17. 世界防衛

 お茶会はツバキが青木さんに急用で呼ばれたことによって、お開きとなった。

 聞きたいことは山ほどあるが、急用であれば仕方ない。

 店の会計を済ませたツバキは大事なことを思い出したような顔になり、


「どうか、この件はご内密にお願いします」


 と言って、多忙を極めたように青木さんの店とは反対の方向へ走り去ってしまった。

 いったいツバキはなにを伝えようとしていたのだろうか。


 世界防衛とやらについて考えあぐねるうちに、いつの間にか青木さんの店の前まで辿り着いてしまった。

 そのまま店の中へ入ってみると、やはり青木さんは出掛けてしまったのだろう。ミズキが一人で店番をしているようだった。

 ミズキは暇を持てあましているのか、キャスター付きの椅子の上でコマのようにグルグルと回っている。


「他のみんなは?」


 青木さんについてはわかるが、タチアナとリコの姿がない。


「みんなはあっちで遊んでる」


 ミズキがあっちと指差した方向は、グルグル回っていることによって四方八方に散っていたが、店の奥だということはなんとなく伝わった。

 ツバキから真面目な顔で世界を守って欲しいと言われたばかりだというのに、やれやれというべきかタチアナ達は遊んでいるのか。


「ありがとう」

「ミズキも混ざりたいけど、今は店番だから!」


 偉いでしょとでも言いたげに、ふふんと鼻を鳴らして得意気な顔で言う。

 鼻につかない健気さで、それでいて愛嬌がある。

 今度、僕も真似してみようなんて思ってみたり。


「えっと、中にお邪魔していいかな?」

「いいよー。ミズキが許す」


 勝手に上がり込むのも忍びないのでミズキに訊いてみれば、なんか許された。

 思えば、日本人らしく『大丈夫だと思います』なんて、曖昧な回答を得るよりもずっと頼もしい。


「カトレアお帰り。ツバキは一緒じゃないの?」


 廊下を進んで部屋へと入ると、タチアナの声に出迎えられた。

 お帰りって、いつからここがタチアナの家になったんだ。


「青木さんに呼ばれたとかで、どこかに行ったよ」

「ふぅん、残念ね。頭数を増やそうと思ったのに」


 和室に置かれたちゃぶ台を見れば、カードの束が中央に置かれていて、トランプかなにかに興じているようだった。

 なるほど、ミズキが参加したがっていたわけだなんて思っていると、タチアナが僕になにかを差し出してきた。


「はい。カトレアの分」


 受け取ってみると、それはなにかが入った紙袋だった。


「なにこれ」

「なにってお金だけど」


 お金と言われて袋の中を見てみれば、帯付きの紙幣が雑に入っていた。

 生まれてこの方、電子マネーでしか決済したことがなかったので現金を見るのは久々だ。


「取りあえずキャッシュで前金百万ね。残りの一千九百万は銀行口座に入金するから」

「え、え? どういうこと?」


 相当な額面をさらりと口頭で言われて、僕は混乱してしまう。


「四千万で売ったのよ。カトレアから貰ったデータをね。カトレアが二千万で、私たちがそれぞれ五百万ってところにしたいんだけど、それでいい?」


 この二週間の間にそんなことをしている様子はなかったと思うのだが、いつ売ったのだろうか。

 お金については異論なんてない。

 いいも何も、あのデータをどう使おうがタチアナの自由ぐらいにしか思っていなかったほどだ。


「口座なんだけど、カトレアってオートマタと変わらないのに作れるのかしら? ボット判定で弾かれる? 仮想通貨の方がいいかしら?」

「法人の共用口座」

「あ-、そんなのあったあった。あれをカトレアに使わせれば確かに問題ないわね。カトレアに帳簿をつけてもらえば経費収支も楽になるし」


 なにやら僕が使う口座を勝手に決めているみたいだが、大金を手渡されたことで口をはさむ余裕を失っていた。


「おい、次はタチアナがディーラーだぞ」

「はいはい、続きを始めましょ」


 鏡花にかされてタチアナがトランプを配り始めた。

 そして、驚くことにチップの代わりに一万円札が机の上を飛び交っていた。

 場代に一万円を支払って、そこからベットで二万も三万も賭けている。

 これが麻雀だったならば、リーチと言って点棒の代わりにお札を出すのだろうか。それはそれで恐ろしい。

 現場を差し押さえられたら、明らかに違法賭博だ。


「よっし、こちらはツーペアだ。おい、カトレア。お前も混ざれよ」


 勝って気をよくしているのか、鏡花が上機嫌で言う。


「えっ……僕も?」

「金ならその貰ったのがあるだろ? 借金があるって顔にも見えないし、暇なら参加しろよ。ポーカーならわかるよな?」


 わからなくもないが、暇だからって百万円を賭けたゲームに参加するのはどうなんだ。断ってもよかったのだが、鏡花が有無を言わせず僕を座らせようとするので、仕方なく参加することにする。



 それから一時間ほど過ぎた後。

 あれよあれよという間に、気づけば僕の手持ち金は更に増えてしまっていた。


「しっかし、リコとカトレアはポーカーフェイスだな」


 鏡花が手札交換をしながら、感心するような抑揚でそう言った。

 僕としては急に渡されたお金でポーカーをしている時点で、あまり自分のお金に思えていない点が大きい。これが汗水垂らして貯めたお金というのであれば別だっただろう。


「だが、残念だったな。一巡目でうまいことつり上げた今こそオールインだ」


 銃を握ったとき以上の気迫で、鏡花が机の上にお札の束を置いた。

 正確に言うと、鏡花は大きく張った時だけ負け続けているので総額七十万ぐらいだ。


「コール」


 鏡花に対して、僕は受けて立つ。


「んだと? お前わかってるのか? 百万だぞ? わかってんのか?」


 動揺しているのか、鏡花の言葉がどこかおかしい。

 それに、繰り返すが鏡花の手持ち金は百万じゃなくて七十万ぐらいだ。


「あたしは降りるわ」

「フォールド」


 僕以外の二人が揃って降りて、鏡花との一騎打ちになる。


「後悔しても知らねーぞカトレア!」


 鏡花は表にしたカードの束をゆっくりとスライドしていく。徐々に絵柄が見え始め、エースが三枚、そして数字の6が二枚現れた。


「見ろ。エースのフルハウスだ」


 高台に乗って見下ろしたような視線が僕の方へと向けられる。

 僕は机で裏にしていたカードを一度にめくった。


「えっと、フォーカード」


 クイーン四枚にキングが一枚。僕の勝ちだ。


「イ、イカサマか? フォーカードなんて今まで一度も引いたことがねーぞ」


 イカサマもなにも、ディールしたのは鏡花なんだけどな。


「ほんと鏡花って賭けが下手ね」

「カトレアの勝ちデース」


 がっくりとうなだれる鏡花に、リコとタチアナから追い打ちが入る。


「おまえらだったら、このフォーカードに勝てるのか? えぇ!?」

「勝てないから降りた」

「くそったれ! どうしてこうなった」


 外れ馬券を散らすおっさんのように鏡花が手元のカードを投げ捨てた。


「現実を受け入れなさいよ。誘ったのは鏡花でしょ?」

「こうなったら、追加の百万で勝負だ」


 明らかにムキになっている。

 鏡花が博打で負けている理由がなんとなくわかってしまった。


「もうよしなさいよ。このまま行くとお尻の毛までむしり取られるわよ?」

「……えっと、今のはノーゲームでも」

「よせ、カトレア。ソルジャーたる者、敵からの施しは受けないものだ」


 格好付けて殊勝なことを鏡花は言っているが、その瞳には涙が浮かんでいた。

 ポーカーは鏡花のお金が尽きたことで終了となり、片付け終わったところで丁度よくツバキが部屋に入ってきた。


「お待たせしました。……って、鏡花様はどうされたのですか?」


 部屋の隅で丸まっている鏡花を見て、ツバキが心配そうな目を向ける。


「ポーカーで負けた腹いせに不貞寝しているわ」

「そうですか」


 不貞寝している鏡花に対して皆が素っ気ないのは、いつも通りだからだろうか。

 因みに先日、車をガードレールにぶつけて廃車にしたときは半日ぐらい寝込んでいた。よく免停にならないなと思う。


「そうそう、これツバキの分」

「ありがとうございます」


 僕とは違って淡々とした様子で、ツバキはタチアナからお金を受け取っている。

 彼女らはこれが普通なのだろうか。


「それにしても丁度よかったわ。これから番組が始まる所よ」


 家主の代わりになりそうなツバキの承諾も得ずに、タチアナは部屋に置かれているテレビを勝手につける。

 一体なにが始まるのかとテレビに注目していると、タチアナは海外のインターネット番組にチャンネルを合わせた。


 すると画面には大きめの会場が映り、壇上にいる白人の男がギタイパーツをスクリーンに映しながら英語で何かを語っている所から番組は始まった。


「……なに言ってるのかわからないわね」


 ぼーっとその番組を眺めていたタチアナが、突然そんなことを言い出した。


「同じく」


 タチアナの言葉に続けてリコが頷く。

 みんな黙って見ているものだから、内容をわかって聞いてるのかと思ってた。

 そういえばツバキが故障したとき、タチアナは英語が分からないって言ってたっけか。なんでみんなで観ようとしたんだろうな。

 さて、どうしたものかと困ったような表情をしているタチアナを救うように、怖ず怖ずとツバキが手を挙げた。


「古い翻訳ツールでしたら私の中にインストールされていますので、私が翻訳いたしましょうか?」


 流石と言うべきか、こういうときにツバキは頼りになる。


「ナイスツバキ。お願いするわ」


 では僭越せんえつながら――と前置きをして、ツバキはテレビの内容を翻訳しながら語り始めた。 

 内容については端的に説明するとこうだ。


 加藤一雄の研究データが見付かり、一つの論文としてまとまった。

 論文は番組の中では加藤一雄の頭文字を取って『KK論文』と呼んでいた。

 KK論文から、全身ギタイで課題となっていた脳の保管と接続に関する問題が一挙に解消されたといった内容だった。


「つまり、僕らが見つけたあのデータがこれ?」

「そういうこと。あのデータを米国のオートマタ協会に売ったのよ。仲介を三つぐらい挟んじゃったけど――」


 タチアナが話している途中、複数の怒号が部屋に響き渡った。

 声のする方へ目を向けて見れば、それはテレビの中からだった。


 画面の中、会場がざわめきつづけていた。

 まるで他人事じゃないような気がして、僕はテレビに釘付けになる。

 少しして数人の男が壇上へ次々に現れ、先ほどまで論文について説明していた男へ一斉に銃を向けていた。


 リンクする研究所での出来事。画面が二、三度揺れる。

 そして撮影用のカメラを止めたのか、そこで映像が途絶えてしまった。

 暗転した画面が再び色を取り戻すと、差し替え用なのか放送局のロゴ画像が画面いっぱいに映し出されていて、会場の状態がわからなくなった。


「さっきの、商業用のオートマタじゃねーか?」


 テレビの音で起きてしまったのか、寝ぼけた表情で鏡花が言う。


「……念のために訊くけど、これもタチアナが?」


 これを見せるためにタチアナが僕らを集めたのかと、ちょっとだけ思ってしまったり。


「んなわけないでしょ!」


 タチアナが別のチャンネルへ切り替えると、今度は別の場所でオートマタが暴れている映像が映し出された。

 撮影している場所は日本の東京だろうか。

 電気を灯したビルが立ち並ぶ道路に黒煙が立ち上っていて、その煙を囲うようにして日本のパトカーが数台止まっている。

 そして画面の左端からアナウンサーが現れ、緊迫した表情で『オートマタの電源を今すぐに落としてください』と繰り返し話していた。


「えっ、ど、どうして皆さん私を見るんですか? 電源を落とされるのは少し……」


 困った表情でツバキが言う。いつも通りと言ってもいい。


「オートマタが国や場所を選ばず各地で一斉にテロ行為を起こしている。警官隊で使われているオートマタが暴れたという話もあるから、大規模なハッキングが起こっている可能性が高い」


 ニュースサイトかなにかで調べていたのか、リコだけがノートパソコンに目を向けていた。


「オートマタのハッキングって、そんなこと出来るの?」

「出来るには出来る。けれど、出来ても盗聴や盗視まで。行動パターンを変えるハッキングは聞いたことがない」


 そう言って、リコはキーボードを叩いてなにかを調べ始めた。


「リコがそう言うんじゃ、相手は相当の腕前ね」

「ここ最近のオートマタの異常動作と関連があるのかもな」

「それもそうだけど、あたしたちが襲われた時と同じじゃないかしら」

「あー、つまりなんだ? 全て繋がっていると?」

「そうみて間違いないと思う」


 自信なさげにタチアナは言うが、タチアナの考えで間違いないだろう。

 いままでの沈黙は、まさかの世界に対する準備だったというわけだ。


「リコ、株価を見せてくれるかな」

「わかった」

「株なのになんで妹なんて調べてるのよ」


 リコの画面を見ているタチアナが変なことを言い出した。


「この字は株」

「……漢字って難しいわね」


 妹と株を間違えたのか。

 よく日本で生きていけるな……。


「あ、ごめん。日本の取引き時間は終わってるから、海外の方で」

「りょ」


 僕が頼んでから数秒も経たぬうちにリコがこちらに画面を向ける。

 画面には、多様な銘柄のろうそく足チャートが一覧で並んでいた。


「ありがとう」

「なんで株価を見てるんだ? それも外国の」


 僕とリコのやりとりが気になってか、鏡花が画面をのぞき込んでくる。


「こういったことに対して、市場は敏感なんだよ」


 多くの人間とAIの思想が絡む株は、ノイズのない大きな情報になる。これは親父の受け売りだ。


「オートマタ関連と医療、航空会社、電力のほか、大手の化学工業の株が顕著に下落している」


 僕が訊くより先に、リコが専門家みたいな口調で市場の状況を説明した。


「つまり、影響を受けそうなところが下がってるってことか?」

「そう思っていい」

「……リコが挙げたのって、事故で問題になりそうなところばかりじゃない」


 タチアナの言葉に、誰もが口を閉ざした。


「世界が終わる」


 テレビの音だけが流れつづける部屋で、ぽつりとリコが呟いた。

 その言葉は冗談でも誇張でもないだろう。

 テレビに映る惨状がそのことを物語っていた。

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