第27話

 ルカラはストラディゴスの顔を見上げる事も出来ず、黙ってしまう。


 ルカラが盗賊達に追いかけられたのが、今の状況の始まりなのだ。

 当然、盗賊がなぜ追いかけたのかが気になる所である。


 盗賊の小男は、ルカラを「お尋ね者」だと言った。

 それならば、ルカラが何者なのか聞かなければ、彩芽とストラディゴスが納得出来ないのは当たり前の事である。




「何をしたんだ? 言ってみろ」


 ストラディゴスは、ルカラに質問した。

 ルカラがお尋ね者と分かっていても、ストラディゴスは「ルカラ」を「ルカラ」として扱おうと意識していて、口調は冷静なままだ。


 ストラディゴスが彩芽と言う存在を行動の指針に据え置く事で、まるで別人の様に見える事に驚きながらも、エドワルドは盗賊達を縛り上げていく。

 エドワルドの知っているストラディゴスなら、止める余地も無く三人の息の根を止めていた筈であった。




 こうしてストラディゴスが場の空気を掴むと、皆は成り行きを見守る事しか出来なかった。


 ルカラは、逃げようと思えば逃げられた。

 エドワルドは盗賊を逃げられない様に、縛らなければならない。


 ストラディゴスは、彩芽を放置してまで追っては来ないだろう。


 逃げ足には自信があるし、ストラディゴスが入れない路地裏をいくつも知っている。

 ルカラは、絶対に逃げられる自信があった。




 それなのに、ルカラは地面に膝をつき、彩芽とストラディゴスに対して跪くと、地にひれ伏していた。

 それから観念した様に、おずおずとだが重い口を開く。


「逃げ……ました」


 何か見えない力に縛られている様な感覚。

 この場に留まれば、不利なのは分かっている。

 それでも、逃げ出す事は出来ない。


 今まで逃げ続けて来た筈なのに、今になって急に、逃げる事が出来なくなっていた。


「はっきり言え。何をして、何から逃げた? 逃亡奴隷って事か?」


「……そう、です」




 盗賊の小男が持っていた逃亡奴隷の指名手配書の中に、ルカラに似た特徴の奴隷が確かにあった。

 首元等に見える傷跡や消えない痣と、手配書にあった人相書きの特徴が一致していた。


 彩芽とストラディゴスが気合を入れて髪や身体を洗ってしまったのが原因で、今まで汚れで隠れていた特徴が表面化されてしまい、賞金狙いの盗賊達に見つかってしまったと言う事だ。


 彩芽は、良かれと思った事が仇になったと、一人複雑な気持ちになる。


 せめて髪の毛を切っていれば、少年に化けられて雰囲気がガラリと変わっていたかもしれないが、盗賊に襲われなかったかもしれないだけで、それでは何も解決しない。




「ヴェンガン伯爵の話は? 全部嘘か?」

「……ほとんど……嘘……です。で、でも……伯爵の所から、逃げてきた事は……本当です」




 ルカラは、詫びの菓子折りでも何でも無かった。

 考えてみれば、ルカラを痛めつける様な人物が、痛めつけた奴隷を送ってくるなんて事があるだろうか。


 仮に送るにしても、見栄を張りたい人種ならば、無傷の奴隷を送るのでは無いか?


 だが、そうなると辻褄が合わない。

 彩芽が気になり、ルカラに質問をする。


「なんで手紙が盗まれた事を知ってたの? それに、最初から私の名前……どこで知ったの?」




「……」




 ルカラは、沈黙してしまう。

 自分は、逃げられない上に、嘘も、もうつけないのが分かった。


 このまま沈黙を貫けば、嘘はつかずに済むが、その後はどうなる?

 沈黙か、真実か、何を語るべきか葛藤する。


 今、もしも何かを知っている盗賊達が知らないであろう部分で嘘を言えば、この場は万に一つの可能性だとしても、切り抜けらるかもしれない。


 しかし、その先はどうなる?




 空気を吸って吐くように今までついていた嘘が、いくら空気を吸っても口から一つも出てこなくなっていた。


 初めて、他人に身体を洗われたからか。

 初めて、他人の鼓動を感じながら湯船に浸かったからか。

 初めて、他人と同じ席で食事を食べたからか。

 初めて、他人に対等に扱おうとされたからか。

 初めて、他人が自分を雇おうとしてくれたからか。


 初めて、自分の責任として、自分の意思で、約束をしてしまったからか。


 それとも、奴隷としてではなく、ただ自分を心配して追ってきてくれた事が、信じられないぐらい嬉しかったからなのか。




「もうしわけ、ありません……でした……私が、盗りました……」




 言っても言わなくても、逃げなかった時点で、この後すぐに逃亡奴隷として突き出される。

 そして、自分は死ぬ。


 だが、目から溢れる涙は、自分の確定した死で流れた涙では無い事がルカラには分かる。


 それならば、せめて嘘は付きたくなかった。

 彩芽とストラディゴスにだけは、真実を知って貰いたいと思ってしまった。


 ルカラは、今まで身を守る為についてきた嘘が、今は自身を傷つける凶器に思えてならなかった。




「とった……ルカラが? ………………えっ!?」




 彩芽は、まさかルカラが窃盗犯だったとは微塵も思っていなかったようで、理解に少しだけ時間がかかった。

 彩芽とストラディゴスを失望させたと感じると、ルカラは胸が痛くなった。




「盗んだお金も、手紙も、私にしか分からない所に、今は隠してあります……盗って、ごめんなさい」




「そりゃ、だから見逃せって事か?」


 エドワルドが聞くと、ルカラは無意識に首を横に振った。

 エドワルドの言う通り、交渉の材料に使えば、そうすれば見逃してくれるかもしれない。


 だが、そんなつもりで言っていない事を伝える事の方が大事に思える。


 ストラディゴスは驚きを通り越し、呆れ気味に聞く。

「とんだ食わせ物だった訳だ……今までのも、全部演技か……この調子だと、名前も本当かどうだか……お前、なにが狙いで俺達に近づいたんだ?」


「そ、それは……町を出ようと……あと、誰かの奴隷になれば、その、隠れられるし、少しはご飯も食べられるので……」


「はぁ……犯人発見って事は、俺の方は無駄骨か。ストラディゴス、わかってると思うが、前金は返さねぇぞ。しかし、またえらく回りくどい嘘をついたもんだな、お前。手紙を読めたって事は、奴隷の癖に字が読める訳だろ。誰に習った?」

 エドワルドが盗賊達を縄で繋ぎながら、興味深そうに聞くと、ルカラは小さな声で質問に答える。




「墓石で、勉強して……」




 意外な答えに、聞いていた全員が頭に疑問符を浮かべる。


「墓石? ルカラ、私の所に来る前は、どこにいたの? 伯爵の所?」

「いえ……別の、人にも、その、嘘をついて……奴隷として、働いたり……」


 どうやら、まだ話していない事がありそうだと、彩芽とストラディゴスが少し困った顔を見合わせた。




「ストラディゴス、もう立てるから下ろして」

「ああ、それよりも一度戻って、綺麗にしてから着替えた方が良い」


「それは、あとで良いから、ほらこれで」


 彩芽はストラディゴスに着せられた上着の前のボタンを上から下までしっかりと閉じると、袖から腕を抜き、ゴソゴソと、濡れた紐パンツと革ズボンをその場で脱ぎ捨てた。


「よし」


 ストラディゴスの上着でコートの様に膝までスッポリと隠れているが、布一枚下では服の前がはだけ、下半身は裸である。

 その姿で平然としている彩芽に、ストラディゴスは「よしでは無いだろう」と思うが、彩芽は「見えなければ問題ない」と気にしない。


 今は尻が冷えて風邪をひくかどうかよりも、大切な事がある。




「ねぇルカラ、事情を聞かせて。三人で約束したよね? 覚えてる?」


「……やく、そく……」


 最初から裏切って近づいた自分が、台無しにした約束。

 ルカラは、自分がその約束にいまだに縛られていた事にようやく気付く。


「何かあったら話し合うって、ルカラが望む形になる様に努力するって」


 忘れる訳が無いが、意外な彩芽の言葉にルカラは戸惑った。


 盗んだ物を返せと、真っ先に言われても仕方が無い。

 そう思っていた所で、話を聞かせろと言われるとは思わなかった。


「あ、あの、ですが私は、お二人を、ずっと騙してたんですよ……盗った物を取り戻して、伯爵に引き渡さないんですか?」


「それが必要か決めるのは、ルカラの話をちゃんと聞いてから。手紙は返してもらわないと困るけど、その後で、ルカラとストラディゴスと私の三人で決めよ。だからね、もう嘘だけは、絶対にやめて。嘘をつくぐらいなら、何も言わない。いい?」


 ルカラの行いが殺したと思っていた、雇用と言う名の契約。

 一見すると冷たい印象さえ受けそうな約束である。


 だが、彩芽とした約束は、それこそ昨日産まれたばかりで、まだ何の役にも立っていない物の筈なのに、血が通って温かみがある。

 まるで守って育てなければいけない、大切な赤ん坊の様にさえ思えた。


 今は、ルカラのせいで、生後一日目にして虫の息かもしれない。

 それを彩芽は、まだ生きていて、助けられると言ってくれた。


 傷だらけの約束を救う事が出来るのは、ルカラしかいないとも。


 救うために必要な事は、一つだけ。

 今度こそ、約束に従う事のみである。


 すなわち、真実を語る事で、初めて約束が機能し、ようやく初めて、対等な話し合いが始まるのだ。


 その結果ルカラが傷だらけになろうとも、それを選ぶのも、またルカラであり、それを彩芽もストラディゴスも強制はしてくれない。

 ルカラが自分で選び、ルカラが責任を自分で取る事を二人は、少なくとも彩芽は本心から望んでいる。


 それは、今この状況でさえ、ルカラを奴隷でも犯罪者でも無く、ルカラと言う人間として扱い続けている事であり、ルカラは彩芽がルカラをあくまでも対等の人間として見ている事で、ついには根負けした。


 今は逃亡奴隷でも、犯罪者でもあるそれら事実さえも、一部と認め含めた一つの存在。

 人間としてのルカラの全てを、ルカラは語り始めた。

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