三章:紅の請負屋 4
そして――。
[探索完了――異常なし。悪性及び異常なプログラムは検知されませんでした]
「……またはずれか」
地面に横たわる、見るからに粗暴な男たちを睥睨しながら小さくぼやく。立ち去りながら仮面を外し、《電脳視界》に表示される探索プログラムの結果に舌打ち一つ。
姫宮の依頼を引き受けた九角は、その足で幾つかの
今の男たちで六組目。これまた件の電脳ドラッグではなく、何処にでも出回っている、単なる違法プログラムだった。
元々雲を摑むような話だったのは確かだ。ドラッグの影響か、それとも《電脳義体》がクリッターと化していたのが原因かは判らないが、見たこともない都市に迷い込み、その先で出会った仮面の人物から渡されたプログラムを売り捌いていた――なんて、普通ならば耳を貸すことはないだろう。
九角とて、
だが――まさか此処まで何も情報が得られないとは思ってもみなかった。それらしいプログラムを捌いている面々をあたっても、仮面の男の『仮』の字すら引っかからないなんて。
「そもそもなんだってんだ? 見たこともない都市って」
仮面の男に並ぶ、もう一つの不確定要素。
件の電脳ドラッグを売り捌いていた連中が口にした『見慣れない都市』という言葉。それが意味するものとは一体何か。これが九角には想像もつかなかった。
わけの判らない情報に踊らされているような気分になった九角は、苛立ちと共に髪をガシガシと掻き上げて――
「――……そういえば」
ふと、思い出すのは友人の言葉。
『あのさ……もし、なんだけど――電脳都市にログインしようとしたのに、いざ行ってみると、蒸気機関と鋼鉄の建物がたくさんある都市に行った――なんて話、信じる?』
あの時は夢でも見たのだろうと思って一蹴した。
だが、
そもそも何故、透莉はそんな話をしたのだろう?
そう。あの時九角は、透莉の《電脳義体》に強制インストールされた謎のプログラムを調べていた。
ならば――あいつは何処であの異端とも言えるであろうプログラムを手にしたのか。そして、そのきっかけは何か。
「まさか……あいつ」
僅かに。
ほんの僅かにだが、その可能性を考える。
何が原因かは不明だ。だが、もしかすれば繋がりが何かあるのではないか。
そう。今回の電脳ドラッグと直接的な繋がりはないにしても、それに類似する何かに巻き込まれたのではないか。
それは単なる思い付きだった。
だが留意するには充分だろう。
《電脳視界》で現在時刻を確認する。時刻は深夜を過ぎ、既に午前二時近くに差しかかっていた。
流石に今から直接聞き出す――というわけにはいかないだろう。普通の人間ならば疾うに就寝している時刻だ。
明日にでも連絡を入れることにしようと決める。流石にこれ以上歩き回ったとしても、何かが得られるとは思えない。そう断念し、仕方なく今日は帰路につくことにした。
――――――……バチッ
不意に、首筋に違和感。
「……なんだ?」
電脳端子が微かに疼いたような錯覚に足を止め、首元に手を当てる。
勿論、何もない。
気のせいかと考えて、再び歩き出そうとして――立ち止まる。目を見張る。
目の前に広がる光景に、思わず息を呑んだ。
まず目に飛び込んだのは司会を覆う霧と――その向こうに広がる無数の鋼鉄群。大小様々に連なる鋼鉄の建造物。そして、そこから大量に吐き出されている蒸気だ。
そして何より目を疑うのは、漆黒に彩られた空だ。
レイヤーフィールド――ではない。
あれは暗雲。
吹き上げる排煙が構築した漆黒の大雲。
しかしそれは、間違いない本物の空模様だ。
そんなもの、現実にはあり得ない。
それは、最早疾うの昔に失われたもの。
それは、最早見ることのない過去の姿。
何度も、目の前の景色を疑って。
だけど、そこに映るものは本物で。
「……何の……冗談だ、こいつはっ」
見たこともない情景が、そこには存在していた。
見たこともない都市が、そこには広がっていた。
それはもう、見慣れないなんてものじゃない。見たこともない都市が、異形の都市が――そこにあった。
「おおおい! お前! そこの赤いコート野郎!」
九角は暫し眼前の情景に目を奪われ続けていた九角に、呼びかける声があった。それによって忘我から立ち直った九角は、同時にコートの内側から仮面を取り出し、ため息一つ零すと共に装着し、振り返る。
視線の先には、つい先ほど九角が電脳ウィルスを奪った販売屋の男とその連れが、青ざめた表情でこちらに詰め寄ってくる姿があった。
「やっぱさっきの奴だな! そうだろ! いやそうに違いねぇ! なんだよ此処!
これもお前がやったのかよ?」
喚くその科白から、どうやらこの状況は彼に――いや、彼らによるものでないことが自ずと判った。ならば問答の余地すらないと、九角は無言で男たちから視線を外した。
「っておい、無視してんじゃねーよ赤コート!」
九角の態度に男たちが怒りを露わにする。飛んできた呼び名に、もう少し他にないのかと男のボキャブラリィに疑問を覚える。勿論、口にはしないが。
代わりに盛大に溜息を吐く。仮面越しなのでその判別はできないはずなのだが、男は九角の辟易とした態度を感じ取ったのか、つい先ほど軽くあしらわれたことも忘れた様子で距離を詰め寄ってきた。
「調子に乗ってんじゃねーぞ! 俺たちのバックにはなぁ……デカい組織があるんだ。その意味が判るか赤コート。俺たちを怒らせるとお前……終わりだぜ?」
悪辣な笑みを浮かべて大仰に言い放つ男に、九角は仮面に搭載されている変声器越しに言う。
「今のご時世にそんな三下科白を口にして、恥ずかしくないのか?」
「てめぇ……っ!」
なんの感慨もない九角の科白に対し、男は顔を真っ赤にして握り拳を作る。
さて、どうするか。
わけの判らない状況に陥っているのはお互い様だ。なら、理不尽に対しての鬱憤晴らしに、少し遊んでやるか。なんて、考えた時である。
頭上から、それが降ってきた。
無数の鋼鉄で出来た柱のような何かが、今まさに九角へ殴り掛かろうとしていた男へと振り下ろされたのだ。
落ちてきたでもなく、
崩れ落ちたでもなく、
振り下ろされた。
そして九角へ殴り掛かろうとした男は、呆気なくその下敷きになった。
九角も、男の取り巻きたちも、揃ってその光景を見ていた。見ていることしかできなかった。
あまりに唐突。
あまりに突然。
何処からともなく現れた第三者の一撃が、その場の全員の意識を呑み込んだ。
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