19. 亀裂

 青木さんの店に戻ると、誰もいなかったので、そのまま店の奥へと辿り着けた。

 部屋は静まりかえっている。壁に掛かったアナログ時計を見れば、短針はとうに十二を越えて日付が変わってしまっていた。


 テレビは付けなかった。世の中の事件なんて知ったことじゃない。

 それよりも大きな事が僕らの身近で起こってしまった。


「おいおい、早いじゃねーか。カトレア」


 しばらくして、タチアナより先に鏡花が青木さんの店に戻ってきた。

 先程のことはタチアナから知らされていないらしく、鼻歌を歌いながら僕の後ろでがさがさと物音を立てている。


 僕は背を向けたままなので、何をしているかまではわからない。

 何も知らない鏡花が、これを知ったときどうなってしまうんだろうか。


「もういろいろわかっちまったのか? ったく、戻ってきたんなら連絡ぐらいよこしてくれよな」


 まったくもって損な役回りだ。

 どんな声を掛けてこの状況を説明しようか考えてみるも答えが出ず、結局、僕は口をつぐむ。


「やっぱ、リコにかなわないな。けどな、こっちも収穫が――」


 様子がおかしいことに気づいたのだろう。鏡花の言葉が途中で途切れた。


「……どうした。カトレア」

「ツバキが……」


 この先は僕の口から言えなかった。

 けれど僕の目の前にツバキは寝かせているので、嫌でも惨状が鏡花の目に入っただろう。

 息を飲む音が僕の背後から聞こえてきた。


「おい、なんだよ。これ……」


 よろよろとツバキに近づき、鏡花は手に持っていた荷物を取り落として膝をついた。

 ギリ、と奥歯を噛み締めた音が僕の耳まで届く。


「何があったんだ。カトレア」

「拠点に爆弾が仕掛けられていたみたいで……それで……」


 鏡花が髪を乱しながら勢いよく振り返り、血相を変えて僕の両肩を強く掴んだ。


「なぁ、ツバキなら治るんだろ? そうだと言ってくれ」


 ガクガクと揺さぶられる中、わかりやすいように僕は首を大きく横に振った。

 ここまで破損したオートマタを直すなんて無理だ。

 通常なら新しく購入して、記憶データをコピーして終わり。果たしてそれはツバキと言えるのか。そんなことは自明の理だろう。


「なんでだよ……」


 鏡花は悔しそうな顔をして俯いた。


「タチアナとリコは? あいつらが居ないが無事なのか?」


 鏡花は正気づいたように顔を上げて、再び僕を揺さぶった。


「二人は無事だよ。タチアナはどこかに行った」

「リコはどこだ。なにかわかったんだろうな!?」


 だんだん鏡花の口調が荒くなり、詰問口調になってくる。


「隣の部屋だよ」

「……っ!」


 言ってしまった後になって後悔した。

 今のリコに鏡花を引き合わせてしまっていいのかどうか。

 鏡花は僕の肩から手を離して勢いよく立ち上がった。


「おい、リコ! 居るんだろ?」

「待って、鏡花」


 廊下へ飛び出した鏡花の背中を追いかけて僕も隣の部屋に入る。


「おい、リコ! 何があった!?」

「ごめんなさい……」


 カーテンを締め切り、明かりを一切入らなくした部屋の暗がりで、リコは膝を抱えて縮こまっていた。


「ごめんじゃわからねーよ! 何があったんだ」

「ごめんなさい……」


 謝り続けるリコ。先程、僕と会話したときと同じ状態だ。


「ツバキに何があったかを訊いてるんだ!」

「ツバキは私をかばって……。すべては、私のせい……」


 唇をわなわなと震わせ、しゃくり上げながらリコは言葉を紡いでいた。

 それはまるで懺悔するような内容で、僕の胸がチクリと痛んだ。

 

「こんなこと、望んじゃいなかった……」

「何をグチグチと言ってんだ。お前をかばったのなら、お前がそんなんでどうするんだよ!」


 リコがくしゃくしゃになった顔をあげると、鏡花はすっと目を伏せて数歩後ろへ下がる。

 そして、行き場を失った怒りをぶつけるように、鏡花は壁に拳を打ち付けた。


「やめろ鏡花。やめてくれ……」


 別に鏡花を責めての言葉じゃない。

 さっきの自分を見ているようで、たまらなかったからだ。


「鏡花、落ち着きなさい」


 凛とした声が僕らの背後から掛かり、部屋に明かりが灯った。

 声の主はタチアナだった。足音を引き連れて、僕らの方へと歩み寄る。


「仲間がこんな状態で落ち着いていられるかよ! お前は今まで何をやってたんだ」

「犯人を探していたのよ。見つけるのに骨が折れたわ」


 先程の出来事がなかったみたいにあっけらかんとした口調だったが、その目は笑っていない。


「相手は誰なんだ! 私がぶっ殺す」

「落ち着きなさい!」


 再び取り乱した鏡花に対して、タチアナが強い口調で叫ぶ。

 鏡花は盛大な舌打ちをして、タチアナを睨んだ。


「なんでそんな冷静なんだよ。馬鹿の一つ覚えに落ち着け落ち着けって、えぇ? ツバキがあんな状態で落ち着けって、あまりに笑えない冗談だろ」


 悪態をつきながら、今にもタチアナに掴みかからん勢いで鏡花が詰め寄る。

 言うだけ吐き出すがいいといった様子で、タチアナは口をきつく結んで黙って聞いていた。


「きょう――」

「カトレアは黙っててくれ! 私はタチアナと話してるんだ」


 口を挟む余裕もなく、僕は言葉を引っ込めた。


「ああ、そうだな。そうだ。わかったぞ。ツバキはロボットだから、そんな薄情な事が言えるんだな。そうなんだろう?」

「そんなわけないじゃない!」


 悲痛な気持ちと怒りを混ぜ込んだような声が部屋に響く。

 タチアナの顔を見ると、大玉の瞳には涙が滲んでいた。


「……悪い。言い過ぎた。そうだよな、ツバキは大事な仲間だ」


 鏡花はため息をついて、壁により掛かる。鏡花もタチアナにつられて涙ぐんだのか、右手を目にあてがっていた。


「誰がやったんだ」

「あたしたちの同業者よ。殺せっていう依頼があったみたい。全て話してくれたわ」


 同業者、と言うことは賞金稼ぎだろうか。

 依頼と言うからには、バックがありそうだ。


「誰だ。そんな依頼を持ちかけたのは」

「リチャード・ケニー。元イギリス軍の将校みたいよ。今は退役して日本にいるって」

「……やっぱり、そいつが親玉か」

「やっぱりってことは鏡花も?」


「ああ。知り合いにオートマタの件が絡んでると教えたら、なんとか大鐘組幹部に詰問ができた。そこで名が出てきたのがそいつだ。まったく、あの時はいいタイミングで別件での検挙をしてくれたもんだ」

「そいつが親玉と言いたい所だけど、相手も馬鹿じゃないわ。芋づるに引き抜こうにも何枚か噛んでるでしょうね」


 相手は間接的にしかこないとはいえ、尻尾を捕まえて一歩前進したのは確かだろう。

 いままでは姿かたちがなかったのだ。


「他には何かゲロったのか?」

「それ以外はさっぱり」

「こっちと同じだな」


 鏡花とタチアナが揃って肩をすくめる。


「因みに二本目で自白して、三本目で漏らしたわ」

「ざまぁねえな。だが、本当は黙ってたんじゃないか?」

「本当に知らないと思うわ。ついでに両手の指を全部折ってやったけど、八本目で気絶したわ」


 タチアナは淡々と話しているが、その実やっていることはえげつなさを極めていた。

 けれど犯人に同情はしない。それだけのことを相手はやってくれたんだ。


「気が利くじゃないか。で? 最後に殺してくれたんだろうな?」

「殺しはしなかったわ」


 自分の信念を通したような、ハッキリとした口調だった。


「なんだと?」

「殺しはしてない。そのままおいてきたわ」


 再び火がつきそうな鏡花に対して、怖じ気づくことなく気丈に言う。

 タチアナと鏡花のどちらが正しいかなんて、僕には分からなかった。


「……甘ちゃんかよ」


 鏡花は失望したような顔をすると、扉を乱暴に閉めて部屋から出ていってしまった。


「気を悪くしたらごめんなさいね。あれでも鏡花って根はいい子だから……」


 タチアナに言われなくとも、そんな事はわかってる。

 ツバキを想っての言動であることは、痛いほどに感じている。


「そういえば、この機械に見覚えはないかしら」

「機械……?」


 タチアナが差し出してきたのはリモコン大の端末だった。

 黒いガワの上にはボタンが二つしかついておらず、STOPとSTARTしかない。


「捕まえた奴が持っててね。カトレアなら何かわからないかなって」


 ボタンの情報が少なすぎてなんだかよく分からない。

 安いラジコンだって、もっとボタンがあるだろうに。


「分解してみれば何かわかるかも」

「わかったわ。道具は青木さんに借りましょう」

「青木さんは?」

「帰ってるわ。それとこの事も、もう知ってる」


 青木さんはこのことを知っているのか。

 たとえ黙っていたとしても遅かれ早かれ知ることになるだろうが、どんな反応をしたのだろうか。想像するだけで心が痛む。

 なんだか自分の過ちを打ち明けるみたいな気持ちだ。


 ツバキの死。

 そのことは僕らに大きな爪痕を残してしまった。


『それでなにがあっても、あなたはこの世界に絶望しないで頂きたいのです』


 ふと、思い起こされるツバキの言葉。

 なぁ、ツバキ。

 教えてくれ。ツバキはこうなることを知っていたのか?


 ……それならば、こんなところでうじうじしている場合じゃないだろう。

 相手のこともだんだんと見え始めている。

 僕は手に持った機械を握りしめ、青木さんの元へと急いだ。

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