03. パンツが気になる

 そうして、車は安全運転を取り戻し、よくあるコインパーキングの一画に停車した。彼女らは特に示し合わすこともなく、揃って車外へと降り始める。

 彼女たちの目的地に着いたのかと思ったら、どうやら違うらしい。タチアナ曰く、車を覚えられてしまったから新しい車に乗り換えるということだった。


 やけに徹底しているなと、僕は感心する。

 一体、彼女らは何者なのだろうか。チームがどうたらとか言っていたが。

 今の自分がどうなっているのか気になるものの、場慣れしている彼女らの方が気になってしまう。

 例えば、今の彼女らは何を目的としているのか、とか。


 彼女らのことをたずねようかどうか迷いつつ、新しい車に揺られてしばらく。

 車は古い雑居ビルが並ぶ路地をジグザグと縫うようにして進み、三階建ての薄汚れたビルの手前で止まった。


「さあ、降りて」


 タチアナに促されて、僕も車から降りる。

 今は何時頃なのだろうか。

 時計を確認する機会はいつでもあったとは思うが、確認する余裕もなかったのでわからない。

 感覚的には昼頃だろう。空を見上げれば、日はまだ高い位置にあった。


「……今思ったんだけど、歩き方がちょっと変じゃない?」


 ぎこちなく歩く僕を見て、タチアナは眉根を寄せた。


「スカートとか履いたことがないんだけど……」


 改めて意識してみれば、スカートだからか股がスースーする。

 それになんだって、こんなヒラヒラしたメイド服を着せられているのだろうか。この服を着せた奴は相当な変人に違いない。


「とりあえず早く中に入って」

「あ、うん」


 タチアナに言われるがまま、僕もビルの中へ。

 外観もさることながら、内装も古めかしいビルだった。

 エレベーターはなく、扉は自動ですらない。エントランスはほとんどが廊下みたいなもので、突き当たりに階段が見えた。


「フロアでも借りてるの?」

「フロアじゃないわ。少し前にみんなでお金を出し合って、一棟まるごと買ったのよ」

「買った!? ビルを?」

「高い買い物だったけどね」


 古くて狭いビルだとはいえ、都内であることを考えるとどれだけのお金が掛かっていることやら。


「一階はエントランスと物置になっているから、二階に上がるわよ」


 階段を上っていると、上段にいたタチアナが品定めするように僕の頭からつま先まで視線を滑らせて、「あっ」と声を上げた。


「すぐそこのソファがある部屋で待ってて。あたしは出掛けてくるから」

「え? ちょっと……」


 せわしなく、タチアナは僕の横を抜けて階段を引き返していってしまった。

 ぽつんと一人で階段に取り残されてしまった僕。

 仕方なく、僕はタチアナの言うとおりに階段を上ってソファのある部屋へと向かう。


 部屋には確かにソファがあったが、他にはテーブルと壁にメダルみたいなものが大量に掛かっているぐらいで、引っ越したてのような閑散とした空気を醸し出していた。

 これを女の子の部屋、と呼んでしまっていいのかどうか。多少なりとも生活感はあるが、ありがたみで言えばないに等しい。

 ソファに座って待つことにしていたが、いくら待とうがいっこうにタチアナが戻ってこない。


 リコとツバキの姿も見えない今なら、安全に逃げられると思ったが、一人でいるところをあの男達に見付かってしまったら、こんどはどうなることやら。

 警察に駆け込むのも良いが、事情をどう説明したらいいのかわからない上に、この格好メイド姿で話をしてまともに取り合ってくれるかどうか。


 それに冷静にかえりみると、僕をあの場から助けてくれたのは彼女らだ。

 悪いようにするのであれば、一人ぽつんと放置するわけがない。

 そう自分に言い聞かせて、一人ぼんやりしていると、ふと自分の身体からだのことが気になってきた。


 一度気にしてしまうとなんだか居心地が悪くなってきて、部屋をぐるりと見渡してみれば、大きな鏡が目に入った。


「どうなってるんだ? これ」


 姿見の前に立ち、自分であろう身体を見る。

 姿見に映る自分に、僕は驚きを通り越して呆けてしまっているようだった。


 ――だった。と客観的なのは、どこからどう見ても鏡に映っている姿は女の子であり、自分は生まれた時から男だからだ。

 腰まで伸びる長い白銀色の髪、可憐さのある整った顔立ち、そして可愛いと思えてしまう声。何一つとっても、女でしかない要素ばかりだ。

 顔から服までなんだかどこかの国の人形みたいで、あれだけタチアナが可愛い可愛いと連呼していた理由わけが分かる。


 それに、なんだか背が低くなってしまっている気さえする。

 いや、背は気のせいでも何でもなく、明らかに小柄だった。成人している僕だが、一気に子供になってしまった感覚だ。

 今まで気にもとめなかったのは、色々ありすぎてだろうか。

 思えば車の中では座りっぱなしだった、というのもある。


 眼前に映るそんな自分は、呆然とした表情をしてしまっていた。

 ペタペタと顔を触ってみれば、ふわりとした感触が手のひらに伝わってくる。

 胸は――


「残念、かな……」


 指摘されるまで気付かなかっただけあって、この一言に尽きた。

 なんで、ちょっとがっかりしてるんだ僕。


「でも、凄く可愛い……じゃなくて」


 本当に女の子になってしまったのだろうか。

 男を女に転換しましたってレベルじゃないほどの変わり様だ。

 背丈とか、細くなってしまった体つきの説明がつきそうにない。


「…………」


 改めて辺りを見渡すと、部屋の中は僕一人だけ。

 僕はふと思う。自分の体なんだから、スカートの中を見たってバチは当たらないんじゃないだろうか、と。

 言い訳をすると、自分の身体の変化に何となく受け入れ始めてはいるものの、頭では常識外であると拒もうとしているのだ。故に、確認しなければならない。


 父さん、母さん、ひょんなことで息子から娘になりましたが、これからもよろしくお願いします、とは言いたくない。

 ちなみに、母親は仕事ばかりの親父に愛想を尽かして何処かへ行ってしまった上、当の親父は半年前に亡くなっているが。


 己の家庭事情を思い出して胸の中でちょっぴり涙し、さてさて気後れしつつも"あれ"の有り無しを見て確かめようと、姿見の前で履かされているスカートをたくし上げた――正にその瞬間である。


「おかえりー、お兄ちゃん」

「――っ!」


 ハッとして、スカートを急いで下ろす。


「べ、べべべべつにパンツが気になったわけじゃ……」


 慌てて逸らしてしまった視線をゆっくりと部屋へ向けるが、誰ひとりとして部屋には居なかった。

 でも、なんか『お兄ちゃん』と聞こえたような気もするが。

 あの三人とも違う、底抜けに明るい活発そうな声だった。


 加えて、耳を澄ましてみれば、新しい声以外に軽快な音楽も聞こえてくる。

 音のありかを探ってみると、どうやら隣の部屋から聞こえてきているようだった。

 声に対する好奇心を抑えられず、なんとなく気になってしまった。


「失礼しまーす」


 隣の部屋に続くドアをノックして部屋へと入る。中は電気がついておらず、薄暗い。

 目が慣れてくると、壁だと思っていたものはすべてサーバーラックであることに気付く。


「……サーバールーム?」

「閉めて。熱で壊れる」


 いないと思っていたリコが暗がりの奥に居た。


「あ、ああ、ゴメン」


 慌てて僕は扉を閉める。締め切った途端、真冬の外みたいな冷気が身体にまとわりついてきた。

 春先だというのにこの寒さって、冷房の設定を何度にしているんだ。


「何?」


 何を考えているのかわからない表情で、リコがこちらに振り向く。


「いや、ここに誰か居るような気がして」

『みう、ずっとお兄ちゃんのことまってたんだから!』


 再び聞こえて来た声は、リコの方から鳴っていた。

 リコの声とも違う。けれど、リコの前には三枚のモニターが並んでいるだけだ。

 誰かと会話でもしているのだろうか。


 一体なにをしているのかとリコの正面にあるモニターを覗き込んでみると、いかにもアニメって感じな女の子が画面の中で笑顔を振りまいていた。


「……えっと、これは?」

「ギャルゲ」


 にべもなく、リコがそう答える。相変わらずリコの言葉は素っ気ない。


「さいですか……」

「一緒する?」


 リコは僕の顔をじっと見つめたまま、BGMに合わせるように首を揺らす。

 一緒にゲームをするかどうかであればわかるが、美少女ゲームを一緒にするというのは何がしたいのだろうか。


じょうの新作」

「遠慮しとくよ」

「残念」


 あまり表情が読めないリコだが、この時ばかりは心底残念そうに見えた。

 だがそれも一瞬のことで、リコは言葉を続けて、


「古い作品でよければ布教用がある。カトレアならインストールさえすれば、互換機能でどこでもプレイできると思うから」

「カトレア?」


 携帯ゲーム機の名前かなにかか?

 けれど、そんなゲーム機あっただろうか。


「加藤蓮矢でカトレア。今決めた」

「それって、僕の名前?」


 リコが肯く。

 確かにこの姿で蓮矢というのは苦しいが、それなら加藤でも良いんじゃないだろうか。

 タチアナみたいな奴が相手なら気兼ねなく抗議できそうだが、リコが名付けたとなると、どう返して良いのか分からなくなってしまう。


「…………」


 そのままの流れで、互いに会話が途切れてしまった。

 ただ、それは僕たちの間だけの話で、画面の向こうでは女の子の賑やかな会話が繰り広げられている。


「……ギャルゲの主人公になるにはどうしたらいいと思う?」


 気まずさを感じ始めていた僕に、リコが真面目そうにそんなことを言う。

 藪から棒になんだ? そのつかみ所のない質問は。

 どうしたらって、女の子達とキャッキャウフフ出来るのは男の夢ではあるけれども。


「リコは女の子じゃないか」

「それなら、乙女ゲーの主人公」


 うまく話を逸らそうと思ったが失敗してしまう。

 主人公になるって言ったって、主人公は物語の中で主人公になる努力とかはしていないし。主人公なんてなるべくしてなったんじゃないだろうか。

 今までそんなことを気にもしていなかったので、難しい話題だと感じてしまう。


「なんだか哲学っぽいな」

「哲学、好きなの?」

「いや、親父がよく読んでいたから少しかじっただけさ。ちっとも分からなかったけど」


 親父の遺品整理している時、後を追いかけるように読んだことがあるだけだ。

 リコは僕の答えで興味が削がれたのか「そう」と短く切り返すと、ディスプレイへ向き直ってしまった。


「えっと……隣の部屋に戻るよ」


 なんとなく邪魔をするのは悪いと感じ、タチアナに待つよう言われた部屋へと戻ることにする。邪魔しているのは美少女ゲームなのだけれども。


「今度、答えを聞かせて」

「ああ、うん」


 リコの口調がうつってしまったような気がしながらも、タチアナに案内された部屋へと戻ってきた。

 なぜリコが美少女ゲームをやっていたのかについては、訊かずじまいだった。

 訊いたとしても「趣味」の一言で会話が終わりそうだが。


「言いそうだなぁ」


 なんだかリコのことが、少し分かってきたような気がした。

 しかし、まさかリコが隣の部屋に居たとは。

 さっきの、誰かに見られてたりしないよな……?


 自分のスカートをめくる行為が今になって気後れしてしまい、おとなしくソファーに座ってタチアナの帰りを待つことにする。

 そういえば、リコの他にツバキはどこへ行ってしまったのだろうか。

 別の階に居るんだろうかと探しに行こうとした直後、タチアナが部屋へと入ってきた。


「おまたせ、カトレア」


 何故かリコが付けた名前が既に広まってしまっていた。


「はい、これ。お近づきの印に」


 にこやかな笑顔とともに手渡される大きめの箱。包装を解いて箱を開けてみると、中には小さな靴が入っていた。


「……これは?」

「靴だけど? ずっと素足だったでしょ」


 わざわざ自分のために買ってきてくれて嬉しくはあるのだけれども、タチアナが買ってきたのは女性向けの靴だった。

 それも、ゴスロリ服に合わせて履くようなやつで。何というか、反応に困る。


「ぴったりだといいのだけれども」


 少しでも合わなかったら突っ返してやろうと思ったが、意に反してぴったりだった。


「よかったー。せっかくだし、あたしが履いても似合わなそうな可愛いのを買ったのよ」

「こんなのどこで売ってるんだよ」


 女物の靴なんてまともに眺めたことはないが、少なくともABCマートじゃ見かけたことがない。


「新宿のアネックス」


 どこそこ。


「もう女の子なんだし、色々と慣れなくちゃ」

「あー、うん」


 返事に困って、うんと思わず肯いてしまった。


「だけどなんだって、こんなことに……。なにか知っているんだったら、教えて欲しいんだけど」

「うーん、そうねぇ……」


 やはり大方の事情は知っているようで、タチアナが困った顔をする。


「お願い」


 切実に頼み込むと、タチアナは「はうっ」と変な声を上げて仰け反った。


「やっぱり凄い可愛い」


 口に手を当ててもごもごとタチアナが呟く。

 うまく聞き取れなかったが、嫌な予感がして僕は静かに距離を取った。


「もう我慢できない!」

「ちょっ……」


 突然タチアナが叫んだかと思えば、抱きつかれてしまった。

 初対面の時とは違って、ぬいぐるみを扱うかのようにぎゅうぎゅうと抱きつかれてしまう。


「あぁー、癒やされる」

「んんー、んぐ、もももも(ちょっと、離して)」

「……何やってんだお前ら」

「あ、鏡花。お帰り」


 抱擁から解放されてみれば、見知らぬ女の子がタチアナの後ろに立っていることに気づく。

 女子高生ぐらいだろうか。背丈はタチアナと同じぐらいで、リコほどの幼さはない。


「お帰りじゃねーよ! 勝手に無線を切りやがって。お前らがどうなってんのかわかんねーじゃねーか!」

「いやいや、ほら。みんな無事だし、目的もほとんど達成したし」


 この子が鏡花なのだろうか?

 もっと、こう、ギャルっぽい奴を想像していたのだが。荒々しい口調だが、胸くらいの高さまで垂らした横髪がよく目立つ、見た目はごくごく普通の女の子だった。


「そんで? こいつが例のロボット?」

「えっ……?」


 突然告げられた言葉に、自然と驚きの声が出た。

 ロボット。

 確かに彼女はそう口にした。


 ――それも、僕の方へと目を向けながら。

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