22. メイドインスクリプト
リコと別れると青木さんと一緒に居たタチアナを呼び出し、僕が考えた推理をすべて話した。
鏡花は青木さんの店から出て行ってしまったようで、タチアナが携帯で呼び出しても応じなかった。敵が見えたというのにこの場にタチアナしか居ないことが心残りではあったが、時間もないので仕方ない。
「なるほど。敵はオートマイクロ社で間違いないわね」
僕が説明を終えると、タチアナはしきりに頷いてから僕の話を締めくくるようにそう言った。僕の考えを否定しなかったので、どうやらタチアナはそのまま内容を信じてくれたようだ。
それが少し――いや、かなり嬉しかった。
思い上がりかもしれないが、初めて僕が役に立った。
「マッチポンプにしては自社の損害を出しすぎているし、世界を牛耳るつもりかしら」
「目的まではわからない……。けど、用意周到にこんな問題を起こしているぐらいだから、ろくな事じゃないはず」
「そうね。どんな目的かは知らないけど、くだらないことは確かね」
タチアナの言うとおりだ。自社の製品を使って暴動を起こすだなんてくだらなすぎる。
「それで今、リコがハッキング元を調べてくれている」
「リコが?」
心なしか、タチアナの言葉が明るくなる。
「サーバは? 動かしてるの?」
「ある程度アタリを付けられたから大丈夫だろうって」
「本番に移るには、リコに渡したボールが返ってくるのを待つしかないってわけね」
大きな胸を強調するようにタチアナは腕を組んだ。
「それなら、あたちたちの方は一緒にお風呂でも入りましょうか」
「なんでだよ!」
いやまぁ、嬉しい提案ではあるけどさ。けれども、女の子との風呂にかまけているほどの余裕を僕は失ってしまっている。
「ロシアンジョークよ。緊張してそうだったから、ほぐそうと思ってね」
本当に冗談だったのか? 余計に緊張したぞ。
ため息が出そうになるのをこらえつつ話を戻そうとしたところで、急にタチアナが抱きついてきた。
抵抗する間もなく、二つの膨らみが僕の顔にヒットする。
「ちょっと、タチアナ」
拒絶してもよかったのだが、僕は途中でやめた。
「ゴメン。少しだけこのままでいさせて……」
胸に包まれて満更でもなかったが、それでやめたわけではない。
哀願するような声が僕にかけられたからだった。
「ほら、あたしってこんなんじゃない? だから、その……甘え方を知らなくてさ」
それはタチアナが初めて見せた弱みだった。
「青木さんに聞いたんだけどね? もうツバキは元に戻らないって……」
タチアナがすん、と鼻を鳴らした。
リコがあんな状態だったから、タチアナが崩れるわけにはいかなかったのだろう。
タチアナは僕らに強がりを見せ続けていたのだ。
先ほどのリコとツバキのやり取りを話そうかと思ったが、ツバキから出てこないということは、話すべきではないのだろう。
いずれ時が来れば、またタチアナの前にもツバキは現れるはずだ。
「鏡花とも喧嘩しちゃった。ほんと、あたしって駄目ね」
「そんなことはない」
僕らの中で誰が悪いなんてない。
強いて言えば、僕らをここまで追い込んだ敵の方だ。
「タチアナは悪くないよ。僕が保証する」
「優しいのね、カトレアは」
ぐっと僕の背中に回された腕の力が強くなる。
僕はタチアナの気の済むまで、じっとこうしていようと思った。
「プログラムの動作元がわかった」
がらりと部屋の扉が鳴り、続けてリコの言葉が僕の耳に届く。
タチアナの胸に収まってしまっているために見ることが出来ないが、リコが部屋に入ってきたのだと思われる。
視界が見えない状態にあるものの、今の状況を客観的に考えてみるとどうだろうか。部屋の中央で抱き合っているタチアナと僕がリコの目に映ったに違いない。
「……ごゆっくりぃ」
棒読みの台詞と共にぴしゃりと扉が鳴った。
「ちょっ……リコ、誤解よ誤解! 戻ってきて!」
慌ててタチアナがリコを呼ぶと、リコは獣のすみかに入り込むかのようにおそるおそる部屋の中へと入ってきた。
「行為に移すときは場所をわきまえた方がいい」
リコはいつもの調子を取り戻したようで、抑揚のない機械的な口調で僕らに言葉を向ける。言葉の内容についてはいかがなものかと思うが、それは完全に誤解である。
「いやいや、行為ってなによ」
何を想像しているんだか、タチアナが顔を赤らめながら、くねくねと身悶えていた。
「哺乳類は危機的状況になると子孫を残そうとすると聞いた」
いや、僕とタチアナでは子孫を残せませんからね?
「違うわよ。こんな状況なのにカトレアってほんと可愛いくってさ。ハグしたくなっちゃったのよね。参った参った」
「いつもの発作?」
病気扱いされてますよ。タチアナさん。
「そう、発作発作」
頭に手を当てて、イタズラがばれたみたいにタチアナがケラケラと笑う。
なんだよ……いつもこんな調子を続けていたのか。タチアナは。
不器用な奴だと心の中で
貶しはしたが、僕がタチアナを好きでいられるのはこういう所に違いなかった。
けれども、こんな強がりを居続けていたら、タチアナも先ほどのリコのようになってしまうだろう。
「タチアナ」
僕は小声で呼んで、笑いで揺れている背中をつつく。
「なに? カトレア」
「また、甘えたくなったら、その……僕は構わないからさ……」
不覚にも僕の声が小さくなってしまったのは、リコに聞こえないようにしてか、はたは恥ずかしさからか。
なんだって、こんな恥ずかしい台詞を言わなくちゃいけないんだ。
「ありがとう」
タチアナは嬉しそうに唇を噛み締めて、ニコリと笑う。
恥ずかしい思いも、タチアナの笑顔を見たら吹き飛んでしまった。
「二人して内緒話……。やっぱりラブラブ?」
リコからまとい付くようなジトッとした目が僕らに向けられる。
「嫉妬した?」
「勝手にどうぞ」
だんだんといつもの掛け合いが戻ってくる。
いつもだったら、ツバキか鏡花が止めるんだけれどもな。
この場にツバキと鏡花が居ないことがちょっとばかり寂しく思えてしまった。
「それで、リコは何がわかったの?」
代わりに僕が切り出すと、タチアナとリコの間に緊迫した空気が流れ込んだ。
「カトレアの推察通り、オートマイクロ本社が持つデータセンターからハッキングが行われていた」
「データセンターの場所は?」
場所は予想できていたが、念のために訊いてみる。
「イギリス」
やはりイギリスからなのか。
僕のパスポートなんてもちろんないし、こんな世情でイギリスに飛べるのかどうか。
空港はもれなく全便欠航状態だろう。飛んだところで墜落されてはかなわない。
「困ったわね……」
「オートマイクロ社は日本にもある」
なるほど、そうか。リコの言葉に僕は納得する。
別に相手の本体に飛び込む必要はない。オートマイクロ社が持っているであろう社内ネットワークは日本とも繋がっているはずなのだ。
「そこから敵のネットワークへ物理アクセスして、プログラムごと乗っ取る」
「それで、乗っ取って停止って寸法ね。さっすがリコ」
「違う。無害なデータを送るようにプログラムを書き換える。送るデータは複雑であればあるほどいい」
「複雑なデータって何かあったっけ?」
タチアナの問いかけに対して、リコは僕を見た。
「加藤一雄が作った執事・メイド用プログラムがある。そのデータが最適」
「……それって、本当に無害なの?」
それについては僕も聞いてみたい。
あの親父からひねり出される物は全てバグのように思えてしまう。
「彼の組み上げたプログラムは優秀。副作用としてお茶淹れ、接客、掃除などの作法に関する行動パターンを加えるデータになっている」
内容を聞いて思わず僕は吹き出してしまう。
「それでいこう、リコ」
「えっ、本当にやる気?」
「
いつもの通り、リコの合いの手はさておいて。
「やるしかないだろう、タチアナ。それに、リコが言っていたじゃないか」
僕はタチアナたちと初めて会った日のことを思い出しながら言った。
「ハッキングして相手に送りつける
僕はそこで言葉を止めて、リコを見る。
リコは口元にうっすらと笑みを浮かべて、楽しげに言った。
「面白い方がいい」
「――ってね」
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