10. Hi-Way

 いつの間にか、外では小雨が降り始めていた。

 地面に点々と雨の跡が増えていくなか、僕とタチアナは人目と雨を払うように急いで駐車場へと向かった。


 昨日乗った車とは違う別の車へ乗り込むと、鏡花は後部座席にいる僕とタチアナを交互に見てから、わざとらしくため息をついた。


「おい。なんでカトレアが居るんだ」

「来たいって言うから、連れてきたのよ」


 屈託のないケロッとした様子でタチアナが言う。


「タチアナ……。お前のお人好しは今に始まったことじゃねーが、こいつの命を庇えるほどのお人好しなのかお前は、あ?」


 だんだんと鏡花の口調に苛立ちが帯び始める。


「やっぱり――」ツバキ達と一緒にいることにするよと言おうとしたところで、タチアナがそれを制すように僕の手を強く握った。


「あたし達は一度カトレアに助けられてるのよ?」

「それとこれとは違うだろ」

「それに、地図の元となるデータはカトレアの中から見付かったのよ? 彼――いや、彼女が鍵になるなんてことも、あり得るわよ。そうしたら無駄骨じゃない」


 なんで、彼女って言い直したんですかね。


「ああ、もう分かったよ。なに言っても連れてく気だろ」


 なげやりに言って、鏡花はエンジンをかけた。

 タチアナは大丈夫だったでしょと言うかのように、僕をみてウインクする。


「聞こえるか、ツバキ」

『はい、聞こえています』


 車に備え付けられた機械から、ツバキの声が響く。


「位置情報を送ってくれ。一旦は高速を目指す」


 鏡花がツバキと会話を続けながら、車のサイドブレーキを引く。

 そしてアクセルを床まで踏み込んだのか、車がブオンと唸り上げたと思えば、慣性という絶対的な物理法則を無視してミサイルのように急発進した。


「あ、そういえば、シートベルトをした方がいいわよ」


 急発進してから、遅れてタチアナが言う。

 昨日の車も相当な急発進だったが、鏡花の運転はそれ以上だった。


「ちょっ……何、この運転」

「鏡花の運転って乱暴なのよね」


 タチアナはこれがいつも通りだといった様子で、優雅にもペットボトルのお茶をあおっていた。

 こんな運転の中、よく飲み物を平気で飲めるなと思う。

 僕はというと、変な態勢でバックレストに深く打ち付けられていた。


 まるで安全装置を付けていないジェットコースターに乗せられたような気分だ。乱暴というレベルを超えている。

 鏡花の「ぶっ飛ばせば一時間だろ」という言葉に対して、東京の市ヶ谷から静岡の熱海まで一時間で着くのだろうか、と疑問にしか思っていなかったが、その理由がようやく分かった。


「リコ、いつものルートだ! 信号を変えてくれ」


 交通事故が起こってもおかしくないぐらいの速度で下道を爆走し、そこそこの大通りへと差し掛かると、鏡花が叫んだ。


『ラジャー』

「信号を変えてくれって……」


 今更ながら彼女らの常識を外した無茶苦茶加減に、目眩のようなものを覚えてしまう。

 頭を抱えそうになったところで、車は大通りに向かって真っ直ぐに突っ込み、車体が横向きになりながら車線へ侵入した。

 やっぱり、目眩はこの運転のせいだ。


 大通りへ入ったことを皮切りに、車は更に加速して車の間を縫うようにして進んでいく。明らかに道路交通法違反だ。

 ブレーキを掛けたのか掛けてないのか分からないぐらいの運転が続き、いつの間にか車は高速へ差し掛かっていた。

 そんなとき、通信機からノイズと共に、リコの声が車内に響き渡った。


『タチアナ、聞こえる?』

「何? リコ」

『ニュース観て』


 主語やら何やらが欠落しているのは、もはやお約束と言うべきか。


「ニュースって言われても、どれを観ればいいのよ」

『大鐘組の幹部が捕まった』


 リコの発言に車内にいる僕ら三人は、揃って驚きの言葉をあげた。


「なんでこんなタイミングで。いつ捕まったのよ」

『ついさっき』


 タチアナは携帯電話を操作して、僕にも見えるように膝元へ置く。

 タチアナが見つけたのはネット動画のようで、白い建物と『二十億を超える資金洗浄の疑い。大鐘組の幹部ら十人を逮捕』というテロップが画面に映っていた。

 しばらくして場面が移り変わり、僕が昨日見たひげの男が映し出された。


「あっ、この男って」

「知ってるの?」


 僕の呟きに、タチアナが反応する。


「昨日、色々とされて……」


 正確に言えば、この男じゃないんだけど。


「色々って何!?」


 なんとなく、表情からタチアナがなにを想像しているかがわかってしまった。

 タチアナって、何かと煩悩にまみれすぎじゃないだろうか。


「いや、そんな変なことじゃなくて、暴力を振るわれて……」

「まさかのハードな方?」


 誰かこの人を止めて下さい。


「タチアナ、その辺にしとけ。そんなくだらない話をさせるためにリコは言ったんじゃないだろ」

「ごめん、ごめん。それでリコはこれをどう見る?」


 本当に謝っているのか、おどけた口調でタチアナが言う。


『鏡花のいうとおり、バックがいるのなら切り捨てられた』

「まぁ、トカゲの尻尾切りってのが自然よねぇ。でも、どうして今のタイミングなのかしら」


 確かにタチアナの言うとおり、タイミングにしてはおかしい。


「昨日のお前らのカーチェイス。銃をぶっ放すわ盛大に事故るわ目撃者多数で、ネットでは大問題になってたぞ」


 高速に入って余裕がでてきたのか、鏡花が話に混じる。

 今の運転で、警察が追っかけてきてもおかしくないぐらいだということは、ツッコまないでおく。


「でも、そのことをもみ消すためっていう感じには見えないけど。それに、その件だったらあたしらもマークされてて、おかしくないんじゃない?」

「そりゃ、答えを見つけるまで泳がした……ってところじゃないか? もしくはカトレアを取り逃がしたことによる応報か」

「そう考えるのが妥当かしらね」

「とはいえ、はまりもしないピースを考えても仕方ねーな。もしかしたら、私らを惑わすための何も考えていない茶番とか、だったりな」


 鏡花とタチアナの考えは一理あるが、僕はどうも納得できなかった。

 なぜ、今になって仲間を排除した? それに事故のことではなく、どうして別件の嫌疑をわざわざ掛けたのだろうか。

 たまたま露見したとでもいうのだろうか? それにしては出来過ぎなタイミングだ。


「あの……。わからないんだけど、なんで相手は僕を殺した上で生かしたんだろう」


 僕が疑問を言うと、鏡花は片手でハンドルを押さえながら、こちらに振り返った。


「そりゃ、タチアナが言ってた通りだろ。設計図を知ってるかもしれなかったから、慌てて生かしたんだろ? 私らの存在はあくまでイレギュラーだ。カトレアを失うことまでは考えてなかったんだろ」


 お願いですから、前を見て下さい。


「それにしたって、このギタイをバラすなりして調べられたんじゃないかな。鏡花の言う、軍が絡むような相手なら、なおさらそれができるはず」


 あいつらが言っていた、バラすという言葉。

 今思えば僕を生き返らせることなく、そうしてもよかったはずだ。と、するならば――僕を殺した後になって、不都合であることに気がついたんじゃないだろうか。


「回りくどいな。つまり、どういうことだ?」

「目当てが設計図じゃないのかも」

「どうして、そう思うの?」


 興味深そうにタチアナが口を挟む。


「ええと、僕を殺して何か不都合があったから、この身体で生かしたんじゃいかって、そう思うんだ」

「だから、設計図を知ってるかもしれなかったからだろ?」


 鏡花の返事に僕は首を振る。


「僕だったら、捕まえるなりなんなりするけど。あのとき、僕の家に押しかけてきたのは、複数人だったのにいきなり撃たれたんだ」

「設計図が欲しければいきなり殺すことはない、か。確かに、最初からカトレアを消そうとしているようにしか思えないわね」


 タチアナの推察通り、設計図が目当てだったら生かすべきだろう。

 重要参考人を殺す必要はどこにもない。


「大鐘組のことについては、不都合があるからこそ答えに辿り着いた今、彼らは邪魔になったってところね」

「うーん……」


 納得がいかないのか、鏡花が唸る。


「問題は本当の狙いって所でしょうが、情報が足らなすぎるわね。それに、大鐘組がさっき捕まったとなると、あのドローンはやっぱり別の組織からって所かしら。ヤクザをまるごと潰しておいて、あれとは舐められたものね」


「まっ、わかることといえば、これからが本番ってことだな。難しいことは私には無理だ。お前らだけで考えてくれ」


 鏡花の言うとおり、ただ事実として分かるのは、大鐘組がもうでてこなくなったであろうということ。

 そして、ここからが本番だということだ。

 僕は車の窓から見える景色を見つめながら、過去のことではなく、これからのことを思案した。

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