21. ちょっと本気出す

 リコは部屋の片隅で、相変わらず同じ態勢のまま膝を抱えていた。

 電気を消す余裕もないのだろう。タチアナが付けた電灯は付きっぱなしで、部屋は明るいままだった。

 僕はそっとリコの方へと歩を進めていく。


 泣き疲れて寝ているかとも思ったが、近づいてみると違った。リコはずっと泣き続けていた。

 グスグスと、しゃくり上げる音が部屋に木霊こだましている。

 僕は息を吸って、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「リコ。敵がわかった」


 僕の声にリコがピクリと顔を少し上げるも、返事はない。


「大手メーカーのオートマイクロだ。リコの力を貸して欲しいんだ」

「私は足手まといだから……」


 リコの顔に浮かんでいたのは、諦めの表情だった。

 自分を責めに責め続けた結果、自信を失ってしまったらしい。こんなに擦り切れてしまっているリコが立ち直るのかと、僕は心配になってしまう。


 どう返すのが正解なんだろうかと考えるも、言葉は選ばずに自分の思ったことをそのまま口にすべきだと、リコの目を見て思った。


「そんなことを言ったら僕も同じだ」


 そうだ。だって、今でもリコに頼っているんだ。

 リコは僕の言葉と考えを否定するように、力なく首を横に振った。


「そんなことはない。カトレアは自分の定められた範囲で頑張っている。私はもう頑張れない」

「なんで諦めるんだよ! ツバキはそんなことを望んじゃいないはずだ」


 ――次につなげたんだよ、あいつツバキは。


 僕の声と、さっき聞いた青木さんの言葉がシンクロする。

 けれども、その言葉すらリコには届かなかった。暗い影を落としたままの瞳でリコは、


「頑張れないのは、現実が思い通りにならないから……」


 絞るように声を出して、再び額を膝頭にくっつけた。


「思い通りにって……」


 望みとは違って、現実は思い通りにいくこともあれば、裏切りもする。そりゃあ誰しもが思い通りにしてみたいと思っているだろう。

 僕だってそうだ。

 リコはネットの世界であれば、思い通りに出来るぐらいの力がある。

 けれども、現実は違う。『0』か『1』かのデータとは違って、一筋縄でいかないのだ。


「リコのネットに対する技術は凄い。けれど現実は違うだろ」

「皮肉にもカトレアの言うとおり、それが痛いほどにわかった」


 立ち直って欲しいというのに、リコの声はだんだんと沈む。

 現実はいつだってそうだ。

 こうも思い通りにいってくれないのだから。


「主人公になりたかった」

「この前の質問の続き、かな……?」


 リコが頭を下に向けた状態で小さく頷く。


「答えを聞いていなかった。主人公になるためにはどうしたらいいと思う?」


 リコはゆっくりと顔を上げると、真摯な眼差しで僕の目を見た。

 不思議な質問。それも、あの時のツバキと同じ真剣さだ。


「その答えについてはわからない」

「わからない?」


 思いがけない返答を言われたような顔をリコがする。


「けれどな――」


 僕は大きく息を吸って、リコに――そして、今もなお混乱に陥っている世界に向けて、こう言った。


「役目なんてものは与えられるんじゃない。世界はそう簡単にかわりっこない。自分を変えるんだ!」


 今まででいちばん長い静けさが訪れた。

 まるでこのまま朝を迎えてしまうんじゃないかというぐらいに、それは長い間だった。


「……カトレアは凄い」感慨深そうにリコは呟き、「凄い」と再び口にして視線を下に向けた。

「凄いってなんだよ……」


 僕の問いには答えず、再びリコは無言になってしまう。

 こうしちゃいられないというのに、なんだか話も逸れてしまっている。

 時間が解決してくれるかもしれないが、そんな時間なんてない。


 僕がリコのようにうつむき掛かったとき、僕の口がひとりでに動き「リコ様」とリコの名を呼んだ。

 何が起こったのかと僕は「えっ」と驚きを口にしたかと思えば言葉は出ておらず、それどころか身体を全く動かせないでいた。


「そう哀しい顔をなさらないで下さい」


 再び僕の口から勝手に紡がれる言葉。

 リコが顔を上げて、赤く腫れてしまっている目で僕を見た。

 リコ様なんて呼び方をする人物は僕らの中でひとりしかいない。


「……ツバキ、なの?」

「はい。今はカトレア様の身体を借用させていただいております」


 僕は笑う。そして、僕の右手が自然にリコの頭の上に乗った。


「誠に勝手ではございますが、あの時カトレア様のデータ領域に私のデータを一部移させて頂きました」


 あの時ってなんだ……?

 少し考えてキスをされたときだと思い至り、なんだか恥ずかしくなってきてしまった。


「ツバキ、ツバキっ……!」


 リコはポロポロと大粒の涙を流し、僕へ抱きついてきた。

 メイド服越しに伝わるリコの体温。リコの顔が僕の胸にうずまる。


「ごめんなさい……。わたっ、私のせいでツバキは……」


 リコが慟哭のなかでツバキに語った内容は懺悔だった。

 リコは色々と言いつつも、やはりツバキの赦しが一番に欲しかったのだろう。


「リコ様。私はリコ様のことは全て分かっていますから」

「ぜんぶ……?」

「はい。そう一人で色々と背負い込まないで下さい」


 ギュッと、リコの腕に力がこもる。

 しばらく、そのままの態勢でリコは泣き続けた。

 そんなリコの頭を僕の手はゆっくりとなでていた。


「どうか、皆様のお力になってください。リコ様」


 その言葉を最後にして、スイッチが入ったように僕の身体に感覚が戻ってきた。

 僕はなで続けていた右手をそっとリコの頭から離す。


「ツバキ……?」


 不安そうな顔が僕の胸から覗く。


「ごめん、もう僕なんだ」

「そう……」


 再び落ち込むかと思えば、リコは涙を拭って僕の胸から立ち上がった。

 そして、のろのろとした足取りで床に捨てられていたノートパソコンを手に取ると、しっかりとした口調でこう言った。


「ちょっと本気出す」

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