第8話
その時、ストラディゴスの剣が、フィリシスを薙ぎ倒し、見張り塔の壁へと激突させる。
塔を揺らす強い衝撃。
尖塔の上で振動と強い風に吹かれる彩芽は、デジャヴュを覚える。
一度、経験したことがある感覚。
塔の下では、ストラディゴスがフィリシスに剣を突きつけ、話をしていた。
ストラディゴスの剣が、竜の指にある指輪を傷つける。
フィリシスの竜の身体の全身から、鱗の色と同じ黒い煙が出て来る。
その煙が指輪に吸い込まれていくが、煙を全て吸い込めずに周囲に散っていく。
黒い煙の中で竜の身体が萎む様に小さくなり、最後には裸のフィリシスが姿を現した。
フィリシスはストラディゴスに殴りかかる。
ストラディゴスは、その拳を避けず、身体に受けた。
「俺じゃ……ダメなのかよ……」
フィリシスの拳から力が抜ける。
「すまないと思ってる」
「お前が望むなら、何だってする……もっと女らしくなれって言うなら努力するから……」
「そう言う事じゃ……ないんだ」
「じゃあ、どういう事なんだよ!」
フィリシスの目には涙が浮かんでいた。
ストラディゴスは、剣を手放した。
「フィリシス、俺の事は煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わない。一生お前にだけ尽くしてもいい。だから、あの人の事は助けて欲しい」
「なんなんだよ、もう……」
「自分よりも、大事な人なんだ。お前の気が済むなら、俺の事は殺してくれてもいい。頼む」
「なんで、それが俺じゃないんだよ……」
フィリシスの戦意を失わせたのは、ストラディゴスが自分以外に本当に大切な人を見つけてしまった事実であった。
浮気をされ、怒って別れた時では無く、今この時に初めてフィリシスは失恋したのだ。
フィリシスはその場でべそをかき始め、ストラディゴスは胸を貸す。
からっ、みしみしみし……
見張り塔の壁が、悲鳴を上げていた。
竜の巨体で塔の根本が抉られ、塔全体に緩やかな傾斜が付き始める。
このまま倒壊すれば、城に激突する事は避けられない。
「たすけてーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
塔の頂上では、彩芽が叫んでいた。
フィリシスが竜になって彩芽を回収しようと思ったら、今さっき指輪を壊された事を想い出す。
「アヤメエエエェーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ストラディゴスは、フィリシスが止める間もなく、傾いてく塔の中へ飛び込んでいった。
* * *
戦いが終わった様だった。
彩芽の位置から全ては見えないが、二人とも生きている様である。
これで解決かと思い「よかったよかった」と独り言を言っていると……
塔の尖塔の上からロープで吊るされている自分の身体が、尖塔と距離が離れ始めている事に気付いた。
塔が城に向かって斜めになっているのだ。
「たすけてーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
叫んでも、フィリシスが飛んでくる気配が無い。
このままでは、死んでしまう。
身体をよじっても、ロープが解ける気配も無い。
「冗談でしょ!?」
斜めになる塔の上、高所恐怖症じゃなくても宙吊りに背筋が凍る。
「アヤメ!! 大丈夫か!!?」
ここまで、全速力で螺旋階段をのぼってきたストラディゴスを見て、安堵した。
助かった。
彩芽は、なぜ自分がこの塔の階段が螺旋階段と知っているのか、映像がフラッシュバックする。
「ストラディゴスさん! 私、前ここ来た事ある!」
「降りたら聞く!」
ストラディゴスは彩芽を縛るロープを解くと肩に担ぎ、螺旋階段へと向かう。
しかし、内壁に張り付いていた螺旋階段は、塔の半分に重心が偏る事で次々と歯抜けになっていく。
もう降りる事が出来ない。
「くそっ」
傾斜が増していく監視室。
このままだと床が抜けると、もう一度屋根に戻る。
屋根を登っていき、尖塔につかまる。
彩芽は次々に思い出す記憶の断片にクラクラした。
そんな彩芽を担いだまま、ストラディゴスは助かる方法を探す。
他に空を飛べそうなもの、地面に降りれる方法を考える。
アスミィやハルコスが使っていたベルトでもあれば、空に避難できそうだが、そんなに都合よくは無い。
ストラディゴスは、倒れつつある外壁を覗き込んだ。
階段の歯が抜け、積まれた石が所々梯子状になっている。
「これしかないか……」
城と反対側なら、降りている最中に塔が倒れても、少なくとも塔に潰される事は無い。
「アヤメ、下を見るなよ」
「んな無茶な!?」
ストラディゴスが外壁をクライミングでおり始めた。
「ストラディゴスさん!」
「なんだ!」
「私のどこが好きなの!」
「……それ誰に聞いた!?」
「オルデン公とか! みんな!」
「オルデン公!? オルデン公はお前を好きじゃないのか!?」
「ただの友達だってば!」
「領主様が友達!? なんだそれ! その話! 続きは降りてからじゃダメか!?」
「生きてる間に聞きたくて!」
まだ地面までは数十メートルは距離がある。
落ちれば二人共ひとたまりも無い。
「ああ、もう! わかったよ! 最初にあった日の夜、お前は俺といて楽しいって言ったんだ!」
「楽しかったし言ったかも!」
「俺は、お前といると良い奴でいられるらしい!」
「何それ!」
「俺を、死ぬまで良い奴でいさせて欲しい!」
「告白みたい!」
「告白だ! ずっと一緒にいたいんだ! お前が俺を、あの日の夜みたいに『嫌いじゃない』って言ってくれるなら、俺は!」
その時、彩芽の中でバラバラだった記憶のピースが繋がり始めた。
酒場を出て、夜道で話し、タバコを吸い、塔の上で朝日を見た。
異世界に一人で来て、ずっと不安を感じないでいられたのは、自分を抱えている巨人のおかげである事に気付いた。
「一言で言い表せない!」
彩芽は、フィリシスの言葉が引っ掛かっていた理由がはっきりし、スッキリした顔をする。
同時にストラディゴスの事を、ただの友達と思っていたのは、違う気がした。
「ああ! ああ、そうだ、お前を一言で言い表せるもんか! だから、もっと俺にお前の事を教えてくれ! 俺は、お前の良い所も悪い所も、全てが知りたいんだ!」
「嫌いじゃないよ!」
今まで生きてきた中で、一番うれしい言葉だった。
酔った自分から出た言葉だが、それは彩芽が誰かに言って欲しかった言葉でもあった。
本心で、心の底から。
ストラディゴスは、ストラディゴスの言葉として言ってくれたのだ。
塔に小さな浮遊感が宿っていく。
見張り塔が倒壊を始め、壁も足場も遠のいていく。
塔の壁に張り付いたまま落ちれば、結局最後は自由落下と同じ事になる。
ストラディゴスは、斜めになっていく塔の坂を滑り始める。
しかし、坂道は途中で崩れ無くなり、二人は空中へと投げ出されてしまった。
ストラディゴスは彩芽を強く抱きしめた。
死ぬ前にせめて温もりを感じたかった訳では無い。
自分の身体を盾にしてでも、どうしても守りたかったからだ。
ストラディゴスの腕の中で、彩芽は思った。
このまま死ぬにしても、自分を好きな人に守られながら死ぬのなら、無駄に死ぬより一ミリでもマシだと思えるなら、悪くない人生と言えるのでは無いか。
「ぐぁっ!?」
二人の身体を衝撃が襲った。
地面への激突では無い。
気が付くと、竜になったフィリシスの腕につかまれていた。
「フィリシス!? どうやって」
ストラディゴスの質問に、フィリシスは下を見る。
そこには、アスミィと、ポポッチの恰好をしたハルコスがいた。
ハルコスは、胸を隠して手を振っている。
「さっき、言ったよな。俺は覚えてるからな、ディー。約束だ、お前を俺の好きにさせろよ」
ネヴェルから少し離れた山間の滝。
フィリシスに助けられた彩芽とストラディゴスは、ひと気のない場所におろされる。
「お前の事、俺の好きにさせてくれるんだよな」
「何でもする。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「ストラディゴスさん……」
ストラディゴスが、彩芽がオルデンと付き合うと勝手に思い込んで、身を引く覚悟だった事は、先ほどの告白までの会話から察しがついていた。
だからこそ、フィリシス達に最初から殺されても良いから償おうと、彩芽を助ける覚悟のもと城に乗り込んできたのは明らかだ。
それなのに、告白をして尚、フィリシスに対して罪を償おうと本気でぶつかっていくストラディゴスは、ただ彩芽の事が好きなだけでは無い事が彩芽にもわかった。
愛する人に対して相応しい人間になりたいと言う、覚悟がそこにはある。
ストラディゴスは、相応しい人間に近づくには、命を懸けても足りないと思っている。
ブルローネでルイシーが彩芽に言っていた通り、巨人の望む自分へ変わる為に必要な事が、この贖罪なのだろう。
フィリシスは、許しを乞うのではなく、償いたいと願うストラディゴスを見て、悔しいと思った。
自分と仲間達を蔑ろにした愛する男が、別の女の為に、誠実で前よりも魅力的に変わろうとしているのだ。
なぜそれが自分の為では無かったのか、未練があればこそ思ってしまう。
だからこそ、試したくもなる。
「アヤメ、ディーに計画の事を全部話してやってくれ。俺は城に戻る」
「待ってくれフィリシス!」
「それとアヤメ、お前も聞いてたよな。俺の好きにさせるって言ってたのをよ。ディー、お前が俺達にした事を全部アヤメに話しな、それでチャラだ」
フィリシスは、悪戯に悪い笑顔をストラディゴスに向け、それだけ言うと、二人を置いて城へと飛び去って行ってしまった。
滝のほとり、岩場に座る二人。
彩芽に計画の全貌を説明され、ストラディゴスはショックを受けていた。
ルイシーがオルデンに自分よりも遥かに信用されていた事。
オルデンやエルム達、計画に関わるメンバーの一連の行動が演技であった事。
元カノ四人組が、自分の事を既に許し、今でも好意を持っていた事。
そして自分が騎士団の副長の地位にありながら、信頼されずに計画の外側に置かれていた事にである。
自分の行動が全てにおいて空回っていた事実に、愕然とするしかない。
「大丈夫?」
彩芽の言葉に我に返る。
彩芽に出会う前の自分が、どんな風に周囲に見られ評価されていたのかを知り、わかっていても吐き気がした。
しかし、周囲からその様に見られていた事が、今なら十分に理解も納得も出来た。
自業自得。
フォローのしようのない自業自得である。
騎士団副長、元傭兵団団長、金も地位も部下もあり、酒も女も選び放題。
その全ての上に胡坐をかいて、快楽にふけっていたのが、ほんの少し前の自分なのだ。
あの夜、彩芽に聞かされた肩書の話を思い出す。
目の前の女性に出会うまでは、いや、出会ってからも、肩書に踊らさ続けて来たのかもしれない。
「大丈夫だ……」
全然大丈夫では無いが、受け入れるしかない。
アイデンティティだった騎士の肩書を捨て、目の前の女性以外に心の拠り所が残されていないストラディゴス。
それでも、約束を果たさなければならない。
それが、彩芽に相応しい自分になる為の乗り越えなければならない試練と言うならば。
「アヤメ、フィリシスの言っていた……話なんだが」
「酒場でも言ってたよね……」
「聞いていて気分のいい話じゃ無いんだが、聞いてくれるか?」
「もっと、落ち着いてから聞こうか?」
「いや、アヤメさえ良ければ、今話したい。話して、さっきの」
「さっき?」
「話を聞いた上で、告白の返事が欲しい」
ストラディゴスは、重々しく口を開き、語り始めた。
出来れば触れたくないであろう、オブラートに包まれていなければ、面白おかしく盛ってもいない。
四股事件の事を。
それは数年前にさかのぼる。
マルギアス王国が前の戦争の真っ最中だった頃。
フォルサ傭兵団全盛期、ストラディゴスは、戦場で瀕死の怪我をしたフィリシスを拾った。
マルギアスでもカトラスでもない、当時争っていた今は無い国で奴隷兵士として運用されていたのを解放する形での出会いであった。
元来、竜人族は指輪で竜に変身などせずとも、優秀な戦闘能力を備えた種族で、その国では魔法の首輪で服従させて様々な奴隷を兵士としていた。
出会った時にフィリシスが瀕死だったのは、ストラディゴス達と戦ったからではなかった。
敵国の敗戦色濃厚な時期だと言うのに、相手国に渡すまいと敵の手によって殺されそうになった為である。
長年奴隷として戦争の道具として扱われてきたフィリシスは、出会った当初は極度の人間不信となっており、この世の全てを憎んでいた。
しかし、ルイシーによって心の氷を解かされ、徐々にフィリシスはルイシーを慕う様になっていったと言う。
だが、フィリシスは、どうしても一つルイシーの事で理解できない事があった。
どうしてルイシーは、長年連れ添っているストラディゴスが他の女に言い寄られて、それに全て応えても、許す事が出来るのかである。
フィリシスは誰とも今まで正式に付き合った事などない人生だった。
奴隷として弄ばれてきただけで、誰かに愛された事など一度も無い。
ストラディゴスとルイシーが初めて自分に愛を注いでくれた相手であり、初めての理解者でもあった。
だが、もし誰かを好きになったのなら、独占したくなるに決まっているとは、思っていた。
自分だけの好きな人を手に入れたい。
フィリシスは、その憧れの発端を覚えてはいない。
それは、竜人族の本能なのかもしれない。
竜は元来、嫉妬深く、縄張り意識も強く、昔から宝を守る存在として描かれる。
なので当然、ストラディゴスの浮気性な部分は、生理的に好きになれなかった。
フィリシスは、自分が愛するルイシーだけを、ルイシーの愛するストラディゴスには愛してもらいたい。
そう考えていたのだ。
すると、ルイシーは、ある日こんな事を言った。
「それなら、フィリシスがストラディゴスに一途さを教えてあげて」
一途さならルイシーに勝る者はいない。
そうフィリシスは考えていた。
ストラディゴスがどんなに浮気をしても、ルイシーが浮気をしているのを見た事が無いのだ。
そのルイシーに教えられない事を、フィリシスがストラディゴスに教える事が出来るのか。
聞くと、ルイシーは「自分は一途なのではない」と言う。
「一途とは、自分を持って相手を思い続ける事」
だが、既に今の様な関係になって長いストラディゴスとルイシーの間には、自分と相手の境界線が溶けてなくなっている部分がある。
お互いが自分を癒そうと相手を癒している依存関係から始まっている。
その為、相手が満たされると自分も満たされる様な気持ちに自然となってしまい、ストラディゴスがルイシー以外の恋人を作っても、ルイシーはまるで自分が愛し愛されている様に感じると言うのだ。
* * *
「ちょっとストップ! ルイシーさんって、メイドさんでしょ? ストラディゴスさんの何なの?」
彩芽からの質問にストラディゴスは真摯に応えるしかない。
「ルイシーは、俺がまだ若い頃、初めて戦場で拾ったんだ。それから、今でも家族みたいなものだ」
「奥さん、って訳じゃないの?」
「妻、ではないが、そんな関係だ」
「内縁の妻かな」
「ないえん?」
「ううん、良いの。事実婚みたいな」
「うん? それは良く分からないが、ルイシーは俺の半身だ」
「あの、話を中断して非常に申し訳ないんですけど」
「ああ、なんだよ」
「告白された私って、その、二股とか不倫になったりしないの?」
「愛人って事か? 馬鹿を言うな、俺はお前一筋だ」
「ルイシーさんは?」
「だから、家族みたいなものだ」
「……?」
「……?」
彩芽は、混乱した。
異世界の慣習なのか、慣習さえ存在しない自然発生的な名も無き関係なのか、ルイシーの事に関してまったく悪びれる事も無いストラディゴスを前に、恥じる事が無い関係なのは察する事が出来るが、それが自分の世界に置き換えてどんな関係なのかが分からない。
「とりあえず、話を続けて下さい」
「あ、ああ……」
あとでルイシーに聞こうと思い、話を戻した。
* * *
当時のルイシーは、ストラディゴスが皆に愛されるのは嬉しくても、皆に愛されるままに全てを受け入れている状況が、必ずしも良いとも思っていなかったと言う。
この頃のストラディゴスは、ルイシーが無意識に作った自分の為のハーレムにどっぷりと浸かり、目的と手段が入れ替わりつつある時期で、ルイシーはそれを感じとっていたのだ。
仲間を心から愛して、愛に応える為に相手を愛する。
そんな自分と出会った頃の巨人を守りたかったルイシーは、フィリシスなら教えられると期待をしたのだった。
愛するルイシーに頼まれ、フィリシスはストラディゴスに愛を思い出させる事を決意したと言う。
当のストラディゴスは、フィリシスを仲間として気に入っていたが、その性格と、竜人族と言う事で、自分から夜這いをかける様な事はしていなかった。
下手をすると、拒否された挙句、本当に殺されかねない。
そんな存在が、ルイシーの頼みでストラディゴスの私生活に介入してくるのは、迷惑でしかなかった。
だが、ルイシーの頼みとあっては、一度は受け入れる他に無い。
フィリシスは、ストラディゴスに言い寄ってくる大勢の女達に対して、不器用にも説得して回ったと言う。
人間不信でコミュニケーションが苦手だったフィリシスの必死の努力。
ストラディゴスにルイシーの大切さを思い出させようという運動は、傭兵団内に広まっていった。
そもそもが、ルイシーの無意識に作ったハーレムである。
女達はルイシーを皆慕っていた為、フィリシスの行動にも理解を示してくれたのだ。
こうして、ストラディゴスは(ルイシー以外の)女断ちを余儀なくされる。
ルイシーの事は愛しているし、ずっと関係は続いているが、強い刺激に慣れ切った巨人は、物足りないと思うようになっていた。
先に断っておこう。
当時のストラディゴスは、ハッキリ言えば“クズ”だった。
ルイシーの頼みとは言え、フィリシスのせいで自分を慕う女達が、夜は距離を置いてくる。
その状況に我慢の限界に達したストラディゴスは、ある日の夜、フィリシスのいる所へ向かった。
フィリシスの所に行ったストラディゴスは、そこでフィリシスには手も触れず、その目の前でルイシーの事を愛し始めたのだった。
これがフィリシスの望みなのだろうと、ルイシーの事を一途に愛しつつ、他の女とは関係を持っていないとフィリシスに証明したのだ。
人として、あまりにも最低過ぎる反撃だった。
その日から、フィリシスの愛するルイシーが、愛する男に愛される姿を見る事がフィリシスの日課となっていく。
乱れ喜ばされるルイシーを前にして、フィリシスの中にあったモラルにヒビが入って行く。
いつしかフィリシスは、愛するルイシーをストラディゴスの様に愛したいと思っていった。
そして、ストラディゴスの様にルイシーにも愛されたいと思うと、その感情に歯止めが利かなくなっていく。
ルイシーをストラディゴスに一途に愛させると宣言した手前、フィリシスは葛藤に苦しむ。
しかし、これこそがストラディゴスの狙いであった。
* * *
「ストラディゴスさん」
「……なんだ」
「浮気が始まる前なんですけど、若干、と言うかかなり」
「言わなくても分かる。すまん」
ストラディゴスは、真っ赤になり、何ともいえない表情。
それでも、いっその事死にたいと思いながらも話を続ける。
好きな相手に、昔の彼女の話(しかも下品かつ酷いエピソード)をしろと言うフィリシスの要求のえぐさを痛感する。
大勢の前で事情聴取された時とは比べ物にならない精神への破壊力。
この話の後に、告白の答えを聞くと言う事を思い出し、滝つぼにちょっと吐く。
「ちょっと本当に大丈夫!? 続きは後にしない?」
「はぁはぁ、大丈夫だから、ほんと……」
* * *
ストラディゴスは、涙目になりながらも、当時の事をありのまま話す。
ルイシーを、自分の様に愛しても良いとストラディゴスはフィリシスを誘惑した。
ルイシーはそれがストラディゴスの望みならと、フィリシスを受け入れてしまったと言う。
たった一度でも誘惑に負けると、後は、なし崩し的に、一途さを巨人に教えて欲しいと言ったルイシーと関係を持ってしまった。
しばらくルイシーをストラディゴスと共に愛する日々が続くと、ルイシーにストラディゴスの様に愛されたいと思う様になっていく。
そしてフィリシスは、ルイシーに誘われるまま、ルイシーの一部としてストラディゴスをも受け入れてしまったのだった。
それから、ルイシーとストラディゴスとフィリシスの、三人だけの関係が始まった。
ところが、竜は元来独占欲が強い生き物である。
ストラディゴスは、フィリシスに自分の正しさを身をもって経験させ、示した事で、今まで通りハーレムを楽しめると思っていた。
そう本気で考えての、これまでの行動だったのだ。
だが、フィリシスは、二人の事を同時に一途に愛し始め、四六時中ストラディゴスの事を愛ゆえに束縛し始めた。
これでは、ストラディゴスは、前の様に他の女に手を出せない。
一度好きになった相手へのフィリシスからの愛は、重かった。
ストラディゴスは、重さに耐えられず理由をつけては会わない時間を作る事にする。
フィリシスの事を本気で好きなのは好きだが、ずっと一緒にいるにはあまりにも重いと感じたのだ。
ここまで、ストラディゴスの自業自得である。
ここからも、自業自得である。
フィリシスが、ミイラ取りがミイラ状態になると、傭兵団の中に潜在するハーレムでは仲間が増えたと最初は歓迎された。
だが、フィリシスのストラディコスへの独占的な態度は大いに反発を生んでしまう。
ストラディゴスは、この反発をチャンスと捉え、作った時間を使って息抜きに他の女に手を出し始める。
ある意味で、フィリシスを覚醒させてしまったストラディゴスは、好きなのもあり自分からフィリシスとの関係を清算する事も出来ず、と言って自分の欲望を制御する事も出来ない。
そこで、手軽に付き合えそうな相手を探そうと思ったのだ。
* * *
「予想を超えて最低ですね」
「自分でも分かってる」
* * *
フィリシスと付き合っている時、最初に関係を持ったのは猫人族のアスミィだった。
彼女は、元々暗殺者だったが、人を殺すのが嫌になって逃げだし、マルギアスまで流されてきたと言う。
フォルサ傭兵団では、長年斥候を務めていた。
アスミィは、典型的なルイシーに影響を受けた娘の一人であった。
ルイシーの様に幸せになりたいが故に、ストラディゴスを慕い、無邪気にじゃれ付いているうちに意識し始め、アスミィからストラディゴスへ夜這いをかけて関係が始まったと言う。
アスミィにとっては初恋であり、ストラディゴスのハーレムと言う、一夫多妻的な関係に入りたいと思っていた故の行動であった。
フィリシスを皆が恐れているからこそ、ストラディゴスを独占できると思ったと言うのだから、意外と策士である。
しかし、アスミィ一人ではストラディゴスは満足できなかった。
相手も、遊びだと思ってくれる相手を求め、そこで次に手を出したのが、テレティだった。
テレティは、元々戦士で、傭兵としてフォルサ傭兵団に加わって来た。
兎耳の美女で、知的な見た目とは裏腹に、思考がかなり単純でもある。
その上、兎人の特性のせいか、そう言った事にも積極的で、最初はお互い良い息抜きになったと言う。
だがテレティは、次第にストラディゴスに対して本気になってしまう。
すると、盛りのついた雌兎の様に、所かまわずストラディゴスを求め始める様になり、ストラディゴスは身体がもたないと別の息抜きを探し始める。
最後に関係を持ってしまったのが、ダークエルフのハルコスだった。
彼女は、家族が流行り病にかかって亡くなり、里を追い出された過去がある。
行く当てもなくさまよっている所を、フォルサ傭兵団に拾われたと言う。
傭兵団では、弓の腕を活かす為に弓兵をしていたが、木の上から戦場を俯瞰して分析する能力を見出されて、後に戦術家としてストラディゴスと共に指揮をとっていた。
フィリシスとアスミィとテレティと同時に関係を持っている事を、友人として相談され、ストラディゴスに最初から呆れていた。
だが、友人として恋人同士でコンフリクト(衝突)を起さない様にスケジュール管理を手伝ったり、助言を与えていたと言うのだから、良い性格である。
お互い恋をする対象として見ずに戦友として見ていた為、愚痴や相談にもよく乗っていた。
そんな善き友人だと思っていた相手が、友人の一線を越える時は突然やって来た。
二人の場合は、ストラディゴスが表向きフィリシスと付き合い、隠れて二人とも付き合っているのに慣れ、デートスケジュールをハルコスと共に組んでいた時に、ハルコスが「こうすればあと一人ぐらい」と、スケジュールに空きを作って、誘ってきたと言う。
スケジュールが空いているのだからと、ストラディゴスに断る理由は無い。
そして、ついに運命の日が近づき……
* * *
「ストラディゴスさん、前」
「すまん、話していたら……」
「むらむら?」
「違う! 勝手に! これは男なら仕方が無い事で!」
「……まあ、いいですよ。続けて」
「……すまん」
* * *
ストラディゴスは、ハルコスの協力を得る事で、デートスケジュールの圧縮を目論見始める。
同じ時間に同時に楽しめないかと考えたのだ。
ハルコスは、危険が少なく余暇が多い物資の馬車での運搬や見張り、斥候と言った任務を利用しだす。
違和感の無いメンバー構成や任務の理由をつけては、様々な場所に出かけては逢瀬を重ね、アスミィ、テレティ、ハルコスの三人はすぐに秘密を共有する仲間となった。
次にストラディゴスが目論んだのは、フィリシスをも仲間に引き込む事だった。
ルイシーを使って恋人関係に持ち込めたのだから、同じように「慣らせて」いけば、落とせると考えたのだ。
そこで、三人をフィリシスにとっての第二のルイシーにするべく、ハルコスが任務を割り当てていく。
ところが、フィリシスの人見知りの激しさは中々のもので、ルイシーとストラディゴスと一緒にいる時は活発なのに、他人が一緒にいると急に大人しく、内向的になってしまう。
どうにかせなばとストラディゴスは、三人をフィリシスとなるべく長く共にいられるように、裏に手をまわし始め、その甲斐もあってか、フィリシスは徐々に明るくなっていった。
* * *
「……目的さえまともなら、良い話っぽいのに……」
「……」
* * *
そして、運命の日。
三人の友人を探していたフィリシスは、三人がストラディゴスと共にどこかに行く事を偶然目撃してしまう。
ついて行くと、テントの中から楽しそうな声が聞こえたと言う。
誘われる様に入って行くと、そこではアスミィとテレティとハルコス、裸の三人と一緒にいる一糸纏わぬ姿のストラディゴス。
フィリシスは、友人の裏切りに最初は茫然としたと言う。
そんなフィリシスを見て三人は、最初ストラディゴスをかばってくれた。
元々女好きなのは分かっていたとか、自分から誘ったとか、フィリシスも誘おうと思っていたとか、三人も必死に言い訳をしたのだ。
そのうち、フィリシスの握り締めた手が震え始め、フィリシスの身体から殺意が溢れ出た事に、裸の四人は気付く。
このままでは、全員がフィリシスに八つ裂きにされてしまう。
命の危険を感じたストラディゴスは、どうにか場を治めようと、こんな事を言った。
「フィリシス! お前が本命だ!」
それは、ルイシーの事を最初に愛し、今も最も愛していたフィリシスには、逆効果だった。
ルイシーでは無く自分を本命と言い放った、ストラディゴスの浅はかさ。
完全に、怒れる竜の逆鱗に触れてしまったのだ。
同時に、さっきまで庇っていた三人にも「私たちは本命じゃないのか!」と言う話になり、修羅場は地獄とかす。
ストラディゴスは、この件で全治三ヵ月の大怪我を負い、ルイシー以外に看病をしてくれる女性はいなかったと言う。
この件で、ルイシーからも酷く叱られ、この時ばかりは反省したらしい。
最初から最後まで、自業自得の昔話であった。
* * *
「その後、四人とは傭兵団の中で避けられるようになって、そのうちお互い気まずいまま出て行かれた、と言うので、この話の全てだ」
「………………え、この流れで私、告白の返事させられるの!?」
ストラディゴスの昔話が終わると気まずい空気が流れた。
人生の汚点を自ら披露させられたのだ。
それも、つい先ほど勢いで告白をした相手にである。
彩芽の横でストラディゴスは、断頭台に向かう階段の前に立ち尽くしたみたいな顔で、水面を眺めている。
やり切ったが、罪を清算しただけで得た物は何もない。
だが、過去と向き合い、汚れ切った自分を晒してまで真摯に相手と向き合おうとしている事だけは、彩芽にもわかった。
しかし、話してくれた内容は、実にどうしようもない内容でもあった。
「何事も前提の条件が整えば、必ず肯定される」
ふと、先輩に昔言われた言葉を思い出した。
その時、彩芽は気付いた。
自分がストラディゴスの存在を、肯定したがっている事に。
清廉潔白で完璧な人間なんて、この世にはいない。
それなら、過去がどんなに汚れていても、自分の人生から排除するのは、違うのでは無いか?
自分の今までを振り返る。
ストラディゴスは清廉潔白であろうと努めているが、彩芽自身そんな大層な人間と言えるのだろうか?
彩芽は、そこまで考えると、語った過去の内容の酷さでは無く、今に目を向けるべきだと思った。
今、目の前では一人の男が、勇気を出して愛と罪を告白し、返事を待っている。
告白の内容だけでなく、告白した事自体にも意味があり、価値がある。
そこで大事なのは、男の過去か?
いいや、それだけでは無い筈だ。
今この瞬間、大事な事は、何か。
そんな物は決まっている。
それでも尚、目の前にいる男の事が、好きか否かである。
他人の意見なんて関係無い。
これは、彩芽が決める事なのだ。
そして、清廉潔白であろうと努める男に対して、彩芽は応えていない。
ストラディゴスが彩芽を特別と感じているだけで、彩芽は特別でも何でもない。
平凡などこにでもいる一人の女でしかない。
その事実を一番よくわかっているのに、彩芽はストラディゴスに対して応えられていない。
確かに、告白はされた。
だが、その告白に応えられるだけの存在ではないのに、一方的に偉そうに判決を出し、答えるべきであろうか。
彩芽の中で、一つの答えが出た。
「ストラディゴスさん、返事をする前に、私の話も聞いてくれますか?」
「え?」
「ストラディゴスさんに比べたら地味かもしれないけど、私の酷い過去も聞いて欲しいんです」
彩芽は、ストラディゴスに過去を語り出した。
父親の財布から金を抜き取って怒られた話。
トイレを詰まらせて逃げた話。
学校のテストでカンニングした話。
拾ったお金を届けなかった話。
友達の約束をすっぽかした話。
クラスでいじめがあった時に、他人事と何もしなかったのを今でも後悔している話。
昔から寝坊癖があって、遅刻の嘘が上手かった話。
仕事をさぼって遊びに行った話。
そのどれも、犯した罪の懺悔であった。
最初、ストラディゴスは彩芽が何の話をしてくれているのか、わからなかった。
聞いてくれと言われ、黙って聞いていると、まるで酒場で酔っぱらって話をしていた時の様に、時に真面目に、時に面白おかしく彩芽は話を続ける。
悪い事をした話が尽きて来ると、彩芽は恥ずかしい話を始める。
割と最近、トイレが我慢できずに事故を起こした話。
欲張って豚骨ラーメンの無料お代わりをし過ぎて帰り道に吐いた話。
泳ぎに行って下着を忘れた話。
悪くなっている食べ物を、いちかばちか食べて食中毒を起こした話。
猫アレルギーなのに猫カフェに行って病院に運ばれた話。
人間関係が煩わしくなって、会社をやめてフリーランスになった話。
一人エッチの最中に寝落ちして、パンツが大変な事になった話。
出先でブラジャーが壊れ、恥ずかしい思いをした話。
思いつく限りの忘れたい人生の恥部をさらけ出したのだ。
それを話す度に、ストラディゴスの反応を確かめる。
思いつく限り話し尽くすと、彩芽は小さく深呼吸をしてから川に飛び込んだ。
水の中で頭を冷やすと、ぷはっと水面から飛び出す。
メイド服が肌に張り付き、色っぽさはそこにはなく、ただただ重そうになる。
「どうだった……」
ずぶ濡れで彩芽はストラディゴスに聞く。
「こんなので、がっかりしたのかって聞いてるの。良い所も悪い所も知りたいって、さっき言ってたよね? もう嫌になった? 嫌いになった? 私だって、同じだよ。間違いと失敗の塊だもん」
ストラディゴスは、驚いた顔をして彩芽の事を見つめる。
「もう一度、告白してみて。私のどこが好きなの? なんで好きになったの?」
「……それは」
「私は、ストラディゴスさんの好きな所言えるよ。最初に会った時、ブルローネで謝ってくれた。美味しいごはんをご馳走してくれた。ベッドも譲ってくれたし、服もピッタリだった。ごはん食べさせてくれたのも、抱っこしてくれたのも肩車も久しぶりで、すごい嬉しかった。さっきだって一人で命がけで助けに来てくれたし、それに……告白してくれたじゃん!」
「俺は……」
ストラディゴスは川に飛び込み、頭まで沈むとその場に立ち上がった。
海から上がってきたときの様に鎧の姿のまま、またずぶ濡れになる。
彩芽の方に向き直ると、ストラディゴスは考えずに思いをぶちまけた。
「お前の笑った顔が好きだ。眠そうな顔も眠った顔も、飯食ってる顔も、恥ずかしがってる顔も、怒ってる顔も、全部好きなんだ。お前の言葉が好きだ。考え方が好きだ。目も鼻も口も顎のラインも髪の毛も、手も足も首筋も項も胸も腰も尻も、全部が好きなんだ! アヤメ、俺はお前の全てが、キジョウアヤメが好きなんだ! お前が俺を」
「嫌いじゃないって?」
「ああ、そうだ!」
彩芽は、川からよろよろとあがると、小高い岩場の上にのぼった。
川の中にいるストラディゴスと目線が同じになる。
彩芽は、まっすぐにストラディゴスを見据えると、静かに告白に応えた。
「今は……嫌いじゃなく、無いかな……」
「……それが、告白の答えか?」
「うん」
ストラディゴスは、答えが聞けただけよかったと落ち着いた顔をした。
自分の過去のあやまちは、あれだけ好きと言ってくれた相手でも、共にいる事を難しくさせるのだと実感する。
そんな過去があっては、相手が不安になるのは当たり前であり、これは自分が償う為の当然の事だと思うと、少し気が晴れた気がした。
彩芽は、断られて当然かと諦める巨人に向かって、岩場からジャンプした。
「受け止めて!」
ストラディゴスは、下から救う様にお姫様抱っこで抱える。
「一言じゃ言い表せないけどね。でも、あ・え・て・言うならね」
彩芽は芝居がかった事を、急に始める。
ストラディゴスは、あの夜を思い出す。
「けっこう好きかも」
木漏れ日の中、ずぶ濡れの二人。
彩芽の無邪気な笑顔。
ストラディゴスは、目に大粒の涙を溜める。
歪んで見える彩芽の顔。
なぜ、こんな自分を受け入れようとしてくれたのか分からない。
それでも、ただ嬉しかった。
「一緒に、いてくれるのか?」
「本当に、私なんかでいいの?」
「お前じゃなきゃダメなんだ」
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