16. ツバキのお願い

 タチアナから教えて貰った店に入ると、コーヒーの香りが僕を出迎え、街の喧騒が静まりかえった。

 店内は注文するカウンターのない、昔ながらの喫茶店のようだった。

 店の入り口に立っていると、遅れてコンビニの入店音みたいなメロディが聞こえてきて、喫茶店に似つかわしくない音に吹き出しそうになった。


「いらっしゃいませぇー」


 若い女性店員の『せ』の部分が微かに上ずった。

 こんな格好だし、そんな反応にもなるだろう。僕はもう慣れてしまったので今さら人目を気にしていないけど。

 けれど、心の中でこう思ってるんだろうな。その格好は飲む方じゃなくて、淹れる方だろうと。……そこまでは思っちゃいないか。

 銀髪だし、実際はイロモノ好きの外国人の子かなにかに見られたに違いない。


 生身じゃないので着替える必要性もあまりないのだが、いい加減メイド服以外の服が欲しくなる。さすがに一ヶ月も着続ければホコリっぽくもなっているだろう。


 メイド服の反動で落ち着いた服を着たい気持ちが強いが、心のどこかで可愛い服も着てみたい気持ちもある。毒されつつあるが、今の楽しみの中の一つだ。

 因みに、親父のあの言葉は無視することに決めている。

 考えようによっては遺言であるが、それでも無視だ。僕は悪くない。


 店員に待ち合わせがあると僕は伝えて、店の奥へ。

 周りの客の視線を一身に受けつつ、ツバキを探していると彼女はすぐに見つかった。

 珍しいことに、いつもはファッション雑誌からそのまま出てきたようなオフィスカジュアル姿のツバキが、パーカーにズボンというゆるめの服装に身を包んでいた。


「申し訳ございません。お呼び立てしてしまいまして」


 けれども、服に着られることなくツバキの中身はツバキで、いつも通りの礼儀さを保っていた。


「ツバキから呼び出しって珍しいな」


 座席に座って一息つくと、店員が水を運んできたので適当にアイスコーヒーを注文する。

 入れ違いにホットコーヒーがツバキの前に運ばれ、同じ店員が続けてアイスコーヒーを持ってくると、ツバキはゆっくりと語り始めた。


「先日にブランクダウンについてお話しましたが、そのことについてご相談があるのです」


 スティックシュガーを入れて、マドラーでコーヒーをかき混ぜながらツバキが言う。

 食事が必要な僕とは違い、ツバキの動力源は全て電気なので飲食いらずのはずだが、こうして複数人で飲食店に入ったときは決まってツバキはコーヒーを頼んでいた。


「ここ最近の異常セッションは非常に低い状態なんですが、ある兆候が見られているのです」

「えっと、ブランクダウンってなんだっけ……」


 前にもそんな話を聞いた気がするが、よくわからなかったので内容を忘れてしまっている。


「フォートゲンのレブトを大幅に傾けた、超振動現象のことです」


 まさか、このよくわからない話をするために僕を呼んだのだろうか。

 ツバキには申し訳ないけど、少しめんどくささを感じてしまった。


「ブランクダウンって、なにがあったの?」

「前回のブランクダウンでは大幅な世界変動がございました。人格をプロテクトすることで私は事なきを得ましたが、人でいうところの記憶にあたるデータが半分以上も喪失してしまいました」


 まるで世界五分前仮説を信じ込んでいるオカルト好き人間のようだ。

 適当に相づちをしてみたものの、意味不明な話が更に展開されてしまい、僕はしまったと後悔する。


「ごめん。その事なんだけど、なにがなんだかさっぱりで」


 本人はいたって大真面目な様子で語っているのだが、その内容について一ミリも理解が及ばない。

 ハッキリ言うのは心苦しいが、気遣ってしまおうものなら余計に訳のわからないことになりかねない。


「それはそれで仕方のないことです。それでも何一つとして問題はございません」


 わからないことがさも当たり前のようにツバキは言う。

 であるならば、もっとわかりやすく説明して欲しい所だが、難しい理由があるのだろうか。


「これから説明してくれるから?」


 ツバキは首を横に振った。


「申し訳ございませんが、私はカトレア様にこれ以上の説明をする術がございません。私が伝えたいことは、これからあなたに起こることについてです」

「術がない?」

「そうです。世界の現象に対して理解されるには物理学を学ぶ必要があるように、この話もそれ相応の知識が必要になります」

「話についていけるかどうか……」


 僕としてもツバキの話に興味がないわけではない。

 この件については、どういった意図で僕にこの話を持ちかけてきているのか、詳しく聞いてみる必要がありそうだ。


「これより先は、要点のみ説明いたします。理屈や背景について聞きたいのでしたら、先ほどのような説明になりますが、いかがなさいますか?」

「要点のみでお願いします」


 クイズ番組ばりの即答にツバキが肯く。


「本題ですが、そろそろブランクダウンを起こした人物が再び動きだすと思われます」

「動き出すって……」


 本題の重大さに、なんとなく周りの空気の温度が下がったような気がした。

 僕の恐れている事態が目の前に迫っているということだろうか?


「それは、鏡花の言う大鐘組の裏にいる奴らのこと?」

「いえ、カトレア様は勘違いをなさっているようですが、大鐘組の件とは若干異なる件になります」

「異なる件?」


 そのような問題が今まであっただろうか。

 今に至るまでオウム返しなのが間抜けに思えてしまうも、ツバキの言葉の一つ一つがわからないのだから致し方ない。


「わからなくても結構なんです。あなたが聞いていることに意味があるのです」


 ツバキは間を空けるようにコーヒーを啜り、カップを置いてこう言った。


「カトレア様はこの世界が好きでしょうか」


 なんだろう。こういう不思議ちゃん的な質問がタチアナ達の間で流行っているのだろうか。

 初めてリコと会話したときにも、変わった質問を受けたような気がする。


「最近いろいろあったけど、好きか嫌いで言ったら……そうだな、好きだと思う」


 一応、相手はツバキなので真面目に答えてみる。

 回答についてだが、少なくとも生きることに対して絶望なんてしちゃいない。


「そうですか。私はオートマタなので人の人生というものについては理解できない箇所が多分たぶんにしてございますが、面と向かって好きと答えられる人はそう多くないと思います」

「そう、なのかな?」


 あまりこういった質問を人に投げかけたことがないからわからない。


「それと、私達のことは好きでしょうか」

「それは好意的な意味で?」

「捉え方についてはお任せいたします。言葉通りの意味で。いかがでしょうか」


 ここ最近、彼女らと共にすることが心地よく感じている僕がいた。

 タチアナに鏡花、リコ、そしてツバキ。皆のことが僕は好きだ。

 僕は「もちろん」と答えると、ツバキはそういうことでしたらと話を続けて、


「ひとつお願いがあるのです」


 カップの底を見るように視線を落としていたツバキが、改まった様子で僕の目を見た。


「お願い? 僕に?」


 なぜタチアナ達ではなく、この僕なんだ。


「しばらくして、あなたは大きな決断を迫られると予想されます。それまでなにがあっても、あなたはこの世界に絶望しないで頂きたいのです」


 ツバキはどこか寂しそうにそう言い、


「この世界が好きであるならば――」


 僕の顔をみて微笑んだ。


「――どうか、世界を守って頂きたいのです」


 スケールが数段階分シフトしてしまい僕は戸惑う。

 自分を守ることですら精一杯であるというのに、世界を守る?

 ツバキ以外の人間から言われれば、面白い冗談だと一笑に付すこともできただろう。


 けれど、今の状況はどうだ?

 真剣な瞳が僕を射貫いており、軽口で水を差すどころか返答すらままらなかった。

 気付けばグラスの中は空っぽになっていた。

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