第26話
腰が抜けている彩芽は、何で叫んだんだろうと後悔しながらも手で斬撃に防御する。
大人しくしていれば、少なくとも今すぐ殺される事は無く、別の逃げるチャンスがあったかもしれない。
それでもストラディゴスの名前を呼んだのは、合理性からではない。
ゴチャゴチャと考えてはいるが、怖い思いをして彩芽なりにパニックになっており、エドワルドと言う顔見知りの指示に従う他に選択肢が見えなくなっていたからだ。
この叫びには、感情以外何も載っていなかった。
酒が入った時でさえ考えて物を言いがちな彩芽にとって、感情100%の叫びを口にする事は状況こそ最悪ではあるが、普段感じない快感を伴っていた。
認識の外にある、感情のままに叫ぶ、ストレスを吐き出す快感。
それは、埠頭で海に向かって叫んだり、山で登頂の喜びから絶叫するのに似ている。
無思考と快感の代償に、覚悟した様な痛みは無かった。
大男の剣は、彩芽には届かなかった。
寸での所でエドワルドの剣が斬撃を受け止め、刃を滑り逸らすと火花を散らし、彩芽を守ったのだ。
この瞬間だけ、彩芽の世界は音が低くなり、全てがスローに見えていた。
これを機に膠着状態は完全に崩れる。
エドワルドの剣の腕は、まあまあ強いと自称するのが腹立たしく思える程に、素人の彩芽が見ても分かるレベルで圧倒的で、動きの一つ一つが美しくすらあった。
まるで舞踏を踊る様に、危なげなく大男と背の高い男の剣を受け止め、同時に彩芽の事も完璧に守っている。
エドワルドの剣の範囲に見えない壁がある様に、盗賊達は見えない壁から先へと進む事さえ出来ない。
三人の盗賊相手に不意打ちを必要とせず、挑発しても問題ないと言う自信は伊達ではなかった。
大きすぎる実力差に気付いた盗賊達の顔には、嫌な汗が滲み始める。
「おいおいおいおいおいヤバいなんか来てるぞ! おい! 逃げろ逃げろ!」
足の怪我でまともに動けない小男が、仲間に叫ぶ。
小男の慌てように大男と背の高い男が何事かと振り向くと、大男よりも遥かに巨大な影が盗賊達に向かって走ってくるのが見えた。
「っ!?」
盗賊達に弁解の余地は無かった。
巨人の拳が、掛け声も無く大男目掛けて攻城槌の様に襲い掛かったのだ。
大男は数メートルほど、まるで高速道路で大型車両に正面から轢かれたような勢いで吹き飛ぶと、そのまま固いレンガの壁にぶつかり、ゴツッという鈍い大きな音が裏路地に響いた。
大男の身体が、頭を中心に壁にめり込む様に凹ませる。
巨人の一撃で頭から血を流し意識を失うと、大男はその場に力なく崩れ落ち、失禁してしまう。
拳を大きく振りかぶる巨人を前に背の高い男が戦意喪失すると、エドワルドが剣の切っ先を突きつけ、その動きを完全に封じてしまった。
エドワルドは、背の高い男を巨人の一撃から救ったのだ。
生け捕りにする為に。
「エドワルド、なんでお前が!?」
「これも仕事だ。貧乏暇なしって言うだろ」
「二人を守ってくれたのか?」
「アヤメはな。そのガキは自分で逃げただけだ」
ストラディゴスの小脇には、抱えられるルカラの姿があった。
どうやら、逃げた後でストラディゴスを探しに行ったらしい。
自分の事をルカラが助けてくれた事が嬉しかった。
「また借りが出来た。アヤメ、本当にすまない、声は聞こえたんだ。でも、コイツがいなかったら間に合わなかった……」
ストラディゴスは、そう言ってルカラの頭をグシグシと撫でる。
「怪我は? 何もされて無いか?」
「貰った服破られちゃったけど、他は何もされてないよ。私の声、届いたの?」
彩芽が期待の眼差しで聞くと、ストラディゴスは可笑しそうに言った。
「あんだけデカい声なら当たり前だろ」
「そ、そんなうるさかった?」
エドワルドに聞くと「まあまあだ」と答えた。
エドワルドの言う「まあまあ」は何の基準にもならない気がした。
ストラディゴスは彩芽を心配そうに気遣いながら、ルカラを地面に下ろし、自分の着ていた上着をコートの様に羽織らせた。
「ルカラ、よかった無事で……ありがと」
ルカラは、何とも情けない顔をして彩芽に「ごめんなさい! ごめんなさい!」と謝った。
腰の抜けた彩芽は、ストラディゴスに支えられ立ち上がる。
彩芽は地面を掴み切れない足のまま、なんとか手を伸ばしてルカラの頭を撫でた。
ルカラには、殴られたような痕はあるものの、大した怪我は無かった。
エドワルドは、離れた壁で倒れている大男のもとへと向かった。
大男は、まだ生きていた。
怪我は、全身の骨折と壁との激突で出来た外傷、頭蓋骨にせいぜいヒビが入っただけにとどまり、このまま放置しても骨が変な形で治癒する事はあっても死ぬ事は無いだろう。
なんとも丈夫な男である。
「アヤメにこんな事をしたのは、この中の誰だ?」
ストラディゴスの言葉に、小男と背の高い男がビクッと反応した。
エドワルドはいつもの調子で、大男を縛りながら答えた。
「お前がぶん殴った、こいつだよ」
「ルカラ、お前を痛めつけたのは?」
ルカラは小男を指さした。
小男は足の痛みなど忘れ、恐怖で顔を歪ませる。
「そこの細長いのには、何もされてないのか?」
「私は後ろから口をふさがれただけだけど」
ルカラは首を横に振る。
背の高い男が小男の顔を見ると、小男が背の高い男に助けを求めるような表情を送っていた。
「まずは、落とし前を付けるか」
「まって!」
彩芽の声に、ストラディゴスは動きを止める。
「ストラディゴス、落とし前って、なにする気」
「なにって……」
彩芽は深呼吸をした。
「酷い事は、やめて」
「俺もやめてもらいたいね。そいつらは俺の追ってた賞金首だ。出来れば生け捕りにさせてくれよ」
エドワルドの言葉に、小男が小刻みに首を縦に振って同意する。
背の高い男も、何をされるか分かった物では無いと首を縦に振った。
大男を殴り倒した巨人が、彼を殺してしまったら、次は自分達と言う事になりかねない。
「エドワルド、お前が損する分は後で払ってもいい。だから、一旦黙ってろ」
ストラディゴスに言われ、エドワルドは「お好きにどうぞ」と、小さくため息をして、すぐに引き下がった。
「アヤメ……なぜだ? こいつらは、お前に酷い事をしたんだぞ。死んで当然とは、思わないのか?」
彩芽が着る自分の上着の下に、ボタンが止められていない前から覗くはだけた服と、柔肌。
大の大人が恐怖のあまり失禁をする様な事を、盗賊達は彩芽に対してしたのは間違いない。
それらの動かぬ事実を見て、エドワルドとストラディゴスが来なかったら盗賊達がその次には何をしようとしていたのか、想像もしたく無いがストラディゴスは確信していた。
この世界の裏で行われる日常の風景として、知っているのだ。
「そんな理由で……殺さないで」
避けていた殺すと言う表現。
言いたくも無いが、あえて使い、話し合わなければならない。
「……ならアヤメはこいつらを、どうしたいんだ?」
ストラディゴスの「こいつら」と言う発言に、盗賊達は青くなる。
人質だと思っていた彩芽を応援するしかなくなる盗賊達は、死にたく無さそうな顔で彩芽を見ていた。
彩芽に対するストラディゴスの口調は酷く穏やかで、冷静。
だが、それが逆にその場の彩芽を除く全員にとっては、とてつもなく恐ろしかった。
怒りにまかせて、でなく、冷静に考えて、敵を必要ならば殺そうとしているのだ。
彩芽に対しても、ストラディゴスは盗賊達への怒りを隠す素振りも見せていない。
ストラディゴスは、身内に手をあげる者がいれば、そこが戦場で無くとも相手を痛めつけ、必要ならば殺す事で「二度と同じ事が起きない様にする事が当然」だと考えているのが分かった。
しかし彩芽からすると、どんな形であれ殺人は避けたい事であった。
それが状況的に、例え正当防衛や戦争の様に罪になる事ではないとしても、可能ならばするべきでは無いと思うのだ。
盗賊達が彩芽にやった事に対して、相応の罰を受けるのは当然だと考えられても、その中に処刑は含まれていない。
「ストラディゴスには、出来れば誰も殺して欲しくないよ、私は。その人達が罪を、どんな形でも償えばそれでいい」
「……わかった。お前がそう言うなら」
ストラディゴスの言葉を聞いて彩芽とエドワルドは、それぞれ別の理由でホッとした。
しかし、一番胸を撫でおろしていたのは、エドワルドに縛られながらも、不幸にも意識のある盗賊達であった。
事態は、ここでは終わっていなかった。
「ルカラ、お前、なんでこいつらに追われてたんだ?」
ストラディゴスは、事態の引き金となったルカラに質問をぶつける。
その話を聞いていた小男が、一蓮托生と口を出してくる。
「そ、そいつもお尋ね者だぜ」
「俺は、お前に聞いたか」
ストラディゴスの敵を見る目の迫力に、小男は口をつぐんだ。
「ルカラ、お前に聞いてる」
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