五章:観測者の嘲笑 1

   


 地震――とすら間違うような衝撃が都市を襲った。

 トーリとアゼレアは、地面から齎された衝撃に耐え切れず、その場に膝をつく。


「あーくそ。これは……やばいな」


 片膝をついて様子を窺うアゼレアが、顰めっ面でそう呟いたのを見て、トーリはなんとなく彼女が次に呟くであろう言葉の想像がついた。ついてしまった。

予想が外れたらいいな、なんて思うけども、こういう場合の勘というのは得てして外れないものと相場は決まっている。


「エネミーだ。しかもこの感じ……かなり巨大な感じだね」

「それ、実は冗談でした――とか言ったりしない?」

「残念だけど、トーリの希望には添えないね」

「本当に残念だよ……」


 にぃっと笑みを浮かべるアゼレアに、トーリは盛大に溜息を吐きながら言葉を返す。



『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』



 遠くから、咆哮が轟いた。

 耳慣れた咆哮だった。

 聞き慣れた咆哮だった。

 それは怪物の怒号。

 それは異形の雄叫び。

 クリッター――否、このノスタルギアにおいて、エネミーと呼ばれる鋼鉄の怪物が上げる声だ。

 距離はまだ離れているであろうに。それでも耳朶を叩き、鼓膜を震わせる怪物の呻き声に、トーリはやれやれとかぶりを振る。

 しかもご丁寧なことに、その声は確実に近づいてきていた。

 標的は、再び自分なのだろうか。

 なんて考えながら、トーリは立ち上がってアゼレアに手を差し伸べる。黒衣の少女は差し出された手を取って立ち上がると、膝をついた際に位置のずれた帽子を被り直しながらトーリを見上げ、問う。


「さて、どうするカウボーイ。私としては、逃げの一手を提案するけど?」

「うーん。僕としても、無用な争いは遠慮したいさ。だけど――」


 アゼレアの問いに、トーリは自然と視線を持ち上げた。

 尖塔が見える。

 観測者の塔と呼ばれる、天高く聳えるその塔に浮かぶ、小さな残像。

 それは、空に跳び上がった異形の落とす影だ。

 奇形なシルエットが、灰色の空に下に姿を見せ――そして落下する。

 衝撃が地表を襲った。

 地面が吹き上がるような強い衝撃に、逃げ惑っていた人たちは例外なく足を止めてその場に崩れる姿を目にしながら、トーリとアゼレアだけはどうにか二本の足で身体を支えていた。


「さっきより振動が強い……どんなデカブツなんだよ」

「これは……まさか……」


 ぼやくトーリとは逆に、アゼレアは何処か納得したように視線を鋭くした。


「トーリ、やっぱり逃げよう。これは、拙い!」


 そう、アゼレアが言った時である。

 ――凄まじい破砕音が、辺りに轟いた。

同時に衝撃が駆け抜け、トーリたちのすぐ横を何かが突き抜けていく。軒を連ねた建造物の悉くを粉砕し、吹き飛ばし、周囲に大小様々な破片と粉塵を撒き散らして。

そして、吹き飛んだ家屋の残骸が、トーリたちの頭上に降り注ぐ。


「――干渉術式、励起」


 自分たちに向かって降ってくる残骸を視認した刹那、トーリは考えるよりも先にその文句を口にしていた。


「顕れよ――《破戒ノ王手》!」


 瞬間、暗色の螺旋光が左手を中心に顕現する。

触れるすべてを隔てなく蝕み、融解する異能を纏った左手を薙ぎ払う。

手刀が描く軌跡を追うように、暗色の螺旋が斬撃のように残骸を襲った。異能が生み出す閃光の如き一撃は、今まさにトーリたちを圧殺しようとしていた瓦礫を消し飛ばす!

(――ノスタルギアこっちでは……使えるのか)

 破壊した瓦礫から生じる粉塵の中、トーリは左腕に顕れた異能を見て安堵する。一度限りの力だったら、今頃トーリたちは降って来た残骸に押し潰されていただろう。


「アゼレア、怪我は?」


 発動したことに一安心しながら、トーリはアゼレアを振り返る。少女は帽子についた埃を叩いて落としながら「大丈夫だよ」と微笑一つ浮かべ、その視線はトーリの左腕に向けられる。


「助けられたね、ありがとう。でも、ひとつ忠告だよ、トーリ」


 そう言って、アゼレアの手がそっとトーリの左手に添えられた。

 触れるすべてを蝕み、滅ぼす異能を顕現しているその手に――少女の手が触れる。

 少女の未来を想像して顔を蒼くする。だが、どういうわけか、《破断ノ王手》を纏う左手に彼女が触れても、その身体が朽ち果てることはなかった。

 恐れることなど何もないという風に。やわらかな指先が、異形の左手を優しく撫でて――

(《破戒ノ王手》の……干渉を受けないのか?)

 そんなある種当然の疑問が脳裏に浮かび、問おうとする。

 だがそれよりも先に、アゼレアが何処か悲痛な眼差しでトーリの左手を見下ろしながら囁いた。


「あまり、干渉術式を多用しないほうがいい。それは決して、便利なだけの力じゃないんだからね……」


 苦渋に満ちた表情を浮かべながら零れたアゼレアの言葉に、トーリは喉から出る寸前だった言葉をどうにか飲み込んだ。

 何か訊ねることすら躊躇われる――そんな少女の雰囲気に充てられたのかもしれない。

 あるいは――訊ねることを、恐れたのか?

 ――何を?

 恐れることなど何もないはずなのに。だけど、脳裏に過ぎった言葉はそれで。

(僕は今、何を怖がったんだろう……?)

 去来した疑念に自問する。

 しかし、答えが出てくることはない。いや、答えを導き出す間隙すら、今はなかった。



『――GRRRRRRRRRRRRRRRR!』



 咆哮。

 怪物の雄叫びが、トーリの意識を現実へと引き戻す。

 振り返った視線の先には、聳え立つような巨大な何かがいた。

 以前遭遇したものとは明らかに別物の、鋼鉄の身体を持ち、全身から蒸気を噴き出す異形。

 生物なのか。兵器なのか。それすら判別に苦しむ怪物――エネミー・オブ・クローム。

 以前の獣と人を掛け合わせたような怪物ではない。

 まるで剣山の如く乱立する、禍々しい刃の牙を携えた頭部と、猛禽類のような鋭い爪を持つ四肢を無数に生やしたモンスター。

 だが、それ以上に目立つのは、その体躯の七割を占めているであろう長大で、巨大な尾だ。本体よりも遥かに長く、ただ一薙ぎするだけで辺り一帯を一掃しかねない長大な尾を蠍のように擡げて、鋼鉄の怪物は数十もの赫眼を明滅させる。

 目測にして、その全長――七〇メートル強!


「まさか……マラコーダなのか」


 その姿を見上げて、黒衣の少女が小さく零す。

 ――マラコーダ。

 それがこのエネミーの名前なのだろうか?

 そして何故、アゼレアはその名前を知っているのだろうか?

 疑問は尽きないが、今は問答している場合ではないのだけは判る。前の前に現れた鋼鉄の怪物から目を逸らさず、トーリは電脳都市におけるクリッター戦闘同様に高速思考を開始。

 対処方法――それはただ一つ。

 左腕――そこに宿る異能。即ち、《破戒ノ王手》。

 殲滅方法――これもまた一つ。

 《破戒ノ王手》で眼前のエネミー――マラコーダの装甲を破壊して、何処かにあるであろう核を破壊する。

 電脳都市の、対クリッター戦闘と大差はない。

 異形都市ノスタルギアで、対クリッター戦闘おなじことをすればいい。

 思考を、戦闘用のものへ切り替えようとする。だが、失敗。

 そう――失敗した。普段ならば決して間違わない思考動作を、この時ばかりはしくじってしまう。

 だって、見据えた視線の先。崩れ落ちる街並みの中で、ゆっくりと身体を持ち上げた人影――その姿をはっきりと捉えた瞬間、トーリは間抜けなほどに目を見開いてしまったのだ。

 この世界には不相応なほどの、深緑色のフード付き外套フーデットコート

「いてて……」と頭を抑えながら、埃にまみれたフードの奥から出てきたのは、見慣れないネコ科の耳を頭から生やした、見慣れた少女のもの。

 ――エコーと呼ばれるハッカー。

あるいは、クラスメイト――七種響その人。

 どうして、君が此処にいるんだ?

 湧き上がる疑問を口にするよりも、先に――



「――避けろ、トーリ!」



 必死の叱声が飛んだ。

 声は傍ら。黒衣の少女から。

 反射的に身体動く。考えるよりも先に、身体に染みついた危機本能が、少女の声に従ってその場から飛び出すように地を蹴り――

 転瞬、衝撃が背後から襲い掛かった。

 まるで背後で何かが爆発したような轟音と共に、トーリの身体はその威力によって生じた衝撃波で吹き飛ばされる。


「ぐ……あっ……!?」


 上下の感覚が失われ、気づいた時には背中から地面に叩き付けられていた。受け身も取れず、肺の空気が衝撃で強制的に吐き出される。悶絶するような痛みに顔を歪めながら、トーリはそれでもどうにか身体を動かして顔を持ち上げる。

 視線を左右に走らせ、アゼレアの姿を探した。

 ――いた。

 少し離れた瓦礫の上。片腕を抑える形で、少女は鋭い眼光を鋼鉄の怪物に向けている。その姿に安堵を覚えるも一瞬のこと。少女の視線の先に立つ影を見て、トーリは微かに柳眉を釣り上げた。

 鋼鉄の怪物の頭部。その上に一人、男がいた。

 顔全体を隠す奇妙な――そう。黒死病仮面ペストマスクに似た仮面を被った男が、薄ら笑いを浮かべて佇立し――


「――素晴らしき哉。素晴らしき哉」


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