序章 side:real




 引き抜いたコアを情報分解デジタライズし、専用のメールへ添付。電脳都市の警邏――ホワイトハットへ送信する。

 これでハッカーの仕事は終了だ。


「いやー、良い稼ぎだったね!」

「まあ討伐難易度に比べたら楽ってのは確かだけど……今回のはちょっとヤバかった」


 先ほどまでの戦闘を振り返りながらそう零すと、エコーもまた同意するように首肯する。


「あー、判る。あの腕から出てた、ビリビリーってやつ。強制消去プログラム? みたいのは怖かったし。それにちょっと硬かった?」


 エコーの指摘に、トーリは同意するように首肯した。


「うん。初撃で《破壊》まで持っていけなかったし……そのあとも学習したのかな。こっちの《侵食》が通り難かった。改造いじってたのかも」

「あー、なるほどね。有り得るかも」


 なんて会話をしていると、メッセージ着信を告げる電子音が鳴った。

 立体画面を開き、メッセージを確認する。クリッター討伐の報酬額が記されていた。

 定例文を流し読みし、最後に承諾のボタンを押す。

 これで報酬が支払われたことになる。


「よし。それじゃ、僕はもう戻るよ」

「ふぁぁ……だね! アタシもそうする」


 声を掛けると、エコーが欠伸交じりにそう答えた。苦笑するトーリに対し、少女は「む、笑うなよ~」と言って軽く手を振って見せた。

 次の瞬間、エコーの姿が半透明になり、続け様に光の粒子となって掻き消える。

 そのことに、別段驚くことはない。

見慣れた光景だった。

 トーリもまた、エコーが居なくなったことを確認すると、意識を現実に向けて――


[――電脳離脱ログアウト完了しました]


 ――瞬間、意識は現実へと移行シフトする。

ログアウト時の断絶ラグはなく、違和感なしシームレスに視界が電脳都市のものから現実の自室へと変わる。

身体も、同じく。

電脳義体トーリ》から現実の自分へ。

 頸部に備わっている電脳接続端子から有線コードを抜きながら、弥栄透莉ヤサカ・トオリはデスクの上に置いてある電子時計を確認した。

 現在時刻、〇時一八分。

 予定より三〇分ほど長く電脳都市に居たことになるなぁと考えながら、透莉は大きく背伸びしていると。


 ――ポーン。


 という電子音。

 電脳越しに届くメッセージ。差出人の名前は七種響サエグサ・ヒビキ

(せわしないないなぁ……)

 そう思いながら《電脳視界》に情報窓ウィンドウを開いてメッセージを確認。


――――――――――――――――――――――――――――――


  本日の仕事ビズ、おっつかれさーん!

  いやー、トーリが居てくれて助かったよ。さっすがはカウボーイ。

  おかげで良い稼ぎになったね。

  明日は遅刻しないように気を付けてね。

  じゃ、おやすみ!


――――――――――――――――――――――――――――――


 簡潔で、且つ彼女らしい文章に微苦笑を零す。透莉は手短に返事を送り、明日の時間割カリキュラムを確認すると、渋々ながら自室のベッドに横たわり、そのままそっと瞼を伏せた。


      ◇◇◇


「……行ってきまーす。くあぁ……」

 まだ覚醒し切らない頭を必死に動かしながら玄関を出る。昨日、結局寝つけたのはあれから一時間ほど後だった。

 おかげで若干寝不足気味である。

 盛大に、周囲の視線など気にもしないで欠伸を零し――。

 何気なしに、空を見上げる。

 そこには一片の陰りもない蒼穹――ではなく、人の手によって造られた巨大な天井が頭上に広がっている。

 それは人工の大気層。

 正式名称――圏層防護壁レイヤーフィールド

 大気汚染を初めとした環境汚染や紫外線汚染が深刻化した頃に建造された、人工の大気境界層。天上すべてを覆いつくし、人類を護る防壁。

 空の景色は人工の風景映像グラフィックで、天候はレイヤーフィールドの気候操作によってランダムに施工されるものとなって久しい。

 当然ながら、空を巨大な板っ切れで覆っているため、長距離移動用の航空機は廃止された。代わりに空を走るのは圏層吊走式車両レイヤーレールである。

 本物の青空――というものは、最早映像媒体ムービー写真媒体フォトグラフでしか知らない。

 この頭上の映像と、実際の蒼穹の何が違うのかは、本物を知らない透莉には判らないが、レイヤーフィールドが造られる以前の空を知る人たちは、まるで頭上の疑似空そらを嫌うように目を背ける。

 なかなかに理解し難い感覚だと思う。

 それは透莉が、レイヤーフィールドが造られて以降に生まれた人間だからなのか。それとも単にひねくれているのか。

 たぶん後者だ。

 《電脳視界》で時間を確認する。現在時刻は七時三十八分。登校時間に余裕で間に合う。

 そう考えながら前を見れば、見慣れた背中が歩いていた。足早に駆け寄り、声を掛ける。

「おはよう、九角クヅノ

 彼の名を呼ぶ。

 支神ツカガミ九角。

 同じ高校に通う、自分より一つ年上のノンフレームの眼鏡をかけた先輩であり、幼馴染である彼は、振り返って透莉の顔を見ると、不機嫌そうに眉を顰めた。


「なんだ、透莉か。おはよう」

「なんだってのは酷い言い草のような……」

「別に、お前を見て顔を顰めたのではない」

「じゃあ、何に?」

「お前の後ろ。その更に上」


 そう言われて、納得する。自分の背後。その遥か頭上にある物は、くしくも先ほどまで透莉が見上げていた物。

 即ち、レイヤーフィールドだ。


「相変わらず嫌いなんだね、あれ」

「ああ、嫌いだとも。人工投影の空なんて、不愉快の極みだな。まだ機械の板っ切れそのものだったり、人口灯の光だったならマシだと言うのに……」


 そう言って眉間に皺を寄せる幼馴染の様子に苦笑する。

 九角は昔からレイヤーフィールドが嫌いだった。口を開けば嫌悪を零す。嫌悪と言うよりは憎悪に近いのかもしれない。どうしてそんなに毛嫌いするのかと聞けば、彼は決まって口を閉ざすけど。


「いい加減慣れたら?」

「慣れると思うか?」

「無理だと思ってる」


 剣呑な視線を向ける九角に、透莉は肩を竦めた。すると、


「おっはよーっす。お二人さん、何話してるの?」


 背後から声が掛けられた。

 振り返れば、服装や髪の色は違うけど、昨日の夜に電脳都市で肩を並べた人物と同じ顔立ちの、明るい色の髪を肩まで伸ばしている少女が一人、微笑している。


「おはよう、響」

「おはよう、七種」


 男二人がそう挨拶を返すと、


「ういっす透莉。おはようございます、支神先輩」


 そう言って、七種響が軽く会釈した。


「で、何の話してたの?」

「九角のレイヤーフィールド嫌いについて」

「いつものことじゃん、それ」


 答えると、響はざっくんばらに言い捨てて肩を竦めた。まったく以てその通りだと、透莉も思う。


「そのことはいいだろう。どうせ話していたって禅問答になるだけだ」

「あれですよね、見解の相違」

「その通り」


 響の言葉に肯定の意を示すと、「さあ行くぞ。遅刻するのは御免だからな」そう言って九角は黙然と足を早めた。

(……遅刻って)

 《電脳視界》で時間を確認する。

 現在時刻、七時五四十四分。此処から学校まで、寄り道をしたとしても二〇分は掛からない距離。どう考えても、登校時間の八時三十分までまだ猶予がある。

「照れ隠し?」と首を傾げる響。

対して、透莉は小さく頭を振って「単に誤魔化しただけだと思う」と返す。と同時、九角が足を止めて振り返った。


「なんだ?」


 言いたいことがあるのならば言え、とでも言いたげな視線に、二人は揃って「何でもない」と頭を振った。

 そんな二人に、九角は小さく溜め息を零すと、無言のまま再び前を歩き出した。

その後ろを、透莉と響は肩を並べ、苦笑いを交わしながら続く。

 慣れたやり取りだ。

 朝の恒例。

 なんでもない当たり前の情景だ。

 いいことだと思う。

 嫌いじゃない。むしろ好きなほうだ。

 不満があるとすれば、それは少しばかり刺激が足りないということだが、それも問題ない。

 ――電脳都市。

 ――解体術式。

 ――クリッター。

 そう言う単語が脳裏を過ぎり、透莉は一人ひっそりと肩を竦める。

 不満なんてものは、気にする必要はない。

 電脳都市に行けば、そんなものは簡単に解消されることを、自分は知っているのだから。


      ◇◇◇



 ――電脳都市メガ・バース


 そう呼ばれる、ネットワーク上に作り上げられた第二の世界げんじつ。電脳企業ラースによって運用されているこの電脳空間の名前だ。

 実のように地球と言う名の限られた大地スペースに囚われることもなく、サイバースペースは無限に広げることが出来る。

 そしてそれは、今も尚拡大を続けている。

 今はまだ試験運用段階で、先進国の一部でのみ施行されているが……いずれは現実よりも遥かに広大な世界が構築され、人類は生活の殆んどをこの電脳都市で過ごす――そんななんて時代が来るのかもしれないと実しやかに囁かれるほど。

 勿論、それは今じゃない。

もっと遠い、未来の話だ。

 技術の発展は大多数に歓迎されるが、少数以上には批判も生じる。

 電脳都市巡って、世界各地でサイバー・テロを危険視する国は多い。

また、公にはされていないが、クリッター問題は電脳都市における最大の問題点だろう。日々防衛体制セキュリティーは進歩しているものの、外部からの攻撃は後を絶たず、ラースは一般アカウントからハッカーを雇う形で対処に迫られているほどだ。

 また、電脳が発展したことで生じた、電脳症候群は特に問題視されている。

 電脳都市――ひいては電脳世界そのものを絶対視し、電脳に入り浸り続けて、電脳に依存し、現実を蔑ろのする人間が少なくない数で存在している。

 そしてそれは一昔前。二十一世紀初頭のインターネット発達に伴って生まれた『ネット依存症』と言う言葉を掛け合わせ、引き継ぎ、『電脳依存症』なんて名前が生まれて、昨今広まり始めているほどで――。


「――だけど、それがどうしたって言うのかなぁ」


 電脳ネットを介して覗いたニュースサイトの一面に対し、そう小さく零してみる。

 本日の授業を終えて、時刻はとっくに放課後。

 特に部活動に参加しているわけでもない透莉は、授業の終わりと共に学校を後にし、帰路についていた。

 帰路についてほどなくして。電子音と共に、《電脳視界》に着信を告げるメッセージが表示される。

 送り主のアカウント名はエコー。つまり、七種響だ。

 メールを開き、目を通す。


――――――――――――――――――――――――――――――


  ういーっす。今日の授業お疲れ!

  今日もログインするっしょ?

  アタシも生徒会終わったら行くからさ。二十一時に落合わない?


 ――――――――――――――――――――――――――――――



「……了解――と」


 短く返事を返し、透莉は帰宅した。

玄関を開けて「ただいまー」と口にしようとして――そういえば、両親は今日から暫く出張でいないことを思い出す。

 幸い、両親が出張でいないのは珍しいことではなく、その結果料理は一通りできるから、食事に問題はないし。

そう頭の片隅で考えつつ、透莉は自室に戻るや否や、電脳接続するための有線を引っ張り出し、自身の電脳端子デバイスへ接続した。

 二十一時には響――エコーとの待ち合わせがある。

 それまではクリッターの情報収集をするか。それとも解体術式のプログラムを見直すか、新しく組み立てるか……。

 そんなことを考えながら、透莉は再び電脳都市へと意識を接続する。



[――電脳接続を確認しました]

[ミスター・トーリ]

[ようこそ、電脳都市メガ・バースシティ・キョウトへ]


 そうして今日もまた、白衣の少年――トーリは、電脳都市へと足を踏み入れた。


――その、はずだった。











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