第28話
彩芽に言われ、ルカラは小さく頷くと、これまでの人生を語り始める。
話し合いに向けて同情を買おうと言う気で語るのではなく、彩芽に自分の事を知って貰う為に語る。
盗んだ物で交渉する気など、はなから無い。
仮にそれをしたとしても、約束とも盗品とも無関係のエドワルドがこの場にいる以上、無事でいられる保証は無い。
自分が話した結果、話し合いの末どうなるかは分からない。
ヴェンガン伯爵に引き渡されれば逃亡奴隷としてなら、殺されるか、死んだ方が良いと思うような目に遭わされる。
墓荒らしや窃盗犯として突き出されれば、奴隷は死罪が確定している。
あえて、自分の避けられない死を意識し、自らを追い詰めて逃げ場を無くしていく。
そうでもしなければルカラは、彩芽とストラディゴスに対して語れる気がしなかった。
自分を正当化せずに人生を語る事など、そうでも無ければ決意をしていても、口から出ては来なかった。
自分は、死ぬ。
だからせめて、ルカラの人生を、自分を心配して追ってきてくれた人達に打ち明け、記憶の片隅にでも残りたいと思ってしまう事ぐらいは許して欲しかった。
「私は……」
* * *
ルカラは元々、奴隷では無かった。
ルカラの両親がヴェンガン伯爵に借金を作ってしまい、奴隷落ちし、その借金の肩代わりとしてルカラは幼い時に伯爵に売られたと言う。
両親に与えられた名前は『カーラルア』と言い、ルカラと言う名前は、それをもとにしたいくつかある偽名の一つであった。
ちなみに、この世界では子供は親の所有物であり、金銭での売買は禁じられていない。
養子、口減らし、政略結婚、そして借金の肩。
様々な理由で子供が平然と売り買いされている事を聞いて、彩芽は相変わらずの異世界のハードさに当分慣れられる気がしない。
物心つく頃には奴隷だったルカラの一番古い記憶。
それは、伯爵の身の回りの世話をする側女奴隷の見習いとして使われていた記憶であった。
日常的に降りかかる暴力が無くなる事は無く、ついには耐えられずに五年前、ルカラが僅か七歳の時の事だ。
命の危険を感じて、伯爵の城から逃げ出していた。
逃げ出した直後は、町に点在する廃屋と呼ぶべき空き家に小さな身を隠し、残飯を漁り、市場で物を盗んだりして空腹を満たしていた。
フィデーリスは城壁に囲まれているので、許可の無い者は出る事が出来ない。
幼いルカラは、フィデーリスの中で潜み生きる事しか出来無かった。
別の町なら、そのまま物乞いやストリートチルドレンにでもなったのだろう。
だが、城塞都市フィデーリスでは、そんな生活を長くしていれば逃亡奴隷狩りか、悪ければ奴隷商人に売り物として捕まってしまう。
安住の地を求め、町を囲む城壁の中で人が少ない場所を彷徨い歩き、最初に辿り着いたのが墓地であった。
墓にある土葬を待っている棺の中に入れられたコイン(この世界にも、あの世へ金を持っていく風習があり、フォルト銅貨が二枚(二百円)が、棺に必ず入れられていた)や、埋葬を終えた墓に供えられた物(主に故人の好きな食べ物)を荒らして、数ヵ月はギリギリの生活を送っていたと言う。
そんな生活を送っていると、いつしか墓の周囲に柵が作られ、そのうちに見張りがつき、棺には鍵さえ付けられていき、荒らす事が難しくなっていった。
墓守と墓荒らしの攻防は、墓荒らし捕獲の依頼書が出される様になった時に、ルカラが引き下がる形で静かに終わった。
墓荒らしとして捕まれば、犯罪者として裁かれる事になる。
犯罪は、奴隷に適応されれば、年齢に関係無く即死罪である。
盗人だから手を切る様な、目には目をは奴隷に適応されない。
今までも危険であったが、手配書の金に釣られて物陰で墓荒らしを狙う者が現れ始め、とてもじゃないが墓荒らしなど出来なくなっていた。
こうして墓荒らしが危険になり、再び残飯を拾い食い、市場で物を盗む生活に戻る事になる。
だが、市場も商売である。
盗まれない様に店主が見張りの奴隷を表に立たせたり、溢れそうな程に陳列されていた商品の数を減らされ、目が行き届く様にされたりと変わり、どの店の店主達にも隙が無くなってきていた。
食べる物が減り、その食べる物も悪くなったゴミばかりになると、ルカラは激しい腹痛に襲われ動けなくなってしまう。
体調が回復するまでの数日を雨水と自身の指の爪をかじって過ごす事になり、激しい腹痛と共に襲ってくる下痢と嘔吐で体力も限界まで無くなってしまう。
こうなると、盗みに行く事も難しい状態。
食中毒の峠は越えた物の、身体には力が入らず、空腹だけが腹に残る。
そんな状態で途方に暮れ、それでも死にたくないと思いながら身を縮めて過ごす日々。
緩やかに迫る死期を感じると、借金の肩に自分を売ったと言う顔も思いもいだせない両親を想像し、この世に産み落とした事への憎しみが募っていく。
いよいよ体力が現界に迫ると、ルカラは今までの人生で一番美味しかった物を想像した。
それぐらいしか良い思い出など無い。
それは、ヴェンガン伯爵の所で一度だけ食べた一粒の葡萄であった。
床に落ちたのを誰も気付かないまま放置されていた物だ。
幼いルカラは葡萄を拾うと、手の中に隠して宝物の様にして部屋に持ち帰り、皮も種も残さずに少しずつ大事に食べた。
宝石の様に鮮やかな紫色の皮の下には、みずみずしく張りのある黄緑色の果実。
普段与えられていた麦を茹でた味の無い少量の粥と比べると、見た目だけでも雲泥の差である。
皮ごとかじると汁が滴り、口の中に甘酸っぱい味が広がっていくのは、忘れる事の出来ない感覚であった。
伯爵はこんなに美味い物を一人で食べて、平然と残す事がルカラには信じられなかった。
なぜなら、満腹と言う物を経験した事が、この時にはまだ無かったからだ。
ヴェンガン伯爵の所を出なければ、もしかしたら、また食べる事が出来たかもしれない。
命の危険を感じて飛び出してきたのにも関わらず、ルカラはヴェンガン伯爵の所に戻れたらと、葡萄の感触を、食感を、香りを、そして味を思い出し、思ってしまった。
そんな状態で、隠れ家から外を見ると、葬列が墓場に向かうのが目に入った。
どうにか紛れ込んで、何でもよいから失敬出来ないかと考え、葬列に紛れ込む。
おぼつかない足で墓場に潜入するのに成功すると、墓に供えてあった固いパンを見つけて服の下に隠した。
このまま墓場を出たいが、一人で出て行けば怪しまれる。
葬列に並んでいる奴隷に紛れて一緒に出なければと思い、知らぬ誰かの葬式を見ていた時であった。
故人が生前持っていた奴隷を、家族や友人が遺産として引き継でいる光景が目に入った。
奴隷は新しい主人とは面識がない様で、簡単な自己紹介をしている。
ルカラは、これだと思った。
他人の奴隷に成りすます方法を、ルカラは思いついたのだ。
この時の年齢は、まだ八歳になる前であった。
* * *
フィデーリスでの奴隷の扱いは、奴隷運用の理想に反して、どこまでも劣悪である。
どこに行っても暴力を受け、少ない食べ物で重労働を課せられる。
ルカラが生き残るためには、与えられる食べ物だけでは到底足りなかった。
どの主人も、普通の奴隷に対しては数年から、長くても十数年で使い潰すような使い方しかしない。
そうなると、主人の良し悪しの判断をどこかでして見切りをつける必要があった。
良い主人に当たるまで、まるでくじ引きをする様にルカラは墓場に顔を出す。
またダメでも次がある。
次の葬式を心待ちにしながら、良い主人に出会うまで転々となりすまし奴隷をしていく日々。
その中で、ルカラは様々な事を学んでいった。
葬式で遺族の間で涙ながらに叫ばれる故人の名前と、墓石に刻まれた文字を関連付けて文字を覚えた。
文字を覚えると、主人に隠れて本も読む様になっていった。
どの主人の家にも本があり、歴史書や絵物語が特に好きであった。
主人は皆、出会ったばかりの頃は比較的優しく、慣れて来た時に本性を表すのも学んだ。
鞭打たれ、殴られ、いたぶられる中で、人体の弱い箇所を身をもって知った。
幼い奴隷ばかりを大勢持っている主人の所には、葬式があっても、どんなに良い人そうであっても、絶対に近づいてはいけない事も学んだ。
それと、奴隷の入れ替わりが激しくても、世間の人は暗黙の了解で誰も気にしない事も知った。
逆に、奴隷と良い関係を築いている老いた主人は狙い目であった。
でも主人が亡くなると子に引き継がれ、その子まで奴隷に優しい事は無かった。
農業奴隷、労働奴隷、家事奴隷、実に様々な奴隷の仕事を経験した。
普通奴隷のする仕事に関しては、一通り出来る様なったが、新しい主人の所に行った時は、初めてのフリをすると習得期間が僅かだが与えられるし、周囲の奴隷が優しくなった。
掃除や野菜の皮むきなんて単純な仕事を一日中休みなくやらされた事もあった。
単純作業を繰り返す時は、作業を手に覚えさせ、頭では前に読んだ本の内容を思い出していた。
剣の稽古の相手を無理やりさせられた事もあれば、荷馬車の積み下ろしや馬の扱いも教え込まれたし、鎧を磨いたり着つけたりも覚えた。
男の奴隷がさせられる事を覚える中で、襲われた時の立ち回り、力仕事のコツ、鎧の構造や手入れの方法、様々な事や物が手にさわり目につき、経験した全てを吸収した。
そんな生活の中で、大勢の奴隷仲間から異国の話を聞き、時には簡単な計算方法や、怪我の応急処置法、異国の言葉を習った事もあった。
ルカラは、主人達よりも異国からさらわれてきた奴隷達の方が、遥かに知的で多くを知っている事を学んだ。
そんなある日、何人目かの主人に仕えた時の事だった。
主人の一人娘、我儘なお嬢様の側女奴隷として働く事になった時である。
主人の邸宅の浴室に入った事は何度もあったが、その時に初めて公衆浴場に行く事となった。
だが、ルカラは公衆浴場の勝手が分からずに、他人の荷物が入った棚を間違えて開けてしまった事があった。
その時に気付いた。
公衆浴場の更衣室は、墓場以上に金目の物がある上に、楽に物を拝借できる事にだ。
それからルカラは公衆浴場で他の奴隷達を観察し、学習していった。
主人の身体の洗ったり拭いたりを手伝うフリをして浴場や更衣室に入れば、誰にも怪しまれない。
主人に言われてオイルや肌触りの良い布を更衣室に取りに戻るフリをして荷物を漁っても、客達は自分の使っている棚で無ければ誰も気にしない。
更衣室の服を入れる棚には、鍵が無い所が多く、籠の所さえある。
鍵があるとしても、細い金属の棒が二本あればどこでも簡単に開けられる。
盗んだ金目の物に名前が書いてある事は、まず無い。
それを服の下に潜ませて更衣室を出ても誰も怪しまない。
奴隷は主人に買い出しに行かされ、少額なら金を持っていても怪しくはない。
なにせ、フィデーリスの人口の半分以上は奴隷なのだ。
従順な奴隷でいる事は、それだけでカモフラージュになる。
主人と共に公衆浴場に行くときは、手早く主人の荷物に盗品を紛れ込ませるだけで良い。
奴隷の主人は、荷物を自分では持たず、服も自分では着ない。
奴隷を持つ主人に対して、その荷物を改めようなんて失礼な事をする者はいない。
つまり、盗品の一時保管の場所として、主人は十分に機能した。
この頃から、空腹を満たしても、少し残る程度の金が手に入る様になると、主人から浴びせられる暴力と悪態、重労働に見合わない少ない食事に嫌気がさして、ルカラは再び逃げだしたのだった。
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