三章:紅の請負屋 2



 放課後の図書室ライブラリィ。一昔前ならば、放課後の図書室とは予習のための次週に利用したり、あるいは必要な資料を探したり、興味のある書籍を借りるための場所だったらしいが、電脳技術やネットワーク技術が発展した昨今では、その利用者はほとんどいない。

 故に人が出入りすることは滅多になく、人目を避ける場合に僅かなり利用されることがあるのだが、電脳技術を最低限しか利用しない九角にとって、大量の紙媒体書籍が陳列される図書室とは宝の宝庫であり、数少ない安息の場所であった。

 尤も、今日の用途理由は別にある。

 今朝方届いた幼馴染である透莉からの『放課後に調べてほしいことがある』というメッセージを受け、短いながら――いや、短いからこそそこから滲み出る緊迫感に、二つ返事でこの場所をしていた。

 そして――


「……どう?」

「――なるほど、確かに消去せないな……」


 溜め息交じりにそう言って、九角は眼鏡越しの双眸を細めた。接続ケーブルを介して《電脳視界》に表示されたプログラム情報は、弥栄透莉のものだ。

 プログラム名《破戒ノ王手》。

 昨日、透莉の《電脳義体》にインストールされたという、謎のプログラム。

 初めて見る名称だった。恐らく電脳情報庫アーカイブにも登録されていない代物だろうことは、容易に想像できる。

 用途不明。製作者も不明。《電脳義体》名トーリに、このプログラムは完全癒着している。いや、より正確に言うならば、


「これ……お前の《電脳義体》と完全に一体化しているぞ」

「そう、そうなんだよ!」


 九角の呟きに、透莉は大げさと言えるくらいの挙動で頷いて見せる。


「昨日、電脳都市に接続インして詳しく見てみたら、その有様だったんだ。しかも何が酷いって、対クリッター用の左腕にも自動登録されてたんだよね、それ……」

「それはまた厄介この上ないな……」


 気のない返事を返すが、その胸中は酷く辟易してきた。昨夜は昨夜で《電脳義体》の異常に遭遇したと思ったら、今度は友人が正体不明のプログラムを強制インストールされるという、時間にすれば半日足らずでイレギュラーに遭遇する羽目になるなど、誰が予想するだろう。

(……今週は厄週か何かなのか?)

 眉間に皺を寄せて苦悩していると、


「あ、九角。ノスタルギア……って知ってる?」

「はぁ?」


 あまりに唐突で脈絡のない問いに、九角は露骨に顔を顰めて見せる。しかしそれも一瞬、九角は自分の記憶にある情報を精査し、その単語が意味する言葉を口にした。


「……確か郷愁や、望郷を意味する言葉だ。英語で言うところのノスタルジー。ノスタルギアは、そのラテン語か、古グーリス語だ」

「古グーリス?」聞きなれない言葉に眉間に皺を寄せる透莉に、九角はため息をつきながら答えた。


「……ギリシャ語」

「ああ。なるほど」


 九角の言葉に、ぽんと手を叩き納得する透莉。そんな透莉を見上げ、九角は訝しむように目を細める。


「いきなりどうした? お前の口からそんな単語が出てくるなんて……明日はあの天板が降ってくるのか?」

「……そんな事態になったら、それこそ人類どころか地球滅亡の危機だね」

「かもな」


 肩を竦める透莉に対し、気のない返事をする九角。透莉の顔色を窺がうと、何処となく逡巡しているように見える。誤魔化そうとしているのか、あるいは言えないことなのか……。

 顔を突き合わせること数秒。透莉は躊躇いがちに口を開いた。


「あのさ……もし、なんだけど――電脳都市にログインしようとしたのに、いざ行ってみると、蒸気機関と鋼鉄の建物がたくさんある都市に行った――なんて話、信じる?」

「信じない」


 容赦無用に一刀両断する。

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 思わず渋面する九角に対し、透莉は乾いた笑いを零した。


「まあ、そう思うよね。僕だって、そんな話されたらそう思うよ……」

「良くて寝ぼけていたのか。悪けりゃ性質の悪いウィルスに引っかかったかだな」


そう言い捨てると、九角は接続ケーブルを自分の電脳端末から引き抜いて透莉に手渡した。


「――まあ、なんだっていいさ。とりあえず、お前にインストールされたプログラムに関してはこっちでも調べてみる。不用意に弄るなよ?」

「弄ろうにも強固すぎて、僕如きじゃ手も足も出ないよ……」

「よく言う……」


 苦笑を零し九角は立ち上がる。そんな九角を見上げ、透莉は眉を寄せながら尋ねた。


「今日も仕事ビズ?」

「そんなところだ」

 ――仕事。

 正確には請負屋業務ランナー・ビズと呼ばれるもの。

 それが九角の放課後の主な予定は、大概がそれである。ある日なければない日もある。今日はある日のほうだった。

 というよりも、昨日の続きだ。雇い主に呼び出されているので、顔を出さなければならない。


「何かあったらメッセージを飛ばせ」

「判ってる。君こそ気を付けてね、ミスター・モンストロ」


 くつくつと笑う透莉に唇を尖らせつつ、


「……その名で呼ぶんじゃねぇよ、ミスター・カウボーイ」


 そんな捨て科白を残し、九角は図書室を後にした。



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