼレアを見る。

 アゼレアは少しだけ逡巡した後、ゆっくりと首を縦に振った。


「多分、可能だよ。私の《偉大ナル神聖喜劇》なら、蒸気機関を壊すくらいできる」

「なら――手伝うよ」


 そう言って、トーリがゆっくりと体を起こした。フラフラの足でなんとか立ち上がり、それに続くように立ち上がりながら、エコーが首を傾げる。


「手伝うって、何を?」

「僕の《破戒ノ王手》は触れる対象を腐食させる。此処の床に穴を開けて、そこから飛び降りて、同じことをして――そうすれば、地下まで一直線だ」

「いや、無茶でしょ無理でしょ」

「無茶も無理も判ってる。リスクは承知だよ。でも、やらないと爆発に巻き込まれて死ぬ。敵を倒して、計画をぶっ壊して――なのに此処でお陀仏なんて、僕は御免だ」


 呆れて突っ込みを入れるエコーに、しかしてトーリは真剣にそう切り返してきたので、エコーは思わず言葉を詰まらせてしまった。

 普段の彼からは想像もつかない真摯な、それでいて真剣な表情に息を呑んだ。

 それとは対照的に、


「トーリ……判っているの?」


 アゼレアが、表情から険しさを消さずにそう言葉を投げかける。


「きみはもう、かなり《破戒ノ王手》を使っている。もうかなり限界のはずだ。前にも言ったけど、それは便利なだけの力じゃない。むしろ呪いに近いものだ。使えば使うほど、保有者に影響を及ぼす――私のように」


 言って、アゼレアは自分の胸元に視線を注いだ。胸元。心臓のある部分。ぼろぼろになった衣服の隙間から覗く、淡く光を発する鋼の心臓に。

 彼女の危惧はもっともだった。だけど、


「言ったろ? そんなのは承知の上だって。それに、僕は望んでこの力を振るってる。アゼレアが気に掛けることはないよ」

「けど――」

「それにさ。約束、したから」


 なお思いとどまらせようとするアゼレアの言葉を遮って、トーリはそっと右手を差し出して――


「――僕がなんとかする。君を、助ける。そう、約束したから」

「あ……」


 ずっと昔。それは、トーリ自身すらほんの少し前まで忘れていた約束の言葉。

 その言葉を聞いた瞬間、アゼレアは目が落ちるんじゃないかというくらい双眸を見開いて――その端に、僅かに涙滴を滲ませて。


「はは……あはは! 忘れてたよ、それ」


 声を上げて笑う。

 あの日見た笑顔そのままに笑うアゼレアの言葉に、トーリもまた微苦笑を浮かべた。


「実は僕も。ほんのさっきまで、忘れてたんだよね」

「ひどい奴だね、君は」

「言葉もない」

「でも、私も忘れていたよ。君のこと――だから、お互い様だ」

「そっか」

「そう」


 二人、視線合わせて。

 トーリの手を、アゼレアが取って。


「手を、貸してくれるかい?」

「君が望むなら、いくらでも」


 二人、口の端を釣り上げた。


「エコー」


 そうして、傍らで成り行きを呆然と見守っていた少女の名を呼ぶ。不意に名を呼ばれたエコーは「え、あ、はい!」と慌てふためきながら返事を返してきた。

 その様子に苦笑しつつ、トーリは彼女の背後。《生命機関》を指さしながら言った。


「君が入っていた棺。それと同じものが他にもある。その中にいる人たちを助けてあげほしい。止められたとしても、あのまま繋げていたら何が起きるか判らないしね」

「それはいいけど……ぶっちゃけアタシ、もう何がどうなってるんだか」


 ふてくされたように頬を膨らませるエコーに、トーリは肩を竦めて見せた。


「後で――全部無事に済んだら話すよ」

「絶対だよ」

「ああ。勿論――任せたよ、相棒」


 そう言って突き出した拳に、


「ん、任されよう」


 エコーは応えるように拳をぶつけると、颯爽と踵を返して走り出した。

 その背中を見送って、トーリは再びアゼレアを向く。


「じゃあ、始めようか」

「そうだね。やってよろう、カウボーイ」


 力強く頷くアゼレアに応えるように、トーリは左腕を掲げて、


「起動せよ――《破戒ノ王手》!」


 力の名を叫ぶ。

 限界を超えて、暗色の螺旋光が顕現する。そしてトーリは、光を纏う腕を確認すると、そのまま渾身の力を込め、足元の床に一撃を見舞った。

 じゅうううぅぅぅ……何かが溶けるような音と共に、トーリの足元が凄まじい速度で朽ち果てていく。虫食まれていく。融解していく。崩れ落ちていくままにできた穴に、トーリは抗うことなく身を投じた。

 一瞬の浮遊感。そして自由落下。重力の手に引かれ、トーリの身体は駆け上がっていた塔の中心を落ちていく。

 そして、一拍遅れて。穴を通ってアゼレアが続いた。

 ぼろぼろの黒衣を翻し、金色の髪を揺らしながら、空いた穴の淵を蹴って飛び降りてくる。


「トーリ!」


 名を叫び、手を伸ばす。

 その手を右手で摑んで――身体、引き寄せて。

 アゼレアを抱きかかえ、トーリは遥か眼下を見下ろした。かなり高いが、恐怖はなかった。そんなものは疾うに消え失せていた。

 ただ、意識を左腕に注ぐ。

 より強く。より鋭く――渇望する。

 すると、左腕から何かがぞろぉり……と――身体の内側をかき混ぜられるような不快感が襲い来る。

 トーリは抗わなかった。その感覚を受け入れた。あるいは浸った。

(――望むのならばなんだってくれてやる。代わりに、もっと力を寄越せ!)

 胸中でそう叫ぶ。そして、まるでその声に応えるように――不意に、頭の中に浮かぶ言葉。

 かつて《破戒ノ王手》を得た時と同じ感覚。故に、トーリはその言葉を、迷いなく口にした。


「――第二術式Second‐program、励起」


 ぎしり! と、一際大きく左腕が軋みを上げる。

 だが構わない。例え何が起きようと、知ったことか。

 するべきことは一つ。

 ただ、この手を掲げて決意を叫ぶのみ!



「――起動せよ、《大イナル悪意ノ爪マーレブランケ》!」



 奇しくも、エイケンが生み出し、幾度となくトーリを苦しめた異形たちと同じ名を叫ぶ。

 そして――左腕が、変異する。

 腕の外側が切り開かれて、五指が裂けるように割れて――そこから、深淵の闇のような漆黒が姿を現した。

 霧のような、靄のような、蒸気のような――形なき黒が、まるで堤防が決壊したかのように噴き出す。

 だが、トーリは慌てなかった。それがなんであるか、トーリはもう知っていた。

 故に――


「――いっけえええええええええええええええええええええええ!」


 喉が潰れるほどに叫んで、思いきり腕を突き出す。

 すると、トーリの腕から溢れ出した闇それが、まるで意志あるかのように動き出し、一直線に眼下の床へ激突した。

 腐食する。侵食する融解する。虫食みにする。そして――

 伸びた黒が、床を一瞬にして崩壊させた。できあがる空洞。地下へ通じる穴が開通し、トーリはまっすぐその穴の中へと落下していき――腕から溢れた闇を支えに、ゆっくりと着地して。


「……これか」


 トーリの腕の中にいたアゼレアが、視線の先に標的を捉える。

 地価の空間は想像よりも広大だった。まるで円形闘技場のような高低差のある造りをしており、トーリ達が降り立ったのはちょうどその中央で。

 周囲には、無数に――それこそ数えるのが億劫になるくらいの蒸気機関式演算機械がところ狭しに並んでいた。


「アゼレア」

「ああ」


 トーリの腕から降りたアゼレアが、応えるように力強く頷いて右手を頭上に掲げる。

 そして、そんな彼女に並び立つように、トーリもまた左腕を頭上に掲げる。


「さあ、終わりにしよう――干渉術式、励起」

「――干渉術式、励起」


 二人、言葉を口ずさみ。

 二人、口の端を釣り上げて。


『起動せよ――』


 共に、声高らに。

 終わりを告げるように、名を叫ぶ。



「――《偉大ナル神聖喜劇》!」

「――《大イナル悪意ノ爪》!」



 光の奔流が迸り、闇の濁流が蠢いて。

 異能二つが、地下に並ぶ幾多の蒸気機関を呑み込んで――





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