五章:観測者の嘲笑 2


 突如、諸手を挙げて男が歓声を上げる。


「なんという幸運。なんという好機。万全を尽くすために私自ら赴いてみれば……まさか、再び出会えるとは夢にも思わなかったぞ、バルティの娘よ」


 男は対峙する少女を――アゼレアを見据えて嬉々する。

対して、男を見上げるアゼレアは、憎悪の炎が点ったような視線で仮面の男を睨み据えて、


「ああ、まったく以てお前の言う通りだよ。言葉を借りるならば――まさに『なんという好機か』――だ。よもや、お前が塔から降りて来て、その場に居合わせた! 会いたかったぞ、観測者ディサイポスハサウェイ!」


 彼女らしからぬ憤怒を露わにし、アゼレアは声を張り上げて右手を掲げた。

――同瞬、その手の先に現出する光の幾何学陣。

 それはまるで情報言語を操り、術式プログラムを編み上げるように形作られてゆき。

 少女の頭上で迸る燐光が、徐々に――しかし確実にその光芒の規模を肥大化させてゆく。


「――神など信じたことはないが、今だけは感謝しよう。お前を討つ機会を与えてくれたその気まぐれに!」


 バチリと――光が弾けて。

 轟々と――奔流、渦巻いて。

 アゼレアの頭上で膨れ上がった光の塊が、眩い煌めきと共に炸裂した。

 弾け飛んだ光の束はダムが決壊するかのように迸り、まるで大瀑布の如く仮面の男と鋼鉄の怪物へと襲い掛かる!

 光の濁流。それは一見すればただの光芒の渦だろう。しかし、その光を操る少女の全身から迸る敵意と、光に込められた滅殺の意思は間違いなく本物。

 故に、その光はただの光にあらず。

 対敵を殺すための術。

 対峙する者を貪る牙。

 多頭の蛇か――否、それは無数の竜の如くうねり、仮面の男を食い殺さんとばかりに一斉に殺到する!

 その一撃はまさに必殺。

 仮面の男に抗う術はなく、躱すことも防ぐこともできない。ただ無力を噛み締めて、光にのまれて塵芥となるだけ。

 しかし――


「ふむ。それが君の《栄光ナル神聖喜劇レ・ディヴィア・ファーヴァル》か。実に素晴らしく、実に美しい干渉術式だ」


 ――仮面の男、未だ健在!

 光の濁流に飲み込まれ、竜の爪牙に曝されてなお、男はかすり傷一つ負うことなくその場に存在していた。

 鋼鉄の怪物も同じく。

 その情景を目の前にし、アゼレアは信じられないものを見たとでもいう風に目を見開く。


「……莫迦な。何故、私の干渉術式を受けてなお、お前は立っているのだ!」


 僅かに後ずさりながら、それでも憶すまいと叫ぶアゼレアに対し、仮面の男は鷹揚に肩を竦めながら口元を綻ばせる。


「何故? 君の疑問はもっともだ。《偉大ナル神聖喜劇》――君の母が私に、ひいてはこのノスタルギアに抗うために作り上げたただ一つの対抗手段。五年前、我々は見事にしてやられた。あと一歩で叶うはずだった我らが大望を、彼女は見事にぶち壊した。そうとも、あの頃の私であれば、その大いなる干渉術式の前になす術もなかっただろう。

 しかしだ。人は成長するものだ。一つの失敗から多くを学び、それを糧とし更なる発展を可能とする。昔の私は干渉術式に対して無力だった。そして、今の私は――違うのだよ、ミス・アゼレア」


 そう言って男が手にした杖を掲げる。

 その杖を中心に灯るのは、暗色の光だ。無数の幾何学的紋様によって描かれる十六角形。アゼレアの描いた光陣とは対極にあるような紋章。それは――


「――干渉術式……だと!」


 呻きにも似た声を漏らして、黒衣の少女が戦慄く。


「そうだ。君のそれとまた同じ。この五年をかけて完成させた我が力。我が権能。我が力の名は《虫食ム糸海バグ・バーズ》。その力はいたって単純――干渉術式に干渉する、ただそれだけの力」


 ――《虫食ム糸海》。干渉術式に干渉する異能。

 もし男の言葉が本当だとすれば、

(僕やアゼレアにとっちゃ、天敵みたいなものじゃないか……!)

 ぎりっ、と奥歯の軋む音を聞きながら、トーリはどうにかして男の隙を伺う。男の言葉を信じるならば、おそらく《破戒ノ王手》も役には立たないだろう。それは目の前のエネミーに対抗する手段を失ったに等しい。

 ならばどうにかして仮面の男を制圧する以外に、現状を打破する方法は思いつかなかった。

 しかし、男は鋼鉄の怪物の頭上。エネミーの上に立っている。近づけば、十中八九エネミーの妨害が来るだろう。

 ならば、どうすればいい?

 そもそも、トーリには男がこの場にやって来た理由が判らなかった。故に、男が次にどのような行動をとるのか想像すらできない。

 アゼレアとの会話を聞いていたが、二人の間に生じている確執の根幹が把握し切れていない。あれほどの敵意と困惑に満ちているアゼレアに向かって、空気を読まず質問するほどトーリは浅慮ではない。

 熟考するには判断材料が不足しているが、それでも少ない手札から状況を整理し――


 ――なんという幸運。なんという好機。万全を尽くすために私自ら赴いてみれば……まさか、再び出会えるとは夢にも思わなかったぞ、バルティの娘よ!


 考えた末に脳裏に過ぎったのは、男が最初に口にしたその言葉だ。

 その言葉から察するに、男には何か目的があったのだ。そして万全の態勢で事に当たっていた。だが――この場でアゼレアと遭遇したことにより、当初の目的は不要となったのではないか。

 だとすれば、元々の目的は何だ? 

考察は不要――今は考える必要はない。

 今考えるべきなのは一つ。

 それは男の目的――否、標的。

 

 ――なんという幸運。

 ――なんという好機。

 ――再び出会えるとは夢にも思わなかったぞ――


 それらの言葉が意味するところ。否――深く考えるまでもなく、その言葉こそが仮面の男の真意だとすれば――!


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