三章:紅の請負屋 3
学校の制服から、真紅のフーデットコートに着替えて。
九角は仕事相手との待ち合わせ場所にやって来た。
南北に柳馬場通り、東西に綾小路通り――の辺りに一軒のカフェがある。何処かゆるキャラをイメージしているらしき、水泳キャップを被りサングラスを掛けた、でっぷりとした体格の白い雛鳥……に辛うじて見えるような何かをかたどったプレートが吊るされているカフェ、『
「
「あ、支神さん。お久しぶりです」
まだ若い店主――千羽が九角に気づくと、カウンター越しに振り返って会釈する。九角は肩を竦めながら苦笑を返した。
「……あー、あの人もう来てます?」
「あ、はい。奥の席にいますよ」
千羽が何処か面白そうに苦笑し、奥の座敷を指差した。代わりに九角の気分は急下降する。億劫そうに溜め息を吐いて「ウィンナーココアと生麩のパフェね」という言葉を残して店に上がった。
中庭に面した廊下を歩き、奥の座敷部屋へ。畳の敷かれた和室には既に、スーツ姿の男がコーヒーを飲んで寛いでいた。
そしてその姿を確認した瞬間、九角は全身全霊で思った。
(あー……帰りたい)
「あー……帰りたい、って顔に出てるわよ?」
入室した九角を見上げて、男――否、オカマはそう言った。心の中で思うに留めていたのだが、どうやら顔に出ていたらしい。だが、九角はあえてそれを肯定する。
「そりゃあせっかくの青春只中の放課後。三〇代でオネェ言葉使うおっさんと顔合わせるとなれば、嫌味の一つも口にしたくなるだろ」
「あら、失礼しちゃうわね。こんな良い女捕まえておいて」
「……あのな、姫宮皆見さん。身長一九〇センチ、体重八十六キロの、筋骨隆々で髭を生やしたおっさんが『良い女』に分類された日には、俺は人類に絶望して首を吊る」
九角は辟易気味に目の前の男性――自称女性――姫宮皆見の対面に腰を下ろしながら一息に断言した。
姫宮は「納得いかないわね」と頬に手を添えながら愚痴っているが、マッチョがそんな仕草をしてもなにも可愛くない。そしてこれが刑事職に就いているというのだから、世の中何か間違っているような気がすると、九角は常々思っている。
もし姫宮皆見という存在に救いがあるとすれば、それは化粧をしていないことと、男性物のスーツを着ていることだろう。もしこれで紅を塗って化粧をし、タイトミニのスカートなんて穿いていたら全力で逃げる。
そう思いながら、九角はねめつけるように姫宮を睥睨した。
「――で、呼び出した用件は?」
「せっかちな男は嫌われるわよ?」
言葉を返すのも面倒になり、視線だけで続きを促す。
「……昨日、貴方がとっ捕まえた連中から、新しい情報が入ったのよ。今送るわねぇ」
「開口一番に情報漏洩してんじゃねーよ、お巡りさん」
「貴方はいいのよ。日本でも屈指の請負屋として名高い《
「……そんな通り名がついたせいで、俺はこのコート脱げなくなったんだよな」
投げやり気味にそうぼやきつつ、九角のアカウントに送信されてきたメッセージを開く。《電脳視界》に表示される、姫宮から送信されてきたファイルを読み――そして眉を顰めた。
長々と書かれている文章は割愛し、九角は必要な情報を手短に引き出す。
――夜中に徘徊していたら、見たこともない都市に迷い込んだ。
――そこで出会った仮面の男に手渡された、見たこともない電脳ドラッグを売り捌いていた。
要約すると、男たちの証言はその二つに収束される。
「仮面の男ねぇ……今時いるのか、そんな奇天烈なやつ?」
自らのことを棚上げし、九角は皮肉気に口の端を釣り上げた。
「いたんじゃないかしら。もっとも、電脳ドラッグでハイになったやつらの証言なんて、何処まで役に立つか判らないんだけどね」
「まさか愚痴を聞かせるためだけに呼んだ――なんて言わないよな?」
テーブルに肘をついてうんざりした様子で溜め息を吐く姫宮に対し、九角は険のある眼差しを向けてそう尋ねる。
すると、姫宮は「鋭いわねぇ」と言って、辟易とした表情を一変させる。
「……その頭のイカれたような発言が、そいつらだけだったら気に留めるまでもなかったんだけどねぇ」
「他にもいる、と?」
「それも一人二人じゃなくて――かなりの数が、よ……」
九角の問いに、姫宮が苦笑と共に肩を竦める。
「共通するのは『見慣れない都市』と『仮面の男』ね。どんな幻覚を見たらそんなものが見れるのかしら」
「電脳都市、というわけではないんだな?」
「それについては間違いないわ。貴方たちのような
「なら、見間違えることはない……か」
姫宮の補足を聞いて、九角は再び《電脳視界》に表示されている調書や資料に目を通す。姫宮の言ったことを疑うつもりはないが、一応見落としがないか――そう思って注視する。しかし、やはり問題らしい問題は見当たらず、見落としもないようだ。人間としては若干嫌煙したい部類ではあるが、捜査官としては十二分に優秀なのだ。姫宮は。
故に、初歩的なミスはまずない。
だとすれば、昨夜の男たちの証言を始め、市内で出回っている電脳ドラッグの出所は、やはり件の仮面の男ということになるのだろう。
「与太話にしては数が多いが、信じるには信憑性が薄い……ね」
「だから、貴方に調査を依頼したいのよ。この電脳ウィルスと、彼らの言う仮面の男の関連性を――ね」
「雲を摑むような話だな。まあ、出来る範囲で――ていうのなら、引き受けてやる。言っとくけど、結果が出なくても文句は言うなよ」
もとより信憑性が薄い話。
「大丈夫よ。それについては心配してないわ」
謎の断言に思わず眉を顰める。
「……その心は?」
「貴方を信頼してるってことよ。どう? 惚れた?」
そう言って片目をつぶって見せる姫宮に対し、九角は「いやまったく」と首を横に振る。「もう、イケズね」と本気で残念そうに肩を落とす大男の様子に辟易しながら訪ねる。
「……とりあえず、
「サンプルって――この電脳ドラッグのこと?」
「そう。その電脳ドラッグ。手掛かりの中ではっきりと現物があるのはそれだけだ。なら、それを利用しない手はないだろ」
「……それが言えるのは、貴方が超がつくほどの一流ハッカーだからじゃない」
ふてくされたように頬を膨らませる姫宮。筋骨隆々のおっさんがやってもまったく可愛げがないその仕草に眉を寄せながら、九角は新たに送信されたファイルを開き、中身を確認。そして、
「ほいよ。確かに受け取った」
「言っておくけど、もしそれが流出しようものなら貴方も私もただじゃすまないってこと、理解しておいてよね」
「りょーかい」
神妙な面持ちで言う姫宮に対し、九角はおざなりに返事をして視線を動かす。それにつられて姫宮も同じ方向へ。
すると、部屋の襖を叩く音と共に「失礼します」という店主――千羽の声が。
「はーい、どうぞ」
姫宮がすかさず愛想のいい返事をする。同時に襖が横に滑り、先ほど九角が注文したココアとパフェの乗った盆を手にした千羽が入室し、
「ご注文のココアとパフェです。いつもありがとうございます」
朗らかな笑みと共に、九角の前に品を並べていく。「ありがとうございます」九角は軽く一礼して、ココアを手に取り口を付けた。
そんな九角を見て、姫宮は露骨に表情を顰める。
「ちょっとちょっと、ミスター・モンストロ。なんで和んでるのよ?」
「
「グレンデルだってたいして違いないじゃないの……」
そう文句を零す姫宮に九角は返事をするでもなく、ただただ肩を竦めて見せ――同時に《電脳視界》に表示されている電脳ドラッグを
複数展開された
姫宮から受け取ったプログラムは、間違いなく電脳ドラッグと呼ばれている代物だった。だが、九角が知りたいのはそんな当たり前のことではなく――その深奥。
昨日遭遇した異形の――クリッターが存在した、その理由である。
電脳ドラッグは確かに違法だ。しかし現実世界で横行している様々な違法薬物に比べると、これらはどうしても軽視される傾向にある。
理由は単純。
電脳ドラッグとは電脳情報――即ちプログラムである。それらが影響を及ぼすのは《電脳義体》であり、使用したとしても当人の現実の肉体には何ら影響を及ぼすことはないというのが通説であり、電脳時代以前から生きている古参の方々からすれば、「所詮はヴァーチャルでの話だろう?」という考えが浸透しているのが現状だった。
勿論、大部分においてその考えは正しい。電脳ドラッグの多くは、一般普及型の電脳端子に組み込まれている
例え現実の薬物のように幻覚作用や気分の高揚が起きる電脳ドラッグが存在しても、それは所詮電脳空間でのみ作用する疑似体験だ。これらの売買で生じる規制は、違法薬物というよりも詐欺に近い分類だろう――というのが世論である。
故に、どれだけ電脳ドラッグが横行しても、現行犯でもない限りその多くは摘発されないのが現状だった。
だが、もしも――
だが、もしも、その電脳ドラッグの効果が現実の肉体にも影響を及ぼしたとしたら、どうだろうか?
もしもそんな電脳ドラッグが存在したとなれば、今まで「電脳空間内での出来事だから」という理屈は通用しなくなる。何せその前提が崩れているのだ。
――そして現状は、その〝もしも〟という領域を超えていた。
それこそが、姫宮が九角を――請負屋グレンデルをこうして呼び出している理由でもあった。
昨夜九角が対峙した販売員が売り出していた電脳ドラッグ。この電脳ドラッグの齎す影響は、電脳空間を留まらず、現実にまで影響を及ぼしていた。
しかもそれが単なる幻覚作用や興奮状態に陥るだけならばまだ良かったものの。
(人間の意識すら、プログラムに侵食されてるんだからな……)
昨夜九角が没入した電脳空間で対峙した時、禿頭男の《電脳義体》はすでになかった。
《電脳義体》の代わりにいたのは、電脳の怪物だった。
あらゆる情報を喰らい、破壊するクリッターが、男の《電脳義体》の代わりに佇んでいたのだ。
となれば――あれは最早ドラッグと呼ぶよりウィルスに近い代物だと、九角は推察している。
壊すのではなく、徐々に蝕むもの。
肉体を。精神を。《電脳義体》を。時に自ら、時に本人すら気づかぬうちに侵食する。
そうして《電脳義体》は異常情報体と化す――のだとすれば。
それは、電脳都市において脅威だ。
もし、このウィルスが電脳空間に散布され、多くの人間が気づかぬうちに感染したとすれば――まるで
この電脳ドラッグには、それだけの可能性が秘められているのではないか。
そんな考えに至った故に、九角は電脳ドラッグの
[探索完了――異常なし。悪性及び異常なプログラムは検知されませんでした]
(……冗談だろう!)
《電脳視界》に表示された検査結果に、九角は内心で驚愕の声を上げた。表情に出さなかったのは奇跡に近い。正直、この結果は予想外だった。それもそうだろう。出所が怪しい電脳ウィルスなんて銘打っている代物が、いざ調べて見ると『なんの異常もありません』なんて表示されるのだ。我が目を疑うのもまた当然のことだろう。
ちらりと、視線を対座にいる姫宮へ向けた。彼が実は誤ったデータを渡しているのではないだろうかと、勘ぐってしまうが――それはまず有り得ないことだ。そもそもそんなことをするメリットが思いつかない。自分に対しての嫌がらせ、という可能性はなきにしもあらずだが、姫宮は公私をしっかりと分ける人間だ。重要案件として仕事を持ってきた以上、そのようなことはしないだろうと結論付ける。
――ならば。
やはりこの電脳ウィルスは、昨日の禿頭男が取り扱っていた商品とみて間違いはないだろう。そしてそのウィルスデータを調べた結果は、先の通り。
(……なら、この電脳ウィルスは何だ? 何故こんなものが出回っている? これを入手することで生じるメリットは?)
些か、判らないことが多すぎた。
九角は小さくため息を漏らし、
「……ホント、厄介ごとの予感がする」
そう小さく愚痴を零した九角は、ココアを飲み干し立ち上がる。
「まあ、やれる限りはやってみるさ。結果が出たら連絡する。期待しないで待っててくれ」
そう言って退室する九角の背に「期待して待ってるわ~」という、寸前の科白をまるで無視するような声が飛んできて、九角は「阿呆か」と呆れてしまう。
皮肉なのか、それとも本気で期待しているのか。
前者であれば気楽である。後者だったら正直迷惑だ。
が、まあある程度の期待にこたえられるようにはしよう――なんて思いながら、九角は店を後にした。
出るときはしっかり、「代金は姫宮さん持ちで」と言い残しておく。
その科白に対しての店主の千羽の返事は「判りました」というにこやかな笑みだった。
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