幕間
――リンゴーン リンゴーン
リンゴーン リンゴーン――
何処からともなく鐘が鳴る。
開幕を告げる鐘の音が鳴る。
「――また一人、ノスタルギアに
そう呟いたのは仮面の男。
学者然とした風貌の、痩身の男が、口元に楽しげな笑みを浮かべながら誰にともなく言った。
「一人、また一人、そしてとうとう、最後の贄がやってきた!」
豪奢な椅子に腰かけた男は、滔々と言葉を口にしながら立ち上がり、窓際に歩み寄って、
「素晴らしき哉、素晴らしき哉!」
カツン、と靴底を鳴らして。
男は眼下を見下ろしながら、愉快気に諸手を挙げる。
「千年京と呼ばれし極東の都より、我が師の遺産によって栄えたこの望郷の地に、我らが大望を叶えるが為の、最後に一欠片よ!」
男が、滔々と科白を口にする。すると――
『――GRRRRRRRRRRRRRRR……』
『――GRRRRRRRRRRRRRRR……』
何処からともなく、獣の発するような呻き。
ぞろぞろと、足元から這い上がってくるような不気味な嘶き。
それに対して、男はというと。
「おお、我が愛しき仔らよ。悪しき爪たちよ――おはよう。諸君!」
――眼下、見下ろし。
――言葉を、静かに。
「ああ、目覚めの時だ。これは最終調整。昨日の失態もある。今宵は、私が直々に赴くとしよう」
――男が、告げる。
「さあ、来たるべき再誕のために――行こうではないか、マラコーダ」
『――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!』
男の声に応えるように、咆哮が轟く。
そして、獣は解き放たれた。
鈍く、軋みを上げる四肢――動かして。
固く、鋼鉄の如き身体――引き摺って。
すべては、己の王が大望のために。
◇◇◇
――リンゴーン リンゴーン
リンゴーン リンゴーン――
そんな鐘の音を耳した時にはもう、世界は一変していた。
無数の鋼鉄が聳え立ち、
大量の蒸気が一面を彩って、
地平線の彼方――空のすべてが暗雲に包まれた、そんな景色。
「……此処、何処?」
最初に発したのはそんな科白。
自分でも間抜けだなと思う声を上げながら、七種響は――《電脳義体》名エコーは目の前の光景に息を呑んだ。
見渡す限り、鋼鉄と鋼鉄と鋼鉄。
京都市内のビルディング群とはまた異なる、鋼鉄の塔が織り成す街並みに、最近よく読むようになった一世紀前のサイエンスフィクション小説に登場するような世界が、そこにはあったのだ。
「え? なにこれ? え、接続ミス? それとも間違って体感映像、起動した?」
脳裏に過ぎる可能性に従って、咄嗟に電脳離脱の操作を行おうとする――が、どういうわけか馴染み深い《電脳視界》はいつまでだっても視界に表示されず、電脳離脱もできない。
「……うーん、困ったなぁ。なにこれ、サーバーのトラブル?」
電脳離脱できないという状況にありながら、エコーは軽い困惑と共にそう零す。電脳離脱できない――というのは一大事だが、エコーはそれほど慌てることなく、ただ溜息を一つ零すだけだった。
《電脳視界》はなく、電脳離脱もできないのならば、できるようになるまで待っていればいい。
そんな、軽い気持ちで。
エコーはすぐ考えを切り替える。
さて。
目の前に広がる未知に対して、少女の好奇心はすでに最高潮に達していた。およそ現実にはあり得ない、鋼鉄と蒸気の世界。レイヤーフィールドもなく、ましてやいつも入り浸っている電脳都市でもない。
何処か退廃的な雰囲気を醸す街並みは、まさにフィクションの中の世界そのもの。
「いいねー、この雰囲気。こんな街並み、世界中の何処にももうないだろうし」
近くの、鋼鉄の建造物の壁を叩いてみる。
固い金属の手応えに、背筋がゾクゾクしてしまう。
「にひひ」
口元を猫のように歪めて、エコーはスキップしながら路地を進む。
身に纏っている服を揺らして――よく見ると、着ている服もエコー本来のものと少し違っていた。電脳都市の近未来的な身体に
尤も、一番お気に入りの蒼氷色の外套は変化ないから、あまり気にはならないし、むしろどんと来い! という気持ちになる。
こういうファンタジー的な服装が、
ハッカーである理由もまた然り。
友達からは「変な趣味だよ」なんて言われて、笑われることも少なくないけど。
そんなの、知ったこっちゃない。
好きな格好をしてないが悪い。ましてや
(ああ……でも、あいつは笑わなかったよなぁ)
脳裏に過ぎるのは白衣の少年。
自分の名前をそのまま《電脳義体》名にしちゃう、ちょっと間抜けな男の子。
トーリ。弥栄透莉。
特徴らしい特徴がない――というのが特徴のような少年。
いつも心ここにあらず――そんな印象を抱かせる
そして――電脳都市では名の知れた、白髪白衣のハッカー。
七種響の友人であり、エコーの知己。競争相手。
それが彼だ。
その彼を見ていて、最近、様子が変だなと思っている。
何か困っている。そんな気がした。気がしただけだが。再三にわたり探りを入れてみても、明確な回答は得られなかった。
多分、誤魔化されたのだろう。あの時はそう思っていたのだが。
(……あれ? そういえば――)
ふと、夕方のチャットの内容を思い出す。
――電脳都市に接続したら異世界に迷い込んだ。
そういえば、そんなことをトーリは言っていた。
まさか、こういうことなのだろうか。今自分が置かれている状況は、彼が言っていた状況そのものではないだろうか。
「つまり……これがあいつの悩みの種なの?」
周囲の――異形の都市を見回して、エコーは一人思いを馳せる。
「うーん……確かに変な街並みだけど、だからってそれほど悩むことなのかなぁ」
独り言ちながら、ひょいひょいと塀の上に飛び乗り、更には建物を繋いでいる鉄骨へ身軽に移動して。
周囲を一望する。
やはりというか、何処も彼処も見渡す限り鋼鉄の建造物ばかりで、更に景色の半分は建物から吹き出す蒸気に隠れていた。地平線を眺めることは叶わず、代わりに見えるのは高い壁のようなもの。
まるで都市を覆う城壁のようだった。
「なーんか、寂しいというか、荒廃してるというか」
感想を零しつつ、視線を巡らせる。
そして、それを見る。
エコーの視線が捉えたのは、一際高く聳え立つ塔だった。東京タワーか。もしかしたらスカイツリー並みの高さくらいありそうな天を突くような尖塔を見て、エコーは思わず感嘆の吐息を零した。
と同時、塔を捉えていた視界に、何かが入り込む。
塔の最上階辺りから――何かが、這い出てきた。
それを、目にした瞬間である。
――
背筋を這うおぞましい気配に、エコーは身震いした。
やばい。あれは――やばいものだ。
何かが、そうエコーに告げていた。
それは本能が齎す警鐘。
圧倒的な力を持つクリッターと遭遇した時に感じる、恐怖にも似た感触。
あれと遭遇したらいけない。
あれに近づいてはいけない。
遭遇したら――絶対に殺される!
そう、自分の中の何かが断言した瞬間、エコーは踵を返して一目散に走り出した。
走りながら、視線を一度だけ背後に向けた。
「うわっ……やっべぇ」
頬を引き攣らせながら、エコーはうんざりとしたように一言漏らす。
振り返った視線の先。
塔から這い出てきたのであろう何かが。
真っ直ぐと、常軌を逸した速度でこちらに向かってきていて――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます