18. キス
「こんな事は考えたくねーが、情報を売ったせいじゃないか?」
永遠と思えるほどの沈黙の中、鏡花が更に笑えないことを呟いた。
「その考えは違うと思うわ」
誰かが口を開けばどんどんマイナスな話に転がり続ける中、抵抗するようにタチアナが言う。
「違うのか?」
「ハッキングを受けたと思われるオートマタにあたしたちが襲われたのは、データを手に入れる前だったじゃない? だから、この件の原因がデータだとすれば辻褄が合わないと思うの」
鏡花の考えが破綻していることには納得できる理由だ。けれど、どことなくその声音は弱々しい。
自分が原因であると認めたくないからこそ言っている。そんな節もありそうだった。
「関連性については説明できませんが、今回の件とカトレア様のお父様が遺されたデータに該当する箇所がございます」
「なんですって?」
驚きを持ってカトレアが返す。
「『研究資料』と名のついたフォルダにあるPDFデータの1285行目に、既存のオートマタが影響を受けるセキュリティホールについての記述がございます。現在、オートマタへのハッキングはオートマタのネットワークグループから実行されていることから、おそらく相手はこのセキュリティホールを利用していると考えられます」
細かな情報をツバキが言っている辺り、情報を売り渡しはしたが抜け目なくこちらでも親父のデータを所持しているということだろう。
突如として舞い込んできた解決の糸口に、期待の目がツバキへと注がれる。
「そのセキュリティーホールはアップデートとかで潰せないの?」
「オートマタの仕様上、アップデートでは修正できない箇所に思えます」
ツバキの言葉に一同が落胆した。
「私達は
「そういうことなら、あたしたちが逆にハッキングし返せばいいじゃない!」
「なるほど。できうるかどうかはさておき、論理的には可能です」
「そうとわかればリコ。あなたが頼りよ」
タチアナが迷いのない希望を持った目でリコを見た。
「わかってる」
ここ一番の役目を負ったためか、リコが口元を歪めて笑う。
鬼に金棒、リコにパソコンと言うべきか、リコのノートパソコンからマシンガンみたいな打鍵の音が鳴り始めた。
「なにかわかりそうなことはない? なんでもいいわ」
「オートマタのネットワークグループは相当な暗号強度を持っている。このパソコンではまず介入不可能。相手がどこでどう介入しているかを調べるには拠点にある全てのサーバを立ち上げる必要がある」
こうも勢いづいたリコを止めるには、どんな奴を用意すればいいんだろうか。
考えても誰も思いつかない辺り、この世で一番敵に回しちゃいけないのはリコに違いない。
「わかったわ。早速行きましょう」
「こっちは知り合いの公安の奴らに、今回の情報を片っ端から当たってみるわ」
いつもどおりを取り戻してきたのか、鏡花も自信に満ちた顔になる。
「おーけー、わかったわ。鏡花以外は、拠点に行くわよ。なにかわかり次第、そこから行動に移すとしましょう」
外へと出てみれば、オートマタに襲われる世界が僕らを出迎えるのかと思えばそうでもなかった。
ツバキによれば、現在オートマタのネットワーク上に走っているプログラムは、セールス勧誘のように総当たりで攻撃しているということだった。
つまり、暴れているオートマタは初期に狙われてしまった運の悪いオートマタであるということだ。
けれども、あの会場にいたオートマタ達や研究所でのオートマタ達はたまたまだったのか、という疑問が残る。
それについては、ピンポイントで狙うことも可能だろうというのがリコの見立てだ。
だが、そうなるとさらなる疑問が生じてしまう。
なぜツバキは狙われもせずに、または狙われた上で平気でいるのか。ツバキも例外に漏れず、オートマタのネットワークグループに常時接続しているのだ。
真っ先に狙われてもいい存在だが、そう考えると相手のパターンは二つに絞れる。
一つ目は、リコの推察は誤りであり、狙うことができないというパターン。
もう一つは、ツバキが特別であることから、ハッキングするためのセキュリティホールがないパターンだ。
前者は可能性的に低く感じる。リコも信じたいところだ。すると後者になるが、喫茶店で聞いたフォートゲンとかなんとやらかが、これに該当するのだろうか。
普通のオートマタとの差を考えるには、青木さんに尋ねるしかないだろう。
「タチアナ、鍵」
拠点の表はシャッターを降ろしているとのことで、僕らは裏手から入ることになった。四人揃って暗い路地裏を抜けて、細道に辿り着く。
「はいはい。どうぞ」
リコはタチアナから鍵を受け取ると、浮かれたような足取りで裏戸の方までテクテクと駆けていく。
世界規模の問題にワクワクしているのだろうか。リコの足取りはどことなく軽そうだ。
「大規模ハッキングか……」
僕らの
騒動の原因についてはツバキのおかげでわかったが、現状としては相手が誰でどのようにしてこのセキュリティホールを知ったのか未だに不明瞭なままだ。
まるで僕らは見えない相手と相撲を取り続けているようにしか思えないが、それはそれで、今回の問題の対策としてはリコに賭けるしかないように思える。
「……ん?」
ふと、タチアナがいつもと違う空気をまとっているような気がして見てみれば、嵐の到来を待つ農夫みたいな目つきでビルの上の方をじっと見つめていた。
「いえ、ちょっとね……」
ちょっとなどと言いつつも、タチアナは僕の隣で訝しげな表情を崩さずに視線を上へと向けていた。
なにがあるのかと、僕もタチアナにつられて上を見上げようとした――その時だった。
「リコ様、危ない!」
ツバキが僕らの間を駆け抜けて、リコに飛びついた。
ツバキが覆い被さってリコが見えなくなった瞬間、辺りが昼間のように明るくなったと思えば、自分の身体が宙に吹き飛ばされていた。
そして、遅れてやって来る轟音。
地面に激突してもなおありあまる衝撃で、まるで巨大なミキサーに飛び込んだみたいに石ころや何やらと一緒に転げ回る。
為す術なくそのまま硬いなにかに背中をぶつけ、ようやくのことで止まる。地面に額をこすりつけていた僕は、久々に感じた頭の痛みと共におそるおそる顔を起こした。
「えっ……」
静けさが戻った夜の町に、僕の
拠点の裏口は針金みたいにひしゃげた鉄柱がむき出しになっていて、元の形を失っている。そして道路には、誰かが持ってきたのであろう紙幣が非現実な光景を脚色するように点々と散って燃えていた。
まるで悪夢のような光景に僕は驚愕した。
――なんだこれは、と。
目の前の惨状に理解が追いつかずに、僕は呆然と立ち尽くしてしまう。
佇立しながらふらふらと視線を彷徨わせていると、視界の中に抱き合ったように倒れている二つの影を見た。
それが誰だかを理解したとき、自然と僕の足は動いていた。
「リコ! ツバキっ!」
急いで僕は二人に駆け寄って、僕は絶望した。
「嘘……だろ……」
自分の目を疑って、否定の声が出る。
リコの上に折り重なるように乗っかっていたツバキは、胸辺りから下がなくなってしまっていた。
ツバキはそんな姿になっても、リコを守るように抱き留めていた。
「ツバキが……ツバキがっ……」
ツバキの下から、涙ぐんだリコの声が聞こえてくる。
あれだけの爆発に巻き込まれたというのに、リコは無事のようだった。きっと、ツバキが守ったおかげなのだろう。
その引き換えといってしまっていいのかどうか――ツバキは無残な姿になっている。
「リコ様。無事でよかったです」
ツバキはホッと胸をなで下ろしたように、安心した顔になる。
「みんな、大丈夫!?」
どうやらタチアナの方は無事だったようで、僕らの方へ慌てて駆け寄ってきた。
「ツバキ……?」
「申し訳ございません、タチアナ様。どうやら私はもう駄目みたいです」
「そう……」
悟ったような表情で、タチアナがツバキを見る。
いまのツバキは体の半分以上、それとサブチップのある胸部が吹き飛んでしまっていた。普通の人間であれば即死であるが、オートマタだとしてもここまでの破損で動けるのが不思議なぐらいだ。
「申し訳ございません。私がしっかりしていればこのようなことには」
「あなたのせいじゃないわ、ツバキ」
「そう言っていただけると助かります」
なんで、ツバキとタチアナはこんなに冷静なんだよ……。
「……ごめん。このあとはカトレアに任せる」
今まで聞いたこともない低い声だった。
タチアナは踵を返して僕らに背を向けると、僕らを置いて走り出した。
「あ、おい、タチアナ!」
僕の制止を振り切って、タチアナが路地裏に消える。
なんだってこんな時にどこかへ行くんだ。
沸騰したように怒りが沸くも、弱々しく動こうとするツバキを見た途端、氷水をぶち込まれたみたいに冷静になった。
「カトレア様。お願いばかりで申し訳ございませんが、最後に一つお願いがあるんですが、宜しいでしょうか」
なんだよ、最後って。そんな言い方をしなくたっていいじゃないか。
泣きじゃくっているリコとは裏腹に、かすかな声を吐いてツバキは笑う。
「なんでも言ってくれ」
「目を閉じていただけませんか?」
うわごとのようなお願いに僕は戸惑う。
今の彼女から目を背けることが果たして良いのかどうか。
「お願いします」
迷っていた僕に対して念を押すように言われてしまい、僕は彼女に従った。
閉じられる視界。
彼女の腕が僕の背中に絡み、ツバキの吐息が僕の顔にかかる。
そして、僕の唇にやわらかな感触が触れた瞬間、閉じられていたはずの僕の視界に様々な映像が早送りのように流れ込んできた。
しかし、それは一瞬のことで気づけばツバキは僕から離れていた。
「ふふっ、
いたずらをした子供のような無邪気な笑みを僕に向ける。
「始めてキスしてしまいました」
そう言って嬉しそうな顔のまま、ツバキは動かなくなった。
「ツバキ。おい、ツバキ!」
ツバキの肩を揺らすも、閉じられた目は二度と開かなかった。
ツバキは静かなままで、リコのすすり声だけが夜道に響く。
「くそうっ!」
知らずに、自分の拳を思いっきりビルの壁に叩き付けていた。
「くそ、くそっ、くそっ!」
誰だ。誰がこんな事をした!
何度も拳を壁に叩きつけるが、ギタイに痛みはない。
いつまでも叩き付けたい気分だったが、リコの泣く声が大きくなり僕は振りかざした拳をゆっくりと下ろす。
とても悲しいというのに涙はちっとも流れてくれなくて、それが堪らなく悔しかった。
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