七章:奔走 6


 何の変哲もない塔だ。

 白亜の塔。観測者の塔。ノスタルギアの中心に座す、この都市唯一の――鋼鉄ならざる建造物――その中で。

 数にして八体目のエネミーの胸部を剣で貫き――起動。

 蒸気を発し稼働する、動力駆動式鉈が咆哮を上げる。硬いクロームの装甲を切り裂き、鋼鉄の心臓をその回転する刃で噛み砕く。

 身体を震わせ、やがて動きを止めたエネミーから剣を引き抜いて床に突き立て――漸く、一息つく。


「幾ら小さくてもさぁ。流石に疲れるって……」


 倒れるエネミーを見下ろしてそう愚痴りながら、トーリは視線を頭上へと移した。

 観測者の塔――その中に。

 視界は不良。

 辺りは一面蒸気の海だ。

もうもうと周囲を飲み込むほどの蒸気の中で、塔の内側の壁に沿うように作られた、螺旋の階段が目に留まる。そして階段を目で追って――頭上の遥か先にまで伸びるのを見て、うんざりとした気持ちになった。


「これ上るのか……うんざりするなぁ」


 上らないわけにはいかないけど。ため息一つついて、トーリは思考を切り替える。

 剣を担いで一歩、踏み出す。

 上を目指して、階段を駆け上がる。

 ――ああ、螺旋だ。

 当たり前のことなのに、何故か漠然とそう感じた。

 長い長い、上へと続く螺旋の道。

 せんを描くその白い階段を、一歩ずつ。

 その一歩を踏みしめるたびに、何かが――頭の中で軋むような感じがした。

 頭――いや、違う。

 これは、心の軋み、なのだろうか。


(――なんだ?)


 ――ぎちぎち みしみし

 ――ぐらぐら ずきずき


 自分の中で、何かが揺らぐ。歪む。震える――そんな感覚。

 視界に過ぎるものがあった。

 蒸気の中から飛び出すように――小柄な影が、一つ。

 半ば無意識に、その姿を追った。視線を動かし、視界に捉え――そして、息を呑む。

 影――ではない。

 白い外套。それに身を包んだ少年が一人、トーリを追い越していく。

白い髪に、左の半分が黒く変色――否。鱗――爬虫類のそれに似た鱗に覆われた少年が、決死の表情で階段を駆け上がり、そして掻き消えた。

 思わず、足が止まった。

 蒸気の向こうに掻き消えた姿。どう見ても、見覚えの――面影のある姿だ。

 自分に似ていた。

 トーリに、よく似ていた。

 白い外套と、白い髪に然り。

 顔の左半分が黒鱗に覆われた姿に然り。


 ――どうして、僕がいるんだ?


 当然の疑問が脳裏に過ぎる。考えるほどに痛みが増した。頭の中で、軋轢の音がする。

 何故? 何故? 何故?

 疑問の言葉を、何度も何度も、繰り返して。


 何故だと思う?


 誰かの、声。聞こえてきて。

 いつの間にか抱えていた頭を持ち上げて――目の前に、誰かが立っていることに気付く。

 ゆらゆらと、まるで陽炎のように揺れるその姿を、はっきりと認識して。

 目に留まるのは、黒。

 天鵞絨のような漆黒ベルベット

 まるで闇に包まれているように姿のはっきりとしない。だけど、それが人であるということは判った。まるでその人物の全身を飲み込み、覆い尽くす闇のその奥で。その人は、何故かうっすらと笑っていて――



「――――――……マスター?」



 言葉、自然と、口にして。

 マスターと。先生と。そう呼ぶのは、ほかでもない自分。

どうして、そんな風に呼ぶのだろう。

 目の前に立つその人は、初めて目にしたはずなのに。


 ――そう、思う自分と。


 初めて?

 本当に?


 ――そう、感じる自分がいる。


 呆然と立ち尽くすトーリに対し、その女性は口元に手を当ててくすくすと笑った。



 ――あの子を頼むよ、トーリ。



 一言。

そう、残して。

 次の瞬間、その姿はまるで最初から存在しなかったかのように掻き消えていた。

「……っ」

 まるで白昼夢を見たような気分だった。思わず、自分の頭を軽く叩いて状態を確かめるくらいに。

 幸か不幸か、脳みそアタマが可笑しくなったわけじゃないらしい。多分。


「ったく……誰だよ、アンタ。それに、あの子って誰のことさ」


 苦し紛れにそう愚痴ってみる。

 そんなことは判り切っていることなのに、あえて口にしてみて。だけど、勿論答えは返ってこなくて。

 だから、


「言われなくたって、そのために来たんだ」


 そう言って、トーリは再び歩き出す。

 結局、口にするのは苦し紛れの愚痴ばかりだな。

なんて思った。

 蒸気の層と、螺旋階段を上って――やがて、終点に辿り着く。

 螺旋の果て。

 この塔の最上部。

 ノスタルギアの全貌を見渡せる、頂き。

 先ほどまでの蒸気がまるで嘘であったかのように、そこは晴れ晴れとしていた。

 代わりに――




「――やはり来たか。忌まわしき、魔女の弟子よ」




 男の声が、低く響く。

 自然と、視線は声の主を追って――そこに立つ、仮面の男を視界に捉えた。

医療衣を揺らし、悠然と。

 死神の仮面ペストマスク被り、超然と。

 観測者ハサウェイが、侵入者トーリを睨む。


「歓迎はしない。招かれざる客だ。叶うならば、今すぐにでも退場願いたいところだが……」

「友達を返してくれるなら、すぐにでも」


 男の言葉に、トーリは憮然と切り返す。目的は言葉通りだ。最優先すべきはアゼレアとエコーの奪取。それさえ叶えば、後はどうにでもなる。友達(九角)が、どうにでもしてくれる。

 腹は据えかねている。だけど、それはトーリの個人的な感情であって、絶対になさねばならないと――というわけではないのだ。

 だが、


「――すまないが、断らせてもらおう。私の目的に必要なのだよ。君の友人とやらは」


 そう、淡々と拒絶する男の言葉に、トーリはふふっ、と小さく笑みを零した。

 ――ああ、良かった。

 そう思いながら、ゴキリと、左手の指を鳴らして。

 肩幅に足を開き、半身になって左手で手刀を作る。

 いつもの構え。そう――いつもの構えだ。

 ハッカー・トーリの基本的な構えスタンダード・スタイル

 同時に意識を切り替えるマインドセット

 平常状態から戦闘状態へ。《電脳視界》の表示はされないが、自分の中でそれが切り替わるのはしっかりと判る。


「悪いけど、あなたの拒否は却下だ。拒むっていうなら力づくでも取り返す」

「――……ほう」


 トーリの科白に、男が僅かに声を低くする。

 不快そうに。

 忌々しそうに。


「これは……些か驚きだ。ミスター・カウボーイ。あれほど我が悪しき爪の力を目の当たりにし、無力感を味わってなお相対しようというのか。それほどまでに、我が目的を阻むか。魔女の弟子よ」

「あんたの目的がなんなのか知らないし、あんたが何を言ってるのか判らない。僕はただ、友達を助けに来ただけだ。それがあんたにとって邪魔だっていうのなら――いくらだって邪魔してやるさ」

「不遜さは師譲りか……なんとも、癇に障る口上だ」


 男は吐き捨てるようにそう零し――徐に、顔を覆っていた仮面に手を伸ばした。

 ゆるり――と、仮面が外れる。

 能面の如き無表情が中から顕われ、青い瞳が鋭くトーリを睨み付けて。男は、告げる。


「ならば私が――このハワード・ハサウェイ・エイケンが、今度こそ引導を下そう。そして我らが大望の前で、己が矮小さの程を知れ!」


 怒号が響く。

 それに呼応するように、頭上から。


『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』

『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』

『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』


『『『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』』』


 咆哮、連鎖して。

 姿を見せるは、無数の異形。鋼鉄と蒸気機関を内包した怪物たち。

 エネミー・オブ・クローム。鋼鉄の怪物たちが、爛々とその赫眼を輝かせてこちらを見下ろす姿。

 その中にはあの異形――マラコーダもいた。

 それらの視線を一身に浴び、背筋に寒いものを感じるトーリに向けて、仮面の男――ハワード・H・エイケンは宣告す。


「さあ、行くがいい。無軌道な愚か者カウボーイに、力の差をとくと思い知らせよ」


 その言葉に従事るように、エネミーたちが一斉に動き出した。

 鋼鉄の怪物たちが、蒸気を全身から吐き出してトーリへと迫り――


「来るなら来いよ、くそったれ!」


 己を鼓舞するように声を吐き出し、右手に握る剣の引き金を引いた。

 剣身――脈動。

 回転刃――起動。

 腕を伝う振動に確かな手応えを感じながら、トーリはいの一番に迫って来た獅子型のエネミー目掛け、動力駆動式鉈を叩きつけた。


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